Partager

第4話

Auteur: いくの夏花
遥香は少し間を置き、

顔を上げて、落ち着いた口調で答えた。「私は今の仕事がとても気にっています。ハレ・アンティークも悪くありませんよ」

その言葉を聞いて、母の目にかすかな不快感がよぎる。

柚香がさらに説得しようとするのを遮るように、母は冷たく口を開いた。「あなたのお姉さんは意志が強いみたいだから、やりたいようにやらせておきましょう。ただし川崎家の名に泥を塗らないようにね」

遥香が川崎家に戻ってきた当初、その身元は世間にはずっと伏せられていた。

後に修矢と結婚した時も、秘密裡の結婚であり、世間には知られていなかった。

母は田舎から戻ってきた娘に対しての期待が極めて低かった。川崎家の体面さえ守ってくれれば、他のことにはほとんど関心を持たなかった。

その一方で、柚香に向ける眼差しは限りなく優しかった。「柚香、川崎グループに最近いくつか新しい展示ホールができたの。あなたも少しずつ現場で経験を積んでおきなさい。丸井先生ももうすぐご帰国されるから、今度あなたを紹介するからね。彼の後ろ盾があれば、あなたの道も開けるわ」

「ありがとう、ママ」

柚香は笑顔でうなずき、母に甘えながら腕を絡める。

遥香はその光景を静かに見つめ、そっと視線を落とした。

丸井先生は書画界の大家で、遥香も数年前に一度だけ顔を合わせたことがある。

母は娘のために、そんな大物まで動かそうとしている。

だが、その「娘」は決して自分ではなかった。

親の愛情とは本当に偏るものだと、今ではもう何の感情も湧かなくなっていた。

――無理に得ようとした愛は甘くない。

遥香はもうとっくに親の愛情の偏りも受け入れるしかなくなっていた。

食事の席でも、柚香は母に寄り添い、楽しそうに過ごしていた。

母の視線が遥香に向けられることはほぼなかった。

やがて食事が終わりに近づいたころ、母は何かを思い出したように、冷たく言った。「そういえば、あなたと修矢が離婚したこと、尾田家はまだ知らないはずよ。おばあさまは昔からあなたを可愛がってくれてたし、こういうことは自分の口からきちんと伝えなさい」

続けて、さらに指すような言葉を浴びせる。「それに、あなたは教養も足りないし、まともな教育も受けていない。川崎家の仕事はあなたに頼めないわ。柚香が戻ってきた以上、余計なことは考えないことね。

