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ผู้เขียน: 水守恵蓮
last update ปรับปรุงล่าสุด: 2026-02-02 09:28:52

汗ばんだ肌と肌がぶつかる音。

正気じゃ聞いていられない、気が遠くなりそうなほど淫らな水音。

絶え間なく与えられる悦楽に、もう憚ることを忘れた私の喘ぎ声と、少し乱れた氷室さんの息遣い――。

今、この部屋には、私と彼が発する淫靡な音が、溢れ返っている。

時折、飛行機のゴーッというエンジン音が聞こえて、ここが羽田空港の近くのホテルだと思い知る。

オフィスから目と鼻の先の場所で、こんな……。

最初のうちは、エンジン音が鼓膜をくすぐる度に、言いようのない背徳感がよぎったけど、いつの間にか、そんな余裕も理性も失っていた。

氷室さんと一緒にオフィスを出て、この部屋に入った時、室内の空気は肌寒いくらいだったのに、今はエアコンが弱く感じるほど、私たちは熱く深く抱き合って――。

「っく……はっ……」

氷室さんが、私とほとんど同時に達したのが、耳を掠める切ない吐息でわかった。

「……は、っ」

彼が手を突いたのか、ベッドがギシッと軋む音がする。

私は、荒い息で胸を喘がせながら、うっすらと目を開けた。

氷室さんが上体を起こし、なにかを払うように、ブルッと頭を振る。

少し長めの前髪が、私の額の上でサラッと揺れた。氷室さんは少しの間、顔を伏せたまま、呼吸を整えていたけれど……。

ふいと顔を背けると、無言で起き上がった。

私もなにも言えずに、ベッドから降りるしっとりと湿った広い背中を目で追った。

氷室さんは、素っ裸のまま。

私の視線を気にする様子もなく、窓際の丸いテーブルに歩いていった。

ここに入る前に立ち寄ったコンビニの、白いビニール袋をガサッと鳴らして、ミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、ベッドサイドにドスッと腰掛ける。

