真奈はちらりとキッチンを見やった。唐橋龍太郎はというと、エプロン姿で土鍋を両手に抱えて現れた。顔には無垢そのもののような微笑み。「瀬川さんと黒澤さんのためにスープを作りました」幸江と伊藤は、無言で顔を見合わせた。こいつ、二面性があるのか?伊藤は確信した。さっきまで厨房にいたのは、どう見ても不穏な空気をまとった陰キャ少年だった。それが一瞬でこんな無邪気な顔に切り替えられるなんて、どういうことだ?「そこに置いて」真奈の一言で、唐橋は素直にテーブルに土鍋を置くと、また何事もなかったようにキッチンへ引き返していった。真奈と黒澤がスープに一切手をつける気配がないのを見て、伊藤がたまらず聞いた。「お前ら、ちょっとくらい味見しないのか?」「いいわ。飲めないから」きっぱりとした真奈の返答に、幸江は半信半疑でそっと鍋の蓋を開けた。中には白菜と肉団子のスープが入っている。香りを嗅いでも何の匂いもない。不審に思いながら、一口すすると――「……この子、どうやったらこんなにおいしくてまずいもの作れるの……?」「え?マジで?」伊藤もスプーンを手に取り、一口すする。何度か口の中で味を確かめたあと、やはり顔をしかめた。「どうやったら塩味より甘みが勝つんだよ?……自分で作ったなら、一口くらい味見してから出せよな」しかし、真奈の意識はもはや唐橋龍太郎にはなかった。どうせここまで連れてきたからには、もう逃げられるはずがない。それより今、彼女の頭を占めているのは海城の情勢だった。高島に怪我を負わせ、美桜が執着していた冬城グループの株を奪った――美桜が簡単に引き下がるとは思えない。その時、階上から青山がゆっくりと降りてきて、真奈と黒澤に声をかけた。「真奈さん、黒澤様。旦那様がお二人をお呼びです」真奈は隣に立つ黒澤に目をやり、二人は自然に手をつないでエレベーターへと向かった。伊藤と幸江は、エレベーターへと並んで歩く二人の背中を見送って、思わず感嘆の声を漏らした。「一年前はまだ付き合ってなかったのに、今じゃすっかりラブラブね……」幸江がぽつりとつぶやいた。伊藤はポテトチップスをぽりぽりと噛みながら、さりげなく幸江の手を取った。「一年後、俺たちもあんなふうになるさ」「バカ言わないでよ!」幸江は慌ててその手を振り払った。台所の中で、唐橋龍太郎は
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