LOGIN「待たせたか?」 勝手に流れ落ちる涙を誤魔化すみたいにテーブルへ突っ伏したままになっていると、上から瀬田さんの優しい声が聞こえ、それと同時に温かな手がそっとワタシの髪を撫でてくれた。さっきまで、“嫁視点”から見ても“友人以上恋人未満”な相手に塩対応をしつつも『好きだ』なんて言葉をかけ合っていたとは到底思えぬ甘ったるい顔をして、ワタシの座る四人掛けの席の対面に彼が腰掛ける。 水を運んできてくれた店員さんに「珈琲を一つ。豆は……そうだな、何か適当にオススメなやつを」と浩二さんが簡単に注文をした。「ウルカはどうする?何かおかわりでもするか?」 頭を撫でながら、ワタシにもちゃんと訊いてくれる。最初に頼んだリンゴジュースはほぼ飲み干していて、氷くらいしかグラスに残っていなかったからだろう。「じゃあ、同じ物を飲もうかと。リンゴジュースを追加でお願いします」 軽く頭を上げて、店員さんに自分で告げる。その時、ちょっとだけ浩二さんの眉間にシワが寄った気がするのは気のせいだろうか。「リンゴジュースが好きなのか?」 「そうですね、美味しいと思います。これまでに色々試したワケではないですけど、比較的甘い物が好きな方かもしれません」 「……そうか。覚えておくよ」 片肘をつき、浩二さんがワタシの方をじっと見てくる。ちょっと顔をあげてはいるものの、テーブルに突っ伏したこの姿が滑稽なのだろうか?「何か、ありましたか?」「ん?あぁ、いや。ただ……嫁の好きなモノも、俺はまだ全然知らないんだなぁと思ってな」「仕方ないですよ、逢ってまだ私達は日が浅いですし」 そうは言っても、全くもってその通りなのだとワタシも思う。『もっと話し合え』とカシュ兄さんにまで言われてしまうくらい、ワタシ達はお互いの事をまだ何も知らない。住居などの個人情報は把握済みではあれども、浩二さんの好きな物、嫌いな物、今までどんな経験をしてきたのかだとか、知りたい事が山積みだ。(彼を知りたい、もっともっともっと——)「あ、あの!」 「ん?どうした、そんな顔をして」と、勢いよく顔を上げたワタシの頬を浩二さんがそっと両手で包んでくれる。彼の瞳に映る自分の顔はちょっと焦ったような表情をしていたので、浩二さんにそう訊かれるのも当然だと思った。「……目元が少し赤いな。まさか泣いていたのか?」 「え……あ、いえ
校内の巨大な図書館で、未来の義姉候補である華さんが、館長である本多さんから部屋の引き継ぎをされていた、その時。 ワタシは一人で学校の近くにある商店街まで来ていた。『仕事が終わるまで喫茶店で待っていて欲しい』という浩二さんとの約束を守るためだ。「ここ……かな?」 首を傾げながら店の看板の前に立ち、店名を確認する。この辺には他に喫茶店もなさそうなので、きっと此処でまず間違いないだろう。 扉をそっと開けると、カランッと大きな呼び鈴が鳴る。たったそれだけの事なのに、ちょっとレトロな感じがして何だか少し嬉しくなった。「いらっしゃいませ。お好きな席にどうぞ」 大学生くらいの若い店員さんに声を掛けられ、ちょっと驚いた。格闘技をやっているっぽい引き締まった体格にエプロンを着けた姿がどうにもちぐはぐなのだが、むしろそれが少し可愛らしい。他にも、古くからある感じの商店街のお店に、“店員”として居るタイプの子ではないなとも思った。 おどおどとした声で「……はい」と答え、窓の近くにある四人掛けの席に座る。すると水と一緒にメニュー表を持って来てくれたので、ワタシはリンゴジュースを頼む事にした。 ほっと息を吐き、窓から外に視線をやる。 見える全てが“昭和時代”を思い起こす『昔ながらの商店街』だ。だけどまだまだ活気があり、買い物客達が数多く歩いている。烏が遠くで鳴き、夕陽に染まる空がとても綺麗だ。 そんなテンプレ的夕方の光景は、ただぼおっと見ているだけでちょっと癒される。今まではずっと、人目を気にし、影に隠れて淫夢でも見そうな人を探すだけの身だったので、ここまで『人間の生活』というものに関わってみた事がなかった。こうも穏やかな生活を、世の人々は送っていたのかと改めて思った。 光景を楽しみつつ、リンゴジュースを飲みながらのんびり店内で浩二さんのお迎えを待っていると、うっすらと彼の匂いが遠くから漂ってきた。どうやら仕事を終えて、こちらに向かって来てくれているみたいだ。 ありもしない獣耳がピンッと立ったみたいな反応をし、嬉しい気持ちを隠す事なく匂いのした方へ顔を向ける。すると、窓越しに小さく浩二さんの姿を