カーテンの隙間から挿し込む一筋の月光に青白く照らされ、喉を仰け反らせて水を飲んだ。

「ふーっ」と長い息を吐くと、思い出したように、肩越しに私を見下ろす。

「飲む?」

短く問われて、私はまだ胸を上下させたまま、何度か頷いて応えた。

そろそろと腕を伸ばし、彼の手からペットボトルを受け取ろうとするけれど、なんの意地悪か、スッと手を引っ込められる。

「え?」

思わず見上げると、氷室さんは再び自分の口元にペットボトルを持っていき……。

「ん」

軽く身を捩って、私に覆い被さるようにキスをした。

「! っ、っ……」

こじ開けられた唇の間から、温まった水が入ってきて、喉へと流れ落ちていく。ゴクッと嚥下反射を起こした私に、

「飲めた?」

氷室さんは顔色一つ変えず、しれっと訊ねてくる。

「〜〜……!!」

濃密な情事の直後で、すぐには動けないと思ってたのに、私は弾かれたように起き上がった。

両手で口を覆い、プルプル震える私を、彼が訝しそうな目で見遣ってくる。

「なんだよ」

「ふ、普通しますか!? そういう飲ませ方っ……」

「嫌だった? なら、謝る」

まっすぐ正面に向き直り、長い足を組み上げた。

私に構わず、さらにゴクゴクと水を飲んで、喉仏を上下させる。

唇の端から零れた水を、手の甲でグイと拭う仕草に、

「っ……」

私の心臓は、不覚にも、バクバクと爆音を立てた。

おかげで、乱れた呼吸が、なかなか元に戻らない。

最初に『恋人を抱くんじゃない』と言ったのは、彼の方なのに……。

「……氷室さんも、そんな甘いこと、するんですね」

私は胸元に布団を抱え、三角座りになってボソッと呟いた。

「え?」

「だから……口移し」

抱えた膝に顎をのせて、モゴモゴと言い淀む私に、

「ああ」

彼が、短い相槌を打った。

「自分で飲ませたら、零してビショビショになるだろ。ただでさえグチャグチャなのに」

「……!! 氷室さっ」

私たちの行為の余韻で、濃厚な空気が充満している部屋の中、なんともドギツい返答に言葉が詰まる。

顔が火照りそうになって、面を伏せて落ち着こうとしていると。

「……いいよ。普通に喋って」

素っ気ない声が聞こえて、一拍分の間を置いてから、そっと顔を上げた。

「呼び方も。そういう約束のギブアンドテイクだし。今度は、あんたの番」

氷室さんはこっちを振り向きもしないけど、私の視線は感じているのか、ひょいと肩を竦める。

わずかに覗ける横顔に、表情の変化は特段見られない。

だけど。

「ええと……それじゃあ」

私は、何故か再び鼓動が騒ぎ出すのを自覚しながら、一度こくりと唾を飲んだ。

そして、

「氷室、君」

早速変えてみた途端、やけに全身がむず痒く感じた。

一度、無言の拒否に遭っていたせいか、敬称を変えただけで急接近した気分になる。

「ひゃー……」

妙に照れ臭くなって、膝に額を預けて悶えた。

氷室……君、は、記念すべき第一回目に、溜め息を返してくる。

「あんたって、バカだな。そんなことのために、俺に抱かれるんだ」

呆れた声で、私を辛辣に蔑む。私はカチンときて、勢いよく頭を上げた。

「な……仲良くやりたくて拒否られたショック、氷室、君、にはわからないの」

「仲良く、ねえ……今のこれは、あんたの言う『仲良く』? 別の方向に彷徨ってる気がするけど」

「憧れてた人と、楽しく仕事したいって思って、なにが悪いの!?」

私の剣幕に、さすがに彼もギョッとした様子で目を丸くした。

口元に手を遣って、つっと視線を横に流す。

「憧れとか目標で済むなら、『仲良く』もいいんだけどね……」

「は?」

大きな手でくぐもってよく聞こえない声に、私はつっけんどんに聞き返した。

氷室君は、なにか言い淀むように、口を噤んで目を逸らしたまま。

そんな反応にも煽られ、私はほとんど跳ね起きるみたいにベッドに正座して、ベッドサイドの彼に詰め寄った。

「それに私、氷室君以外の同期のこと……水無瀬君とか、みんな『君』付けで呼んできたし。普通の同期なら、確かに『そんなこと』……だけど!」

「別に、拒否してない。手の平返したみたいに呼び方変えたのは、あんたの方」

氷室君は身体の後方に腕をついて、私から逃げるように背を反らし、本気で怪訝そうに眉根を寄せる。

「は? 無自覚? と、惚けないで!」

憤慨のあまり、鼻の穴を広げて言い返した私に、ムッと口を曲げた。

「惚けてない」

「なにをいけしゃあしゃあと……私が異動した初日! 挨拶して、『氷室君って呼んでいい?』って聞いたら、凄い勢いで睨まれた!」

私が身を乗り出して抗議すると、記憶を手繰るように眉を動かす。

しげしげと、顎を撫で――。

「なるほど。なんとなく、カラクリがわかった」

一人納得顔で、ポンと手を打つ。

「え?」

不信感を憚らずに聞き返した私の顔を、わざわざ目線を合わせて覗き込む。

条件反射でドキッとして、背を引いた私に、

「その時俺、この顔じゃなかった?」

自分を人差し指で示して、訊ねてくる。

この顔? どういう意味?

「間違いなく、この顔だったけど?」

質問の意味が理解できず、私はやや警戒して聞き返した。

だけど、氷室君は意に介した様子もなく。

「そうじゃなくて。眼鏡。してなくなかった?」

「え?」

「あんた、俺に泣き黒子があるの、前から知ってたみたいだし」

質問に虚を衝かれ、私の方からも身を乗り出した。

意味もなく、彼の鼻根のあたりに目を凝らす。そして。

「……言われてみれば」

記憶の隅っこを掘り起こして、思わず独り言ちた私に、氷室君は「だろ?」と首を傾げる。

「ちょうどその頃、眼鏡の度が合わなくなって、調整出してた。裸眼だと、このくらいの距離じゃないと、顔がわからない」

「…………」

「さすがに、いきなり顔近付けられないし。焦点合わせようとすると、目つき悪いって言われる。俺」

ほとんど表情を動かさず、ケロッとして言われて……。

――ええと……つまり?

初日の挨拶への睨みは、拒否ではなかった……?

