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第2話

Author: 秋月静葉
紬希が家に戻ったばかりの時、凌也から電話がかかってきた。

男の声には焦りが滲み、いつになく取り乱した様子だった。

「紬希、こんな夜中にどこ行ってたんだ?何かあったのか?

頼むから、俺を心配させないでくれ。

今どこにいる?すぐ迎えに行くから」

紬希は無理に元気なふりをして答えた。

「大丈夫よ、今日はちょっと疲れてて、先に家に帰って休んでたの。あなたも早く休んでね」

「分かった。じゃあ、ゆっくり休んで。

でも、こんな遅くに一人は本当に心配だから、次はやめてくれよ」

凌也は一瞬黙った後、言葉を付け加えた。

「それと、今夜の薬まだ飲んでないよな。忘れずに飲んでくれ」

「うん」

電話を切ると、紬希はバッグから凌也が特別に用意した抗うつ薬を取り出した。

小さな薬瓶を見つめながら、胸にぽっかりと穴が空いたような虚しさが広がっていく。

信じていたその薬は、実は自分を奈落に突き落とす毒だった。

薬も、人も、同じだった。

「お姉ちゃん、どうして帰ってきたの?」

部屋からは、身なりを整えた玲奈が現れた。

かつて紬希が何もかも捨てて凌也と一緒になろうとしたとき、父は玲奈を家に呼び戻した。

娘が外に嫁げば、自動的に相続権を失うことになる。

だから、深見家には新たな後継者が必要だった。

凌也のために、紬希は父のやり方を黙認した。だが、すべては玲奈が仕組んだ罠だったとは、想像もしていなかった。

紬希は玲奈を淡々と見つめ、口元に微かな笑みを浮かべた。

「ここは私の家。帰ってきて当たり前でしょ?」

玲奈は気まずそうに目をそらし、「じゃあ、お姉ちゃん、先に休んでて。私はちょっと出かけてくるね」と言って、玄関へ向かった。

リビングの灯りの下で、玲奈の首にかかったサファイアのネックレスがきらりと輝き、その光がちょうど紬希の目に飛び込んできた。

「待って」

紬希は立ち上がって玲奈の前に歩み寄り、彼女の首元からそのネックレスを容赦なく引き剥がした。

「家の宝石は全部私の名義よ。私の許可なく、誰にも使う権利はないの」

玲奈の顔色は一気に青ざめ、怯えた声で呟いた。

「ごめんなさい、お姉ちゃん。このネックレス、ずっと使われてなかったから、いらないのかと思って……」

紬希は冷ややかに笑った。

「状況が分かってないみたいね。この深見家で、たとえ一つのレンガでさえも私のものよ。

私がいらないと言っても、私の許可なく誰にも触る権利はないの」

「ごめんなさい、お姉ちゃん。もう二度としないから……」

玲奈は真っ青な顔で泣きながら走り去った。

彼女が家を出てすぐ、紬希も静かに玄関を出た。

玲奈の後を追い、車で凌也のマンションの前まで向かった。

夜の街灯の下、凌也はきちんと仕立てられたスーツ姿で立っていた。

柔らかな夜風がその裾をそっと揺らし、彼の立ち姿はひときわ端正で上品に見えた。

玲奈は子猫のように凌也の胸に飛び込み、頬にはまだ涙の跡が残っていた。

凌也の目には柔らかな光が宿って、そっと玲奈の涙を唇で拭った。

「どうした?また誰かがうちのお姫様を泣かせたのか?」

玲奈は唇を尖らせ、不満げに言った。

「誰だと思う?あの女に決まってるじゃない。嫡女の立場を盾に、何もかも私より上に立とうとして。ネックレス一つすら私には許してくれないの。

凌也、私、いつになったら幸せになれるの?」

凌也は玲奈の頭を優しく撫でながら、穏やかに囁いた。

「もうすぐだよ。紬希との婚約が成立して、深見家の跡取りに玲奈が指名されたら、俺たちの計画は成功だ。

そのあとは、玲奈が深見家のただ一人の跡取りだ。もう誰にも玲奈をいじめさせたりしない」

すべて覚悟していたつもりだったのに、この光景を目の当たりにすると、紬希の心にはどうしようもない痛みが走った。

信じていた真心は、周到に仕組まれた裏切りだった。

すべてを賭けて託した想いさえ、ただの偽りの罠にすぎなかった。

なんて滑稽で、なんて哀しいんだろう。

でも、この茶番ももうすぐ終わりだ。自分の人生を誰かのために投げ出す必要なんて、もうどこにもない。

紬希は目の前の光景を写真に収め、そのまま車で家へと戻った。

ほとんど迷うことなく、父の部屋のドアをノックした。

「エンカのプロジェクトを私に任せて」

深見家当主は少し驚いたように紬希を見つめた。その視線は、彼女を見直すようなものだった。

「また何を言い出すんだ?お前には凌也との結婚を認めてやったばかりだろう」

紬希は無表情のままスマホを取り出し、凌也に関する全てのデータを削除した。

そしてふっと小さく笑って言った。

「お父さん、深見家の家業に比べたら、男なんて本当に取るに足らないものよ。やっと分かったの。

深見家の娘として、外には嫁がずに、あなたの跡を継ぎたい」

深見家当主の顔にわずかな安堵と誇りが浮かぶ。

紬希こそ、彼が家業の後継者として一から育ててきた、最も信頼する娘なのだから。

「よし、それでこそ俺の娘だ。忘れるな、感情なんてこの世で一番無駄なものだ。

エンカのプロジェクトはヨーロッパだ。一ヶ月後、現地で報告してくれ」

エンカは深見家が最も重視しているプロジェクトで、それを手にした者こそが後継者となる。

紬希の心には、もはや一片の迷いもなかった。

私生児に、この家の財産を奪わせるつもりはない――

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