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第520話

Author: ちょうもも
「なんで言わなかった。大久保さんに頼んで、身体にいいものを作ってもらおう」

悠良は細い眉を少し上げ、思わず驚いたように彼を見た。

「怒ってないの?」

伶は低く笑い、席に戻って上着を整える。

「悠良ちゃん、今の俺が腹をすかせた狼に見える?君を食べなきゃ餓死すると思った?」

悠良は口元を押さえて小さく咳き込む。

「別に」

でも、さっきの反応はどう見てもわかりやすかった。

彼の体の変化まで、はっきりと感じてしまった。

聞いたことがある。

男って、ああなったら発散しないと辛いんじゃないの?

しかも、伶の様子は明らかに本気で昂ぶっていたのに。

伶は彼女の頭を、ユラにする時みたいにくしゃりと撫でる。

「俺は女なんて何度も見てきた。そんな色眼鏡で見るな」

悠良は小声でぼやく。

「その割には結構飢えてるに見えるけど......」

コツン。

彼がシートの背を軽く叩き、低い声で釘を刺す。

「悠良ちゃん、言葉には気をつけろ。血の海は見たくないだろう?」

その一言に、悠良は思わず背筋を震わせた。

頭の中に映像まで浮かんでしまう。

目の前の利益は捨てないのが賢明。

彼女は慌てて口をつぐんだ。

車は市街地へ向かって走り出す。

ちょうど生理初日で、もともと腹が重くて辛いところに、今日の騒動で心身ともに疲れ切っていた。

彼女は無意識に身体を丸め、手を腹に当て、横を向いたまま目を閉じる。

赤信号で停まったとき、伶は彼女を一瞥し、すぐにナビの目的地を変更した。

声をかけることもなく。

悠良はうつらうつら眠ってしまい、目を覚ますと、車はすでにスーパーの前に止まっていた。

隣の伶の姿はなく、首を巡らせて電話をかけようとしたそのとき――

運転席のドアが開き、大きな袋を両手いっぱいに抱えた伶が戻ってきて、それを彼女の腕に押し込んだ。

「はい、これも」

彼はさらにひとつ、湯たんぽを彼女の手のひらに乗せた。

掌に広がるほのかな温もり。

悠良は思わず顔を上げ、驚いた。

「これ、どこで?」

湯たんぽ自体はどこにでもあるけど、お湯なんてどうやって?

伶は指を鳴らす。

「金の力だ」

悠良は思わず納得した。

言葉には出さないが、心の中では意外に思っていた。

この傲慢で孤高な男が、こんな細やかな気遣いをするなんて。

袋の中を覗き込むと、どうも
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