そうと知ったら、また別の憤りが沸々と込み上げてくる。

私は、カタカタと肩を戦慄かせ――。

「自分で勝手に手の平返しておいて、なにが『氷室君って呼んでいい?』なのか。そんな許可のために、二度も俺に抱かれるなんて、救いようのないバカ」

『バカ』を連発する飄々とした声が、火に油を注ぐ。

「ず、ズルい……!!」

頭の中で、なにかがドカンと爆発した。

「うわっ。なんだよ」

両手を振り上げて、彼の胸をポカポカと叩く私の頭上から、わずかに裏返った声が降ってくる。

「許可取る必要かったなら、別の交換条件にする!」

「ダメ。ギブアンドテイクは、成立したろ。アメンド不可」

氷室君が腕を翳して、私の攻撃に防衛する。

「おい。やめろって」

聞く耳持たず、何度目かで振り下ろした手首を、ギュッと掴まれた。

「あっ」

「他に望みがあるって言うなら、日を改めて」

深く澄んだ黒い瞳で、私を真っ向から射貫いて、そう告げる。

「っ」

いやがおうでも、心臓がドキンと飛び跳ねた。

「ず、ズル……」

それでも抗議しようとすると、綺麗なラインの顎を傾けて近寄ってきた彼に、唇を塞がれた。

私の瞳の奥の奥まで暴こうというように、薄く目を開いたまま、執拗なほど艶かしく舌を絡められる。

「ふ、あっ……」

普段、私に無関心な彼から、憚らない欲情をぶつけられると、怖くなるくらいゾクゾクする。

ゆらりと傾いてくる彼に抗えず、私は両手首を掴まれたまま、再びベッドに横たわった。

「ひむ……あっ!」

舌の付け根から絡まるキスに恍惚とする間に、胸をやわやわと撫でられ、腰が浮く。

「い、今っ。たった今、日を改めて、って!」

必死に首を捩じって、キスから逃れた。

「ああ。別のはそうして」

「!? じゃ、じゃあ、なんでまた……」

しれっと返す彼を咎めるつもりで、顎を引いて、胸元で動く手を見据える。

「だって、そう言ったろ」

何故だか氷室君は、心外といった感じで、眉根を寄せた。

「一度につき、一つって」

私は意味がわからず、彼を見返してしまう。

「一回じゃなくて、一度」

氷室君は、理解が遅いとでも言いたげに、わかりやすく呆れた顔をして答えてくれた。

「え……?」

それでも理解できない私に、これ見よがしな溜め息を返してくる。

「一回っていうのは、回数のこと。一度は、量的な範囲は定まらない。つまり、この一度には、二回目も三回目もある」

「!?」

「理解した? じゃ、二回目開始するよ」

「う、嘘っ……」

言葉巧みに私を翻弄して、当然のように本日二回目を仕掛けてくる。

「そ、そんな屁理屈……! ズルい、氷室く……!!」

必死に理性を働かせて、狡猾な彼を詰ったものの。

「っ、あ、んっ……!」

意志とは関係なく尖った胸の先を、いきなり攻められたら堪らない。

いやがおうでもゾクゾクと戦慄く私に、氷室君はふっと目を細めた。

「あんた、俺にされると、すぐ感じるのな」

嗜虐的に舌なめずりされて、私の心臓が限界を越えて拍動する。

「そんなにいい? それとも……久しぶりだから刺激強い?」

なんのツボに入ったのか、氷室君はまるで見せつけるように、わざと音を立ててゆっくり吸い上げる。

抗いようのない快感に身を震わせながらも、聞き捨てならない質問を、私の聴覚はしっかり捉えた。

「っ、な、なんで久しぶりって……!」

仰る通り、最後に彼がいたのは入社二年目の頃。

もちろん、氷室君以外に、恋人でもない人と、こんなことをした過去はない。

つまり、軽く七年ぶり……セカンドバージンに違いないけど、あっさり見抜いた上に世間話みたいに話題にされたら、なんとも言えず屈辱だ。

なのに、氷室君には、デリカシーというものがないのか。

「わかるだろ。反応とか。……まあ、いろんな?」

