All Chapters of 地上のパイロットは同期の私に塩対応が過ぎる: Chapter 1 - Chapter 10

11 Chapters

そこまで欲張る?

翌朝。目が覚めて一番に、ベッドの下に脱ぎ散らかされた服が視界に飛び込んできて、一瞬にして血の気が引いた。自分の身体の状態は、誤魔化しようがない。昨夜、私から吹っ飛んだものすべてが、一気に戻ってくる。脳裏に蘇る、一部始終の記憶――。いくら酔ってたからって……なんてことをしたの、私……。激しい自己嫌悪で、二日酔いとは関係のない頭痛がする。どうしよう。ほんと、どうしよう。ズキズキと痛む頭を抱え、無意識にきゅうっと身を縮めた時。「……起きた?」背後から気怠げな声をかけられて、ギクッとして硬直した。反応してしまった以上、無視も寝てるフリもできない。「は、はいっ。……おはよう、ございます……」振り返ることもできず、朝の挨拶も尻すぼみになる。「おはよ」氷室さんは、普段と変わらない抑揚の乏しい声で、さらっと返してくれた。ギシッとベッドが軋んで、彼が上体を起こしたのがわかった。彼の動きに合わせて、身体にかかっている布団が持ち上がる。「ひゃっ……」私は彼に背を向けたまま、なにも身に着けていない身体を隠そうとして、さらに小さく身を縮めて……。「今日、何番?」欠伸交じりに問いかけられて、そおっと肩越しに振り返る。そして、上半身裸のまま寝乱れた髪を掻き上げる、壮絶セクシーな彼に心臓が飛び跳ね、勢いよく正面に向き直った。「? 八巻さん?」私の態度が不審だったのか、訝し気な声が続く。「お、同じです。氷室さんと。遅番……」ディスパッチャーの仕事は、二十四時間三百六十五日、四交替のシフト制勤務だ。指導してもらっている立場の私は、よほどのことがない限り、彼と同じシフトで組まれている。「そ」自分で聞いておいて、氷室さんはそれほど関心を持った様子ではない。と言うか、今までもそうだったのに。もしかして、存在自体無視されてたんだろうか……。地味に落ち込む私に構わず、氷室さんはもう一度ベッドを軋ませた。ベッドから降りたのか、先ほどよりも大きく布団が持ち上がって、私はビクッと身体を強張らせる。「八時か……。先、シャワーもらう。俺、一度家に帰るから」そう言いながら、ベッドの足元を通り過ぎ、シャワールームの方にスタスタと歩いていく彼は、ボクサーパンツ一丁という姿。「は、はいっ……」私は頭から布団を被って視界を遮断して、くぐもった声で返した。
last updateLast Updated : 2026-02-02
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明後日は帰さない

その日は、一日通して大きなトラブルもなく、穏やかに遅番業務を終えることができた。夜勤者への引き継ぎも滞りなく済み、私が帰り支度をしていると。「お先」氷室さんは右肩にひょいとリュックを背負い、椅子の背もたれに掛けていた上着を小脇に抱えて、デスクから離れていった。「あ。……お疲れ様です」休憩に入る時と同様、業務以外は塩対応継続――。私はここでもがっかりして、肩を落とした。いや、でも、昨日までと比べたら、どう考えたって大きく一歩前進だ。昨夜のアレで、彼が聞いてくれると言った願いは一つ。渋々なのがわかりやすいけど、約束は守ってくれている。一つ上手くいったからって、調子に乗ってあれもこれもと願う私は、確かに彼が言う通り欲張ってる……。「お先……失礼しまーす……」夜勤の同僚に尻すぼみの挨拶をして、私もオフィスを後にした。従業員用のセキュリティゲートを通過して空港ターミナルから出て、地下にある電車のホームに向かう。業務時間中はあんなにウキウキ張り切っていられたのに、仕事から離れると、帰宅の足取りは重い。「はあ……」電車の自動改札に定期券のICカードを翳して構内に入ると、無意識に溜め息が漏れた。ホームに下るエスカレーターに乗って、私はがっくりとうなだれた。エスカレーターから降りると同時に、ぼんやりと前に顔を向けて、「っ……」思わず息をのみ、その場で足を止める。「ん?」すぐ近くの停車位置に立っていた氷室さんが、気配を察知した様子で首を傾げた。そして、私とバチッと目が合うと、眼鏡のテンプルを指で摘まんで眉間に皺を寄せる。「追いつかれたか」「追いつかれた、って。同じ方向なのに、途中まで一緒に……とは思わないですか」反応を考えながら言い返す私に、ちらりと視線を流してくる。「昨夜の今日だし、そっちの方が気まずいんじゃないかと思ったんだけど。そんな繊細じゃなかった?」ひょいと肩を竦める様子に、私の胸がドキッと跳ねた。まさか……業務以外では相変わらず素っ気ないのは、彼なりに私を気遣ってくれた……ということだろうか?内心そわそわしながら、思い切って足を踏み出す。「氷室さんは、どうなんですか……?」彼の隣に並んでいいか、それとも、別の停車位置まで進むべきか……。頭の中で天秤を揺らして迷い、結局勇気を出して隣で足を止めた。氷室さんは
last updateLast Updated : 2026-02-02
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いいから集中して

