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第684話

Auteur: 桜夏
翼は親指を立てて言った。「君は本当に、とんでもない名利に淡泊な御仁ですね」

透子はその言葉の裏を読み取り、説明した。

「私にただ、もっと大事な条件と交換しただけです」

翼はそれを聞きながら思った。数千億円もの大金より価値のあるものとは、一体何だというのか。透子にあっさりと断らせるほどに。

彼が尋ねると、理恵が代わりに答えた。

それを聞いた翼は絶句した。

今度は、先ほどよりもさらに、自分の気持ちをどう表現していいか分からなくなった。ツッコミを入れる気力もなく、言葉も出なかった。

数秒が過ぎ、翼はかすかに微笑んで言った。

「如月さん、あのお金があれば、僕のチームを生涯雇って、プラチナ待遇で君を全力でサポートできますよ。僕自ら、新井を相手取って裁判を起こします。

なんなら、僕を君のボディーガードにすることだってできます。うちの事務所の弁護士全員に、空手や柔道の段位を取らせることだってできますよ」

その言葉を聞き、透子は思わず笑みをこぼし、例え話で言った。

「藤堂さん、そのご提案はとても魅力的ですけど、蚊は叩いても死なないし、蚊帳を張っても周りでブンブンうるさいんです。

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    その頃、処置室の外にある花壇のそばで、透子は理恵からの電話を受けていた。理恵はネット上の反応をリアルタイムで透子へ伝えている。一通り重要な話を終えると、最後に呆れたような愚痴をこぼした。「いやもう、顔さえ良ければ何でも許されると思ってる人って本当にいるのね。あんな動画なのに、新井の顔だけで推してる人まで湧いてるんだけど。ほんと無理よ、透子。あんたにも見せたいくらいだわ、あの節操のないコメント欄。新井は顔がいいとか、最後に目を赤くして一番きつい言葉を吐くところが最高だとか、迫力がすごい、オーラ全開とかね。あれが芝居だったら映画賞を総なめできる、なんてことまで言われてるのよ」理恵のぼやきを聞きながら、透子の頭には、理恵が転送してきた動画の最後の場面が自然と浮かんでいた。あの時の蓮司の言葉は、本心から出たものだった。黒幕に向けた怒りも憎しみも、作り物ではなく、あまりにも濃く、まっすぐだった。透子が理恵に返事をしようとした時、斜め後ろから音もなく人影が近づいてきた。「誰と電話しているんだ?」透子は反射的に振り返り、思わず答えてしまった。「理恵よ」言い終えてから、目の前に立っている相手に気づく。まさに今、電話の向こうで理恵が散々こき下ろしていた本人、蓮司だった。透子はわずかに黙り込んだ。今のは、あまりにも口が先に動きすぎた。本来なら、蓮司の問いに答える必要などなかったのだ。まるで二人が穏やかに会話できる関係に戻ったように見えてしまう。けれど実際には、透子は蓮司とこれ以上関わりたくなかった。透子は立ち上がり、その場を離れて距離を取ろうとした。だが、体を起こしきるより先に、手の中のスマホを蓮司にあっさり抜き取られた。透子は眉をひそめ、蓮司を見た。スマホを返すよう言うより早く、蓮司は画面を操作して通話をスピーカーに切り替えた。理恵の声が、その場にそのまま流れ出す。「……ねえ透子、あの人たち本当に目がおかしいんじゃないの。新井なんて見た目だけ取り繕ったクズなのに、どれだけまともな男を見てこなかったら、あんなのを有り難がれるわけ?ゴミを見て喜んでるようなものじゃない」透子は無言になった。蓮司も無言になった。数秒の沈黙のあと、蓮司は無表情のまま口を開いた。「理恵さん。俺がどれだけ最低な人間だろうと