「おや、信じていませんね?まぁ……急に聞かされては当然でしょうけども」 「正直に言いますと、はい。……すみません」「いえいえ、いいのですよ。でも可笑しいですね、“淫魔”の存在は受け入れたのに、私達の事は疑うなんて」 本多さんが長い脚を優雅な所作で組み、手袋をした手で口元を押さえてクスクスと笑う。いつもならこんな貴重なワンシーンを見られた事に歓喜する所なのだが、それよりも今は、館長がカシュの正体を何故知っているのかの方が気になってしまった。「実はですね、私は、“本の精霊”と“人間”のハーフなのですよ。この学校に住み着いている“人外”の一人です。この図書館に居を構え、管理し、細々と消えゆく運命にある紙媒体の本達の収集と保管を延々とおこなっています」「……えっと、え?本多さんが、“人外”?」 鏡が無いのでなんとも言えないが、私は今絶対にカシュの存在を知った時以上にひどい顔をしている気がする。突然そんな話をされても、すぐには納得出来なかった。「はい、所詮は半分だけなのでもうそろそろ死にますけどね。でも、私の“父”は“死”という概念をあまり持たない古参の“精霊”なので、中世時期辺りを暗躍していた“魔女”達とも当然面識があり、懇意にも出来たというワケです。これで納得出来そうですか?」 ニコッと笑われても、『はい』と返事が出てこない。カシュの時の様に角や尻尾といった誤魔化しようの無い証拠を見せられたわけでは無いからだろうか。「証拠が欲しいといった顔ですね。んーでも困りました。私は父の様に色々出来る訳ではないですからねぇ。多少は魔法も使えますが、そのくらいで許して頂けますか?」「——あ、いえ!結構です、そんな……えっと、その、疑ってしまいすみません。ずっと前から面識のあった方が“人外”だと言われても急には、受け止め切れなくって。あ、その……もしかして、理事長もそうなのでは⁉︎」 人間だと言っていたかもしれないが、インキュバスなカシュ以上に魅惑的な容姿をした理事長の方が、よっぽど私からしたら一般人から色々と外れているので、つい思った事を口に出してしまった。「残念ながら彼は本物の人間ですよ。あぁ、でも、図書館の隣にあるカフェの店長は私達の仲間です。流石に正体までは他言出来ませんけどね」と言って、口元に指を立てる。この仕草は二度目だが、素敵なおじい様がやって下
室内へ二人で進んでいくと、カツンカツンと靴音がやけに響く。上を仰ぎ見ると思っていたよりも天井が高く、天球儀や巨大な恐竜の骨などが吊るした状態で飾られていて、より一層心が躍る。プラネタリウムの中に博物館と研究室を持ち込んできたみたいな空間へ一歩一歩ゆっくり進んで行きながら私は、『カシュも好きそうね、今度連れて来てあげられないかしら』と思った。「ところで、この部屋は?部活の資料になるだろうと聞いて来たのですが、生徒達を案内してもいいのでしょうか」 「いいえ。この部屋は貴女だけの物なので、他の者は立ち入れさせないで下さい。でもまぁ、私や、私の父は管理者なので入れますが、他の者は権利が無いので、そもそも降りても来られない仕様となっていますけどね」 隅で見付けた古いソファーに対面で座り、本多さんと共に一息つく。素晴らしい部屋なのに、他の者を連れて来られないと知り、心底がっかりした。「さて、お茶でも出して差し上げられれば良かったのですが、そういった設備は流石に無さそうですね」と、周囲をぐるりと見渡して本多さんが言う。色々な物が詰まった部屋ではあるが、置かれた物はどれを見ても何百年も前の品をその時の状態のまま持って来たみたいで、確かに『ちょっと一服しましょうか』といった時に欲しい物はこのソファーくらいなものだった。「仕方がありませんね。ではサクッと使用法や要点の説明にでも入りましょうか」 「は、はい」と答え、背を正す。パッと見だけでも貴重な物ばかりの空間の様なので、色々制約が多そうだ。「この部屋はですね、中世頃を生きていた、貴女のご先祖様の一人である、“ハンナ・アダムス”という女性の遺産なのです」 “アダムス”と聞き、私の心臓がバクンッと跳ねた。他人の口から先にその響きを聞いたのは何年ぶりだろうか。それと同時に、『やっぱり私のルーツは海外にあったのね』と納得する。こんな苗字なのだからそうだろうと予想は出来ていた。だが、ウチの親戚だって誰も知らない事だったのに、何故本多さんが知っているのだろうか。「ご先祖様の、遺産……ですか」 気になる事は多々あれど、一番気になった言葉に食いついてみた。「はい。“彼女”と“私の父
