All Chapters of 慌てて元旦那を高嶺の花に譲った後彼が狂った: Chapter 21 - Chapter 30

どういう意味？まさか、私がまだ離婚もしていないのに浮気をしているとでも？――彼なら、そう思ってもおかしくないか。わざわざ否定するのも面倒で、私は淡々と言った。「親友よ」「どんな親友だ？」「江川宏」私はふっと微笑み、柔らかな声で続けた。「死んだ人はしつこく聞いたりはしないわよ」彼が「死んだ元夫」を演じるつもりなら、徹底的に演じてもらわないと。宏は呆れたように笑い、舌で頬の内側を押しながら、皮肉げに「そうか」と吐き捨てた。――墓地に到着すると、私は車を降り、そのまま山へ続く石段を登っていった。振り返ると、彼はまだ動かずにいた。仕方なく待っていると、彼が手に提げたものが目に入った。――白と黄色の菊の花束だった。いつの間に用意したのだろう。不意を突かれた私は、思わず唇を噛み、「ありがとう」と呟いた。「礼を言ったことじゃない。本来、俺がやるべきことだ」宏はそう淡々と答え、大股で階段を登ってくると、私と並んで墓石へと向かった。それでいい。たとえ表面だけの穏やかな光景でも、両親が見ているなら、少しは安心してくれるかもしれない。墓地は常に管理が行き届いており、墓石にはうっすらとした埃が積もっている程度だった。思えば、両親が亡くなってから随分と時が経った。今では、日常の中でふと彼らを思い出したことも少なくなった。幼い頃のように、布団の中で声を殺して泣き続けたことも、もうない。……それなのに。墓石に刻まれた両親の名前を見た途端、堰を切ったように涙がこぼれ落ちた。宏は、いつも冷静で気高い人だった。けれど、そんな彼が黙って私と並び、膝をついた。「お義父さん、お義母さん」彼は静かに語りかけ、深々と頭を下げた。「すみません。今日まで南と一緒に来られなくて」額を石畳につけ、宏は三度、しっかりと頭を下げた。最後の一回、彼はこう言った。「……昔は、俺が至らなかったんです。これからは、ちゃんと……」その後の言葉は、意図的にかすれさせたのか、私には聞こえなかった。――まあ、どうでもいい。だって、「これから」なんて、もう私たちにはないのだから。「……お父さん、お母さん」私は墓石に刻まれた名前に手を伸ばした。涙が止まらない。胸の内に溢れ出した言葉は、最後にはただの一言にまとまった。

時雄はその言葉の含みを理解しなかったのか、それとも気にするつもりがないのか、ただ穏やかに微笑んだ。「大したことじゃないよ。手を洗っておいで、そろそろ食事にしよう」彼の料理の腕前は確かだった。食卓には色とりどりの料理が並び、食欲をそそる香りが部屋いっぱいに広がっている。伊賀も来依も、その味に感嘆しきりだった。「先輩、盛り付けまで完璧じゃないですか！」思わず私も感嘆の声を上げた。「さあ、召し上がれ。口に合うといいんだけど」時雄は最後の二皿をキッチンから運んでくると、そのうちの一つを私の前に置いた。「これ、君が好きそうだと思ってね」それは香ばしくピリ辛なエビ料理だった。――少し、驚いた。これまで、来依以外の人はみんな、私の味の好みは宏と同じ「薄味」だと思われていた。けれど、私が何か言った前に、宏の冷ややかな声が飛んだ。「南は辛いものは食べられない。いくら大学時代に親しかったとはいえ、彼女の好みを完全には把握していないようだな……」「江川社長」来依が軽く笑いながらも、鋭い口調で割って入った。「結婚して何年にもなるのに、一体誰のことを考えていたんですか？南ちゃんが一番好きなのは辛い料理ですよ。辛くなければ食事じゃないって言ったくらい！」心が、ちくりと痛んだ。――本当に。彼は、いったい誰のことを考えていたのだろう。私は、ずっと彼に合わせてきたのに。彼が一度でも、私の好きなものを気にしたことがあっただろうか？宏は、少し眉を寄せ、どこか困惑したように私を見つめた。「……君、辛いものが好きだったのか？」「ええ」私は答えながら、目の前のエビをひとつ剥き、口に運んだ。彼のまっすぐな視線を受け止め、はっきりと言い放った。「宏、私は薄味の食事が好きじゃないの。物足りなすぎて、食べた気がしないわ」――その瞬間、宏の顔の色が一変した。彼の周りだけ、温度が数度下がったような感覚に陥る。私は、今ここでこんなことを言ったべきではなかったのかもしれない。宏は気性が穏やかな人間ではない。せっかくの食事を、気まずい雰囲気にさせるだけだと分かっていた。……けれど。私はもう三年も、ずっと我慢してきた。今は言ったべき時じゃないと、そうやって、ずっと。じゃあ、一体いつになったら言えるの

