All Chapters of 慌てて元旦那を高嶺の花に譲った後彼が狂った: Chapter 361 - Chapter 370

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第361話

「……すぐに降りる」その一言を聞いた瞬間、胸の奥がズシンと重くなった。私は迷うことなく返事をした。来依が私の顔色に気づき、不安げに声をかける。「……どうしたの?向こうで何かあった?」私は手早く荷物をまとめながら答えた。「……おばさんが危篤だって。すぐに鹿児島に戻らなきゃ」藤原星華のやり口を思えば、これが本当に病状の悪化によるものなのか、それとも私のせいで巻き込まれた結果なのか……疑いが拭えなかった。「危篤って……」来依の表情が一変し、すぐに言った。「江川が迎えに来るんでしょ?だったら、荷物は私に任せて。南はもう何も気にせず出て。午後にはここの仕事を片付けて、南の荷物も一緒に持って帰るから」焦りでいっぱいだった私は、素直に頷くしかなかった。「……ありがとう、来依。助かる」来依は充電済みのモバイルバッテリーとスマホを私の手に押し込み、そのまま私を玄関まで押し出した。「助かるなんて言わないでよ。私はマーケティング部の部長であり、南希の株主でもあるんだから。自分の仕事してるだけ」南希を立ち上げたとき、私は来依にも株を渡していた。彼女はただの社員じゃなく、私の同志でもある。「じゃあ、行ってくるね!」ホテルを出て階段を降りたところで、宏の車がちょうど車寄せにゆっくりと滑り込んできた。運転手が降りてドアを開ける。私は後部座席に乗り込んだ。宏はシートにもたれて目を閉じたまま、微動だにしない。私も黙って窓の外に視線を向けた。車内は、息が詰まるような静けさに包まれていた。私の思考がどこかへ彷徨いはじめた頃、宏がぽつりと口を開いた。「……大阪のこと、もう関わるな」「……あなたに関係ないわ」顔も向けず、私は冷たく言い放った。宏の声音に苛立ちがにじむ。「親子鑑定書ひとつで、服部鷹と一緒になって、服部家に嫁げると思ってるのか?」「……なんでそのこと、知ってるの?」私は一気に視線を向け、宏の黒い瞳を睨みつけた。今朝の出来事で、知っているのはほんの一握りの人間だけのはず。鷹が漏らすとは思えないし、藤原家も絶対に隠しておきたいはずだった。宏は目を逸らさず、薄く唇を動かす。「……それに、君とあいつが上手くいくことはないって、俺は分かってる」私は手のひらに力を込めて
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第362話

私は一瞬、言葉の意味を飲み込めずに固まった。「……何?」宏は首を横に振り、低く抑えた声で言った。「……なんでもない」けれど、その瞳に宿っていたのは、拭いようのない執着だった。聖心病院に着いたとき、ちょうど医療スタッフが救急室から出てきたところだった。院長が私たちの前まで来て、重たく首を振る。「江川社長、奥さま……最善は尽くしました。しかし病状の進行があまりに急激で、どうすることもできませんでした」「病状の悪化……それだけですか?」私が確認するように訊ねると、院長は静かに頷いた。「ええ、それだけです」胸の奥がズドンと沈み、視界が滲んだ。「……ほかに、何か方法は?お金がかかってもかまいません、なんでもいいんです……」――たとえ私が藤原家の人間で、血の繋がりがなかったとしても。私にとって、おばさんこそが最も寄り添ってくれた存在だった。院長は重たくため息をついた。「その件は、すでに江川社長からも伺っております。できる限りの治療はすでに試みました。この期間の医療費もすべて社長のご負担で処理されています」「……そうでしたか。ありがとうございます」そう言いながら、私は思わず宏の方を見てしまった。「……本当に、ありがとう」私はずっと、おばさんの口座にはまだ残高があると思っていた。病院側からも支払いについて何も言われなかった。まさか、宏が代わりに払ってくれていたなんて――。「……まずは、顔を見てあげなさい」宏が穏やかな声で促す。「うん」ちょうどそのとき、看護師がストレッチャーでおばさんを病室に運んできた。しばらくして、おばさんは目をゆっくり開けた。私の顔を見た途端、青ざめた顔にふわりと笑みが浮かぶ。「……南、来てくれたのね」胸が締めつけられた。最近、私は自分のことで手一杯で、おばさんのことを気にかける余裕がなかった。「……おばさん、こんなに具合が悪かったのに……どうして電話では元気だなんて嘘ついたの?」「お正月に、あんたに心配かけたくなかっただけよ」おばさんは私の手を軽く叩きながら、ふっと笑った。「それにね、もう十分生きたのよ。生きても死んでも、私はもう受け入れられるから」涙がボロボロこぼれてきて、私は顔をそらして慌てて拭った。「……秋紀は?なん
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第363話