「っ、あんっ……!」

当たり前のように返す唇が、敏感なところを掠めるから、反論したいのに甲高い喘ぎ声にのまれてしまう。

羞恥のあまり、身を丸めて悶える私を、

「ふっ」

氷室君はどこか満足げに鼻で笑う。

上体を起こし、ギシッとベッドを軋ませ、サイドテーブルに手を伸ばす彼を目で追って……。

「そういう……そっちは、どうなの」

私は、悔し紛れにボソッと呟いた。答えてほしいわけじゃないし、そもそもはっきり聞こえないくらいの小声だったのに。

氷室君は、腕を伸ばした格好のまま、一瞬ピタリと止まった。

そして。

「……どうだろ」

はぐらかすようにうそぶき、私からサッと顔を背ける。

そんな彼に虚を衝かれ、

「……? 氷室く……」

探るように呼びかける途中で、合点した。

今、ここで二年ぶりなんて答えられたら――。

「あ、あの」

私は無自覚に、彼に探りを入れたことに気付き、取り繕おうとした。

だけど。

「少なくとも、あんた未満じゃないかな」

それ以上ツッコむこともできないけど、なんとも気になる言い回しに、なにか、胸の奥の方がきゅうっと締めつけられる。

氷室君は再びベッドを軋ませて、突っ張った両腕の中に私を囲い込んだ。

「つまらない話は終わり。……いいから集中して」

「あっ……!」

間髪入れずに再開された愛撫に、いやがおうでも腰が跳ねた。

電流みたいな痺れが、私の背筋を駆け上る。

迸る快感に、目の前がチカチカする。

「氷室、く……」

せり上がる悦楽を、自分では堪えようがなく……。

私は、彼が施す官能の渦にのまれていった。

例年より三日ほど遅く梅雨が明けて、連日猛暑が続く八月初旬。

日勤勤務の就業時間を三十分ほどオーバーして、ようやく仕事を終えた私は、急いでオフィスを出た。

空港の地下の駅から、電車に乗って数駅。

この間、管制塔と定例懇親会をやったのと同じ駅ビルに着き、あの時とは別の和風居酒屋に入った。

店先まで出迎えてくれた店員に、待ち合わせだと告げていると、

「お~い、藍里!」

「こっちこっち!」

耳慣れた二つの声がして、私はその方向に顔を向けた。

「あ」

お店の奥の席から、今日の約束の相手二人が、こちらに向かって大きく手を振っている。

私は店員の案内を断り、低い囲いで仕切られた四人掛けテーブルに歩いていった。

「ごめんね。遅くなって」

ブースに入ったところで足を止め、開口一番で謝る。

「ううん。お疲れ~」

テーブルに両手で頬杖をついて、ニコニコ笑って返してくれたのは、本社で財務部勤務の事務社員、望月理華。

壁側のベンチシートに腰かけていた彼女が、荷物を退かして私に隣を勧めてくれる。

「ありがとう」

私はお礼を言って、彼女の隣に腰を下ろした。

「お疲れ様。さっきのゲリラ豪雨で、ディレイ対応だって? 大変だね」理華の向かい側に座っていた、同じく同期の今野こんのひとみが、私に声をかけてくれる。

「そうなの。でも、それは瞳も……お互い様でしょ」

私はそう答えながら、ひょいと肩を動かした。

「私は今日、新千歳一往復で、運よくその前に東京に戻って来れたから、被害なし」

「そっか。よかった」

そう言って、彼女に笑みを返した。

「ん」と唇を引いて、ニッと笑ってくれる瞳はCAだ。

勤務明けだからか、長い黒髪は綺麗にアップに纏められている。

大人っぽい顔立ちの美人だけど、サバサバした性格で、親しみやすい。

「じゃあ、今日は、藍里が一番お疲れ様だね」

隣から、理華が私にメニューを差し出してくれた。

私が約束の時間に二十分遅れてしまったから、テーブルにはすでにシーザーサラダと揚げ出し豆腐、ホッケとイカゲソの唐揚げが並んでいて、二人のファーストドリンク、ビールの中ジョッキが置かれている。

