|華 閻李《ホゥア イェンリー》の背中から|彼岸花《ひがんばな》が生まれた。淡く、蛍のように優しく、それでいて、暖かい光をまとっている。
「……っ|小猫《シャオマオ》!?」
いとおしい子へ腕を伸ばして助けようとした。けれど眩しくて直視できない。
|全 思風《チュアン スーファン》も、少し離れた場所にいる|爛 春犂《ばく しゅんれい》ですら両目を閉じてしまうほどだ。
それでも彼は諦めることなく、手探りで|華 閻李《ホゥア イェンリー》の居場所を見つける。子供の細腕を引っ張り、己の胸元へと押し戻した。
「|小猫《シャオマオ》!」
未だ、|華 閻李《ホゥア イェンリー》の背中に浮き出ている|彼岸花《ひがんばな》を睨む。触ろうとしても透けてしまい、剥ぎ取ることすら不可能であった。
それでもうつ伏せになっている|華 閻李《ホゥア イェンリー》の喉で脈を測る。トクン、トクンと、弱いが脈はあった。
目映いばかりに煌めく花は背から頭上へと移動する。両腕に包まれている白い仔猫の姿をした|神獣《しんじゅう》は、苦しそうに鳴いていた。
「……はあー」
|全 思風《チュアン スーファン》のため息は、場を落ち着かせていく。|華 閻李《ホゥア イェンリー》を|床《ベッド》まで運び、安心の吐息を溢した。結界を維持したままの|爛 春犂《ばく しゅんれい》に目配せし、疲れと心配からくる汗を拭う。
再び|華 閻李《ホゥア イェンリー》を黙視した。
|華 閻李《ホゥア イェンリー》の瞳を隠すのは長いまつ毛で、ときおり苦痛に蝕まれるように濡れる。それは涙で、|全 思風《チュアン スーファン》は何度も雫を己の指先で拭いた。
──白虎の身体に浮かんでいた青白い血管が薄れていっている
|華 閻李《ホゥア イェンリー》を包む|彼岸花《ひがんばな》は、少しずつ光を失っていく。根元から枯れ始め、花びらや雄しべたちがハラハラと崩れ落ちていった。けれど床につく前に消えていき、まるで幻でも見ているかのような錯覚に陥る。 同時に、白虎の前肢にあった|血晶石《けっしょうせき》が跡形もなく消滅するのを確認した。「──|全 思風《チュアン スーファン》よ。|閻李《イェンリー》はいったい何をした?」 なんとも言えぬ不思議な現象の場に居合わせた|爛 春犂《ばく しゅんれい》が問う。彼は全ての術を解除し、眠る|華 閻李《ホゥア イェンリー》につき従う|全 思風《チュアン スーファン》の肩に触れた。 「……正直な話、私にもわからない。だけど白虎の|殭屍《キョンシー》化を阻止し、|血晶石《けっしょうせき》そのものを消し去ったのは、間違いなく|小猫《シャオマオ》だ」 本人の意識かどうかは別として、と語り加える。|爛 春犂《ばく しゅんれい》の手を軽く払い、感情のない瞳で凝視した。けれどすぐに興味の対象から外す。 「どんな理由があるにせよ、|小猫《シャオマオ》が浄化した事に変わりはない」 |爛 春犂《ばく しゅんれい》に冷めた瞳を向けた。それは他言するなという証でもあった。「……安心せい、|全 思風《チュアン スーファン》殿。このような事、言いふらしはせぬ。言ったところで誰も信じてはくれまいて」「話が早くて助かるよ」 |全 思風《チュアン スーファン》の直前までの全てを敵視するような眼差しは消える。笑顔を浮かべ、暗黙の了解として、|爛 春犂《ばく しゅんれい》と握手を交わした。 しかしどちらも心の内を見せるようなことはしない。どちらかというと探りあっていた。笑顔で
瞳が虚ろになった|華 閻李《ホゥア イェンリー》に、何度も呼びかけた。けれど|華 閻李《ホゥア イェンリー》はうんともすんとも言わない。「──|小猫《シャオマオ》!」 |華 閻李《ホゥア イェンリー》の肩を揺さぶった。 その時である。周囲から|人《・》の気配が消えた。それは文字通り人が、である。屋台を前にして並ぶもの、食べ物を売る者も、しっかりと目の前にいた。けれど彼らからは、|人《・》としての気配がなくなっていた。 ──どういうことだ? 直前まで、普通に人間の気配で溢れていたはずだ。「……いったいどうなって……|小猫《シャオマオ》!?」 