おばさんの表情が一瞬こわばった。「……誰に聞いたの?」「おばさん、もう隠さなくていいの」私は唇をきゅっと引き結びながら答えた。「今回ばかりは、確信があって来たの。私はもう、自分が大阪の藤原家の人間だって分かってる」「藤原……?藤原家?実の父親が、その苗字なの?」おばさんの声はかすれていたけれど、明らかに緊張が走っていた。体は弱っているはずなのに、次から次へと質問が飛んでくる。「向こうから連絡が来たの?それともどういう経緯で?向こうに、何かひどいことされたんじゃ……」その反応で、私は確信した。おばさんは、当時のことを――少なくとも一部は、知っていた。「……私が清水家に来たのは、どういう経緯だったの?」私がそう訊ねると、おばさんは少し目を伏せ、ふぅ、と細く息を吐いてから、静かに語り出した。「……あの時、あんたの両親は、娘さんを亡くしたばかりだったの。しかも、お母さんはもう二度と子どもを産めないって、医者から言われててね……そんなとき、大阪に仕事で行って、偶然、あんたを見つけて、連れて帰ってきたの」「……でも藤原家は、私が誘拐されたって言ってた。私は本当に……誘拐されたの?」「それは、確かにそうだったわ」おばさんの表情は真剣だった。「あのとき、あなたの両親は大阪で接待中だったの。お父さんが途中で車にお酒を取りに行ったとき、ドアを開けた瞬間に、あんたが飛び込んできた。『助けて』って……体中が傷だらけで。お父さんは、見捨てることなんてできなかった。でもすぐに、あんたを探してる連中が近くまで来てて……彼はあんたを車の後部座席に隠して、毛布で覆って、何事もなかったふりをして接待に戻ったの……あんたも賢かった。じっと身を潜めてて、誰にも気づかれなかった。そのあと、探してた人たちがレストランにも入ってきたのよ。あなたの両親はその会話を聞いたって。藤原夫人という名前が出た、と……」「藤原夫人……」胸がきゅっと縮んだ。誘拐も、失踪も……母親であるはずの藤原夫人の仕業だったというの?「ええ、でもね……あの頃は私たち、藤原家ってのは、あんたの本当の両親の仇なんじゃないかって、そう思い込んでたの」おばさんは頷いた。「その連中もかなり用心深くてね、詳しいことは何も言わずに、すぐに他の場所を探しに行
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第364話