「ありがとう。ええと……」

メニューを見るまでもなく、一杯目は生ビールで決まっている。

私が、こちらに近付いてきた店員に、声をかけようとすると、

「お待たせしました。中生です」

オーダーする前に、私の前にドンと置かれた。虚を衝かれてきょとんとする私に、

「通路歩いてくるの見えたから、オーダーしといた。いつもそれでしょ?」

瞳が自分のジョッキを口に運びながら、そう教えてくれる。

「いつの間に……さすが瞳。気が利く」

一緒にいたはずの理華は、彼女がオーダーするのに全然気付いていなかったようだけど、言葉ほど驚いた様子はなく、クスクス笑って自分もジョッキを持ち上げた。

「ふふ。瞳、ありがと」

私たちは、それぞれ職種も働く場所も違うけど、定期的に開催される同期会の常連メンバーで、入社当時から九年の付き合いだ。

気兼ねのいらない砕けたやり取りに、無意識に目尻が下がる。

「じゃ、藍里も来たことだし、四ヵ月ぶりの女子会始めましょ。改めて、みんなお疲れ様っ。かんぱ~い!」

瞳とは違ったタイプの美人だけど、気取ったところがなく、可愛いといった印象が強い理華が、明るく声を弾ませる。

私も二人に続いてジョッキを手にして、「乾杯!」と応じた。

それぞれ、数口ゴクゴクとビールを飲んで……。

「ふーっ」

ほとんど同時に、大きな息を吐く。

「よし。食べ物追加しよ」

理華が、一度私に手渡してくれたメニューを開き、

「出汁巻き卵でしょ、チキンバスケットでしょ……」と、指折りセレクトを始める。

「理華、これ。遅くなってごめんね。結婚祝い。おめでとう」

私は、持参した紙バッグをテーブルにのせて、彼女の方に軽く押した。

「え」

「大したもんじゃないんだけど。ペアのタンブラー。よかったら、使って」

理華は、パチパチと瞬きをしたけれど。

「ひゃー……わざわざ、お気遣いいただいちゃって……」

うっすらと頬を赤く染めて、何故だか恐縮したように肩を縮める。

「えっと……ありがとう、藍里。大事に使わせてもらうね」

そう言って、照れ臭そうにはにかんだ。

理華は、副操縦士の水無瀬君の奥様だ。

一年ほど同棲していて、この間目出度く入籍の報告をもらったけど、実は私は、二人が付き合い出した経緯を、詳しく知らない。

二人とも、同期会で顔を合わせる仲間だけど、そんな素振りもなかったし、付き合ってると聞いた時、真っ先に『いつの間に』と言ってしまった。

「まだ照れてるの? 理華」

テーブルに頬杖をついて、ニヤニヤ笑う瞳は、その辺もよく知っているらしい。

「いや、だってさ。藍里もとおるのことよく知ってるし、なんかこう……むず痒くて」

ほんと、普通にしてたら結構な美女なのに、無自覚というか天然というか。焦った顔で、指先でポリッとこめかみを掻く仕草が、また可愛い。

「水無瀬君、理華のこういうところに堕ちたのかなあ」

私も、わざと間延びした声でツッコむと、彼女は頬に風を送るように手をひらひらさせた。

「そうそう」と応じてくれたのは、瞳だ。

「初めて部屋を訪ねた水無瀬君を、『誘惑の暖簾』でお迎えするような、どこか抜けた女」

「! ちょっと、瞳っ」

「誘惑の暖簾?」

隣で腰を浮かせた理華を遮るように、私は首を傾げた。

「洗濯物、干しっ放しにしてたのよ。おかげで水無瀬君、部屋に入った途端に、ズラッと干されたブラジャーにお出迎えされたって」

「~~っ!」

理華は茹った顔をして、ストンと腰を落とす。

私はわずかにポカンとしてから、

「ぷ」

小さく吹き出す。

「ふふっ……はははっ、理華らしい!」

肩を揺らす私の隣で、彼女が「もう」と頬を膨らませる。

「フライトで一緒になった瞳に話す、透も透だけど。藍里にまで暴露する瞳も瞳……」

「いいじゃない。その時の水無瀬君、すでに理華にメロメロだったんだから」

彼女からジロッと睨まれても、瞳は涼しい顔でジョッキを傾けていたけれど。

「でも、そういう二人が、瞳のキューピッドじゃない? 整備士の佐伯君……」

私が話の矛先を向けると、ブッと噴いた。

顔を横に背け、ゴホゴホと噎せ返る彼女の前で、理華が「そう!」といきり立つ。

「佐伯君のメールアドレス知ってたのに、いきなり連絡できないって。佐伯君も照れちゃって、二人きりにされたら、どうしていいかわからないって言うから、透と私と四人で合コンしてね……」