汗ばんだ肌と肌がぶつかる音。正気じゃ聞いていられない、気が遠くなりそうなほど淫らな水音。絶え間なく与えられる悦楽に、もう憚ることを忘れた私の喘ぎ声と、少し乱れた氷室さんの息遣い――。今、この部屋には、私と彼が発する淫靡な音が、溢れ返っている。時折、飛行機のゴーッというエンジン音が聞こえて、ここが羽田空港の近くのホテルだと思い知る。オフィスから目と鼻の先の場所で、こんな……。最初のうちは、エンジン音が鼓膜をくすぐる度に、言いようのない背徳感がよぎったけど、いつの間にか、そんな余裕も理性も失っていた。氷室さんと一緒にオフィスを出て、この部屋に入った時、室内の空気は肌寒いくらいだったのに、今はエアコンが弱く感じるほど、私たちは熱く深く抱き合って――。「っく……はっ……」氷室さんが、私とほとんど同時に達したのが、耳を掠める切ない吐息でわかった。「……は、っ」彼が手を突いたのか、ベッドがギシッと軋む音がする。私は、荒い息で胸を喘がせながら、うっすらと目を開けた。氷室さんが上体を起こし、なにかを払うように、ブルッと頭を振る。少し長めの前髪が、私の額の上でサラッと揺れた。氷室さんは少しの間、顔を伏せたまま、呼吸を整えていたけれど……。ふいと顔を背けると、無言で起き上がった。私もなにも言えずに、ベッドから降りるしっとりと湿った広い背中を目で追った。氷室さんは、素っ裸のまま。私の視線を気にする様子もなく、窓際の丸いテーブルに歩いていった。ここに入る前に立ち寄ったコンビニの、白いビニール袋をガサッと鳴らして、ミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、ベッドサイドにドスッと腰掛ける。カーテンの隙間から挿し込む一筋の月光に青白く照らされ、喉を仰け反らせて水を飲んだ。「ふーっ」と長い息を吐くと、思い出したように、肩越しに私を見下ろす。「飲む?」短く問われて、私はまだ胸を上下させたまま、何度か頷いて応えた。そろそろと腕を伸ばし、彼の手からペットボトルを受け取ろうとするけれど、なんの意地悪か、スッと手を引っ込められる。「え?」思わず見上げると、氷室さんは再び自分の口元にペットボトルを持っていき……。「ん」軽く身を捩って、私に覆い被さるようにキスをした。「! っ、っ……」こじ開けられた唇の間から、温まった水が入ってきて、喉へと流れ落ち
last updateLast Updated : 2026-02-02
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俺みたいになるな

久しぶりの女子会から数日後。早番で出勤した私は、濃霧で始発便からディレイという、私史上初の事態に遭遇した。台風と違って、霧発生の予測は難しい。この間のように、巡航中の便を代替空港に着陸させる必要はないものの、後発便の離陸時間も後ろにずれ込む。夏休み真っ只中で、お盆のハイシーズン目前の今、どこの航空会社もかき入れ時。各社とも、大幅に増便対応していて、フライトスケジュールは分刻みの過密状態。うちの会社は特に、羽田空港でのハンドリングシェアを半数近く占めているから、影響も大きい。私は勤務開始時刻を待たずに、バタバタと慌ただしく業務に追われた。霧が晴れても、離陸時間の変更や、各便との調整、管制塔への連絡など、やることが山積み。休憩に入れたのは、いつもよりだいぶ遅い、午前十時半だった。普段、早番の休憩では、朝食感覚の軽い食事をとっているけど、今日はもうがっつりランチの気分。一仕事終えた後のように、空腹だった。食堂に行く準備をする私の横で、氷室君が先に席を立った。「あ、待って!」私は条件反射で彼を追って、エレベーターホールで追いつくことができた。ちょっぴり息を上げた私を一瞥しただけで、彼はドア脇のランプに目を戻してしまう。「氷室君、一緒にランチしていい? えっと……私、航空無線通信士の勉強しててね。わからないところがあって、教えてくれないかなあって」私は、反応を窺いながら誘いかけた。氷室君は、もう一度こちらを見下ろし……。「後のは、まだのんでないはずだけど」つれない一言を放ち、ちょうど到着したエレベーターに、さっさと入っていく。「う」地味に断られた……気がする。同じ箱に乗るのは遠慮しようと、足を竦ませた私を見遣り、氷室君は「はあ」と溜め息をついた。「後払いする? なら、いいよ」ボタンを押して、ドアを開放させながら、私に『対価の支払い』を念押ししてくる。「っ……」私の心臓は、意志に反して跳ね上がった。ドキドキと騒ぎ出す胸に手を当て、一瞬目を泳がせたものの。「……わかった」彼から視線を外してボソッと呟き、俯いてエレベーターに乗り込んだ。私たち二人しか乗っていない箱の中、ドアの両サイドに分かれて立つ。氷室君は、スラックスのポケットに片手を突っ込み、壁に寄りかかっていた。狭い箱によぎる、微妙な沈黙。彼の視線を感じるか
last updateLast Updated : 2026-02-02
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こっちこそ、よろしく