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    「だが、リハビリ室は正門とは反対側にある。お爺様がどうして入口の騒ぎを知るんだ。誰かが余計なことを吹き込んだのか!」蓮司の矢継ぎ早の問いに、リハビリ担当者は一つずつ答えた。新井のお爺さんは、ドローンに積まれた拡声器から新井グループのプロジェクト事故や株価下落の話を耳にし、その直後に容体が急変した。そう知った瞬間、蓮司の目は血走り、握りしめた拳がぎりっと音を立てるほど強くこわばった。「誰だ……誰が仕組んだ!」蓮司は怒りに任せて吠えた。「あの拡声器を仕掛けたのはどこの記者だ。それとも博明の仕業か!」相手は、わざと新井のお爺さんに聞かせたのだ。病状を悪化させるために。これは単なる騒ぎではない。新井のお爺さんを直接死に追いやる、殺人に等しい行為だ。犯人には命で償わせる。関わった者すべてに、必ず相応の代償を払わせる。「社長、拡声器はドローンに取り付けられていました。当時、我々はフェンスの外に群がる記者たちへの対応に追われていました。警察車両へ連行する手筈を整えていたところで、まさか上空からドローンが飛来するとは予想だにしませんでした」その場にいたボディーガードの一人が説明した。「気づいてすぐに撃ち落としました。ですが、位置を確認して狙いを定めるまでの二、三分の間に、拡声器から一通りの内容が流れてしまいました。そのため、会長のお耳にもすべて入ってしまったのだと思われます」その言葉を聞いた途端、蓮司は振り向きざまにボディーガードの胸ぐらをわし掴みにした。血走った目で、今にも噛みつきそうな勢いで怒鳴りつける。「なぜもっと早く落とせなかった!なぜ事前に予測して止められなかったんだ!お前たちの怠慢だ。役立たずどもが!」胸ぐらをつかまれたボディーガードは、抵抗も反論もしなかった。ドローンの出現があまりにも突発的で、誰も予測できなかったのは事実だ。だが、それでも警備に穴があったことは否定できない。あらゆる可能性を想定し、防げなかったのは自分たちの落ち度だった。ボディーガードはうつむいたまま、蓮司の怒りを無言で受け止めた。蓮司の怒りには行き場がなかった。感情も理性も振り切れ、目の前の男を引き裂こうとする獣のような殺気をまとっている。彼が拳を振り上げた、その時だった。横から伸びてきた細い手が、蓮司の拳をしっかりと掴んだ

  • 離婚まであと30日、なのに彼が情緒バグってきた   第1617話

    そうでなければ、リハビリ担当者が「新井のお爺さんはもう危ないかもしれない」などと言い、透子があれほど取り乱して泣くはずがない。リハビリ担当者も、医療に携わる資格を持つ専門職だ。軽々しくそんな死の宣告を口にする人間ではない。そう考えてはいけないと分かっていても、執事の頭の中では最悪の想像が勝手に膨らんでいく。それでも信じたくなくて、執事は透子をじっと見つめた。彼女の口から、何か別の答えを聞きたかった。透子はまだ嗚咽をこらえていた。必死に呼吸を整え、震える唇を開く。「お爺様が……その時、目の焦点が……合わなくなって……」透子は伝えたいことを何とか言葉にしようとした。けれど、声は途切れ途切れで、息を吸うたびに喉が震えた。最後にはまた嗚咽がこみ上げ、言葉はそこで崩れ落ちてしまった。その横で、「焦点が合わなくなった」という言葉を聞いた瞬間、執事の頭の中で凄まじい轟音が鳴り響いた。全身から一気に力が抜け、体がグラリと横へ傾く。ボディーガードたちが素早く手を伸ばし、倒れかけた執事を支えた。執事の赤く充血した目から、ついに涙がこぼれ落ちる。体は震え、指先まで小刻みに揺れていた。「……旦那様ッ!」胸の奥には、言いたいことが山ほど詰まっていた。だが、何一つ言葉にならない。最後に絞り出せたのは、悲痛に引き裂かれたような、その一声だけだった。執事は深い悲しみに打ちのめされ、突然突きつけられた残酷な現実をどうしても受け入れられずにいた。だからリハビリ担当者はあんな宣告をしたのか。だから透子は、あれほど泣き崩れていたのか。旦那様は……旦那様は、本当にもう危ないのだ。「お爺様!お爺様はどうなったんだ!」廊下の入口から、切羽詰まった声が響いた。蓮司だった。病院の外に記者たちが押し寄せていると聞き、自ら戻って事態を収拾するつもりだったのだ。だが、記者への対応どころではない。蓮司を待っていたのは、それよりはるかに重く残酷な凶報だった。執事はボディーガードに支えられたまま振り返った。若旦那様を見て何かを言おうとしたが、口を開いても嗚咽が漏れるだけで、一言も発することができなかった。蓮司は執事のその悲痛な姿を見た。さらに、傍らで涙を拭っている透子を見た。その瞬間、最悪の予感が氷の刃のように胸を突き刺した。「お爺様……まさか

