เข้าสู่ระบบお昼過ぎに瞳からLINEをもらい、あの後の大まかなアウトラインは報告した。
でも、散々迷惑をかけてしまったし、ちゃんと謝罪とお礼をしておかなければ……。『今度、時間合わせて会えないかな』
それには、『OK!』と、指サインのスタンプが返ってきた。
お互いシフト勤務の上、瞳は毎日東京に帰ってくるわけではない。 彼女とは、それから一週間後の八月下旬に、空港の職員食堂で会う約束をした。公休明け、私は新任運航支援者フォローアップ研修のために、五日間本社勤務で、氷室君……穣と勤務は別々だった。
間に公休を挟んで迎えた、瞳との約束当日。 一週間ぶりにOCOに出勤すると、穣の方が公休で不在だった。結局、瞳との約束までに、彼と話すことはおろか、顔を見ることもできなかった――。
LINEで伝えた以上のことは、なにも報告できない。お盆のハイシーズンが過ぎ、私たちの業務もだいぶ落ち着いていた。
でも、世間はまだまだ夏休みで、業界的にはオンシーズン。 お昼のピークを過ぎても、食堂に出入りする職員は多い。 私はミートソーススパゲティをのせたトレーを持って、キョロキョロと辺りを見回しながら、奥まで進み……。「藍里、こっち!」
大きな柱の影になるテーブルに、CAの制服をビシッとカッコよく着こなした瞳がいた。
座ったまま身を捩って振り返り、手を上げて合図してくれる。 彼女はフライト合間のブレイク中で、三十分だけ時間を取ってくれていた。「あ」
私はやや急ぎ足で、彼女の方に急いだ。
その向かいの席に、作業服姿の短髪の男性がいるのを見留めて、少し手前で足を止める。「お疲れ様、八巻さん」
私に向けてくれる、素朴で屈託のない笑顔。
同期の航空整備士、佐伯君。瞳の彼だ。「えっと……お疲れ様」
私はテーブルの側まで歩いて行って、同じ労いを彼に返した。
佐伯君も昼食休憩のようだけど、食事は終わっているようだ。 彼の前のトレーには、綺麗に空になったプレートがのっている。「ごめんね。
瞳が、私に向かって両手を合わせる。
「ううん。ええと……私、今日は遠慮しようか?」
佐伯君は私もよく知る同期だけど、せっかく恋人同士で休憩中なのに、割って入るのは気が引けた。
若干腰を引かせて気遣うと、瞳が「なに言ってんの」と頬を膨らませる。「変な気遣わなくていいから、座って」
隣の席から荷物を退かし、彼に預けて空けてくれて、私に座るよう促す。
「う、うん……」
それでも彼を気にして、やや恐縮して腰を下ろすと。
「この間、氷室君の連絡先教えてくれたの、充だし」
「え……佐伯君?」
「充、氷室君と大学時代からの付き合いなの。充は航空整備科で、氷室君は航空工学科だけど」
瞳はテーブルに頬杖をついて、彼の方に「ね?」と同意を求めた。
「うん。この間って?」
佐伯君は穣との付き合いには肯定の返事をしたものの、連絡先の件は瞬時に思い出せないようで、きょとんとした顔をする。
「一週間前かな。私、教えてってLINEしたじゃない」
アイスコーヒーの入ったグラスを手に取って答える彼女に、顎を撫でながら記憶を手繰るように目線を上げた。
「ああ……そう言えば。あれ、穣……氷室になんの用だったんだ?」
訝しそうに小首を傾げる彼に、
「藍里が酔い潰れたから、介抱任せようと思って」
瞳はしれっと言って、ストローを咥える。
「ごほっ……」
あまりにもストレートな説明で、私はフォークに巻き取ったスパゲティを口に入れたところで、思わず噎せ返った。
「へ? 八巻さんの介抱?」
佐伯君もポカンと口を開けて、私の方に顔を向けた。
私は、両手で口を覆ってゴホゴホと咳をして、グラスの水を飲んでなんとか落ち着いてから、
「ええと……」