考える暇もなく|華 閻李《ホゥア イェンリー》を含む、食品市場にいる者たちが一斉に動きだす。どの人間も|華 閻李《ホゥア イェンリー》と同じく、瞳に光を宿していなかった。そして誰もが体のどこかしらに鎖をつけている。 そんな人たちは食べ物すら放置して、街の北へと歩きだした。「し、|小猫《シャオマオ》!」 |華 閻李《ホゥア イェンリー》を腕を掴み、行動を阻止しようとする。けれど凄まじい人混みのせいで手を離してしまった。 |全 思風《チュアン スーファン》は喉の奥から叫ぶ。|華 閻李《ホゥア イェンリー》を呼び続けながら邪魔をする人々をかき分けていった。 けれどおかしなことに、近づくどころか遠ざかっていく。|華 閻李《ホゥア イェンリー》の姿すら見えなくなるほどに人が増えていっているのだ。おそらく住宅街や|周桑《しゅうそう》など、蘇錫市(そしゃくし)の住人のほどんどが、鎖の言いなりになってしまっているのだろう。 女や子供はもちろん、性別や年齢関係なく集まっていた。「……っ!?」
|全 思風《チュアン スーファン》は自らの鼻を疑った。 彼は死者と生者、そのどちらもを嗅ぎわける能力に自信を持っている。それは間違えるはずがないという絶対的な自信であった。 ──私は|冥界《めいかい》の王だ。その私を|騙《だま》せる者など、そうそういないはず。その私をここまでコケにした奴、か。会ってみたいものだ。 そして殺してしまいたい。そう願った。背景にあるものが何にせよ、大切な子を奪われたのである。|冥界《めいかい》やこことは違う世界のことよりも、それが一番許せなかった。 「……|爛 春犂《ばく しゅんれい》、もしもあんたの言う通りなら、私たちは何を相手にしている? そして、何に馬鹿にされた?」 死者を|統《す》べる王としての怒りは凄まじく、周囲に|強烈《きょうれつ》な突風を|撒《ま》き散らす。 笑う唇の裏にあるのは|静寂《せいじゃく》という名の|怒涛《どとう》。|漆黒《しっこく》を詰めた瞳は|燦々《さんさん》と燃え盛る|焔《ほのお》となった。 |爛 春犂《ばく しゅんれい》は彼の変化に驚きを隠せないのだろう。恐怖とは違う、凍えるまでに|冷淡《れいたん》な表情を見せられグッと拳を握った。額から流れる汗は|妓楼《ぎろう》に集まる人々に対するものではない。|全 思風《チュアン スーファン》という人物への警戒の現れだった。 それでも今だけは頼もしい味方である。唯一正常かつ、目的をともにする者であるのだと、|全 思風《チュアン スーファン》に口を酸っぱくして伝えた。「……ああ、そうだったね。私たちの目的はそれだった」 |全 思風《チュアン スーファン》の瞳は|徐々《じょじょ》に落ち着きを取り戻していく。ふーと深呼吸をし、|爛 春犂《ばく しゅんれい》を見やった。 |爛 春犂《ばく しゅんれい》は心の底から肩を落としている。&n
|全 思風《チュアン スーファン》は堂々と正面から|妓楼《ぎろう》の中へと|侵入《しんにゅう》した。普通ならばその時点で誰かが姿を現し、彼へ敵意や攻撃を向けてくるものなのだが……「静かだ」 彼の足音のみが|響《ひび》く。それでも|全 思風《チュアン スーファン》の手には剣が握られていた。 周囲を見渡せば|朱《あか》の|絨毯《じゅうたん》や柱、壁までもが|深紅《しんく》に染まっている。天井には異国の地から取り寄せたであろう|枝形吊灯《シャンデリア》が|眩《まぶ》しく輝いていた。「ああ、本当につまらない」 顔を下に向かせながら、そう、|呟《つぶや》く。三つ編みにした長い黒髪がゆらりと揺れた。それを気にする様子すらなく、ただ|朱《しゅ》の階段を登っていく。 そんな彼の周囲には人の姿をした者たちがたくさんいた。 女は白い|漢服《かんふく》を着、美しい|簪《かんざし》を頭につけている。子供は男女問わず着飾ってはおらず、質素な|漢服《かんふく》を着ていた。男たちは青や水色などの|漢服《かんふく》を着用している。 けれど彼ら、彼女たちは、うんともすんとも言わなかった。黒目の部分は消え、どこを見ているのかわからない白目だけを見開いている。 |瞬《まばた》きすらしない。 呼吸もない。 不気味そのものの、人らしき存在たちだった。「……ああ、これは考えてなかった。|小猫《シャオマオ》の事で頭がいっぱいになっていたな」 そこは予想していなかったなあ、と大笑いする。 剣を|一振《ひとふり》し、道を|塞《ふさ》ぐ者たちを|風圧《ふうあつ》で吹き飛ばした。飛ばされた者たちは壁や柱に体を打ちつける。けれど痛みを感じないようで、小さな|唸《