  • 離婚まであと30日、なのに彼が情緒バグってきた   第1616話

    ボディーガードに制止され、執事はようやく我に返ったかのように足を止めた。その場に立ち尽くし、少し離れた場所からベッドのほうを呆然と見つめる。だが、幾重にも医師たちに囲まれていて、新井のお爺さんの姿はまったく見えない。今どんな状態なのかも分からない。執事にできることは、ただ祈るように待つことだけだった。やがて、リハビリ担当者と透子が執事のそばへ歩み寄ってきた。リハビリ担当者はボディーガードへ目配せし、執事を室外へ連れ出すよう促す。三人は重い足取りでリハビリ室を出た。廊下に出ると、執事は声を殺して泣きじゃくる透子を見た。先ほど電話越しに透子の悲鳴を聞いたからこそ、執事は血相を変えて駆けつけたのだ。彼はどうにか激しく波打つ心を立て直し、二人へ問いかけた。「栞お嬢様、リハビリの先生。旦那様に、いったい何が起きたというのですか?」透子は口元を覆っていた手をゆっくりと下ろした。答えようと口を開いたが、嗚咽に喉が詰まり、声にならない。そばにいたボディーガードが、すかさずティッシュを差し出した。代わりに、リハビリ担当者が努めて冷静な声を保ちながら事情を説明した。「私は新井会長のリハビリを行っていました。始める前に体調確認も済ませています。その時はあなたもその場にいらっしゃいましたよね。リハビリの最初の段階では、会長に目立った不調はありませんでした。状態は極めて安定していました。ですが、外からあの拡声器の声が聞こえた直後、急に体が痙攣し始め、必死にベッドから降りようとなさいました。拡声器では、新井グループのプロジェクトで死者が出たことや、株価が大きく下がったことが叫ばれていました。おそらく会長は、それがご自身の会社のことだとすぐに理解されたのだと思います。それで、急激なショックを受けられて……」リハビリ担当者の話を聞きながら、執事もすでにおおよその事態を察していた。──旦那様は新井グループに関する絶望的な知らせを耳にし、感情が一気に高ぶってしまったのだ。「それで、旦那様のお加減はどうなのですか!今、どういう状態にあるのですか!」執事は問い詰めた。それこそが、彼が今もっとも知らなければならないことだった。あの拡声器による奇襲は、完全に執事の不意を突いていた。外に群がっていた記者たちは警察に連行させたはずだった。まさか、

  • 離婚まであと30日、なのに彼が情緒バグってきた   第481話

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  • 離婚まであと30日、なのに彼が情緒バグってきた   第483話

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    やはり、彼が痺れを切らして追及しようとしたとき、相手からの返答があった。それは、彼の悪い予感とまったく同じだった。「朝比奈美月です」その名前を聞いて、雅人の心に灯っていた希望の光は完全に掻き消え、彼は拳を握りしめた。その顔には、怒りの色が浮かんでいる。「嘘をつかないでください。あのネックレスは君の物ではありません。どこで手に入れました?」雅人は冷たい声で問い詰めた。「正直に話してください。素直に協力するなら、責任は問わないどころか、礼金も払います」その脅迫めいた、有無を言わせぬ物言いを聞いても、美月は必死に平静を装い、かろうじて動揺を抑えた。礼金?そんなはした金で、

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    「私と蓮司は、高校時代から愛し合っていました。でも、彼のお爺様が私を気に入らなくて、彼と別れるようにと迫ったんです。さもないと、京田市では生きていけなくするって脅されて……彼は結婚しましたけど、あの女のことなんて本当は愛していないんです。彼が心から愛しているのは、私だけなんです……」雅人は冷静に耳を傾けてから、言った。「だけど、君と彼はもう過去の話だろう。これ以上執着するべきじゃない。ましてや、人を連れて彼の奥さんを困らせるようなことは」美月は顔を上げ、泣き腫らした目で不満そうに言い返した。「じゃあ、私が透子にどんな目に遭わされたかなんて、気にもならないんですか?」雅人

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