だが、次の瞬間、ふっと笑えてきた。――新婚初夜に置き去りにされたのは、私。――毎年、誕生日を忘れられてきたのも、私。――心から欲しかった贈り物を、他の誰かに渡されたのも、私。――妊婦健診の日、夫が他の女に付き添っていたのも、私……それなのに、今さら？もう離婚間近だというのに、私の友人が新居祝いを開いてくれただけで、受け入れられないとでも？皮肉に口角を引き上げ、宏を見下ろした。「帰らないなら、アナを呼ぶわよ」彼が最も手を焼く人物、それがアナだった。彼女が来て騒ぎ出せば、宏も手に負えなくなるはず。その瞬間、宏の腕が私の腰を強く引き寄せた。彼の額が私の胸元に押し当てられ、掠れた声が零れた。「南……俺は、こんなふうになるつもりじゃなかった。本当に」――そんなふうに言われたら、心が揺れてしまう。もうすぐ離婚なのに、こんな場面で優しくされたら――。けれど、まさにその時。ダイニングテーブルに置かれた彼のスマートフォンが鳴り響いた。画面に浮かび上がる名前は――「アナ」。冷水を頭から浴びせられたような気分だった。一瞬で、目が覚める。「電話、鳴ってるわよ」私は彼の腕を押しのけた。ちょうどそのタイミングで、時雄がキッチンから出てきた。「南、片付けもほとんど終わったし、伊賀を送っていくよ」「私も下まで送るわ」私はベランダで電話を取る宏の背中を一瞥し、こみ上げる苛立ちをぐっと飲み込んだ。それから、来依を寝室へ運び、意識のない伊賀を時雄と二人で支えながらエレベーターへと向かった。しかし、時雄は私にほとんど負担をかけさせなかった。彼の穏やかな目元がふと私を覗き込んだ。「南、大丈夫か？」「……え？」唐突な問いかけに、一瞬戸惑った。でも、すぐに彼が私の表情の変化を読み取っていたのだと気づく。「大丈夫ですよ」そう言って、私は首を振った。エレベーターの中で、ふと彼がワインを飲んでいたことを思い出した。「先輩、代行は呼びました？」「もちろん」彼は軽く笑い、しばらく沈黙した後、エレベーターのドアが開いた直前に、ぽつりと訊ねた。「……君と宏、本当に離婚するのか？」私は伏し目がちに、ゆっくりと頷いた。「うん。もう決まったことですよ」「よく考えた上での決断なら

