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第329話

作者: いくの夏花
「私たちは皆さまを鴨下グループの鉱山へご案内するために参りました。アンジェソンさんも、すでにお待ちくださっています」奈々は甘やかな声で告げ、その「アンジェソン」という言葉をことさらに強調した。

カルロスは礼儀正しく微笑み、「大林さん、渕上さん、ご丁寧にありがとうございます」と応じた。

奈々はその反応にますます得意げになり、わざと声を張って、まるで遥香に聞かせるかのように言った。「カルロスさん、鴨下グループの誠意をお示しするため、特別にアンジェソンに監修をお願いし、精緻な獅子彫刻を仕立てました。ささやかではございますが、大使館への贈り物としてお納めいただければ幸いです」

そう言い終えると、奈々は期待に満ちた眼差しでカルロスを見つめ、驚きと称賛の言葉を待った。

しかしカルロスはただ穏やかに微笑み、軽くうなずいただけだった。「渕上さん、ご配慮ありがとうございます。実はちょうど、尾田夫人からも大変見事な獅子像をいただいたところです。どうやら我がY国と貴国の獅子のご縁は浅からぬようですね。折を見て皆で集まり、これら彫刻の精髄を込めた作品を一緒に鑑賞できればと思います」

その言葉に、奈々の笑みは一瞬で凍りついた。

――あの女も獅子彫刻を贈った?しかもカルロスの表情からすると、川崎の贈り物の方をずいぶん気に入っているようではないか?

そんなはずが……!

あれほど苦心して奪い取った注文が、こんなにもあっさりと川崎によって覆されてしまうのか。

竜成の遥香を見る目も複雑な色を帯びた。事態がここまで展開するとは思ってもみなかったのだ。注文を失っても遥香は挫けるどころか、別の形でY国代表団の好意を勝ち取っていた。この女は、彼の想像以上に手練れで、しかも肝が据わっていた。

奈々の悔しげな顔を見て、修矢は愉快な気分になった。彼は自然に遥香の腰を抱き寄せ、淡々と告げた。「それでは、これ以上はお邪魔になりましょう。先に失礼します」

そう言うと、修矢は遥香を抱いたまま、振り返ることもなくその場を後にした。

奈々は二人が寄り添って去っていく背中を睨みつけ、悔しさに歯をきしませた。――川崎遥香……またあの女!どうしていつも行く先々で邪魔をするのよ!

数日後、遥香と修矢はリンゴを連れてペットショップへ、シャンプーと美容のために出かけた。

リンゴは今や修矢に最高級の品々で大切に育
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    遥香は終始カメラに背を向けていた。ライブ配信がまだ続いていることなどすっかり忘れ、目の前の魔法のような光景に心を奪われていた。時折横を向き、次々と運び込まれる見覚えのないブランドのペット用品を眺めては、なんとも言えない苦笑を浮かべていた。そこへ江里子から電話が入った。抑えきれない興奮と好奇心が混じった声が響く。「遥香!大変よ!早く自分の配信を見て!もう大騒ぎ!あの人って豪快すぎるわ!犬のために、そこまでするなんて!」その言葉でようやく遥香ははっと我に返り、配信中だったことを思い出した。慌てて振り返り、カメラに目を向ける。「あっ!」小さく叫び、手早く配信を切ろうと動いた。だが、パソコンに手を伸ばしたその瞬間、彼女の顔がはっきりと画面に映し出された。飾り気のない清楚な顔立ちは、やや散らかった背景と柔らかな灯りに照らされ、いっそう愛らしく映えた。無自覚なあどけなさと慌てふためいた色が重なり、見る者の目を奪うほどだった。一瞬の出来事にすぎなかったが、それでも視聴者たちには彼女の容貌をはっきりと目に焼きつけるには十分だった。【うわっ!配信者さん、美しすぎ!】【このルックス!たまらない!】【天女様!】【目が合った瞬間、レベルの差を痛感した!】【あああ!消さないで!もう一度見たい!】驚きと名残惜しさのコメントが次々と流れる中、遥香は慌てて配信終了のボタンを押した。世界はようやく静けさを取り戻した。遥香は大きく息を吐き、胸を撫で下ろした。ちょうどその時、修矢がキッチンから犬の餌を入れたボウルを持って現れ、彼女の様子に眉を上げた。「どうした?」遥香は彼を見、それからリビングいっぱいに積まれた高級品の山を見回し、言葉を失った。一体どういうことなの……けれど修矢の家で繰り広げられた「ペット用品の饗宴」と配信のハプニングは、やがて遥香の頭から追いやられた。今の彼女の心は、二十体の獅子彫刻の注文でいっぱいだった。それはハレ・アンティークにとって大きな取引であるだけでなく、国の威信に関わる一件で、決して失敗は許されないものだった。彼女は自ら上質な材料を選び抜き、ハレ・アンティークの最も優れた彫刻師たちを集め、昼夜を惜しまずデザインと初彫りに取りかかった。すべての工程を自ら確認し、完璧を目指した。しかし、ハレ・ア

  • 離婚届は即サインしたのに、私が綺麗になったら執着ってどういうこと?   第324話

    遥香はコメントを見て、苦笑するしかなかった。修矢が突然声を上げるとは思ってもみなかったし、ましてや視聴者に脚本扱いされるなど夢にも思わなかった。修矢もコメントに気づいたらしく、表情はいっそう険しくなった。彼は誤解されることを何より嫌っていた。特につまらない憶測などはなおさらだ。配信など気にも留めず、彼はそのまま遥香のそばに歩み寄り、見下ろすようにリンゴを一瞥すると、スマホを取り出して電話をかけた。「品田、最高級のペット用品を一式用意してくれ。犬用ベッド、ドッグフード、おもちゃ、ガム……そうだ、全部最高級のものだ。すぐに俺の家に届けろ」彼の声は大きくはなかったが、マイクを通じて配信にくっきりと流れた。コメントは再び一気に盛り上がった。【え、ほんとに注文してる?この人ガチじゃない?】【その口ぶり、演技っぽくない!】【じゃあ配信者って本当は隠れセレブ?隣の人ってリアル社長様?】【高級ペット用品?羨ましすぎる……人間より犬が優遇されてる!】【「くだらない石」って言ってたの気づいた人いない?配信者って彫刻の仕事してるの?あの宝石、安物には見えないけど!】遥香は、嫌そうにしながらも責任を放り出せない修矢のツンデレじみた様子と、コメント欄に流れる真偽入り混じった憶測とを見比べ、頭が痛くなる思いだった。この配信は、最初から方向性が狂ってしまったようだった。修矢は電話を切り、画面を流れるコメント弾幕を一瞥すると、眉をさらに深く寄せた。私生活をこうして覗かれ、好き勝手に語られるのは我慢ならない。「切れ」彼は不機嫌そうにそう言った。遥香は頷いた。このまま続けても良くないと思い、配信を終えようと手を伸ばしたその瞬間、リンゴが急にクンクンと鳴き、小さな前足で修矢のズボンを引っかきながら見上げてきた。哀れっぽいその顔は胸に刺さる。修矢の体は一瞬こわばり、反射的に避けようとした。だが、その潤んだ目がまるで訴えかけてくるように輝いているのを見た途端、動きが止まった。――この小さな存在は、思っていたほど忌まわしいものではないのかもしれない。「お腹が空いてるみたい」遥香が小声で言った。修矢はちらりと時計を見て、確かに餌の時間だと気づいた。苛立ちは消えないまま、それでも観念したようにキッチンへ向かい、ネットで調べた子犬の餌やりの

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