返事に困って、目を彷徨わせた。
「なんかよくわからないけど……。アイツ、そんな呼び出しされて、来たの?」
氷室君は半信半疑といった様子で、私と彼女に交互に視線を向ける。
瞳は『当然』とでも言いたげに、「うん」と大きく頷いた。「意外。氷室が、八巻さんのために……?」
九割方話が見えていないせいで、佐伯君は呆気に取られているけれど。
「充、そろそろ休憩終わりじゃない? 戻らなくて平気?」
ストローをズズッと鳴らし、グラスを置いた瞳にそう問われ、『あ』と口を丸く開けて、左手首の腕時計に目を落とした。
「ヤバ。じゃ、俺行くわ。八巻さん、また今度」
慌てた様子で立ち上がり、トレーを持ち上げながら、私にそう声をかけてくれる。
「う、うん。ありがとう」
私が小さく手を振ると、にっこり笑って。
「瞳。夜、電話する」
彼女には恋人同士らしい一言を残し、テーブルから離れていった。
「うん。行ってらっしゃ~い」
瞳も笑顔でひらひらと手を振って、彼の作業服の背中を見送っていたけれど。
「……ひーとーみーっ」
私はやや背を屈め、彼女にじっとりとした目を向けた。
「同期なんだし、隠すことない。あれでも充、氷室君とは旧知の間柄だし、事情を知れば味方になってくれるはず」
瞳は堪えた様子もなく、涼しい顔で頬杖をつく。
親しいのは、佐伯君が最初に、『穣』と名前で呼んだことからも察せられた。「だからって……」
私は頬を膨らませたけれど、すぐに時間を気にして気を取り直した。
「まあ、いいや。とにかく、この間は迷惑かけてごめん。それから、ありがとう」
改まって背筋を伸ばし、隣の彼女にペコッと頭を下げる。
「いえいえ~」
瞳は両方の口角を上げ、CAの教本に出てきそうな、美しい笑顔を作った。
まず、謝罪とお礼という目的を遂げたところで……。「それで、あの時のことなんだけどっ」
私は周りを気にして、こそっと声を潜める。
「ん?」
「ひっ……氷室君に、なにを言ったの? 『ただただ謎』って、顔しかめてたよ」
「なにって、そのまんま」
瞳は頬杖を解くと、スラリと長い足を組んだ。
「氷室君のせいで、藍里が泣いて酔い潰れたから、男らしく責任取って迎えに来なさいって」
「もーっ……」
悪びれずに答える彼女に、私は額に手を当てて溜め息をついた。
「でもねー。藍里にはどう言ったか知らないけど、本当にすっ飛んで来てくれたのよ、氷室君」
瞳は腕組みをして、なにやらニヤニヤして続ける。
「え?」
「あれは、走ってきたんだろうなー。額に汗滲ませてたから。カウンターに突っ伏してる藍里を見て、血相変えてたよ」
からかうような流し目に、私の胸がドキッと跳ねた。
確かに、一緒にいた立花さんを、ほっぽって来たと言っていたけれど……。「嘘。氷室君、が……?」
鼓動が速まるのを感じながら、半信半疑で聞き返す。
瞳は、大きく「うん」と頷いて。「まあ、酔い潰れてるだけだって確認したら、『ぶっ倒れたばかりなのに、なにやってんだ』って、苦虫噛み潰したような顔で、呆れ返ってたけど」
「あ……」
私の胸が、トクンと優しく拍動する。
「ほんのちょっとでも迷惑そうな顔したら、思いっきり詰ってやろうと思ってたのに。結構真摯に『連絡くれてありがとう』って言われて、私も拍子抜けしちゃった」
瞳が目力を緩めて、面白そうに笑い出す。
「ほんとに……? ありがとうなんて、氷室君が」
信じられない思いで、呆然と繰り返す私に、もう一度強く首を縦に振ってくれる。
「藍里のこと颯爽と抱き上げて、『コイツにも礼はさせるから』って。ああいうスマートな行動、イケメンだとさらに様になるよね。うっかり惚れそうになった」
人差し指を唇に当てて、その時のことを思い出すようにうそぶく。