|妓女《ぎじょ》の高笑いは止まることがない。我を忘れて笑い続ける様は、美しさとは無縁なほどに不気味さが|際立《きわだ》っていた。「……|思風《スーファン》って、|思《スー》の事?」 体力が限界を迎えていく。目覚めたばかりだというのに、|華 閻李《ホゥア イェンリー》の|瞼《まぶた》は閉じはじめていた。 けれど知った名を口にされたため、女を見つめながら小首を|傾《かしげ》げる。 |妓女《ぎじょ》は高笑いをやめ、|華 閻李《ホゥア イェンリー》をひと|睨《にら》みした。華やかな美女から一転、憎しみや|嫉妬《しっと》にまみれた瞳となる。|獣《けもの》のように|瞳孔《どうこう》を細め、怒りを足音に乗せて|華 閻李《ホゥア イェンリー》に接近した。やがて、怒りに任せた足取りが止まる。「わたくしの|思風《スーファン》様を、|馴《な》れ|馴《な》れしく呼ぶでないわ! |小僧《こぞう》が!」 |華 閻李《ホゥア イェンリー》の前髪を|掴《つか》んだ。痛みに苦しむ|華 閻李《ホゥア イェンリー》を無視し、|妓女《ぎじょ》は身勝手な腹立ちまぎれに|罵詈雑言《ばりぞうごん》を浴びせる。 彼の頬に爪を立て、白い肌に血を流させた。 けれど|華 閻李《ホゥア イェンリー》は泣くどころか、キッと睨みつける。 それがいけなかったのだろう。|妓女《ぎじょ》からすればその強気な態度がますます|癪《しゃく》に触ったようで、爪をさらに深く食いこませた。 |華 閻李《ホゥア イェンリー》は痛みに|耐《た》えきれず、消えいる声とともに眉をしかめる。「ふふ……あはは! |小僧《こぞう》が生意気な口を聞きおって。そなたなど、わたくしの体の穴を埋める|贄《にえ》に過ぎ……」
──これはまずい! ここにいたら、|小猫《シャオマオ》の体が持たない。 |朱《あか》く光る床から|淡《あわ》い|蛍火《ほたるび》のようなものが浮かんだ。それは無数にもなり、部屋中をふわふわと浮いている。 一見すると美しく、幻想的な光景だった。しかし現実はそうではない。この光が|華 閻李《ホゥア イェンリー》に触れるたび、子供は表情を苦痛に歪ませていった。「……っ|躑躅《ツツジ》!」 |華 閻李《ホゥア イェンリー》が名付けた|蝙蝠《こうもり》を|凝視《ぎょうし》する。すると|蝙蝠《こうもり》は黒い|両翼《りょうよく》を羽ばたかせ、天井目掛けて突撃した。 その一回で天井を突き破り、回転しながら外へと出る。「……|躑躅《ツツジ》、この陣を|破壊《はかい》しろ!」 言うが早いか、|蝙蝠《こうもり》の行動の方が先か。それを考える者はこの場にはいなかった。 |全 思風《チュアン スーファン》が後ろへと飛ぶ。 瞬間、|蝙蝠《こうもり》は口を開けた。大きく息を吸い、勢いをつけて吐き出す。放出したそれは|突風《とっぷう》となり、床に|燻《くすぶ》っていた淡い|蛍火《ほたるび》を消していった。|蝙蝠《こうもり》|の躑躅《ツツジ》は満足げに、ふんすと鼻を高く上げる。 |全 思風《チュアン スーファン》は急いで|華 閻李《ホゥア イェンリー》の細い首に指をあて、脈を確かめる。規則正しいとは言えないが、それでも正常に戻りつつあるようだった。 |全 思風《チュアン スーファン》は胸を|撫《な》で下ろし、床を確認する。多少、陣の名残があるものの、ほとんど光を失っていた。彼は|華 閻李《ホゥア イェンリー》を抱えながら、足で|血命陣《けつめいじん》の一部を|擦《こす》る。 そうすることで陣は機能を|喪《うしな》い、発動できなくなると考えたからだ。その|思惑《おもわく》は