泣いた。辺りを気にすることなく、まるで子供の頃のように、わんわん声をあげて。顔を突っ伏した枕がグショグショになるほど、涙を流して。喉が嗄れて、泣き声も出なくなるほど。涙が枯渇して、全身の水分が失われ、干上がるかと思うほど。思いっきり泣いて、力尽きて泣きやんだ。ゴロンと寝返りを打って、ベッドに仰向けになる。天井を仰ぎ、お腹の底からはーっと息を吐いた。最後の嗚咽の余韻のように、ひくっと喉が鳴る。もう、しゃくり上げる力も残っていなかった。目の上に両腕を翳し、閉じた目蓋に力を込める。「言うな、ってなんなの。真剣なのに、言わせてもくれないなんて、酷い男……」実際に声になっていたか、それともそういう形に唇が動いただけかはわからない。だけど、意識してはっきりと彼を詰れたおかげで、少しだけ気分が晴れる。そうよ。あんな酷い男、仕事以外で尊敬する部分なんて、なに一つない。いくらずっと憧れていたディスパッチャーだからって、一度寝ただけで変な情が湧いて好きになるなんて、いい年してどうかしてた。いや、それだって錯覚だったかも。氷室君と、二度目の夜。あの時の私は、身体は疲れてるのに、頭は冴えて気持ちが高揚していた。心と身体、脳みそがバランスを欠いて、明らかに尋常じゃなかった。私は、彼の意味深な言い回しを、誘われたと勘違いして期待した……なんて方向に、意地悪に誘導されただけだ。いっそ、心を巧妙に操作された、と言い切ってもいい。今日だって、頭の中で脳神経が一本切れたような、興奮状態だった。氷室君は、恋愛に本気になるのは嫌だと言った。私は適当な遊び相手でしかなかっただろうし、『好き』なんて口走らなくてよかった。――止めてもらえて、よかった。「っ……」冷静になって導き出した結論は、絶対正しいと思うのに、彼を詰る私の心は張り裂けそうだった。彼を悪者にして、自分を肯定しようとすればするほど胸が痛み、なんの慰めにもならない。だって今なら、私もよくわかる。私が運航管理部に異動したのは、すでに立花さんが、氷室君に復縁を求めていた頃だろう。自分の都合で氷室君を振っておいて、今もまた、自己中心的に彼を欲しがって。氷室君は、気持ちでは強く突っ撥ねていても、あまりに彼女を理解し難いせいで、思考回路を占領される。そんな自分は、彼女に囚われているかのようで
last updateLast Updated : 2026-02-02
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よいフライトを