「すみませ~ん! オーダーお願いしま~す」

私の方に身を乗り出して、意気揚々と話し出すのを、瞳が身を捩って後ろを向き、声を張って阻んだ。

「あ。ズルーい」

理華は唇を尖らせているけど、オーダーで誤魔化す瞳は耳まで赤い。

「はは。……二人とも、いいなあ……」

私は、眉をハの字に下げて、独り言ちた。

瞳の彼は、同期の航空整備士、佐伯君だ。

二人のパートナーが共に同期のせいか、ついつい自分に重ね合わせてしまう。

台風対応でドタバタだった、あの夜から十日ほど――。

私は一度、氷室君に抱かれた。

身体を対価に手に入れたのは、『時々でいいから、休憩中一緒に食事する』……という権利。

本当は、もっと彼に望むことがあるのに、断られるのを恐れて踏み込めない。運航管理部の同僚には、『だいぶ打ち解けてきたね』と言われた。

とは言え、それまでがそれまでだったから、これでやっと『同じ職場で働く同期』っぽくなったという進歩でしかない。

実際は、なにを交換条件にしたら拒否されないか。

そこで終わりにされないか。

慎重に考えて、本当に言いたい条件を口にするのを、先に延ばしている。

そうやって、彼との関係を繋いでいるだけ――。

でも、私ももう、いい大人だもの。

誠実な形で始まり、順番通りに進んでいく、ピュアな恋ばかりが正解じゃないことは知っている。

ただの同期……以下の私たちだったから、一歩踏み込んだ関係に変えたいと願ったら、むしろあれが一番ナチュラルだった。

身体先行の恋愛なんて、決して褒められたことじゃないけど、今はこうして、彼の心の奥に踏み込ませてもらえるタイミングを測るしかない。

って……私ばっかり、すっかり堕ちてる感じ――。

「ねえねえ、藍里。『いいなあ』ってなにが?」

塞ぎ込みかけた意識に、明るい声が割って入って、私はハッと我に返った。

「え?」

いつの間にか俯いていた顔を上げると、理華が首を傾げて私を覗き込んでいる。

「二人ともいいなあ、って。言ったでしょ?」

「あ……」

独り言を、聞き拾われていたのだと気付く。

「う、ううん。別に、なんでも……」

ぎこちない笑みで、誤魔化そうとすると、

「別に、じゃないでしょ」

オーダーを終えた瞳が、テーブルにのせた両腕に体重を預け、身を乗り出してきた。

「藍里はどうなのよ? そっちの方」

「えっ……」

上目遣いで見据えられて、図らずしてドキッと心臓が跳ねる。

「私は、念願の運航管理部に異動して間もないから。そういう……恋愛事に気を取られてる場合じゃない。人より努力しないと……」

取ってつけたように言いながら、じっとりした視線を向ける二人から逃げ、明後日の方向に目を彷徨わせた。

それで、綺麗に収まったと思ったのに。

「それ、この間透も心配してた。なんか、同期の氷室君が厳しくしてそうって。大丈夫?」

「っ、え!?」

理華に、思い出したように言葉を挟まれ、ひっくり返った声をあげた。

「氷室君? ああ、ディスパッチャーの」

瞳も運航部門という大きな括りで所属が同じだから、すぐにピンと来たようだ。

「私は、業務上で関わりないけど、パイロットがよく話してる。無愛想だけど滅茶苦茶キレる……なんだっけ、孤高の狼?」

「知的イケメンだよね~」

「そのわりに、意外と華やかだったりして。年上の航空管制官と付き合ってたよね」

軽い調子で相槌を打つ理華に構わず、目線を上に向けて記憶を手繰るような表情を見せる。

「……えっ!?」

私は、一瞬思考を巡らせてから、腰を浮かせて聞き返した。

「ひ、瞳。それ、ほんと?」

勢い込んで訊ねる私に、彼女は虚を衝かれたような顔をしたものの、一度、頷いて応えてくれる。

「だいぶ前にね。CAが噂してたよ。二年……いや、三年くらいは前かな」

唇に人差し指を当てて首を捻るのを見て、私は無言で椅子に座り直した。

きっと……間違いなく、彼女のことだ。

今、私が氷室君と妙な関係になったきっかけの、根底にいる人。

立花、実可子さん――。

『それ以上は、立入禁止』

最初にそう言われてしまって以来、踏み込めずにいたけど……。

「…………」

ドクドクと嫌なリズムで、心臓が拍動を強める。

氷室君からなにも聞かないまま、人伝に聞いたCAの間の噂を、鵜呑みにしたくない。

だけど私じゃ、いつになっても彼本人に聞けない。

本当は、すごく気になっていて、一番知りたかったこと。

だから――。

「瞳、お願い。それ、教えて」

私は無意識にゴクッと唾を飲んで自分の背中を押し、瞳に真剣な目を向けた。

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    JAK73便の乗客乗員四百十一名に怪我はなく、全員無事だった。胴体着陸なんて大事故が、目と鼻の先で起きたのに、夏休みシーズンで普段より混雑していた空港ターミナルでも、目立った混乱は見られなかったそうだ。タッチアンドゴーを繰り返さず、一発で着陸を成功させたおかげで、ターミナル内にいた旅客の多くが、そんな事態に陥っていたことに気付かなかったためだ。結果として、久遠さんの判断がすべてにおいて功を奏し、巡航中の機内だけでなく、空港全体の秩序を守った。英雄と崇められてもいい。とは言え、胴体着陸ともなると、航空事故に分類され、重大インシデントに認定される。着陸前から、社内で事故調査委員会が発足していた。明日には、国土交通省による、事故調査チームが調査に入る。それに先立って、社内での聴取が行われることになった。着陸を終えて間もない久遠さんと副操縦士を、社内の調査委員がターミナルで出迎えた。73便の機体整備を担当した航空整備士、胴体着陸を許可した管制官の立花さんとその上司、そして、担当ディスパッチャーの穣と運航支援者の私も招集された。委員も含めて十五人ほどでの聴取は、本社の役員会議室で行われた。私はこの時初めて、ディスパッチャーにも恐れられる、『鬼機長』の久遠さんと対面した。フライトプランの件で、穣と一触即発のやり取りをした記憶も新しい。四本ラインの制服姿が凛々しい、美しい鬼……いや、エリート機長は、ちょっと怖そうだけど、真面目で真摯な印象を受けた。ほんのちょっと……穣に通じるところがある。重苦しい空気の中行われた聴取では、離陸前の機体整備状況に問題はなく、事故の原因も、バードストライクによるエンジントラブルと結論付けられた。その後争点になったのは、穣も反対した、フライトマニュアルに反した一発での胴体着陸という、機長の判断だった。久遠さんは、カンパニーラジオ越しに穣にしたのと同じ説明を繰り返し、立花さんも『久遠機長の操縦技術は確かですから、その判断を信頼し、全面的に支持しました』と答えた。調査委員から意見を問われた穣は、燃料に十分な余裕があったことから、フライトマニュアルに沿って、タッチアンドゴーを試みるのが第一選択だったはず、と答えた。だけど……。「以上が、一ディスパッチャーとしての意見です。私個人的な意見を申し上げますと……今後、自分が