|全 思風《チュアン スーファン》は屋根を伝いながら白服の男たちを追った。 下を見れば、街の人々が困惑した様子で道を|塞《ふさ》いでいる。彼らは|殭屍《キョンシー》ではなく人間に戻っているようで、かなりの|動揺《どうよう》が走っていた。 それを屋根上から確認していると、見知った男の姿を発見する。男は|爛 春犂《ばく しゅんれい》で、|全 思風《チュアン スーファン》を見るなり屋根の上へと飛び乗った。「──|全 思風《チュアン スーファン》殿、そちらは終わったのか?」「ああ、終わったよ。|小猫《シャオマオ》は疲れてるみたいだから、安全な場所で休んでもらってる。それより……」 二人はざわつく人々を下に、逃げている白服の者たちを追いかける。ときには木々を利用し、あるときは|提灯《ちょうちん》をぶら下げる太い糸に掴まり、壁を蹴りながら屋根へと登った。 前を逃げる数人の白服へ、|全 思風《チュアン スーファン》は剣を|投球《とうきゅう》する。しかし彼ら白服の者たちには、それぞれの剣で弾かれてしまった。 「……へえ、なかなかにやるね。でもさ?」 ふっと、片口に笑みを浮かべる。右の人差し指をくいっとあげた。 |全 思風《チュアン スーファン》の剣は糸で|操《あやつ》っているかのように空中に浮く。彼は気にすることなく、指先で|空《くう》を斬った。剣は彼の言いつけを守るかのように、|不規則《ふきそく》な動きで白服たちを|翻弄《ほんろう》していく。 「|剣操術《けんそうじゅつ》か。|全 思風《チュアン スーファン》殿は、|仙術《せんじゅつ》にも|精通《せいつう》していたのか?」 |爛 春犂《ばく しゅんれい》は驚きつつ、自身も剣操術《けんそうじゅつ》を|繰《く》りだした。 二人の|剣操術《けんそうじゅつ》は次々と白服の者たちを切り裂いていく。
"約束して" |瓦礫《がれき》の山に埋もれた|腐敗臭《ふはいしゅう》が|漂《ただよ》うなか、優しい声が走る。燃え|盛《さか》る|家屋《かおく》、泣き叫ぶ人々。 それらを耳にしながらも声の主は語った。「──君を必ず迎えにいくよ。だから、私の事を覚えておいて」 悲鳴や|業火《ごうか》で|阿鼻叫喚《あびきょうかん》が飛び交うこの場においても、声の主は笑う。「君が世界のどこにいても、私が見つけるから」 声の主の髪は黒かった。それはそれは長く、顔を隠すほどに暗闇に満ちた髪である。けれど瞳は|焔《ほのお》を移し取ったような、|燦々《さんさん》とした|朱《あか》だった。 |凛《りん》とした姿勢の上には|漆黒《しっこく》の|漢服《かんふく》を着ている。スラリと伸びた身長で、|骨格《こっかく》や声からして男性であることが|伺《うかが》えた。 そんな男の前には、ボロボロになった子供がいる。声が届いているのかすらわからないほどに泣きじゃくり、顔を涙でぐしゃぐしゃにしていた。 けれど子供の周囲には、この場に不釣り合いな色とりどりの花が落ちている。|山茶花《さざんか》、|木蓮《もくれん》、|桔梗《ききょう》などの花だ。それらは子供が泣く度に宙へと舞い上がる。 瞬間、|山茶花《さざんか》は雪になった。|木蓮《もくれん》は炎、|桔梗《ききょう》は小石へと姿を変える。 男はこの光景を見ても美しく笑むだけだった。「……今はまだ、◼️◼️を迎え入れるだけの力がない。私個人にはあっても、全てにはないんだ」 男は舞う花を一つだけ掴み、腰を曲げて片膝をつく。 泣きじゃくる子供の頬に触れ、そっと口づけをした。子供の唇はかさついているが、声の主は嬉しそうに微笑する。子供のもちもちとした|柔肌《やわはだ》を少しだけ|堪能《たんのう》し、やがて立ち上がった。「──ああ、もう行かないと」 泣いている子供へ再度腕を伸ばしかけたが、素早く引っこめる。|踵《きびす》を返し、泣く子供へと背中を向けた。 あちこちから聞こえる悲鳴や、鼻をつくような嫌な臭い。それらをもろともせず、声の主は歩き出した。 ふと、何かを思い出したかのように立ち止まる。そして自身の髪を二本抜いた。髪に、ふーと息を吹きかける。すると不思議なことに一本は|蝙蝠《こうもり》、もう一本は小さな|勾玉《まがたま》へと変わっ
