ANMELDENそう言い掛けた時、深い寝息を立てて眠る公爵に気付く。
ウケイがくれた未発情に関する切り札が気になる所ではあるけれど、今はゆっくり寝かせてあげたい。
起きたらまた特務警護団の団長として、サリバン公爵として、足元を掬われない様に立っていなければならないこの人が、何も考えずに休めるのはこの寝台の中くらいだろうから。
そうして昼頃まで休んだ公爵から聞いた話では、数日前にまた例の妙な病で子爵家の令息が命を落としたらしい。
その子爵家令息の死因と教会との関係を調べつつ、夜会の準備や作戦の根回しもあり、真面に寝れていなかったようだ。
「準備は出来たか? オー……リィ……」
支度部屋に入って来た公爵は、何かに驚いて固まっている。
オルタナはその様子を不思議に思いながらも、騎士服でも普段着でもない、正装した公爵の姿を見て思わず息を飲んだ。
あからさまに焦った顔をして見せたノエルに、王妃は満面の笑みを見せた。「ルアド・モリガンの状況を知りたいわ」「えぇ――……それは守秘義務がありまして……」「そうね、少佐が王妃に話したとしたら処罰を受けるでしょうけど……ミレー中尉との会話を偶然何者かが聞いてしまったのなら、出所不詳で誤魔化せる」「えぇ⁉ まぁ、良いですけど」 いいんかい。 オルタナは危うくそう突っ込みそうになった。「おい、ミレー。ルアドの様子はやはりおかしいらしいぞ」 急に始まった寸劇もどきに、ミレーは慌てて答える。「お、おかしいって?」「痛みも感じてない上、正気を保っているとは到底思えないらしい」「特警預かりになったのに、正気を保っている方がおかしいでしょ」「薬物中毒じゃないかと、誰かが言ってた様な……」「えぇ⁉ 何の?」「あー、えー、それが分からないって話らしい」「こ、困ったわねぇ……」 ノエルとミレーは凄くカッコいいのに、酷い茶番だ。 余りの酷さに王妃と顔を見合わせて噴き出した。「「ぷっ……」」 ノエルとミレーは二人共恥ずかしそうに顔を背けている。「なるほど。そう言う事でしたか」「ラチア様? そう言う事、とは?」「ずっと不思議だったの。ルアドが口を割らない事もそうだけど、あの体格が異様で……」「体格? モリガン大佐は昔から結構大きかったですけど……」「でも、モリガン伯爵は&alph
「えぇ?」「自分を殺して大人の事情に付き合ってたら、ロクでもない事になるわ」「ロクでもない事……」「あ、その……オルティは私よりお兄さんで、子供じゃないかもしれないけれど……大体高位貴族の大人って自分の思い通りに事が運ぶと思ってる」「はぁ……」 オルタナは王妃の“お兄さん”という言葉に驚いた。 年齢はともかく同等かそれ以下だと見下しても良い権力をお持ちなのに。「子供は何でも自分達の言う事を聞くと思っている」「まぁ、そうですね。逆らえる気もしませんけど……」「それに、ヴィンス相手じゃ喧嘩するのは分が悪いわ」「ラチア様は王陛下と喧嘩なさるのですか?」「喧嘩……と言うか、一方的に私が怒っている事が多いわね」「でも、仲良さそうに見えますよ」「うふ、愛してるもの」「おぉ……」 堂々とそう言える王妃が、キラカの灯でより幻想的に美しく見える。 オルタナは自分のグラグラと動く弱い心を確める様に、胸に手を当てた。 公爵が子を産める番を持てと言われるのは、至極当然の事。 でもそれに覚悟が出来ていなかったのは、公爵の“唯一の番”という言葉を安易に丸飲みしていた自分のせいだ。 これから運命の番として、誰か他のΩの子を抱く公爵を寛容に許し、サリバン公爵を支える人生が待っている。 でも、それが嫌だと言って離れていく事も出来ない。 苦しくても、離れるなんて無理だ。 だって、愛しているもの。「我儘な王妃に手を焼いている王様。そう言う筋書きなの」「筋書き……?」「レイって本当はもっと優しい人。でも、優しいだけじゃ国王は務まらないでしょ。だから私が我儘を言って、それを仕方なく許すって言う茶番?」「国政が茶番?」「私が矢面に立つことでレイを守れるなら、それで良い。私はもうすぐ十三歳になるけれど、子供だと侮る者は