  • 地上のパイロットは同期の私に塩対応が過ぎる   ……さすがキャプテン

    お昼過ぎに瞳からLINEをもらい、あの後の大まかなアウトラインは報告した。でも、散々迷惑をかけてしまったし、ちゃんと謝罪とお礼をしておかなければ……。『今度、時間合わせて会えないかな』それには、『OK!』と、指サインのスタンプが返ってきた。お互いシフト勤務の上、瞳は毎日東京に帰ってくるわけではない。彼女とは、それから一週間後の八月下旬に、空港の職員食堂で会う約束をした。公休明け、私は新任運航支援者フォローアップ研修のために、五日間本社勤務で、氷室君……穣と勤務は別々だった。間に公休を挟んで迎えた、瞳との約束当日。一週間ぶりにOCOに出勤すると、穣の方が公休で不在だった。結局、瞳との約束までに、彼と話すことはおろか、顔を見ることもできなかった――。LINEで伝えた以上のことは、なにも報告できない。お盆のハイシーズンが過ぎ、私たちの業務もだいぶ落ち着いていた。でも、世間はまだまだ夏休みで、業界的にはオンシーズン。お昼のピークを過ぎても、食堂に出入りする職員は多い。私はミートソーススパゲティをのせたトレーを持って、キョロキョロと辺りを見回しながら、奥まで進み……。「藍里、こっち!」大きな柱の影になるテーブルに、CAの制服をビシッとカッコよく着こなした瞳がいた。座ったまま身を捩って振り返り、手を上げて合図してくれる。彼女はフライト合間のブレイク中で、三十分だけ時間を取ってくれていた。「あ」私はやや急ぎ足で、彼女の方に急いだ。その向かいの席に、作業服姿の短髪の男性がいるのを見留めて、少し手前で足を止める。「お疲れ様、八巻さん」私に向けてくれる、素朴で屈託のない笑顔。同期の航空整備士、佐伯君。瞳の彼だ。「えっと……お疲れ様」私はテーブルの側まで歩いて行って、同じ労いを彼に返した。佐伯君も昼食休憩のようだけど、食事は終わっているようだ。彼の前のトレーには、綺麗に空になったプレートがのっている。「ごめんね。充とは、偶然会っちゃって」瞳が、私に向かって両手を合わせる。「ううん。ええと……私、今日は遠慮しようか?」佐伯君は私もよく知る同期だけど、せっかく恋人同士で休憩中なのに、割って入るのは気が引けた。若干腰を引かせて気遣うと、瞳が「なに言ってんの」と頬を膨らませる。「変な気遣わなくていいから、座って」

  • 地上のパイロットは同期の私に塩対応が過ぎる   今、すごく抱きたい

    ――ふわふわする。頭も、身体も。微かな振動を受け、ゆらゆら揺れる。「う、ん……」私は、夢と現の狭間で、呻いた。「……むろ、く」ぼんやりと口にした名前。それが、夢の中だったか、現実で口を突いて出た寝言かも判断できない。自分の身体の感覚も思考も、酷くぼんやりして、曖昧で心許ない。だけど、ただ一つ。胸に当たる硬い感触が、とても温かく心地よかったから、今自分がどんな状況にあったとしても、不安はなかった。「くん、の、バカ……」重い意識の中、なにも恐れることなく、心のままに唇が動く。「意地悪。鬼。冷酷非道。人でなし……」ポッと浮かび上がる罵詈雑言を、意味を考えることもせず、つらつらと口にする。「思わせぶりな、スケコマシ。遊び人。女の敵。……さいてー」最後はむにゃむにゃと言って、口を噤み……。……そんな男でも、私は――。「……好き……」――だから、私も。あの人みたいに、『穣」って呼びた……。……――。「寝言のわりに、随分とこき下ろしてくれるな。今度はどんな夢見てるんだ?」突然、刺々しい低い声に、ふわふわした意識を切り裂かれた。鼻をギュッと摘ままれる感触。――息苦しい。一拍分の間の後、鼻呼吸ができないのを自覚して、「ん、むっ!?」私は、ぷはっと口を開けた。浜辺に打ち上げられた魚みたいに、口をパクパクさせて酸素を取り込む。目蓋の裏が白く明るいのに気付き、バチッと目を開けた。途端に降り注ぐ、黄金色の明かり。私は「うっ」と呻いて、目を眩ませた。何度か瞬きをして明かりに慣れると、真上から降ってくる影にも意識が向いた。うっすら白い膜がかかった視界で、必死に焦点を合わせ――。「……。……氷室、君っ!?」不機嫌そうに眉を寄せる、作り物みたいに整った顔を認識して、私は弾かれたように飛び起きた。途端に襲ってくる頭痛と眩暈に、「う」と額に手を当てる。「やっと気がついたか」溜め息が聞こえる方向に、ぐるんと顔を向けた。氷室君はノーネクタイで、白いシャツの第二ボタンまで開き、シャープな鎖骨ラインをチラチラさせている。眼鏡をかけていなかったから、頬骨あたりの泣き黒子が目に入り、条件反射でドキッとして……。「えっ!? こ、ここここ、ここどこ!?」私は、ひっくり返った声をあげ、忙しなく辺りを見回した。私の部屋ではない。ホテ