「──|黄 茗泽《コウ ミャンゼァ》、あんたには|黄《き》族の長を|退《しりぞ》いてもらう。それが内戦を引き起こした者の……」 |黄 沐阳《コウ ムーヤン》はいつになく、ハッキリとした口調で宣言した。 |爸爸《パパ》と呼び、|黄 茗泽《コウ ミャンゼァ》を親として|尊敬《そんけい》していた。けれどそんな、大好きだった者はもういない。いるのは|私利私欲《しりしよく》のために仙人を戦争へと介入させ、人間たちを|混乱《こんらん》と|恐怖《きょうふ》に|陥《おとしい》れた男だ。 彼は、それをよしとはしない。 元々、|仙道《せんどう》が人間の争いに参加しないということを|律儀《りちぎ》に守っていた。 大切な|母親《オモニ》に手をかけられても、自身の|偽物《にせもの》が現れて|窮地《きゅうち》に立たされたとしても、内戦への参加など許さない。 普段は|無鉄砲《むてっぽう》でわがままな彼だが、|筋《すじ》を通すところは通す。そんな性格も持ち合わせていた。「家族に手をかけた者を|裁《さば》く。それが今、俺にできる、唯一の事だ!」 視線を決して|逸《そ》らすことはない。『……ははは。本気で言ってるのか? お前、|爸爸《パパ》を当主の座から降ろして、その後どうするつもりだ? ああ、そう。お前自身が、新しい当主になるってわけか?』 |自意識過剰《じいしきかじょう》なやつの考えそうなことだ。お腹を抱えながら笑った。そして|黄 沐阳《コウ ムーヤン》を見、プッと吹き出す。『本当に新当主になれるとでも? お前、自分が嫌われてるって知らないのか? 皆、お前のわがままさに嫌気がさ……』「知ってるさ」 |飾《かざ》らぬ自然な声がこぼれ
|全 思風《チュアン スーファン》の手の中にあったはずの|彼岸花《ひがんばな》が、光の|粒子《りゅうし》となって|消滅《しょうめつ》していった。 彼は|悔《くや》しさを|壁《かべ》にぶつけ、何度もたたく。そのとき、壁がガコンッという鈍い音をたてて前へと倒れてしまった。「うわっ! ……っ!? これは……隠し通路か!?」 奥へ続く道が現れたが、明かりひとつもない場所となっている。しかし彼は元々|夜目《よめ》が利く。明かりなど必要ないと|云《い》わんばかりに、暗黒しかない空間へと足を|踏《ふ》み入れていった── □ □ □ ■ ■ ■ 部屋の|隅《すみ》に、大きな台座がひとつある。台座のいたるところには札が貼ってあり、常に光っていた。 部屋の中を見渡せば、食器棚や勉強机も置かれいる。 そして何体もの|殭屍《キョンシー》が、部屋を囲うように|等間隔《とうかんかく》に立っていた。この者たちには一枚ずつ、札が|額《ひたい》に貼られている。それが、やつらの動きを封じているようであった。 |殭屍《キョンシー》らに囲まれるようにして部屋の中央では、男がふたり。互いに剣をぶつけ合っていた。 ひとりは扉側に、もうひとりは台座を背にしている。『……安心しろよ。|黄《こう》家の|跡取《あとと》りは、俺がしっかりとやってやるからさ』 上は|黄《き》、下にいくにつれて白くなる|漢服《かんふく》を着るのは|黄 沐阳《コウ ムーヤン》と、もうひとり。彼とまったく同じ顔をした男が語りを入れてきた。 難しい顔など一度もせす。人を|小馬鹿《こばか》にするような笑みを浮かべ続けていた。勝ち|誇《ほこ》ったようにケタケタと笑い、|黄 沐阳《コウ ムーヤン》を力任せに剣ごと|薙《な》ぎ払う。 そんな男の後ろ
|全 思風《チュアン スーファン》の心は不安で押し|潰《つぶ》されていった。大切な存在である子供が危険に|曝《さら》されているからだ。 そう思うだけで、死んでしまいたい。精神がバラバラになりそうだと、|唇《くちびる》を強く|噛《か》みしめる。「──|小猫《シャオマオ》、無事でいて!」 屋根の上を飛び続け、目的地の屋敷へと到着した。危険を|省《かえり》みず、扉を|豪快《ごうかい》に壊す。 中に入ればそこは玄関口だった。 一階は入り口近くに左右の扉、奧にもふたつある。部屋の中央には|朱《あか》の|絨毯《じゅうたん》を|敷《し》いた階段があり、天井には異国からの輸入品だろうか。