大公妃に加えて王妃まで一緒に行くとなれば、危険度が釣り上がる。 どんなに気が強く凛としている王妃でも、まだ十二の少女で、Ωだ。 もしも、何か大事になる様な事があれば、自分一人では対処出来ない。 あぁ、でも、護衛はついて来るはず――。 そのオルタナの心境を聞いていたかのように、ケルメスが口を挟む。「王妃様。大聖堂には抑制剤関連の機密も多くございます。銀の君の視察には、こちらで護衛を用意します故、従者殿はお連れにならぬよう」「分かっていますとも」 とんでもない事になった。 大公妃と自分だけなら自分の身をどうにか守れれば良い。 教会が大金を落とす大公妃をどうこうする確率は無いに等しいからだ。 それに、今回の夜会は大聖堂への潜入計画の一旦を担っている。 その潜入計画の陽動の為にオルタナがケルメスを誑し込み、魔女ドーラに会わせて欲しいと嘆願し、表から堂々と入る計画だった。 そこに助っ人である大公妃が現れ、運良く視察の話が出た為に便乗する事が出来ただけの事。 いつもならこんな時に我先に口を出して来そうなウケイの姿が見当たらない。 先生、居ないのかよ! 出番でしょ! オルタナは胸中で一人突っ込みしながら、思案する。 王妃も潜入計画を知っているはず。 何故、そんな危険を冒して正面から行こうと言うのか。 オルタナはまだ良く理解出来ないまま、場の状況を見守る事しか出来ない。 大公妃は閉じていた扇子を広げて、口元に翳し「私はそろそろ」と休みたい素振りを見せ、フロアの中央から退席した。「せっかくの王陛下のお誕生祭です。気を取り直して、楽しみましょう」 振り返った王妃がそう言って、こちらを見る。 後ろに控えていたミレーから「ダンスにお誘いして下さい」と小声で囁かれ、危うく「はぁ?」と返
「銀の君の折り紙付きならばサリバン家も安泰ですな、公爵様」「えぇ、そうですね。ドヴァンニ殿」「健常なΩを早々に見つけられませ。何なら私がご紹介致しましょうか?」「ケルメス、婚約したばかりの二人の門出に不躾ですよ」「これは失礼、銀の君。年寄りは生き急いで申し訳ないですな。銀の君は大聖堂の視察にも来て頂けるとか。またその時に、ゆっくりとお話出来れば……」 国王でさえ大聖堂への訪問を渋る教会が、大公妃の視察を断らない理由――それが多額の支援金だ。 慈善事業家としての大公妃は、母国の孤児院に多くの支援と寄付を続けており、教会の大聖堂があるネロ区もその恩恵を受けている。 だから断らないと言うより、断れないと言う方が正しい。「あぁ、そうですね。オルタナの御婆様にもお会いしたい所です」「あぁそれなら、君も会いに来られますか? 御婆様に」 掛かった――――。「宜しいのですか? 私がご一緒しても……」 母がどんな風に笑う人なのか記憶はないが、オルタナは出来得る限り優雅に口角を上げ、ジッとケルメスの視線を捕らえる。 この爺を落とせば、大聖堂へ行けるのだ。 媚びも世辞も惜しむつもりはない。「十年以上会ってないのでしょう? マダムの視察の合間に面会なさると宜しいかと」「ありがとうございます! 限られた者しか入れぬ大聖堂に入れるなど夢の様です。大司教様の寛大なお心に、感謝致します!」 オルタナはそう言ってケルメスの手を両手で握りしめた。 本来なら触りたくもないが、ミレーが言うにはケルメスは稚児趣味の傾向があるらしく、小柄な少年をいつも侍らせているらしい。 多分、間違いなくこの容姿と体格がクリーンヒットする。 と、ミレーは砂を吐くような顔で言っていた。「おっほっほ、公爵様が君を番に望む気持ちが分かる様な気がしますね」
発情しないと言う事を隠しておけるはずはないけれど、ここで認めると言う事は他に番を持つ事を容認すると言う事と同義だ。 公爵がウケイに貰った切り札と言うものがどんなものなのか、オルタナはまだ知らない。 ここでどう答えるのが正解なのか、逡巡し迷う。 番として完璧に演じると言っておきながら、他の番を迎えても寛容に受け入れる覚悟は出来ていない。 でも貴族に嫁ぐと言う事は、その血を継げる者を産まねば価値がない。「そ、れは……」「そうだとして、ヴィンスが子を産める他のΩと番えば問題ないでしょう」「伯母上っ……」「ヴィンス、貴方も分かっているはずですよ。大丈夫です、オルタナ。私の夫にも運命の番がおりますが、今日まで夫とも金の君とも上手くやって参りました。公爵家に嫁ぐ者として、その位の事は覚悟の上でしょう?」 そう、キャンベル大公には金の君と呼ばれる運命の番がいる。 髪が灰色のリザベラはそれに倣って銀の君と呼ばれている事も、この王国の民なら子供でも知っている事だ。 複数の番を持つことを良しとしないドーン王国の筆頭貴族が、運命の番と婚姻し、他に番を持つと言う例外に説得力を持たせるには、彼女ほどの適任者はいないだろう。 そう言う意味でも最強の助っ人と言える。 小国でありながら強い海軍を有し豊富な鉱山を持つキャンベラは、海軍を持たないドーン王国にとって失ってはならない同盟国だ。 そう言う政治的な理由でリザベラが大公の元へ嫁いだ時、既に大公には運命の番がいて、リザベラは全て承知の上で大公妃となった。 大国の皇女が番持ちの小国の大公に嫁ぐなんて、異例の事態だったはずなのに、彼女はそれを物ともせずに公国との橋渡しを成し得た強者なのだ。 国政を担うパートナーとして、大公はリザベラを歓迎したと聞いている。 覚悟――したつもりだった。 でも想像力が足りなかった。 いや違う。ちゃんと事実を見ようとしていなかっただけだ。