「え? ちょっ、瞳っ」
さらっと聞き流しそうになったけど、聞き捨てならない一言に反応する私に、「冗談よ」と吹き出した。
「私、充一筋だもの」
臆すことなく堂々と胸を張る彼女に、私は一瞬ポカンとして――。
「……ふふっ。そこで惚気ないでよ」
相変わらずの瞳節に、ついついツッコんだ。
瞳は柔らかい笑みを浮かべたまま、テーブルに両腕を置いた。 そこに体重を預け、「ねえ、藍里」
私を横から覗き込んでくる。
「あの時、藍里の話だけ聞いたら、氷室君はさいてーな男に違いないけど。私には、藍里のこと、わりと真面目に考えてるように見えたわよ?」
真剣な目をして諭すように言われて、私も自然と姿勢を正した。
「立花さんのことも。本気で好きだったから、わけわかんなくて戸惑ってるかもしれないけど、彼自身がその気がないって言うなら大丈夫。信じて、待ってていいと思う」
瞳は私と一緒に、穣が立花さんといるところを見ているから、プライベートなことだけど、アウトラインだけ説明してあった。
そんな彼女に力いっぱい言ってもらえて、背中を押してもらえた気分で勇気づけられる。 とは言え、素直に頷くのも照れ臭くて。「……って言っても、私、ちゃんと『好き』って言わせてもらえないしな。『聞きたくない』って阻まれちゃったし」
唇を尖らせて、自虐的に呟く。
だけど瞳は意に介した様子もなく、ふんと鼻を鳴らした。「耳摘まんで、鼓膜破れるくらい怒鳴ってやりなさいよ。嫌でも聞こえるから」
どこまでも強気な彼女に、私は一瞬あ然としたものの――。
「ふふっ。瞳らしい」
それでも、自分は佐伯君に自分から連絡することもできず、理華や水無瀬君に仲介を頼んだと聞いているから、そんなギャップが可愛い。
「感心してないで、藍里もドーンと行きなさいって」
悪戯っぽいウィンクで返され、その言葉を噛みしめてから、
「うん」
私は、大きく頷いた。
「上手くいったら、ダブルデートしようね」
瞳が、私を肘で突つく。
「はは……そんな日が来るといいな」
気が早い彼女に、私は苦笑いで応えた。
八月最終週になって、ようやく穣と同じシフトに戻った。
私の研修や互いの公休の関係で、シフトが分かれていたのは、ほんの十日ほど。 だけど、OCOに異動してから、こんなに長く顔を合わせなかったのは初めてだから、とても久しぶりに感じる。「久しぶり! また、よろしくお願いします」
遅番勤務開始前、なんだかちょっと緊張して、ドキドキしながら挨拶をした。
「こちらこそ」
穣は挨拶こそ返してくれたものの、それ以上無駄な会話はせず、淡々と業務を始めてしまう。
相変わらずの、涼しい横顔――。 最後に会った時は、あんな激しいキスを何度もして、『今、すごく抱きたい』なんて言ったくせに……。あれ以来、初めて顔を合わせた彼には、あの時の熱さも激しさも皆無だから、拍子抜けというか、ちょっと悔しい気分に駆られる。
『問題片付いてからにする』と言われたことまで脳裏に蘇ってきて、私は、静かに高鳴る胸に手を当てた。十日間もあったんだから、立花さんと話をしたはず……だと思う。
でも、顔面神経を無駄にしている乏しい表情からは、なんの変化も窺えない。今も、頭の中は、立花さんでいっぱいのままなのかな。
隣にいる私のことを、どんな気持ちで見てるんだろう。 時間が経ちすぎて、もうあの熱情も冷めてしまったかな。――気になる。
聞きたい、知りたい……。インカムを装着する彼の横顔を探って、私はすぐにハッと我に返った。 いけない、いけない。もう仕事は始まってる……! 一度大きく首を振って、彼に会ったことで刺激された煩悩を霧散させた。 気を取り直して、頭を切り替える。遅番勤務。