広いエレベーターにちょっと緊張しながら乗り込むと、本多さんが胸ポケットから一枚のカードキーを取り出し、私の方へとそれを差し出してきた。「こちらをどうぞ。貴女専用のカードキーです。無くしてしまうと少し面倒な事になるので、大事にして下さいね」 「あ、はい。ありがとうございます」(……私、“専用”?) 疑問を抱きつつも礼を言い、カードキーを受け取る。名刺サイズのそれには、いかにもこれは『“魔法陣”だな』としか思えない絵が描かれており、発光物質でも含まれているのか、全ての線が不思議とうっすら光っていた。「こちらのパネルに、そのカードを当ててみてもらえますか?」と言って、本多さんが階数や開閉の指示をする為のボタンの並ぶ位置にある、一番下のタッチパネルみたいなスペースを指さした。「ここにですか?」 「はい」 このエレベーターは随分と最新式なのね、と思いながら指示通りにカードキーを当ててみる。すると、まだボタンを押して階数を指定してもいないのにエレベーターが勝手に動き出した。体感的に下へ向かっているみたいだが、階数の表示されるべき箇所にはエラーの文字が書かれていて本当に下へ向かっているのか確信が持てない。「あの……向かっているのは、下の階なんですか?」 そういえば、下層へ行くのはこれが初めてだ。各所に貼ってある館内図も一階から三階までしか描かれていないので、他の階は職員専用なのだろう。「えぇそうですよ。かなり下まで行くので、少しかかるかもしれません」 「……え。この図書館って、一体下は何階まであるんですか?」 現時点ですら体育館並みに巨大なウチの図書館は常に増築工事を続けており、終わりが見えない。上や横には土地的にも限界があるが、『下ならば』と更に拡張をしていると噂には聞いてはいたが、どうやらただの与太話ではなかったみたいだ。「……秘密ですよ、ふふっ」 白い手袋をした指先を口元に当て、本多さんが片目を軽く閉じる。可愛らしい悪戯っ子みたいな顔をされてしまってはもう、これ以上何も訊けなかった。 ◇ エレベーターは一分間にだいたい三十から六十メートル進むと言われている。……そしてもう、かれこれ五分から七分は経過している気がするんだけど、気のせいかしら。本当に大丈夫、なの?と段々不安になってきた。「あ、あの……一体、どこまで降りて行くの
校内にある図書館近くのカフェで、カシュがコーヒーを飲みながら私が来るのを待っている丁度その頃。 小テストの採点や生徒達の相談、部活などの仕事を一通りサクッとこなし、理事長の指示通りに私は館長の待つ図書館へとやって来た。「お待ちしていましたよ」 そう言って、図書館館長である本多さんが和やかに微笑みを浮かべている。品のあるクラシカルなデザインのスーツを着こなし、綺麗な背筋は年齢を感じさせぬ程にしゃんとしており、眼鏡をかけた端正な顔立ちは美しく、とてもじゃないがご高齢な男性とは思えぬほど肌艶が綺麗だ。 『ロマンスグレー』といった表現がぴったりな本多さんを前にすると、いつもちょっと緊張してしまうのは、はっきり言って『彼が独身ならば是非とも嫁候補として立候補させて頂きたい!』と思ってしまうくらいに素敵な紳士だからだろう。「お待たせしてしまったでしょうか」「いいえ、私も今来た所ですから。では、行きましょうか」 そう言って、本を傷付けぬために着けている白い手袋をした手を、スッと当然のように差し出してくれる。(し、“紳士”だわ!) ——と心の中で叫びながら、ちょっと頬を染め、素直に手を取る。カシュがこの場に居たら大騒ぎされているのだろうなとは思ったが、ロマンスグレーな本多さんのこの手を払える女性など、この世にいるのだろうか? 答えは否だ!と、心の中だけで力強く即答する。「こちらですよ。足元に気を付けて下さいね」「は、はい」 照れ臭そうにしてしまう私の様子を見て、本多さんが穏やかに微笑みを浮かべている。 推定七十代か八十代であろう本多さんからしたら、私なんか孫でも見るような気分なのだろうなとは思うが、それでも“レディー”扱いをしてくれるこの紳士的な行動には、どうしても心がクラッとしてしまった。「えっと。理事長からは、『部活に役立つ資料がある』と伺ったのですが……」 ダンスホールにでも進むみたいに手を引かれながら、エレベーターのある方へ