大きな|枝形吊灯《シャンデリア》がぶらさがっていた。「……最初に|侵入《しんにゅう》したときは地下からだったからわからなかったけど、もしかしてここは、元|妓楼《ぎろう》なのか?」 心を落ち着かせようと、両目を閉じる。 ──ああ、聞こえる。|視《み》える。ここで何が起きたのか…… |全 思風《チュアン スーファン》が目を開けた瞬間、彼の瞳は|朱《あか》く染まっていた。そして映し出されるのは、今ではなく過去の映像である。 建物の|構造《こうぞう》、中の物の配置などは同じだ。違いを見つけるとすれば、人の姿があるかないかである。 そして過去の映像には、きらびやかで美しい衣装を|纏《まと》う女たちが行き交いする姿が視えていた。 数えきれぬほどの美女、そんな彼女たちと金と引き|換《か》えに遊ぶ男たち。仲良く腕組みしている男女もいれば、女性に言いよっては出禁を食らう者。年配の|妓女《ぎじょ》の言いつけで|掃除《そうじ》をする若い女など。 当時、この|妓楼《ぎろう》で暮らしていた女性たちの姿が、ありありと映っていた。
|黒 虎明《ヘイ ハゥミン》は重たい口を開いていく。 |友中関《ゆうちゅうかん》は|黒《くろ》と|黄《き》、互いの領土の中間にある。そこで働く兵たちはふたつの勢力から選ばれた者たちだった。どちらか一方が多くならぬよう、均等に両族から|派遣《はけん》させる。それが、この國が始まりし頃からの決まりごとであった。 しかし、互いの勢力がそれで手を取り合うというわけではない。度々いざこざが起き、そのたびに|黒 虎明《ヘイ ハゥミン》や|爛 春犂《ばく しゅんれい》などが出向いて|仲裁《ちゅうさい》していた。「……うん? 何であんたや、あの|爛 春犂《ばく しゅんれい》なんだ? |黄 茗泽《コウ ミャンゼァ》とか、親玉が出向く方が早くない?」 腰かけられそうなところへ適当に座り、|全 思風《チュアン スーファン》は三つ編みを後ろへとはたく。穴が開くほどに|眼前《がんぜん》にいる男を|注視《ちゅうし》した。 |黒 虎明《ヘイ ハゥミン》は|瓦礫《がれき》の上に座りながら、空を見上げる。いつの間にか灰を被った色になった雲と、遠くから聞こえてくる雷の音。それらにため息をつき、首を左右にふった。「いや、あの場所は互いの族で二番目に|偉《えら》い者が|視察《しさつ》しに行くという決まりになっていた。兄上はおろか、|黄《き》族の|長《おさ》である|黄 茗泽《コウ ミャンゼァ》ですら|関与《かんよ》してはならないとされているんだ」 |皮肉《ひにく》にも、昔作られた決まりごとが今回の事件を引き起こす切っかけにもなってしまう。そして|黒 虎明《ヘイ ハゥミン》という男を暴走させる原因にもなってしまった。 男は両手を|太股《ふともも》の上に置き、これでもかというほどに彼を睨む。「……私を睨んだって、しょうがないじゃないか」 今にも殺しにかかる。そんな
|全 思風《チュアン スーファン》は剣を|鞘《さや》に収め、ふっと美しく|笑《え》む。 |眼前《がんぜん》にいるのは先ほどまで場を独占していた男、|黒 虎明《ヘイ ハゥミン》だ。彼は苦虫を噛み潰したような表情をし、これでもかというほどに怒りを|顕《あらわ》にしている。「……な、んだ。何だこれはーー!?」 その場を支配していた直後、|焔《ほのお》が消化されていったからだ。 何の|前触《まえぶ》れもなく現れた|全 思風《チュアン スーファン》だけでも手に|負《お》えないというのに、上空から降る|蓮《はす》の花。その花から雨のように水滴が降り|注《そそ》いでいるからである。 花は|仄《ほの》かに甘い香りをさせながら|焔《ほのお》を消し去っていった。しばらくすると辺り一面に|焦《こ》げた匂いだけが充満し、|蓮《はす》の花は泡となって天へと昇っていく。「くそっ! どうなっている!? 貴様、何をしたーー!?」 まるで、腹から声をだしているかのような|怒号《どごう》だ。 大剣を強く握り、勢いをつけて地を|蹴《け》る。風のように|疾走《しっそう》し、剣で空を斬った。「|朱雀《すざく》の|焔《ほのお》を消せる者など、この世にありはしないはず!」 |全 思風《チュアン スーファン》を斬りつけようと、|空《くう》に|豪快《ごうかい》な一|閃《せん》を放つ。重みのある大剣が|瓦礫《がれき》を|削《けず》り、|蹴散《けち》らしていった。 しかし、それでも、|全 思風《チュアン スーファン》は何の|痛手《いたで》も負っていない。眠そうにあくびをしながら、右手で持つ剣で応戦した。 互いの剣がぶつかり合い、金属音が響く。「……ふわぁ。ねえ、まだ続けるのかい?」&nbs