  • 地上のパイロットは同期の私に塩対応が過ぎる   よいフライトを

    休憩を終えてデスクに戻ると、午後十時の終業時間までノンストップで仕事だ。このハイシーズンは、とにかくフライト数が多い。午後七時になっても、フライトスケジュールはびっしり。滑走路からは、他社便も含めて、ほぼ分刻みで離陸していく。「八巻さん。午後九時台の関空、伊丹全便、ロードプラン急がせて」カンパニーラジオのインカムを装着した氷室君が、マイクをオフにしながら私に指図した。「すぐ、コントローラーに連絡します」「それから、さっき離陸した広島12便。ランディングで強風の影響受けるかもしれない。気象データ確認して」私が最初の命令を実行しようと、電話の受話器を持ち上げる間にも、間髪入れずに次の指示が入る。「はい。広島、広島……」短縮番号をプッシュして、左の肩と耳で受話器を挟み、右手でマウスを動かす。耳に、『はい、ステーションコントロール部です』と、受話器越しの応答が届いた。「お疲れ様です。運航管理部、八巻です。すみません、午後九時台の広島全便のロードプラン、急いで……」パソコンモニターに展開した、広島の天気図に目を凝らしながら、ほとんど無意識に口を動かすと。「違う。関空、伊丹」隣からビシッと声を挟まれ、マウスを動かす私の手は、条件反射で止まった。「……え?」受話器を右手で支えて、隣のデスクに顔を向ける。「広島は気象データ。ロードプランは大阪」氷室君はこちらをちらりとも見ず、フライトプランを作成しながら、やや棘のこもった声で、一語ずつ区切って繰り返した。私は、言われたことを頭の中で噛み砕いてから、ハッと我に返る。「す、すみませんっ! 急いでほしいのは、九時台の大阪……関空、伊丹便です」冷や汗を掻きながら、電話の向こうのロードコントローラーに訂正した。一年のうちで、一二を争うハイシーズン――。OCOで初めて迎えるお盆シーズンは、目が回るほどの忙しさ……もとい、私は本当に目を回していた。氷室君のフォローで、なんとか無事、関空、伊丹便のロードプランを急かして電話を切ると、半分デスクに突っ伏しながら「ふーっ」と息を吐いた。「氷室君。ロードプラン、あと十分って……」報告しながら、顔だけ彼の方に向ける。だけど、返事はなく。「こちら東京OCO。JAK60便コックピット、応答願います」氷室君は表情一つ変えずに、巡航中のコックピットと交信

  • 地上のパイロットは同期の私に塩対応が過ぎる   こっちこそ、よろしく

    泣いた。辺りを気にすることなく、まるで子供の頃のように、わんわん声をあげて。顔を突っ伏した枕がグショグショになるほど、涙を流して。喉が嗄れて、泣き声も出なくなるほど。涙が枯渇して、全身の水分が失われ、干上がるかと思うほど。思いっきり泣いて、力尽きて泣きやんだ。ゴロンと寝返りを打って、ベッドに仰向けになる。天井を仰ぎ、お腹の底からはーっと息を吐いた。最後の嗚咽の余韻のように、ひくっと喉が鳴る。もう、しゃくり上げる力も残っていなかった。目の上に両腕を翳し、閉じた目蓋に力を込める。「言うな、ってなんなの。真剣なのに、言わせてもくれないなんて、酷い男……」実際に声になっていたか、それともそういう形に唇が動いただけかはわからない。だけど、意識してはっきりと彼を詰れたおかげで、少しだけ気分が晴れる。そうよ。あんな酷い男、仕事以外で尊敬する部分なんて、なに一つない。いくらずっと憧れていたディスパッチャーだからって、一度寝ただけで変な情が湧いて好きになるなんて、いい年してどうかしてた。いや、それだって錯覚だったかも。氷室君と、二度目の夜。あの時の私は、身体は疲れてるのに、頭は冴えて気持ちが高揚していた。心と身体、脳みそがバランスを欠いて、明らかに尋常じゃなかった。私は、彼の意味深な言い回しを、誘われたと勘違いして期待した……なんて方向に、意地悪に誘導されただけだ。いっそ、心を巧妙に操作された、と言い切ってもいい。今日だって、頭の中で脳神経が一本切れたような、興奮状態だった。氷室君は、恋愛に本気になるのは嫌だと言った。私は適当な遊び相手でしかなかっただろうし、『好き』なんて口走らなくてよかった。――止めてもらえて、よかった。「っ……」冷静になって導き出した結論は、絶対正しいと思うのに、彼を詰る私の心は張り裂けそうだった。彼を悪者にして、自分を肯定しようとすればするほど胸が痛み、なんの慰めにもならない。だって今なら、私もよくわかる。私が運航管理部に異動したのは、すでに立花さんが、氷室君に復縁を求めていた頃だろう。自分の都合で氷室君を振っておいて、今もまた、自己中心的に彼を欲しがって。氷室君は、気持ちでは強く突っ撥ねていても、あまりに彼女を理解し難いせいで、思考回路を占領される。そんな自分は、彼女に囚われているかのようで

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