特に修矢のことよ。離婚した以上、これからは自分の立場をわきまえなさい」

――まるで遥香が柚香の邪魔をすることを心配しているかのようだった。母は柚香が尾田家の嫁、修矢の妻の座に就くことを絶対に邪魔されたくなかったのだ。

確かに――遥香も修矢を深く愛していた。

しかし、愛は決して一方一方通行では成り立たない。

もう修矢と離婚した今、遥香は決してしがみつこうとは思っていなかった。

ただ、あの優しかった男の顔を思い浮かべると、胸が締めつけられる。

遥香はゆっくりと言った。「ご心配なく、私は自分の立場をわきまえております」

午後、母は柚香を連れて買い物に出かけていった。

遥香にここに残る理由もなかった。

家を出た遥香はそのまま美術用品店へ向かい、保から依頼された作品用に材料を数点選び取った。

そのまま作業に没頭し、気づけば夜の八時を回っていた。ようやく手を休めてスマホを開くと、

偶然にも、柚香のXのタイムラインが流れてきた。

「ある人と一緒に作った陶芸作品」

写っているのは陶芸の完成品と手だけだった。

骨ばりながらも指先まで綺麗に整ったその手を、

遥香は一目で見抜いた。

――修矢の手だった。

さらに投稿に添えられた店名を見ると、

「ロマンチックメモリー」と書かれている。

そこはカップル向けのデートスポットで有名な店だった。

修矢は普段こういう場所に滅多に行かないはずだった。

昔、遥香が誘った時、修矢はいつも優しくかわしていた。「今は仕事が忙しいから、落ち着いたら連れていくよ」

――あの時の「忙しい」という言葉は、ただ「相手が違った」だけだったのだ。

心から愛する相手にだけ、特別な顔を見せる。

修矢は、柚香と行ったんだ。

遥香の胸はじわりと痛み出し、言葉にならない苦しさが込み上げる。

ちょうどその時、不意にスマホが鳴った。

修矢からの電話だった。

遥香は反射的に通話ボタンをタップした。

電話越しの彼は、いつものように優しく穏やかな声で話し始めた。「遥香、おばあさまが君に会いたがってるんだ。離婚のことはまだ話してないし、近いうちに顔を見せてあげてくれないかな?」

母の言葉を思い出し、遥香は胸の苦しさを呑み込みながら頷いた。「うん、わかった」

少し間を置いて、遥香は静かに切り出す。「それと修矢さん、離婚の手続きはどうなった?もう離婚届は受理された?」

ここ数日、遥香は気持ちが落ち着かず、

離婚の手続きについては全て修矢に任せていた。

電話の向こうで、修矢の目がわずかに暗くなる。

薄い唇を噛み、数秒沈黙したあと、優しく答えた。「今はこっちもバタバタしていてね。もう少しだけ時間がかかりそうだ」

「そう……離婚届はできれば早く出しに行きましょう」

遥香は疑いもせず素直に答えた。電話を切ろうとしたその時、修矢が少しためらいながら尋ねた。「離婚のこと……そんなに急ぐ必要あるの?」

修矢の手はスマホを握り締め、青筋が浮かび上がっていた。穏やかな顔には、はっきりとした不快感が浮かんでいる。

――まさかもう次の男のために席を空けたいのか?

遥香は一瞬だけ驚き、そして静かに答えた。「違うよ。ただ、早く終わらせた方が、お互いのためだと思っただけ」

けれど本当は、胸の奥はどうしようもなく苦しかった。

もうこの愛は終わっていると分かっていながら、

それでも心のどこかで未練は残ってしまう。

「わかったよ……あまり考えすぎるなよ。明日、迎えに行くから」修矢の優しい声に、

遥香は無意識に頷いた。

気づいたときにはすでに反射的に返事をしてしまっていて、修矢もまるで彼女の様子を察しているかのように、電話の向こうで微笑んだ。

「おやすみ」

夜の闇の中で、修矢の冷たくもやわらかな声が遥香の心に染み渡る。

熱く、苦しく、そして切なかった。

翌日。

遥香は彫り上げた北極狐の彫刻を持ってハレ・アンティークへ向かった。そこで、再び保と対面した。

保は生き生きとした北極狐を手のひらに乗せ、興味深げに弄びながら、

それでもしばらく無言のまま様子を伺っていた。

一緒に来ていた江里子は不安げに小声で囁く。「本当に大丈夫なの?あの保って人、かなり厄介らしいじゃない。もし気に入らなかったら、うちの店まで潰されかねないわよ……」

この鴨下保という人物は商売への手厳しさにおいては特に有名だった。

遥香はただ微笑んで首を振る。「大丈夫。心配しないで」

実は、月明かりによる光と影の効果は、材質の特性次第で自在に変わる。

素材を選び、融合の技を駆使すれば、光と影の魔術のような効果を生み出すことができるのだ。

その時、保がふと皮肉めいた声を上げた。「これだけ?川崎さん、まさか適当に済ませようとしてるんじゃない?」

「保さん、どうぞ試してみてください」

遥香は少しも動じることなく淡々と返す。保はじっと遥香を観察するように数秒間見つめた後、唇の端に艶やかな笑みを浮かべた。

そのまま部下に命じて室内の扉を閉めさせ、部屋の照明もすべて落とさせた。

闇に包まれた室内――北極狐の彫像だけが、淡く透き通る白い光を放ちながら浮かび上がった。

まるでそこに命を宿しているかのように、生き生きとした姿が浮かび上がる。

周囲の者たちは息を呑んだ。

これまで、彫刻も写実的な作品は数あれど、ここまで生命観を宿した作品は見たことがなかった。

まさに、息を吹き込まれたかのような狐だった。

「……面白い」

保の唇がわずかに吊り上がり、瞳に興味の色が灯る。

そのまま、今度は小さな北極狐を日光の差し込む場所へ移動させた。

すると次の瞬間――

それまで淡く白く光っていた北極狐の表面に、まばゆい七色の輝きが走った!