町のあちこちは火の海になっていた。|避難《ひなん》民がいる河|沿《ぞ》いも、町の入り口や広場すら、|焔《ほのお》に|埋《う》もれてしまっている。 必死に火を消す兵たち、逃げ遅れて|瓦礫《がれき》の|下敷《したじ》きになっている市民など。町のいたるところでは|紅《くれない》色の|焔《ほのお》とともに、|阿鼻叫喚《あびきょうかん》が飛び交っていた。 そんな事態を引き起こしたのは、黒い|漢服《かんふく》を着た男である。 彼は|黒 虎明《ヘイ ハゥミン》、|獅夕趙《シシーチャオ》というふたつ名を持つ男だ。 右手に大剣を、左手には|鳥籠《とりかご》を持っている。「俺は|黒 虎明《ヘイ ハゥミン》。|黒《こく》族の|長《おさ》である|黒 虎静《ヘイ ハゥセィ》の弟だ。このたび|黄《き》族の連中が条約を破り、我が|黒族《こくぞく》の|領民《りょうみん》を、|友中関《ゆうちゅうかん》にて|虐殺《ぎゃくさつ》した!」 大柄な体格どおり、とても声が大きい。 |焔《ほのお》が火の|粉《こ》を飛ばす音すら、かき消えるほどだ。 怒りを|携《たずさ》えた瞳で、町の入り口を陣取っている。後ろに控えている兵たちを見ることなく、ただ、言いたいことだけを叫んだ。「──|友中関《ゆうちゅうかん》には俺の心の友、|雪 潮健《シュ チャオジェアン》がいた。しかし彼は|黄《き》族の罠にかかり、命を落としたのだ!」 大剣の先端を地面に刺し、|豪快《ごうかい》な|仁王立《におうだ》ちをする。片手で持つ|鳥籠《とりかご》を顔の前まで上げ、瞳を細めた。「|卑怯《ひきょう》者の|黄《き》族が町を支配するなど、|笑止千万《しょうしせんばん》! 俺の友、|雪 潮健《シュ チャオジェアン》の|怨《うら》みを受け取るがいい!」 彼の|声音《こわね》が合図となり、後ろ
狭い廊下に|襲《おそ》い来る灰色の|渦《うず》を目の前に、三人はそれぞれのやり方で|蹴散《けち》らしていった。 |全 思風《チュアン スーファン》は指先から黒い砂のようなものを出し、それを器用に動かす。|迫《せま》る灰の|渦《うず》を弾き、床へと|叩《たた》きつけていた。 |黄 沐阳《コウ ムーヤン》はそんな彼の腰にある剣を抜く。腰を大きく曲げ、|全 思風《チュアン スーファン》の腕下から剣を突き刺し、切り刻んでいった。 |前衛《ぜんえい》で戦うふたりの後ろでは、|華 閻李《ホゥア イェンリー》が花を意のままに|操《あやつ》る。ふたりが|捌《さば》き|損《そこ》ねた灰の|渦《うず》。これが彼ら目がけて|突貫《とっかん》する。それをふたりに近づけさせまいと、花で|防御壁《ぼうぎょへき》を張った。 それぞれの持ち場を理解している彼らは、互いに|死角《しかく》を|補《おぎな》っている──「|小猫《シャオマオ》、あまり私から離れないでね?」 子供の細腰を抱き、楽しそうに話しかけた。戦闘中であることを忘れてしまいそうな笑顔を浮かべながら、余裕然と灰の|渦《うず》を|消滅《しょうめつ》させていく。 その強さたるや。すぐそばには、剣を使って灰の|渦《うず》を|薙《な》ぎ払っている|黄 沐阳《コウ ムーヤン》がいた。そんな彼の攻撃が赤子と思えてしまうほど、|全 思風《チュアン スーファン》の動きや強さは別格と|謂《い》える。「……うーん、単純でつまらないね」 切っても切っても|沸《わ》いてくる灰の|渦《うず》を見て、飽きたと呟いた。 瞬間、彼の周囲を|漆黒《しっこく》の|砂塵《さじん》が包む。かと思えば『|潰《つぶ》せ』と、低く口にした。 