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第6話

Author: 秋月静葉
「何をするつもりだって?…すぐ分かるさ。お嬢さんには、今日は存分に楽しませてあげるよ」

男は信じられないほどの力で、ほんの少し腕に力を込めただけで、紬希をソファに押し倒した。

「離して!もし何かしたら、深見家が黙っていないわよ!」

紬希は何とか抵抗しようとしたが、体にまるで力が入らない。

男の手は蛇のように紬希の体を這い回り、彼女は全身が震え、吐き気を覚えた。

「助けて、助けて……誰か……!」

彼女を返ってくるのは、底知れぬ静寂だけ。

「無駄だよ、深見のお嬢さん。ここじゃ誰も助けに来ない」

男はウェディングドレスを乱暴に引き裂き、彼女の身体をむき出しにした。

「こんな美人、人生で見たことがない。たとえここで死んでも悔いはないさ」

紬希は胸元を必死に押さえ、絶望的な目で男を見上げた。

「お願い、私に何が欲しいのか言って、何でもあげるから……」

男はにじり寄りながら、口元にいやらしい笑みを浮かべた。

「そんな殊勝なこと言ってもダメだよ。せっかくの美人なんだから、存分に楽しませてもらう」

そう言うが早いか、男は飢えた獣のように紬希に覆いかぶさり、息のかかった口元で彼女を下から上まで舐めるようにキスした。

男の体の硬さが彼女に押し当てられ、もう少しで侵入される――その瞬間、紬希は人生で初めて味わう屈辱と絶望に、死んでしまいたいほどの憎しみが心を覆った。

そのときだった。突然、男の体がぐらりと紬希の上に崩れ落ちた。

驚いて目を開くと、凌也が棍棒を手に、男を容赦なく殴りつけていた。

これほどまでに激怒した凌也を見るのは、紬希も初めてだった。彼の瞳には獣のような紅い炎が燃えていた。

一発、二発、三発――男は床に崩れ落ち、そのまま血の海に沈んだ。

凌也はようやく棍棒を捨て、裸同然の紬希を急いで服で包み込み、何度も謝り続けた。

「ごめん、紬希……全部俺のせいだ。さっき患者から電話があって外に出てたんだ。まさか、こんなことになるなんて……」

彼の涙が紬希の胸元にぽたりと落ちる。

その一瞬だけ、紬希は再び彼の体温と、かつての優しさを感じてしまった。

その後、凌也は片時も紬希の側を離れず、身の回りの世話も、薬の塗布もすべて自分で行った。

数日のうちに、彼は目に見えて痩せていった。

だが、紬希は毎夜悪夢にうなされ、夢の中であの男に体を引き裂かれていた。

夜中に何度も飛び起きるたび、凌也は彼女をしっかりと抱きしめ、優しく慰めた。

彼は家中の人間に、紬希の療養を邪魔しないようにと厳命し、誰にも彼女の病状を漏らさないようにした。

玲奈が見舞いに来たときも、凌也はすぐに追い返した。

「紬希、心配しないで。このことは誰にも言わない。すべて俺が責任を持つから」

朦朧とした意識の中で、紬希はふいに温かな気持ちがよみがえった。

もしかしたら、三年にわたるこの関係の中で、凌也も本当に彼女に情を持っていたのかもしれない。

あれだけ深く結ばれていた二人なのだから、どんなに冷たい心にも、わずかなぬくもりが残っているのだろう。

ほどなくして、深見家の恒例のチャリティーパーティーが開かれる日が来た。

例年、司会進行は紬希の役目だったが、今年は怪我のため玲奈に譲ることになった。

それでも、長女としてパーティーには出席しなければならなかった。

玲奈は彼女が会場に現れると、すぐに駆け寄ってきた。

「お姉ちゃん、最近ずっと療養してるって聞いたけど、もう大丈夫?体は平気?」

玲奈の心配は本物のように聞こえたが、紬希はあまり語る気になれなかった。