Continuez à lire ce livre gratuitement
Scanner le code pour télécharger l'application

Dernier chapitre

  • 離婚届は即サインしたのに、私が綺麗になったら執着ってどういうこと?   第399話

    遥香は古書に描かれた一つの図案を指さした。それはいくつもの奇妙な記号で構成され、特異な配列をしていた。「この記載によると、呪文を破るには祭壇のエネルギーノードを見つけ、特定の手法でノードのエネルギー流れを乱し、一時的に無効化する必要がある」と遥香は説明した。「そしてこの図案はおそらくエネルギーノードの分布図だろう」「よし、それなら試してみよう!」拓也は即座に決断した。その頃、遠く都心にいる修矢は人生で最も暗い日々を過ごしていた。遥香の突然の出張と、ネットに渦巻く噂が彼を疲弊させ、苛立ちを募らせていた。彼はオフィスに閉じこもり、眠ることもなく業務をこなし続け、仕事で心を麻痺させようとしていた。しかし、忘れようとすればするほど、遥香の姿はますます鮮やかに脳裏に浮かんできた。笑顔も、声も、いいところも悪いところも、まるで映画の場面のように繰り返し映し出される。彼は悟った。彼女を失うことなど決してできないと。彼女がどこへ行こうと、あのタクとどんな関係であろうと、必ず見つけ出して取り戻す。彼女は自分だけのものだ。「タクだと?いったいどんな人物か、この目で確かめてやる」修矢は勢いよく椅子から立ち上がり、瞳に決意を宿した。修矢はすぐに品田に命じて遥香の行方を探らせた。まもなく、遥香と拓也がアイスランド行きの便に乗っていたことが判明した。「アイスランド?」修矢は眉をひそめた。「遥香は何をしに行ったんだ」品田は拓也の素性と今回の目的についてもあわせて報告した。修矢はそれを聞いて、胸の中の怒りがいくらか和らいだ。どうやらあのタクは本当に年配の男で、遥香は彼の用件を手伝いに行ったにすぎないらしい。事前に何も言わず出かけたことにはまだ苛立ちが残ったが、少なくとも他の男と駆け落ちしたわけではないと分かり、ひとまず安堵した。「飛行機を手配しろ。すぐにアイスランドへ向かう!」修矢即決した。あの薄情な女を、この手で必ず連れ戻すつもりだった。十数時間に及ぶ飛行の末、修矢はついにアイスランドへ降り立った。飛行機を降りるや否や、品田から得た情報を頼りに、遥香と拓也がいるという廃坑へと直行した。坑道にたどり着いた時、ちょうど遥香が祭壇から降りてくるところだった。彼女の手には、幽かな青光を放つ宝石が抱えられている。「お…