休憩を終えてデスクに戻ると、午後十時の終業時間までノンストップで仕事だ。このハイシーズンは、とにかくフライト数が多い。午後七時になっても、フライトスケジュールはびっしり。滑走路からは、他社便も含めて、ほぼ分刻みで離陸していく。「八巻さん。午後九時台の関空、伊丹全便、ロードプラン急がせて」カンパニーラジオのインカムを装着した氷室君が、マイクをオフにしながら私に指図した。「すぐ、コントローラーに連絡します」「それから、さっき離陸した広島12便。ランディングで強風の影響受けるかもしれない。気象データ確認して」私が最初の命令を実行しようと、電話の受話器を持ち上げる間にも、間髪入れずに次の指示が入る。「はい。広島、広島……」短縮番号をプッシュして、左の肩と耳で受話器を挟み、右手でマウスを動かす。耳に、『はい、ステーションコントロール部です』と、受話器越しの応答が届いた。「お疲れ様です。運航管理部、八巻です。すみません、午後九時台の広島全便のロードプラン、急いで……」パソコンモニターに展開した、広島の天気図に目を凝らしながら、ほとんど無意識に口を動かすと。「違う。関空、伊丹」隣からビシッと声を挟まれ、マウスを動かす私の手は、条件反射で止まった。「……え?」受話器を右手で支えて、隣のデスクに顔を向ける。「広島は気象データ。ロードプランは大阪」氷室君はこちらをちらりとも見ず、フライトプランを作成しながら、やや棘のこもった声で、一語ずつ区切って繰り返した。私は、言われたことを頭の中で噛み砕いてから、ハッと我に返る。「す、すみませんっ! 急いでほしいのは、九時台の大阪……関空、伊丹便です」冷や汗を掻きながら、電話の向こうのロードコントローラーに訂正した。一年のうちで、一二を争うハイシーズン――。OCOで初めて迎えるお盆シーズンは、目が回るほどの忙しさ……もとい、私は本当に目を回していた。氷室君のフォローで、なんとか無事、関空、伊丹便のロードプランを急かして電話を切ると、半分デスクに突っ伏しながら「ふーっ」と息を吐いた。「氷室君。ロードプラン、あと十分って……」報告しながら、顔だけ彼の方に向ける。だけど、返事はなく。「こちら東京OCO。JAK60便コックピット、応答願います」氷室君は表情一つ変えずに、巡航中のコックピットと交信
last updateLast Updated : 2026-02-02
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今、すごく抱きたい

――ふわふわする。頭も、身体も。微かな振動を受け、ゆらゆら揺れる。「う、ん……」私は、夢と現の狭間で、呻いた。「……むろ、く」ぼんやりと口にした名前。それが、夢の中だったか、現実で口を突いて出た寝言かも判断できない。自分の身体の感覚も思考も、酷くぼんやりして、曖昧で心許ない。だけど、ただ一つ。胸に当たる硬い感触が、とても温かく心地よかったから、今自分がどんな状況にあったとしても、不安はなかった。「くん、の、バカ……」重い意識の中、なにも恐れることなく、心のままに唇が動く。「意地悪。鬼。冷酷非道。人でなし……」ポッと浮かび上がる罵詈雑言を、意味を考えることもせず、つらつらと口にする。「思わせぶりな、スケコマシ。遊び人。女の敵。……さいてー」最後はむにゃむにゃと言って、口を噤み……。……そんな男でも、私は――。「……好き……」――だから、私も。あの人みたいに、『穣」って呼びた……。……――。「寝言のわりに、随分とこき下ろしてくれるな。今度はどんな夢見てるんだ?」突然、刺々しい低い声に、ふわふわした意識を切り裂かれた。鼻をギュッと摘ままれる感触。――息苦しい。一拍分の間の後、鼻呼吸ができないのを自覚して、「ん、むっ!?」私は、ぷはっと口を開けた。浜辺に打ち上げられた魚みたいに、口をパクパクさせて酸素を取り込む。目蓋の裏が白く明るいのに気付き、バチッと目を開けた。途端に降り注ぐ、黄金色の明かり。私は「うっ」と呻いて、目を眩ませた。何度か瞬きをして明かりに慣れると、真上から降ってくる影にも意識が向いた。うっすら白い膜がかかった視界で、必死に焦点を合わせ――。「……。……氷室、君っ!?」不機嫌そうに眉を寄せる、作り物みたいに整った顔を認識して、私は弾かれたように飛び起きた。途端に襲ってくる頭痛と眩暈に、「う」と額に手を当てる。「やっと気がついたか」溜め息が聞こえる方向に、ぐるんと顔を向けた。氷室君はノーネクタイで、白いシャツの第二ボタンまで開き、シャープな鎖骨ラインをチラチラさせている。眼鏡をかけていなかったから、頬骨あたりの泣き黒子が目に入り、条件反射でドキッとして……。「えっ!? こ、ここここ、ここどこ!?」私は、ひっくり返った声をあげ、忙しなく辺りを見回した。私の部屋ではない。ホテ
last updateLast Updated : 2026-02-02
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……さすがキャプテン