「分かってる……これはおばさんのせいじゃないよ」私はコップに温かい水を注ぎ、ストローを差しておばさんの口元にそっと近づけた。「ほら、少しでいいから、飲んで」夕暮れ時、おばさんが眠りについてから、私は宏と一緒に病院を出た。ひとまず家に戻ってシャワーを浴びてから、夜通し付き添うつもりだった。医者からは、「いつ容態が急変してもおかしくない」と言われていた。途中、私は病院の会計で医療費を確認した。そこには、宏の口座から何千万円もの支払いが記録されていた。すべて、おばさんの治療のためだった。海外で新しく承認された薬剤の投与や、最新の治療法を試すため。過去に行われた二度の手術も、外国から招いた一流の執刀医によるものだった。金額だけでなく、相応の人脈も必要だったはずだ。もしそれがなかったら、おばさんはとっくに年を越せていなかったかもしれない。でも、彼は一度もそのことを私に話したことはなかった。私は後部座席でふと彼の横顔を見つめた。「……おばさんのこと、本当にありがとう。医療費……今、振り込むね」家を売ったお金はすでに入金されていて、支払うには十分だった。彼は視線をまっすぐに私へ向けた。「俺たちの間柄で、そんなきっちり精算する必要なんかない」「でも、私はそうしたいの」私たちはもう、離婚したんだもの。彼のお金を、私が使う理由なんてない。宏は小さく息を吐いて、少しだけ目を伏せた。「俺と全部、線引きしたいってことなんだな?」「うん」私はネットバンキングを開こうとした、そのときだった。スマホが鳴った。表示された名前は――服部鷹。宏はそれを横目に見て、目にうっすらと怒気を浮かべた。「ほんの半日離れただけで、もう電話かよ?」「……宏、おばさんのことには本当に感謝してる。でも、それとこれとは別。私の私生活に口出さないで!」私ははっきりと言った。「何度も言わせないで。私たちは、もう離婚してるの」彼は無言でスマホを取り上げ、通話を切ったかと思うと、私をシートへ押しつけるようにして、冷たい声を落とした。「離婚を言い訳にするなら……俺だって、言いたいことがある――」だが、その瞬間、再びスマホが鳴った。今度は、病院からだった。彼はスマホを渡してきた。私は胸がざわつくのを感じながら
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第365話

いつも冷たく、気高かった男が、私のためにここまでしてくれるなんて。私なんかのために。だけど、私たちがこんな関係になるまでには、長い時間がかかった。そんな簡単に変われるものじゃない。それに、彼がどんな服を着ようと関係ない。たとえ鷹とそっくりな顔になったとしても、彼は江川宏。それは変わらない。「ただ、こういう服のほうが楽だって気づいただけだ」ドアの外。カジュアルな服装でも、彼の持つ気品は薄れることなく、穏やかな目つきで私を見ていたのに、その視線がリビングのスーツケースを捉えた瞬間、空気が冷え込んだ。「大阪に行くのか?」「うん」「服部に会いに?」「うん」私は、はっきりと答えた。一切の迷いもなかった。彼が何をどう解釈しようと、私にはどうでもよかった。もしそれで、彼の偏った執着が少しでも和らぐのなら、それはそれで、悪くないことだった。だが、宏の目には怒りが宿り、それでも彼は感情を抑えていた。「大阪は今ごたごたしてる。君が行っても無駄だ。少しだけ時間をくれ。藤原星華とあいつの母親の件、俺が片をつける」「それで?」「それが済んだら、戻ってこい。安心して俺の奥さんをやってくれ」私は一瞬、言葉を失った。「……宏、あなた、離婚って言葉の意味わかってる?」私にとっての離婚は、もう私たちが関わり合う理由なんてない、ということだった。誰にも、誰の生活にも干渉させない。彼はまっすぐ私を見ていた。「わかってる。君が怒ってるのは、前に俺が藤原星華の件をああいうふうに処理したからだ。君が怒りたくなるのも、距離を置きたくなるのも構わない。でもひとつだけ、俺を手放すなんて、それだけは絶対に認めない。約束する。これからは、どんなことでも君と話し合って決める」「……」私は思わず笑いそうになったけど、笑えなかった。彼の中では、私はまだ「怒っているだけの妻」なんだろう。少し優しくして、抱きしめれば、またおとなしく彼の元に戻ってくると思ってる。私が黙っていると、彼は唇を引き結び、低く落ち着いた声で続けた。「南、君は俺をずっと好きだった。気持ちなんて、そんな簡単に消えるもんじゃない。やり直そう、まだ間に合う」「……そうね」私は深く息を吸い込んだ。「確かに私はあなたがすごく好きだった。18歳
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第366話