  • 離婚届は即サインしたのに、私が綺麗になったら執着ってどういうこと?   第398話

    「俺一人じゃ無理なんだ!」拓也は彼女を見つめ、目に必死の懇願を浮かべた。「あの宝石のエネルギーは強すぎて、普通の人間じゃ近づくことすらできない。宝石に対して特別な素質と感応力を持つ人の助けが必要なんだ。遥香、どう考えてもお前しかいない!」遥香は言葉を失い、ためらった。拓也の研究が国にとって非常に重要なのはわかっている。だから本当なら力を貸すべきだ。でも、修矢とのわだかまりはまだ解けていない。今、拓也と一緒にアイスランドへ行ったら、修矢の方は……「遥香、お前にだっていろいろ事情があるのはわかってる。でも今回は本当に緊急なんだ。行く末を左右するほど重大なことだし、俺にはお前以外に頼める人がいないんだ」拓也は彼女の迷いを見抜き、真摯な声で言った。「頼む、おじさんのためだと思って力を貸してくれ」遥香は拓也の期待に満ちた眼差しを受け、ついに頷いた。「わかったよ、手島おじさん。一緒に行く」アイスランドから戻ってから改めて修矢に説明して謝れば遅くはない。それに、うまくいけば三日から五日程度の話で、そう長引くことはないだろう。そう決めると、遥香はすぐに修矢へメッセージを送った。「手島おじさんと一緒にアイスランドへ、緊急の用事で数日出張することになった。戻ったら詳しく説明するね」具体的に何をするのかは書かなかった。修矢に余計な心配をかけたくなかったからだ。彼女は気づいていなかった。そのメッセージが修矢の目には、まるで火に油を注ぐようなものだったことを。アイスランドへ出張?しかもあの「タク」と一緒に?戻ってから説明する、だと?修矢はスマホの画面に浮かぶ文字を見つめ、抑えきれない怒りが一気に頭にのぼった。せっかく用意したプロポーズを遮られ、今度は理由もなくニュースに「別れ話」を押し付けられたようなもの。説明の言葉ひとつもなく、他の男と遠くへ行くというのか――?遥香は、いったい自分を何だと思っているんだ!修矢は考えれば考えるほど腹が立ち、スマートフォンを投げ捨て、これ以降の遥香からの連絡には一切応じないと決めた。彼女に分からせてやる。自分にもプライドがあるということを!遥香は修矢が今心の中で怒りを燃やしていることなど知る由もなく、簡単に荷物をまとめると、拓也と共にアイスランド行きの飛行機に乗り込んだ。アイスラン

  • 離婚届は即サインしたのに、私が綺麗になったら執着ってどういうこと?   第397話

    瞬く間にさまざまな憶測や噂が飛び交った。遥香が修矢の病み上がりで体が弱っているのを嫌ったのだと言う者もいれば、もっと高い地位の男を見つけて乗り換えたのだと囁く者もいた。さらには、遥香は金目当てで修矢に近づいただけの女だと、悪意に満ちた憶測まで飛び出した。そうした卑しい言葉の数々は、鋭い刃のように遥香と修矢を突き刺した。遥香はニュースを目にすると、思わず呆れ笑いを漏らした。なんて勝手な作り話なの……修矢と自分はこんなにも仲が良いのに、どうして「破局」などと書かれるのか。彼女が真っ先に浮かべたのは、修矢に会って一緒に対策を考えることだった。しかし尾田グループのビルに着くと、社長は会議中で誰とも会わない、と秘書に告げられた。遥香は首をかしげた。修矢がどんなに忙しくても、自分に会わないなんてあり得ないはずだ。諦めきれずに何度も電話をかけたが、呼び出し音がむなしく鳴り続けるばかりで繋がらなかった。胸に不吉な予感が走る。――もしかして、修矢はまだ拓也のことで怒っているの……?そんなはずはない。あれからもう仲直りしたはずなのに。考えれば考えるほどわからず、遥香は仕方なく慶介を訪ね、事情を探ろうとした。慶介は彼女の話を聞き終えると、「やっぱりそう来たか」という顔をした。「遥香、来てくれてよかった!」彼は彼女を脇へ連れ出し、声を落として言った。「修矢のやつ、このところ機嫌が最悪で、会社中が重苦しい空気なんだ。誰も近寄ろうとしないくらいだ」「どうして?あのニュースは全部デマなんだから、私たちがきっぱり否定すればいいだけでしょ?」遥香は首をかしげた。「問題はそこじゃないんだ!」慶介は深いため息をついた。「修矢だってニュースが嘘なのはわかってる。でも気にしてるのは、あの時どうしてお前があんなに急いで帰ったのかってことさ。心の中で『タク』が自分より大事なんじゃないかって思ってるんだ」「なんでまたそこに戻っちゃうのよ!」遥香は泣き笑いになった。「もう説明したじゃない。手島おじさんは私にとって目上の人で、何年も会えてなかったから、ただ嬉しくて一刻も早く会いたかっただけなのに」慶介は肩をすくめて言った。「理屈ではわかってても、男って時々こうやって小さなことで引っかかるんだよ。特に自分で一生懸命用意したプロポーズの場