「もう大丈夫よ」

それでも玲奈はなおもしつこく言う。

「お姉ちゃん、私が支えてあげるよ。ここの石畳は滑りやすいから、気をつけて」

紬希は断ろうとしたが、来客が多いこともあり、玲奈に身を預けるしかなかった。

今回のチャリティーパーティーは湖畔で行われ、ステージは湖の中央に設置されていた。ステージに上がるには、木製の橋を渡らなければならない。

「お姉ちゃん、足元に気をつけてね。路面が濡れてるから滑りやすいよ」

玲奈が小声でささやく。

ヒールを履いて慎重に進む紬希だったが、橋の途中で玲奈が急に体を押してきた。

思わず身を引いて手を振り払おうとした次の瞬間、玲奈自身が冷たい湖水に落ちてしまった。

「助けて、助けて!」

玲奈は湖の中で水をかき分けて、ばしゃばしゃと手足を動かしていた。

ちょうどそこへ凌也が駆けつけ、迷わず湖に飛び込んで玲奈を引き上げた。

玲奈は全身びしょ濡れで、震えながら訴えた。

「お姉ちゃん、私は親切で支えてあげただけなのに、どうして私を突き落としたの?」

玲奈の優しい声には、涙をこらえたような哀しみが混じっていた。

「私は押してない。あなたが勝手に落ちたんでしょ」と紬希は反論する。

「もういいよ、お姉ちゃん。今回のパーティーは私が担当したせいで、不機嫌なんだよね?お姉ちゃんの気持ちは分かってるつもり」

玲奈の涙がぽろぽろと落ちた。

その時、会場の人々の間から、ささやき声が湧き起こる。

「やっぱり噂は本当だったんだね。深見家の長女は、ずっと妹を目の敵にしてたって……」

「てっきり名家のお嬢様は上品かと思ったのに、結局こんな陰湿なことするなんて失望したわ」

「どこの名家でも、跡継ぎ争いはこんなもんだろうな。次女も、家では苦労してるんだろう」

そんな噂話を聞きながら、紬希はただ滑稽だと思うだけだった。

玲奈と同じレベルで争うつもりは、さらさらなかった。

紬希はそのまま何もなかったかのように席に戻る。

やがてパーティーが始まり、予定通り紬希が挨拶のために舞台に立った。

「本日は、ご来賓の皆様をお迎えでき、大変光栄です……」

紬希は堂々と挨拶をしていたが、突然、会場の観客席からどよめきと、何とも言えない感嘆が漏れた。

何事かと振り返ると、背後の大型スクリーンに目を奪われる。

そこに映し出されていたのは、紬希自身が試着室で襲われている映像だった。

裸同然の彼女が見知らぬ男に組み敷かれ、必死に叫び声を上げている――その一部始終が、容赦なく再生されていた。

「やめて!お願い、映像を止めて!」

紬希が絶叫しても、舞台裏のスタッフたちはまるで何も聞こえないかのように、誰一人スクリーンを止めに動かなかった。

観客席のざわめきは、やがて嘲笑や冷やかしへと変わっていった。

中にはこんな声も上がる。

「さっきまで妹に偉そうにしてたくせに、これが天罰ってやつだな」

「意外とスタイルいいじゃん……こりゃ見応えあるな」

「どんなに高貴ぶってても、裸にされたら皆同じさ。所詮、人形にされるだけだろ」

「最近ずっと引きこもってたのって、こういう理由だったのかもな。どうせ身体のどこかケガでもしてたんだろ?」

……

耳を塞ぎたくなるような言葉に、紬希は消えてしまいたい思いでいっぱいだった。

脳が真っ白になり、ただどこかへ逃げたい一心で舞台裏へ走り出す。

だが、足元のコードに足を取られ、そのまま壇上から転落してしまった――次に意識を取り戻したとき、紬希は脚を高く吊るされ、病院のベッドに縛り付けられていた。

外では、騒がしい声が響いていた――
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