ただ、なんとなく気になって聞いた。「先輩、何か言おうとしてた?」「いや、ないよ」「そっか」私は少し笑って時計を見た。「時間だし、そろそろ大阪に向かわなきゃ」「……南」彼は一瞬言い淀んでから、ぽつりと聞いた。「南と宏、まだ可能性あるの?」「先輩」私は苦笑してため息をついた。「今はそんなの考えてる余裕ないよ。もし宏のために説得しに来たなら、やめといて」「そうじゃない」彼は私の顔をじっと見て、それから少し迷ったあとで言った。「実は……話すべきか迷ってたことがある」「なに?」「藤原家の偽の娘のこと……服部花から聞いた」山田先輩は慎重に言葉を選びながら続けた。「南は考えたことある?なんであの子が君の代わりになれたのか、誰が裏で操ってたのか」「藤原星華たちでしょ」たぶん他にも何かあるかもしれないけど、今のところ心当たりはない。あの件はどう見ても私を狙ったものだった。普通の人が藤原家のことに手出しするとは思えない。でも、権力ある人たち……あの子たち以外で、私が敵に回した人なんて思いつかない。そう思った瞬間、私は山田先輩を見つめた。「……何か知ってるの?」彼は私から視線を逸らした。「いや、ただの推測だよ」その言い方が逆に怪しくて、私は詰め寄った。「どんな推測?」山田先輩は少し困ったように沈黙して、それから言った。「……南が冷静に対処すると約束してくれるなら話す。でも、本当に俺の思い違いかもしれないから」「冷静にする。たぶん」「これ、見て」彼は二枚の写真を私に渡してきた。「数日前、偶然見かけたんだ。彼らが『服部鷹と結婚させる』って話してて……最初は宏がなんであの子と知り合いなのか分からなかった。でも、服部花が、あの子は南の代わりに入ったって教えてくれて」私は写真を受け取って、すぐに山田先輩の意図を理解した。そこに写ってたのは、カフェで並んで座っている宏と、あの偽の藤原奈子。私は写真を強く握りしめた。「……ありがとう、先輩」「でもさ、南、これが全部じゃないかもしれないよ」山田先輩は私が衝動的にならないように気を遣いながら言った。「もし宏がやったとしても、きっと君を失いたくなかったからだと思うんだ。だから、あまり怒らないで」「もう宏のこと、かばわ
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第367話

私は一瞬、呆気に取られた。まるで平手打ちを食らったみたいだった。信じるんじゃなかった。そもそも、わざわざ来るべきじゃなかったんだ。踵を返して帰ろうとしたそのとき、加藤が私の手に持っていた写真に気づいて、宏の肩を持つように口を開いた。「奥様、誤解しないでください。社長が彼女に会いに行ったのは、忠告するためでして──」「もういい!それが宏の仕業かどうか、あんたが一番分かってるでしょ!」怒りが込み上げて、私は早足でその場を後にした。地下駐車場にたどり着き、勢いよく車のドアを閉めようとした瞬間──ガシッ。大きな手がドアを掴んで、私の動きを遮った。宏だった。さっきのカジュアルな服装を脱ぎ、高級スーツに着替えている。やっぱり、こういう装いの方がこの人には似合う。彼は冷ややかな表情で、助手席に放ったままの写真に目を落としながら言った。「他人の一言で、俺を疑うようになったのか?」「自分でそんなことしておいて、私が疑ったのが悪いって言うの?」あのオフィスでの言葉、私は確かに自分の耳で聞いた。宏は鼻で笑いながら言った。「俺が何したって?いくら俺がクズでも、お前の身元を偽造するようなことはしねぇ」「そうであってほしいわね!」私はドアをもう一度強く引いたが、彼の腕力に敵うはずもなく、ドアは微動だにしない。「手を離して」「……それでも、信じられない?」「信じないって言ってるでしょ!」その言葉を冷たく投げつけると、宏は見下ろすように私を睨みながら、皮肉っぽく笑った。「じゃあ誰を信じるんだ?山田時雄か?写真、あいつからもらったんだろ?」「関係ない」「南、君のことは全部、俺に関係ある」「もう離婚したんだよ!」「あぁ、そうだな」宏は私を見つめたまま、ふっと目を伏せた。そして、ゆっくりと話し出す。「あの日、病院から電話が来て……言いかけたこと、途中で止まっちゃってたんだ」「何の話よ?」「……あの離婚届、偽物だ」雷に打たれたような衝撃が走る。「……は?」「言葉通りの意味だよ」「……ってことは、私たち……離婚してないの?」「最初から、離婚するつもりなんてなかった。あれはただのカモフラージュだ」「……じゃあ私は?」抑えきれず、問い詰めた。「宏、私の気
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第368話