  • 離婚届は即サインしたのに、私が綺麗になったら執着ってどういうこと?   第396話

    「実は、手島おじさんは……」遥香が説明しようとした瞬間、修矢はその言葉を遮った。「もういい」修矢はグラスを手に取り、一口含んでから言った。「わかってる」「わかってるの?」遥香は驚いて聞き返した。「ああ」修矢はグラスを置き、どこか諦めと甘さをにじませた視線を彼女に向けた。「江里子から全部聞いた」江里子は二人がいつまでもこじれたままでは良くないと思い、こっそり拓也の事情を修矢に伝えていたのだった。修矢は遥香を誤解していたことに気づき、悔しさと気恥ずかしさが入り混じった思いに駆られた。この数日間ずっと仏頂面をしていたのは、確かに怒りもあったが、それ以上に自分から歩み寄るのができなかったからでもあった。「それじゃあ、まだ私のこと怒ってる?」遥香はおそるおそる尋ねた。修矢は彼女の心細そうな顔を見て、胸の中の怒りなどとうに消えていた。彼は手を伸ばして彼女を抱き寄せ、額にそっと口づけした。「馬鹿だな。本気で君を怒るわけないだろ」「でも、この数日間は……」遥香は唇を尖らせた。「ただ……」修矢は言い淀み、少し不自然に口にした。「嫉妬してただけだ」「嫉妬?」「ああ」修矢は彼女の首筋に顔を埋め、くぐもった声で続けた。「あのタクが……あんな大事な時に君を連れていったのが、悔しくてさ」遥香はその子どもじみた言葉に、思わず声を立てて笑った。彼女は手を伸ばし、修矢の背を軽く叩いた。「修矢さん、手島おじさんは私にとって家族みたいな存在なのよ。それに、あんな年配の人なのに、どうしてそんなこと考えるの?」「関係ない」修矢は甘えるように彼女の首元に顔をすり寄せた。「これからは他の男をあだ名なんて呼ぶな。俺だけだ」遥香はくすぐったさに笑いながら、彼を押し返した。「わかったわかった、全部あなたの言う通りにする。でも、あなたも私に謝るべきじゃない?理由もなく何日も怒ってたんだから」修矢は遥香のいたずらっぽい笑顔を見て、観念したようにため息をついた。「わかった、ごめんよ、遥香。俺が狭量だった」その言葉に、遥香はようやく満足そうにうなずいた。二人の間にあった誤解はついに解け、空気は再び温かく甘やかなものに包まれた。翌日、遥香は特別に段取りをつけて、修矢と拓也を会わせた。修矢が拓也の白髪と慈愛に満ちた顔を目にしたとき、心に残って

  • 離婚届は即サインしたのに、私が綺麗になったら執着ってどういうこと?   第395話

    遥香は一瞬きょとんとしたが、修矢が言っているのが拓也のことだと悟った。「ええ、彼は養父の生前の一番の友人で、私にとっても大切な目上の人なの。子どもの頃からすごくよくしてくれたのよ」遥香はそう説明した。「目上の人?」修矢は鼻で笑った。「本当にそうかな」「修矢さん、どういう意味?」遥香は不快そうに声を強めた。「別に意味なんかない」修矢は顔を背け、視線を合わせようとしなかった。「疲れたから先に寝る」そう言って、彼はふらつく足取りで階段を上がっていった。遥香はその寂しげな背中を見送りながら、胸の内に困惑と悔しさが押し寄せた。自分のこと、信じてくれないの……?それとも、手島おじさんを迎えに行ったことを、修矢は誤解しているのだろうか……翌朝、遥香が目を覚ますと、修矢の姿はすでになかった。階下へ降りると、彼はダイニングで朝食をとっていた。まるで昨夜酔って感情を荒らげたのが別人だったかのように、普段通りの顔つきだった。「おはよう」遥香は近づき、彼の正面に腰を下ろした。「おはよう」修矢は淡々と答え、視線を落としたままサンドイッチを口に運んだ。二人の間には、気まずく冷えた空気が流れていた。説明しようと思っても、遥香にはどこから切り出せばいいのかわからない。修矢もまた、話す気配を見せなかった。朝食は沈黙のままに終わった。その後も数日間、修矢の遥香への態度は冷えたままだった。以前のように彼女にまとわりつくこともなく、気遣いの言葉をかけることもなくなった。時間どおりに帰宅し、同じベッドで眠ることは続いていたが、遥香にははっきりと感じられた。彼の胸の内には、彼女に向けられた怒りがくすぶっているのだ。遥香は苛立ちと焦りでいっぱいだった。修矢が何に対して怒っているのか、どうしても理解できなかった。手島おじさんを迎えに行っただけで、修矢はそんなに不機嫌になるの……?それじゃ、あまりに大げさすぎる。この日、遥香は拓也を訪ねた。拓也は彼女の眉間に浮かぶ憂いを見て、気遣うように声をかけた。「遥香、何か悩んでいることでもあるのか?」遥香は少し迷ったが、やはり自分と修矢の間に起きていることを打ち明けた。話を聞き終えた拓也は、豪快に笑い出した。「なんだ、そんなことか!彼氏くんは、やきもちを焼いてるんだよ!