「ひっ……ひつれいする! チッ……帰るぞ、リリムッ!!」 そう言い捨てて周りを顧みることなく夜会の会場を後にするファージ侯爵は、リリムを引き摺る様にして出て行く。 とは言え王陛下に挨拶もなく帰るとは、ファージ侯爵も余程頭に血が上っているらしい。「私の身内に手を出す身の程知らずが未だいたとは驚きです」 逃げ帰るファージ親子に大公妃はそう言って溜息を漏らした。 この方も身内贔屓……誰かさんに似てる。 平民の噂程度ではあるがマダム・キャンベルを敵に回した令嬢は、社交界から追放されると聞いた事がある。 嫁ぐまではレディ・リザベラの愛称で社交界の名花としてご令嬢達の憧れであり、貴族子息にとっても高嶺の華だった人だ。 そもそも経済や流行、あらゆる面でのアンバサダーであった王妹に嫌われて社交界で立場を維持する方が難しいだろう。 片やファージ侯爵家は、先々代の頃に国王の命のを救った軍人が爵位を貰い、貴族の中では歴史の浅い新参者として見られている。 そして、戦争が無くなり先代侯爵が軍事武器貿易を生業としてからは、成金侯爵と仇名される様になったそうだ。 その家業を継いだ現在のファージ侯爵は、商才も機知もそこそこの男だと公爵が言っていた。 そんな歴史の浅い爵位と金だけで後ろ盾のない侯爵家の息女が禁止薬まで持ち出したとあっては、人脈もしくは嫁ぎ先に恵まれなければこの先の社交界に返り咲く事は不可能に近いだろう。 唯一の後ろ盾と言えそうなケルメス・ドヴァンニはこの事態を見て早々にファージ侯爵を切り捨てるつもりに見える。「伯母上! よく来て下さった!」 二階から王陛下が抱擁を求める様に、両手を広げて階段を下りて来る。「お久しぶりです、レイモンド陛下」 美しいカーテシーで国王陛下に挨拶した夫人を、王陛下は事も無げに抱きしめ再会を喜ぶ。「ご成
公爵達が別荘を去って一週間後、ミレーとオルタナも王都へ戻る。 戻る前にはミレーに頼んで別荘裏の森へ入る時間を貰い、薬草を摘んで荷袋に入れた。 調薬する時間はなかったけれど、王都へ行けばウケイがいる。 何かの役に立つかもしれない、と出来る限り使えそうな物を摘んで来た。 戻る道中も馬車の中で貴族達の名前と派閥を頭に入れる講義が続き、言葉遣いの練習も追加され、アリアンロッド街道の道中にある宿を転々としながら王都へ戻る。 発情していないとは言え、ミレーは婚約中の女性でしかもαだ。 部屋を別にして欲しかったが、そう言うわけにはいかないらしかった。「大丈夫よ、オルタナ。ラチア様からこれを
正面玄関から二階へ上がる階段の上から一部始終を見ていたナタリスでさえ、反論する様子はない。 一番混乱しているのはオルタナ自身だった。「あのっ……ヴィー様?」「オーリィ、お前に頼んだ事を覚えているな?」「覚えてる……けど、運命の番って……」 運命の番だと公表してしまえばそれは婚姻を意味する。 それはダメだ。 公爵の血筋を残せない自分では、本物にはなれない。「契約って言った……」「お前が唯一の番だと言
「うん……」 いつも毅然としていて隙のない公爵が、何やら頼りなさ気に見える。 いつも周りを圧倒する存在感を放ち、近寄り難い程のこの人が、今ここでだけは頼りない少年の様に見えた。 ポツリポツリと話し始めた公爵の表情を、オルタナは見逃さない様にしっかりと見つめる。「まだ十三だったその日、俺は体調が優れず寝台に押し込まれていてな」 体調の悪い第二王子を見舞いに来た前王妃と護衛で着いて来たオブライアンは暫く談話した後、部屋を去って行った。 だが、そのすぐ
オ――――リィ――――……「……ヴィー様?」 独り言の様にそう零したオルタナは、声のする方へと目を凝らした。 薄暗くなった森の中に、ずぶ濡れになった公爵が白髭鴉を一羽肩に乗せてこちらへと歩いて来る。 オルタナはただ黙ってその姿をポカンと見た。 こちらに気付いた公爵は、険しい表情でこちらへと駆け寄って来る。「ッ!! オーリィ!」「ご、ごめんなさっ、うわっ……」 ふいに抱きしめられて、オルタナは後ろへ