「ちょっと待って」私は静かに言葉を遮り、薄く笑って言った。「……お父さん?誰のこと?」──あの日、私をきっぱり否定したのは、ほかでもないこの人たちだった。藤原夫人は器用に態度を変え、苦笑いしながら言った。「あなたってば、どうしてそんなに根に持つの?家族なんでしょ?あの日はただ、私たちも突然のことで受け入れきれなかっただけよ」「そうだよ、清水南、いい加減にしなよ」星華が口を挟んだ。「何その言い方」藤原夫人は軽くたしなめたものの、その口調はまるで甘やかしているかのようだった。「ほら、早く『お姉ちゃん』って呼びなさい」星華は一瞬ムッとした表情を見せたが、何か思いついたようにふっと笑みを浮かべて、わざとらしく言った。「……お姉ちゃん」「……」寒気がした。私は黙って彼女の顔を見つめたまま、何を企んでいるのかをじっくり観察していた。藤原夫人は夫の腕を軽く突いた。「あなたもね、自分の娘に会ってるのに、何も言わないの?」藤原家当主は軽く咳払いして私を見て、病室のドアを指差した。「おばあさんに会いに来たんだろ?早く行ってこい」「……うん」私は病室に入り、ベッドに横たわるおばあさんの姿を見て、胸の奥が少し痛んだ。まだ意識は戻っていない。目を覚ますのがいつになるのかもわからない。一方で、外のリビングであの三人が何を考えてるのか──考えるだけで疲れる。しばらくして病室を出ると、藤原夫人はまだニコニコしながら待っていた。「南、あなたが無事に帰ってきてくれて、お父さんも星華も本当に嬉しいのよ。本当なら盛大に歓迎パーティーでも開きたかったけど……おばあさんのこともあるし、家のことでバタバタしてて……」ようやく本題に入るつもりらしい。私は黙って彼女の目を見つめながら、口を挟まずに続きを待った。「今、会社で一番重要なプロジェクトに資金の穴があってね……RFとの関係も悪化してるし、他の投資家も手を出せなくて……結局、頼れるのはRFしかないの。あなたももう藤原家の一員なんだから、力を貸してくれてもいいんじゃない?」「ふうん。で、どうやって力を貸せって?」私はにっこりと笑って聞き返した。藤原夫人は図々しくも、ためらいなくこう言った。「もう宏さんと揉めるのはやめましょう。夫婦な
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第369話

