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第710話

Author: ちょうもも
「別に後ろめたいことじゃないだろ?悠良ちゃん、自分の欲求はちゃんと認めないと」

伶は目尻を少し上げ、淡い瞳にきらめく光を浮かべ、妙に人を惹きつける色気を纏った。

悠良は唇をきゅっと結び、恥ずかしさのあまり彼の口を縫い付けてしまいたいほどだった。

「詭弁ばっかり」

そう言って彼を押しのけ、階段の手すりを掴みながら下へ降りていく。

伶はその不器用な後ろ姿を見つめ、逆に口元に笑みを浮かべた。

食事の席で、伶が大久保に声をかける。

「大久保さん、今朝早く起きてスープを煮たって言ってたよな?彼女に二杯持ってきて」

大久保は長年の経験から一目で察し、笑みを浮かべながらすぐに答えた。

「はい、すぐ持ってきますね」

悠良は慌てて呼び止める。

「いいの、大久保さん。朝からスープなんて脂っこすぎるし」

「大丈夫ですよ、油は全部取ってありますから。きっと美味しいです」

大久保が甲斐甲斐しく立ち回る様子は、まるで産後の世話でもしているみたいだ。

悠良は大久保が聞き入れてくれないのを見て、伶の袖を引っ張った。

「早く大久保さんに言ってよ、本当にいらないんだから」

「栄養は摂らないと。この数日仕事の進みもきついだろ?今の体じゃ持たない」

そう言いながら彼はゆで卵を彼女の前に置いた。

仕方なく悠良は口にするしかなかった。

道中で倒れでもしたら本当に困る。

食欲はなかったが、最後まで無理して食べきった。

ほどなくして大久保がスープを運んできた。

「さあ小林さん、どうぞ。体にとてもいいんです」

大久保の熱意に、悠良も断れず、「じゃあ......いただきます」と両手で受け取った。

見れば本当に油一つ浮いていない。

ひと口飲むと、思わず眉がほころんだ。

「美味しい」

「それならもう一杯どう?」と大久保はにっこり。

悠良は笑顔で言った。

「じゃあ、寒河江さんにも一杯お願いね。このところ会社のことばかりで痩せちゃってるし、しっかり補わないと」

大久保は喜んだ。

「はい、わかりました」

大久保が中へ入った途端、伶が手を伸ばし悠良の頬を軽くつまんだ。

「悠良ちゃん、最近はずいぶんと策士になったな。スープは君のためになるのに、なぜ俺まで巻き込む。こんな脂っこいもの、朝から飲んだら頭が働かなくなるだろうが」

悠良は顎を少し上げ、鼻で小さく笑う。

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