登入「別に?他人に危害を加えた犯罪者が、相応の報いを受ける。ただそれだけのことでしょう?」琉里は心底楽しそうに鼻で笑った。「私に……身代わりになれって言うの!?」紗夜の額から、滝のような冷や汗が噴き出した。どうして忘れていたの……!あの日、水琴から「あの事件」の証拠を突きつけられたことを、馬鹿正直にこの女に報告してしまったじゃないか。水琴が本気で自分の首を取りに来ていると知った琉里が、この土壇場で自分を守るためにどう動くか。答えは一つしかない。かつて雅をスケープゴートにして切り捨てたように、今度は自分を「真犯人」として差し出す気なのだ。「身代わり?ふふっ、紗夜さん、あんた記憶喪失にでもなったの?」琉里はわざとらしく小首を傾げた。「最初から罪を犯したのはあんたじゃない。最初から最後まで、全てあんたが一人で計画して実行したこと。私はなぁんにも知らないわ」「あなたっ……!」「紗夜さん、せいぜい立派な捨て駒になってちょうだいね」琉里は優雅な微笑みを浮かべたまま、気品すら漂う足取りで悠然と会場を去っていった。地下駐車場に降りると、臣が乗った車がエンジンをかけたまま停まっていた。紗夜が後部座席に逃げ込むように乗り込むと、運転席の臣がルームミラー越しに殺気立った目を向けてきた。「……お前、松霧島の秘密を知っていたんじゃないのか」その冷たい響きに、紗夜の心臓がヒュッと縮み上がった。私が一番頼りにしている夫まで……私を疑っているの?「知らないわよ!本当に知らなかったの!」紗夜は必死に身を乗り出して訴えた。「最初から、水琴さんは半月島を狙っているって私に言ったのよ!気づかなかったの!?あの女は私だけじゃなく、琉里さんのことも完全に騙して弄んだのよ!」臣は険しい顔のまま、低く唸るように問い詰めた。「……それで?さっき、あの女はお前に何を言った」紗夜の胸の奥で、恐怖が爆発した。「臣さん……お願い、私を助けて!」言葉を発するより先に、大粒の涙がボロボロと溢れ出した。「実は、あの日……あなたに全部は話していなかったの。雅さんの車を運転したのは確かに私よ。でも、あの計画を考えたのは私じゃない!全部、琉里さんが仕組んだことなの!私、あの時は魔が差してしまって……あなたがまだ水琴さんに未練
残された琉里と紗夜は、水琴の背中を憎悪に満ちた目で睨みつけていた。南鳥市でもトップクラスの自分たちが、この小娘一人にいいように手玉に取られたという事実が、どうしても受け入れられない。水琴と重人が踵を返して出口へ向かおうとしたその時、背後からヒステリックな声が飛んだ。「待ちなさいよ!」琉里が血相を変えて叫んだ。「水琴さん!」水琴はゆっくりと振り返り、面倒くさそうに小首を傾げた。「琉里さん、まだ何かご用ですか?オークションはもうとっくに終わりましたけれど」「言われなくてもわかってるわよ!……でも、まさかあなたがここまで陰湿な策略家だとは思わなかったわ。私を完全に手玉に取った手腕は褒めてあげる。でも一つだけ教えてちょうだい。松霧島の秘密……一体誰から聞いたの?」琉里の目が、獲物を狙う猛禽のように鋭く吊り上がる。そして、すぐそばに立つ灼也をチラリと横目で睨んだ。「……灼也が教えたの?」この南鳥市で、国家機密レベルの情報にアクセスできる人間なんて、高遠灼也の他にいるはずがない。宝生会長のルートは不明だが、水琴に情報を流したのは絶対に灼也だと、琉里は確信していた。「琉里さん、それは質問のつもり?それとも尋問?」水琴はクスリと自嘲気味に笑い、相手を小馬鹿にするように首を傾げた。「どちらにせよ、私があなたに教える義理なんてどこにもないわ」そして、取り乱す琉里を無視して、視線をその奥にいる紗夜へと移した。水琴はゆっくりと、最高に意味深な微笑みを浮かべて口を開く。「紗夜さん……今回は本当に『いい取引』だったわね。協力してくれてありがとう」「なっ……!?」琉里が猛然と紗夜を振り返る。同時に、臣も眉間に深い皺を刻み、隣に立つ妻を氷のように冷たい目で見下ろした。琉里が再び水琴に食ってかかろうとした時には、すでに水琴は重人と鹿耶を引き連れ、優雅な足取りで会場を後にした後だった。憎悪に顔を歪めた琉里は、すぐそばに立つ灼也に作り笑いを向けた。「灼也……私、この女にちょっと聞きたいことがあるの。あなたは先に帰ってて。私のことは待たなくていいわ」そう言ってから、今度は臣に視線を移す。「鷹司さん。奥様と、少しだけ二人でお話しさせていただいてもよろしいかしら?」「臣さん、ダメ……!」紗夜は恐怖に