お昼過ぎに瞳からLINEをもらい、あの後の大まかなアウトラインは報告した。でも、散々迷惑をかけてしまったし、ちゃんと謝罪とお礼をしておかなければ……。『今度、時間合わせて会えないかな』それには、『OK!』と、指サインのスタンプが返ってきた。お互いシフト勤務の上、瞳は毎日東京に帰ってくるわけではない。彼女とは、それから一週間後の八月下旬に、空港の職員食堂で会う約束をした。公休明け、私は新任運航支援者フォローアップ研修のために、五日間本社勤務で、氷室君……穣と勤務は別々だった。間に公休を挟んで迎えた、瞳との約束当日。一週間ぶりにOCOに出勤すると、穣の方が公休で不在だった。結局、瞳との約束までに、彼と話すことはおろか、顔を見ることもできなかった――。LINEで伝えた以上のことは、なにも報告できない。お盆のハイシーズンが過ぎ、私たちの業務もだいぶ落ち着いていた。でも、世間はまだまだ夏休みで、業界的にはオンシーズン。お昼のピークを過ぎても、食堂に出入りする職員は多い。私はミートソーススパゲティをのせたトレーを持って、キョロキョロと辺りを見回しながら、奥まで進み……。「藍里、こっち!」大きな柱の影になるテーブルに、CAの制服をビシッとカッコよく着こなした瞳がいた。座ったまま身を捩って振り返り、手を上げて合図してくれる。彼女はフライト合間のブレイク中で、三十分だけ時間を取ってくれていた。「あ」私はやや急ぎ足で、彼女の方に急いだ。その向かいの席に、作業服姿の短髪の男性がいるのを見留めて、少し手前で足を止める。「お疲れ様、八巻さん」私に向けてくれる、素朴で屈託のない笑顔。同期の航空整備士、佐伯君。瞳の彼だ。「えっと……お疲れ様」私はテーブルの側まで歩いて行って、同じ労いを彼に返した。佐伯君も昼食休憩のようだけど、食事は終わっているようだ。彼の前のトレーには、綺麗に空になったプレートがのっている。「ごめんね。充とは、偶然会っちゃって」瞳が、私に向かって両手を合わせる。「ううん。ええと……私、今日は遠慮しようか?」佐伯君は私もよく知る同期だけど、せっかく恋人同士で休憩中なのに、割って入るのは気が引けた。若干腰を引かせて気遣うと、瞳が「なに言ってんの」と頬を膨らませる。「変な気遣わなくていいから、座って」
last updateLast Updated : 2026-02-02
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何度でも、何度でも

JAK73便の乗客乗員四百十一名に怪我はなく、全員無事だった。胴体着陸なんて大事故が、目と鼻の先で起きたのに、夏休みシーズンで普段より混雑していた空港ターミナルでも、目立った混乱は見られなかったそうだ。タッチアンドゴーを繰り返さず、一発で着陸を成功させたおかげで、ターミナル内にいた旅客の多くが、そんな事態に陥っていたことに気付かなかったためだ。結果として、久遠さんの判断がすべてにおいて功を奏し、巡航中の機内だけでなく、空港全体の秩序を守った。英雄と崇められてもいい。とは言え、胴体着陸ともなると、航空事故に分類され、重大インシデントに認定される。着陸前から、社内で事故調査委員会が発足していた。明日には、国土交通省による、事故調査チームが調査に入る。それに先立って、社内での聴取が行われることになった。着陸を終えて間もない久遠さんと副操縦士を、社内の調査委員がターミナルで出迎えた。73便の機体整備を担当した航空整備士、胴体着陸を許可した管制官の立花さんとその上司、そして、担当ディスパッチャーの穣と運航支援者の私も招集された。委員も含めて十五人ほどでの聴取は、本社の役員会議室で行われた。私はこの時初めて、ディスパッチャーにも恐れられる、『鬼機長』の久遠さんと対面した。フライトプランの件で、穣と一触即発のやり取りをした記憶も新しい。四本ラインの制服姿が凛々しい、美しい鬼……いや、エリート機長は、ちょっと怖そうだけど、真面目で真摯な印象を受けた。ほんのちょっと……穣に通じるところがある。重苦しい空気の中行われた聴取では、離陸前の機体整備状況に問題はなく、事故の原因も、バードストライクによるエンジントラブルと結論付けられた。その後争点になったのは、穣も反対した、フライトマニュアルに反した一発での胴体着陸という、機長の判断だった。久遠さんは、カンパニーラジオ越しに穣にしたのと同じ説明を繰り返し、立花さんも『久遠機長の操縦技術は確かですから、その判断を信頼し、全面的に支持しました』と答えた。調査委員から意見を問われた穣は、燃料に十分な余裕があったことから、フライトマニュアルに沿って、タッチアンドゴーを試みるのが第一選択だったはず、と答えた。だけど……。「以上が、一ディスパッチャーとしての意見です。私個人的な意見を申し上げますと……今後、自分が
last updateLast Updated : 2026-02-02
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