すると彼の命令に従うように、漆黒のそれは廊下全体を押し|潰《つぶ》していく。この場にいる彼らをのぞき、灰の|渦《うず》だけが|犠牲《ぎせい》となっていった。 しばらくすると灰の|渦《うず》は|塵《ちり》と化し、砂粒のようになって消えていく。「終わったよ|小猫《シャオマオ》、怪我はないかい?」 何ごともなかったかのように、腕の中にいる少年の頬を撫でる。子供は慣れた様子で|頷《うなず》き、お疲れ様と、彼を|労《ねぎら》った。 彼はふふっと優しい笑みとともに、子供の|額《ひたい》に|軽《かろ》やかな口づけを落とす。「
扉を開ければ、そこは真っ暗な部屋となっていた。 部屋に到着するなり、|全 思風《チュアン スーファン》は手に持つ|提灯《ちょうちん》を握り潰す。「──ここから先、|提灯《ちょうちん》の灯りは使えない。|提灯《ちょうちん》だけが見えてしまっている状態だからね。使うとしたら術で作った灯り……おや?」 ふと、視界に|橙《だいだい》色の花が飛んできた。それは何かと周囲を見渡せば、銀の髪を揺らす|華 閻李《ホゥア イェンリー》がいる。|橙《だいだい》色の、|提灯《ちょうちん》のような……少し丸みのある、三角形をした花が浮いていた。「|小猫《シャオマオ》、それは?」 どうやら子供が花の術を使い、灯りとなるものを出現させたようだ。ふわふわ浮くそれは、三人の前でくるくると回る。「|鬼灯《グーニャオ》だよ」「……え? でもそれ、|橙《だいだい》色だよね? 私の知ってる|鬼灯《グーニャオ》は、白い薄皮の中に黄色い身が入ってるやつだけど……」 |金灯《ジンドン》、|金姑娘《ジングゥニャン》、|姑娘儿《グゥニャングル》など。地域によって呼び名は様々だが、共通して言えることは、この|鬼灯《グーニャオ》は果物であるということだった。 それを伝えてみると子供は、ふふっと微笑む。「うん、それは食用の|鬼灯《グーニャオ》だね。どっちも元は、|橙《だいだい》色の|鬼灯《グーニャオ》だよ。それを花として見るか、食べ物にするかの違いかな?」 優しい光を放つ|鬼灯《グーニャオ》は、彼らの周囲を回転しながら浮いていた。「……それで|思《スー》、光はこれでいいとして、これから
合流した|全 思風《チュアン スーファン》が呼び出した少女は、水の妖怪であった。名を|水落鬼《すいらくき》といい、溺れた者たちの念が姿をとったとされる妖怪である。 そんな少女の姿をした妖怪はにっこりと微笑み、三人の前で両手を大きく広げた。瞬間、|全 思風《チュアン スーファン》たちの体に水が降り注ぐ。けれど冷たくはない。むしろ、お湯のように温かかった。 やがて|水落鬼《すいらくき》は水|溜《た》まりへと変わる。同時に、三人の体を薄い|膜《まく》が包んでいた。「|水落鬼《すいらくき》の水は、人間の視界から見えなくする力があるんだ。最低一日はもつから、その間にやれる事をしてしまおうか」 淡々と語り、|華 閻李《ホゥア イェンリー》の小さな手を握る。鼻歌を|披露《ひろう》しながら余裕のある顔で広場を横切った。 その|際《さい》、|華 閻李《ホゥア イェンリー》と|黄 沐阳《コウ ムーヤン》のふたりは、見つかるのではとおっかなびっくり。けれど|水落鬼《すいらくき》の水の|膜《まく》が作用し、兵たちの前を通っても武器すら向けられることはなかった。 そのことにふたりはホッとする。「|思《スー》、地下通路に行くのはわかったけど、どうして|廃屋《はいおく》の裏手なの?」 他にはないのと、純粋な眼差しで|尋《たず》ねた。「聞いた話だと、この町はあちこちに地下通路があるらしい。だけど中から鍵がかかってるらしくてね。唯一外から入れるのは、|廃屋《はいおく》の裏手にあるやつだけなんだってさ」 広場にある細道を抜け、何度か曲がる。数分後には、|廃屋《はいおく》のある地区に到着していた。 |廃屋《はいおく》の裏手へと向かえば、河がある。河の近くには|崖《がけ》があり、そこにひとつの穴があった。一見すると洞窟のようなそこには、地下へと続く階段が見える。 |全 思風《チュアン ス