「……まさか、俺たちに流した情報は、本命から目を逸らすためのブラフだったってことか?」重人の問いに、水琴は静かに頷く。「ええ。彼が最初から狙っていたのは、松霧島ただ一つよ」あの老人がどうやってその国家機密レベルの報告書を手に入れたのかは分からないが、並々ならぬ執念だ。「だが、その松霧島は、どこの馬の骨とも分からない女に落札されてしまったじゃないか。惜しいことをしたな」と重人は少し残念そうに言った。しかし、水琴はクスリと笑って首を横に振った。「全然惜しくないわ」……オークションが終了し、参加者の大半が会場を後にし始めた頃。席を立とうとした水琴と重人の元へ、先ほど松霧島を落札した「会場の隅の女」がツカツカと歩み寄ってきた。彼女が顔を覆っていたマスクと大きめのサングラスをバサリと外す。重人は目を丸くして固まった。そこにいたのは、鹿耶だったのだ。「ミコト、さっきのあたしの演技、完璧だったでしょ?予算は百六十億までって言われてたけど、百四十億で落としてやったわよ。とびっきり豪華なディナー、奢りなさいよね!」得意げに胸を張る鹿耶に、水琴は優しく微笑み返した。「ええ、もちろんよ」その光景を後ろの席で見ていた琉里は、ガタッと音を立てて立ち上がり、愕然としていた。そんな……嘘でしょ!?少し離れた席では、同じく全てを悟った宝生会長が、氷のように冷たい目で水琴たちを睨みつけている。臣と紗夜もまた、顔面を蒼白にして立ち尽くしていた。この南鳥市のトップが集う大舞台で、自分たちが水琴の手のひらの上で踊らされるだけの滑稽なピエロだったのだと、今更ながらに思い知らされたのだ。中でも琉里が受けた衝撃は計り知れない。松霧島の競り合いが起きていたあの時、彼女は自分が半月島を手に入れたという勝利の余韻と、かすかな違和感の中で思考を停止させていたのだ。今の琉里の心境を例えるなら――垂れ下がってきた一筋の蜘蛛の糸にすがりつき、必死に登りきってようやく天国にたどり着いたと思ったら、足元で誰かが「ここは地獄だ」と囁いてきたようなものだ。この圧倒的な落差。完璧に愚弄されたという屈辱。琉里は今すぐにでも水琴に飛びかかり、その余裕めいた美しい顔をズタズタに引き裂いてやりたいほどの憎悪に駆られていた。だがその時、レ
しかし、琉里にはそんな番狂わせに構っている余裕はなかった。彼女の頭の中は、未だに先ほどの半月島のことでいっぱいだった。わからない……水琴が急に引いた理由はわからないけれど、でも、これで半月島は完全に私のものになった。それだけは事実よ……「百四十億、三回……決定です!松霧島はそちらのお客様に落札されました」三度目の小槌が鳴り響き、誰も見向きもしないはずだったあの小島は、会場の隅に座る女のものとなった。臣はいぶかしげに振り返り、その女の姿を目で追った。あの声……どこかで聞いたことがある気がするが……?記憶の糸をたぐるが、どうしても答えには結びつかなかった。オークションが閉幕に向かう中、水琴は静かに席を立ち、レストルームへと向かった。手洗い場で蛇口をひねり、冷たい水で手を洗っていると、背後からヒステリックな声が飛んできた。「どうして急に手を引いたのよ!おかげで私が翡翠島を高値で掴まされる羽目になったじゃない!私はあなたのために、あの島を釣り上げようとしたのに!」血相を変えた紗夜が、鏡越しに水琴を睨みつけている。水琴はふっと鼻で笑い、ペーパータオルで優雅に手を拭きながら振り返った。「紗夜さん、私があなたの立場なら、恥ずかしくてそんなセリフ吐けないわね。私が琉里さんに『翡翠島を狙っている』と伝えるように言ったはずだけど……あなた、本当にそう伝えたの?」