  • 離婚届は即サインしたのに、私が綺麗になったら執着ってどういうこと?   第394話

    「今どこにいらっしゃるの?」遥香は嬉しそうに尋ねた。「ちょうど空港に着いたところだ」「どちらのターミナル?すぐにお迎えに行くわ!」遥香はためらうことなく言った。長いあいだ会えていなかった拓也への思いが胸に込み上げ、帰国したと聞けば何よりも先に会いたいと願うのは当然だった。「いいんだよ、遥香。住所を教えてくれれば、自分でタクシーで行くから」拓也は迷惑をかけまいとした。「全然迷惑じゃないよ。そこで待ってて、すぐ行くから!」遥香はそう言って電話を切った。それから振り返り、少し申し訳なさそうに修矢に言った。「修矢さん、ごめん。養父の古い友人の手島おじさんが海外から戻ったばかりで、今空港にいるの。迎えに行かなきゃ」修矢の笑みがわずかに止まった。手島おじさん?そういえば以前、遥香が「タク」と呼ぶ人物のことを親しげに口にしていたのを思い出す。まさか、その相手がこの手島おじさんなのか。理由のない嫉妬が胸の奥にこみ上げたが、顔には出さず、ただ静かにうなずいた。「わかった、早く行ってこい。気をつけてな」「うん!」遥香は修矢の微妙な変化に気づかず、旧友に会える喜びで心がいっぱいだった。両親と尾田家の目上の人たちに簡単に挨拶を済ませ、彼女は足早に宴会場を後にした。遥香が去ると、宴会場の空気は目に見えて冷え込んだ。修矢の笑みも次第に消えた。彼はグラスを取り上げて赤ワインを一気に飲み干した。慶介や誠らも異変に気づいた。「修矢、どうしたんだ?遥香はどうして急に出て行ったんだ?」慶介が身を寄せて尋ねる。「空港に人を迎えに行った」修矢の声は少し硬かった。「誰を迎えに?そんなに大事な用事?婚約の宴まで置いていくのか?」誠も興味を抑えきれず問いかける。修矢は何も答えず、ただ静かにグラスに酒を注ぎ足した。江里子と実穂は視線を交わし、互いの目に小さな不安を読み取った。彼女たちは遥香が口にした「手島おじさん」のことをよく知っていた。それは遥香の養父の古い友人にすぎず、男女の情とはまるで関係のない存在だ。だが、修矢の様子を見る限り、どうやら何かを取り違えているようだった。遥香は車を飛ばし、空港へと急いだ。到着ロビーで、彼女はその懐かしくもどこか見慣れない姿をすぐに見つけた。拓也は彼女の記憶よりもずっと

Plus de chapitres
Découvrez et lisez de bons romans gratuitement
Accédez gratuitement à un grand nombre de bons romans sur GoodNovel. Téléchargez les livres que vous aimez et lisez où et quand vous voulez.
Lisez des livres gratuitement sur l'APP
Scanner le code pour lire sur l'application
DMCA.com Protection Status