私は一瞬きょとんとして彼を見た。ちょっとムッとしながら口を開いた。「私があんたに嫁ぐなんて、いつ言った?」「他のことは全部君に任せるよ」鷹は口の端をわずかに上げて言った。「でもこれだけは、俺が決める」「……」私は睨むように彼を見た。「こっちが嫌だって言っても、無理やり縛る気?」そう言って、階段を下りた。彼がついてきて車に乗ろうとしていたので、私は怪訝に聞いた。「……あれ?あんたの車は?」「運転手が乗ってっちゃった」そう言って鷹は助手席のドアを開け、何のためらいもなく乗り込んだ。動きがやたら早い。こっちよりも。今日は珍しく、乗ったらすぐ寝るってこともなかった。エンジンをかけると、すぐに鷹が口を開いた。「おばさんに、何か聞き出せた?」「うん、ちょっとだけ」その話を出すと、さっきまで穏やかだった気持ちが少し沈んだ。ハンドルを握ったまま、ゆっくりと話し始める。「昔、私ほんとに誘拐されてた。で、自力で逃げて、たまたまお父さんの車に逃げ込んだの。お父さんが助けてくれた。それで、私のこと探してた人たちが『藤原夫人』って呼んでるのが聞こえて……」言いながら、私はちらりと鷹の反応をうかがった。「……ねえ、誘拐したの、もしかして藤原夫人だったんじゃない?」「まぁ、その可能性高いな」鷹は眉間にシワを寄せて言った。「でも……誘拐される前は、あいつ、お前にけっこう優しかったな。だから、俺も今まで疑うことはなかったんだ」「だよね」私は唇を引き結び、前を向いた。「どうりで……前に会ったとき、なんか見覚えがある気がしたんだ」だって、子どもの頃に私を可愛がってくれた人で、私はその人を「お母さん」って呼んでたんだから。鷹は何かを考えているようで、しばらく黙っていたが、ぽつりと口を開いた。「他に手がかりは?」「ある」ちょうど続きを話そうとしたとき、赤信号の交差点で彼が言った。「そこ、左折して」「え、どこ行くの?」ホテルとまったく違う方向にハンドルを切りながら、私は怪訝に聞く。「ある場所に連れてく。着けばわかるよ」鷹の声はいつになく穏やかで、落ち着いたトーンだった。「……ふうん」「で、話の続きは?」「じゃあ、それも着いてからにする」わざと返
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第370話

本当は断るつもりだったけど、あの一言で気が変わって、素直に受け取った。それから、少しからかうように言ってみた。「へぇ、意外。お金に無頓着だった時期もあったんだ?」今の彼は、損得でしか動かないくせに、昔は一軒家まるごとプレゼントするような太っ腹だったなんて。鷹は眉をぴくりと上げて言った。「褒めすぎ。子どもの頃はむしろ、お前からいろいろいいもん巻き上げてたしな」「……」まったく、初心を忘れてないってだけかもね。私は小さくぼやきながらスリッパに履き替える。彼は私の荷物をそのまま寝室に運び入れた。「生活用品も全部揃えてある。足りないもんがあれば自分で足してくれ」「うん」頷きながら部屋を見渡す。なんとなく、ふっと肩の力が抜けた。この感じ、久しぶりだった。春先の夕日がそのまま部屋に差し込んで、空気がやわらかく染まっていた。鷹は骨抜きになったみたいにドア枠に寄りかかって、気だるげに口を開いた。「……で、続きは?鹿児島で何かわかったんだろ?」「これ」私は襟元から、うさぎのペンダントを取り出した。「覚えてる?」「当たり前だろ」鷹の目が少し鋭くなった。「……ずっと、身につけてたのか?」「うん。鹿児島であなたに会ってすぐ、おばさんが渡してくれた」「はぁ……やられた」彼は呆れたように笑い、いきなり私のほっぺたを両手でむぎゅっと掴んだ。「どこの誰だよ、こんな上手く隠す知恵つけたのは」もっと早く見せてくれてれば、こんなに遠回りしなくて済んだのに──そう言いたげな顔だった。私は顔が変形するほど頬を引っ張られながら、苦し紛れに返した。「……まさか、こんなに大事なもんだと思わなかったし」「お前、ほんとバカ」やれやれとばかりに手を放して、ふと私を見つめた。「で?そのペンダントがどうかしたのか?」「裏に、京極って字が刻まれてたの」私は真っ直ぐに彼を見た。「このペンダントって、どこから来たか知ってる?」「お前が生まれた時……お前の母親──つまり藤原夫人がくれたって聞いてる」鷹は眉を寄せながら思い出していた。「京極についても、昔ばあさんに聞いたことがある。そん時、ばあさんが言ってたんだ。藤原夫人は京極の出身だって」「でも、苗字は京極じゃなかったよね?
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