「わ、私は……もちろんそう伝えたわよ」図星を突かれたのか、紗夜は明らかに動揺して一歩後ずさった「嘘ね。前の件があったから、少しは賢くなって私と協力する道を選ぶかと思ったけれど……どうやら、あなたを買い被りすぎていたみたい」水琴の表情がスッと冷たくなり、氷のような視線を浴びせる。そのまま相手にする価値もないとばかりに、背を向けて立ち去ろうとした。「待ってよ!じゃあ、あの翡翠島はどうすればいいの!?」納得のいかない紗夜が、すがりつくように水琴の腕を引っ張る。「笑わせないで。自分で落札しておいて、私にどうしろって言うの?私には一ミリも関係ないことよ」水琴は虫でも払うかのように、冷酷にその手を振り払った。「あなた……っ!」激しい怒りと屈辱で、紗夜はよろめき、その場に崩れ落ちそうになった。レストルームを出た水琴を待ち受けていたの
さすがの宝生会長も、この異常な高値にはお手上げだというように、ふうっとため息をついて首を振った。眉をひそめた重人が対抗しようとパドルに手を伸ばす。しかし、水琴はその手をそっと押さえ込んだ。「動かないで」重人は一瞬怪訝そうな顔をしたが、従妹を信じて黙ってパドルを下ろし、背もたれに寄りかかった。「百五十億、一回!」「百五十億、二回!」「百五十億、三回……落札です!」小槌が打ち鳴らされ、半月島の所有権は琉里の手に渡った。紗夜は目を剥いて水琴の背中を凝視した。ようやく、決定的な違和感に気づいたのだ。おかしい……もし水琴の言っていた通り、本当に新ルートが通るのが半月島なら、どうして彼女はあんなにあっさり引き下がったの?その違和感に気づいたのは、落札者である琉里も同じだった。小槌の音が響き渡り、勝利を手にしたはずなのに、じわじわと嫌な予感が胸に広がっていく。彼女は真っ先に隣の灼也を見たが、彼は何事もなかったかのように平然としている。違う……!私、何か重大なことを見落としてる!なぜ、水琴の顔に悔しがる素振りがない?なぜ、彼女は最後までこの土地を奪い合わなかった?たかが百五十億円。半月島は翡翠島の倍の面積がある。もし本当にここが新ルートの要所なら、あの女がたったこれだけの金額で諦めるはずがないのに――!「続きまして、松霧島(まつぎりとう)。スタート価格は六十億円、レイズは四億円となります」司会者の声に応じるように、宝生会長が真っ先にパドルを挙げた。「六十四億」紗夜はちらりと宝生会長を盗み見た。あの爺さん、しぶといわね。最初から手当たり次第に入札しては他人に持って行かれているのに、こんなちっぽけな島まで狙うなんて。一方の琉里は、未だに先ほどの異様な空気から抜け出せずにいた。なぜ……?どうして水琴は半月島をあっさり諦めたの?その思考のループから抜け出せない。紗夜も同じだった。水琴が絶対に半月島を落とすと言っていたはずなのに、どうして土壇場で引いたのか、まったく見当がつかない。「七十億!」会場の隅から、見知らぬ女性の声が響いた。宝生会長も負けじと声を張る。「七十二億」しかし、その女も引く気はないようだ。「七十六億!」二人の応酬が始まっても、会場の大半は気にも
琉里への復讐心に駆られた紗夜は、自分もその罠に加担しようとパドルを握りしめた。「もうやめろ」隣に座る臣が険しい顔で制止したが、紗夜の耳には届かない。水琴のターゲットはあくまで琉里だ。だから自分がここでレイズして煽れば、琉里は絶対にムキになってさらに高値を被ってくるはず――そう勝手に確信していた。紗夜は高々とパドルを掲げ、自信満々に叫んだ。「百二十四億!」その金額は、すでに翡翠島が持つ本来の価値を大きく通り越している。しかし、紗夜はそれに気づかないまま、琉里か水琴がさらに高値を叫ぶのを勝ち誇った顔で待っていた。ところが――水琴も、そして最前列の琉里でさえも、ピタリと動きを止め、それ以上パドルを挙げようとはしなかった。「百二十四億、一回!」「百二十四億、二回!」紗夜の額から、じっとりと冷や汗が吹き出した。嘘でしょ……?どうして?なぜ誰もコールしないの?「百二十四億、三回!決定です。