この言葉をもし少し前に聞いていたら、私はもっと動揺していたかもしれない。けれど今は、宏が私に少しの感情も持っていなかったという事実すら受け入れてしまった。だからこそ、彼女の言葉に興味を持つこともなく、ただ淡々と見つめただけだった。「そんなに勝ち誇っているなら、わざわざ毎日私のところへ来て騒ぐ必要なんてないでしょう？」――神経質な人ね。朝っぱらから私のオフィスに乗り込んできて、まるで正妻が愛人を問い詰めるみたいに。私の無反応が気に入らなかったのか、アナの表情に焦りが滲んだ。それでも待ちきれなかったのか、勝ち誇ったように言い放った。「宏くんがあなたと結婚したのは、私のためよ」彼女はデスクに両手をつき、身を乗り出して私を見下ろした。「南、もし私がいなかったら、あなたなんか絶対に彼と結婚できなかったし、江川家の門がどこにあるかすら知らなかった！」指先が、ぐっと強張った。心臓が、嫌な感覚で締め付けられる。アナは、紅い唇を満足そうに歪めた。「おじいさまが私を理由に脅したのよ。もし宏くんがあなたと結婚しなければ、私を国外追放するって――」知っていた。彼が私を愛していないことなんて、とっくに分かっていた。けれど、ここまで無情な事実を突きつけられると、それでも心は痛むものなのだ。結婚すら、彼にとっては仕方なく選んだ道に過ぎなかったなんて。それでも、私はすぐに冷静さを取り戻し、皮肉げに彼女を見つめた。「……つまり、私が宏と結婚したおかげで、あなたは国外追放されずに済んだのね？だったら、むしろ感謝されるべきじゃない？もし私がいなかったら、今頃あなたはこの国にすらいられなかったでしょう？」彼女の表情が一瞬で凍りついた。そして、唇を噛みしめたまま、怒りに震えながら言い返してきた。「詭弁を……っ！」「その態度、どうかと思うわ」私は不満げに眉を寄せ、髪を耳にかけながら言った。「感謝しろとは言わないけど、せめて私にこんな喧嘩腰になるのはやめたら？恩を仇で返すなんて、ちょっと人としてどうかと思うわよ」「清水南！」アナは悔しそうに私を睨みつけるが、それ以上の言葉が出てこない。しばらくして、彼女の視線が私の耳元に釘付けになった。目を見開き、息を荒くしながら、拳を強く握りしめた。「……あれ、あなたが

来依の驚いた声に、私もつられてドキリとした。思わず耳たぶを触ると、すでに血は乾いていて、かさぶたがぽろりと指先に落ちた。それと同時に、じんとした痛みが広がる。――血が出たほど引っ張られていたなんて。自分では気づかなかった。来依は私の手をぴしゃりと叩いた。「そんな雑に触るから、余計に痛くなるんでしょ！」そう言いながら、バッグからヨウ素綿棒を取り出し、私の髪をまとめて慎重に消毒し始めた。「で、どうしたの？ 誰の仕業？」「江川アナ」私は簡単に、今日の出来事を説明した。すると――「はぁ！？ あの女、本当に何なの！何様のつもりよ！自分のものでもないくせに平気で手を出すなんて、生まれ変わりの強盗か何か？」来依は怒り心頭でまくしたてる。「……相変わらず、言葉のセンスが独特ね」彼女の勢いに、思わず吹き出しそうになった。「こういう友達を持つと、自然と悪態のスキルが上がるのよ！」来依は私を睨みつけながら、丁寧に消毒を続けた。ヨウ素液の冷たさが、ほんの少し沁みた。痛みはそんなになかった。「江川も、本当にタチが悪いわね」来依は眉をひそめた。「昨日はルビーのイヤリングをプレゼントして、今日は江川アナをお姫様抱っこ？」鋭い視線で私を見つめ、警告するように言った。「南ちゃん、そろそろ彼を完全に過去にして。もう二度と同じ轍を踏まないで」「……分かってる」「口ではそう言っても、心の中では迷ってるんじゃないでしょうね？」図星を突かれ、私は軽く咳払いをしてごまかした。「もういいから、帰りましょ。車を取りに行くんでしょ？」そう言いながら、パソコンを閉じ、バッグを手に取った。「取った後、何食べたい？ おごるわよ」前任の部長は仕事の進め方がスピーディーで、勤務時間中はとことん厳しかったが、残業はほとんどさせなかった。その良い習慣は今も引き継がれているため、オフィスフロアにはすでにほとんど人が残っていなかった。来依はハイヒールを鳴らしながら軽やかに私の肩を抱き、「決めるのはあなたよ。妊婦の味覚は絶対尊重するわ」と気楽に言った。「じゃあ、大学時代によく行ってた魚のお鍋にしようかな」「……食べられるの？」「もちろん！」私は即答した。お昼からずっと食べたかったけど、断られそうで…