おめでとうございます、鷹司夫人。翡翠島はあなたのものです」「え……?」司会者の声が響いても、紗夜はまだ事態を呑み込めず、頭の中が真っ白になっていた。わけもわからないまま、大赤字確定の不良物件を超高額で買わされてしまったのだ。「なんで……?」隣に座る臣がその場で激怒して席を立たなかったのは、せめてもの世間体に対する配慮だったのだろう。彼の横顔は怒りで引きつっていた。事態を察し、屈辱と怒りで顔を真っ赤にした紗夜が、水琴の背中を睨みつける。すると、水琴がゆっくりと振り返った。彼女の瞳には、冷たく、けれど心底おかしそうな嘲笑が浮かんでいた。ゾクッと、紗夜の背筋に氷のような悪寒が走る。――ハメられた。翡翠島の狂騒が終わり、オークション会場は嘘のように静まり返った。続く三つの土地――南西郊外の区画、凌東島、バートン島――は、それぞれ百億円、四十億円、九十億円で淡々と落札されていく。そして、次はいよいよ本命の半月島だ。少し弛緩していた会場の空気が、再びピンと張り詰めるのを水琴は肌で感じ取った。「集中しろよ」隣に座る重人が、水琴の耳元で小さく囁く。水琴は静かに頷き、最前列に座る琉里の背中へ視線を投げた。琉里も背筋を伸ばし、明らかに本気で競り落とす構えを見せている。水琴の胸の奥
水琴は足を止め、その差し出された手を見つめた。表情は凪いだまま、応じようとはしない。差し出された紗夜の手が、宙で居場所をなくし、彼女の顔から完璧な笑みがわずかに強張る。隣で、臣が割って入るように口を開いた。その声は低く、感情が読めない。「祖父が、俺たちのことを知った。今夜、話があるから屋敷に来いと。お前の携帯が繋がらなかったから、直接迎えに来た」「わかったわ」水琴は自分のスマートフォンに目を落とす。確かに、バッテリーが切れていた。「充電したら、すぐに向かいます」彼女はそう頷くと、付け加えた。「先に行っていて」その言葉は、あなたたちと行動を共にするつもりはない、という明確な拒絶だ
そして、呆然と立ち尽くす雅を視界の端に留めながら、スーツケースのハンドルを握りしめると、一度も振り返ることなく、その家を後にした。鷹司家の重々しい門を抜けると、一台の真っ赤なオープンカーが目に飛び込んできた。運転席から、親友の鹿耶が身を乗り出し、サングラスを額に押し上げながら、芝居がかった投げキスをよこす。「お姫様、ご乗車を。鹿耶様が、最高の祝賀会に連れてってあげる」祝賀会とは言ったものの、離婚したばかりの水琴の心情を慮ってか、鹿耶が連れて行ってくれたのは、落ち着いたジャズが流れる隠れ家のようなミュージックバーだった。離婚の経緯を話すと、鹿耶は呆れ返ったようにグラスを置いた。「また
書斎の外から漏れ聞こえてくる会話に、水琴は静かに目を伏せた。鷹司家に嫁いでからの日々が、脳裏をよぎる。姑である佳乃にも、義妹である雅にも、自分なりに心を尽くしてきたつもりだった。雅が事故に遭い手術を受けた時、何日も病院に泊まり込み、甲斐甲斐しく付き添ったのも自分だ。佳乃に対しては、常に敬意を払い、その言葉には注意深く耳を傾けてきた。けれど、どれだけ尽くしても、あの人たちの心を変えることはできなかったのだ。すべては、無意味だった。ふと、スマートフォンの着信が静寂を破る。小林鹿耶(こばやし かや)からだった。電話口から聞こえてくるのは、少し気だるげな親友の声。「ミコト、本当
臣が呆然としていると、温かい手がそっと彼の手を握った。隣に座る紗夜が、心配そうに顔を覗き込んでいる。「臣さん、どうしたの?胃の調子でも悪いのかしら。スープでもいただく?」臣は力なく首を横に振った。水琴は宗一郎に笑顔で応えると、臣と紗夜のやり取りなどまるで存在しないかのように、静かに椅子を引いて腰を下ろした。その傍らで宗一郎が、見せつけるような二人の親密さに、侮蔑を込めてフンと鼻を鳴らした。鷹司家の食卓は、食事中の私語を許さない厳格な家風がある。水琴に食欲などあるはずもなく、ただ宗一郎の手前、仕方なく箸をつけただけだった。やがて食事が終わると、宗一郎が水琴を引き留めた。「臣と