早番から引き継いだ便は巡航中。 穣が一からフライトプランを作成する便は、夜十時までびっしり詰まっている。まず、なにを求められるか。
指示を待つのではなく先回りして、自ら情報収集を進めていると――。『PAN-PAN PAN-PAN PAN-PAN. Tokyo control, JAK073』
「えっ?」
穣が、短い声をあげた。
私はキーボードに走らせていた指を止め、彼の方に顔を向ける。『JAK073, Tokyo control. Go ahead』
彼のデスクから漏れ聞こえてくるのは、常時モニタリングしている、巡航中の機体と管制塔の無線交信だ。
三回繰り返されたPAN-PANコール……遭難信号に当たる『メーデー』を発する一歩手前の、準緊急事態に陥ったことを伝える、航空無線における緊急用語だ。 『メーデー』ほど切迫していないものの、巡航を続けるにあたって、なんらかの障害が発生した際に使用される。今まさに、空のどこかで緊急事態が起きている。
私は、思わず息をのんだ。穣の厳しい横顔に見入り、弾かれたように立ち上がる。
彼の背後に回り、モニターを覗き込んだ。フライトレーダーが展開されている。
管制塔にPAN-PANコールを発信したのは、十分ほど前に離陸した伊丹行きJAK73便。 現在、伊豆半島付近を巡航中。 機長は久遠さんだ。抑揚の感じられない低い声。
時々走るノイズに邪魔されながらも、私より数秒早く英語によるやり取りを理解した穣の横顔に、確かな緊張が走る。羽田を離陸して五分ほど後、機体に衝撃があったそうだ。
その影響か、右エンジンが停止したと言う。『Tokyo control, JAK073, Request emergency landing to Tokyo-Haneda』
久遠さんが羽田空港への緊急着陸を要請するのを聞いて、私の背筋にゾワッと戦慄が走った。
周りのデスクのディスパッチャーたちも、異変に気付いたようだ。 何人かが席から立ち上がり、こちらを注視している。 73便担当の穣は、モニターにサッと視線を走らせた。『JAK073, Control Roger. Contact Tokyo approach 119.10』
『Roger』
管制塔が要請に応じ、着域管制席の周波数を伝える横で、リーダーの手塚さんが駆け寄ってくる。
「氷室。73便、なにが起きた」
穣は、彼には視線を向けずに、
「管制塔に、PAN-PANコールを発信しました。原因究明要請します」
早口で返答して、インカムのマイクをオンにした。
「グラウンド。こちらOCO」
カンパニーラジオで呼びかけたのは、地上の航空整備士だ。
わずかな間の後。『OCO、こちらグラウンド。どうぞ』
整備士の応答があった。
「巡航中の73便、離陸五分後に機体衝撃あり、エンジントラブル発生。即刻、原因究明を」
『グラウンド、了解』
交信を終えると、穣がスッと立ち上がった。
傍らの手塚さんに、まっすぐ向き直る。「右エンジン停止により、羽田に緊急着陸します」
改めて緊急事態を告げる彼に、国内線短距離チームのみんなが、一瞬ざわめいた。
手塚さんはさらに厳しく顔を歪め、大きく頷いて理解を示し……。「氷室。お前は73便の着陸フォローに専念しろ。他の便は、皆で振り分ける」
「はいっ」
リーダーの号令に、全員が力強く呼応して、慌ただしく業務に戻っていく。
穣も椅子を引いて、ドカッと腰を下ろした。 無言で、眼鏡のブリッジをグッと押さえる。こんな事態、初めてだ――。 私は不安を隠せず、身の置き場を求めて、彼と手塚さんを交互に見遣った。「八巻さんは、氷室のサポートを頼む」
手塚さんに指示されて、ビクッとして背筋を伸ばす。
どこでなにをしたらいいか、明確にしてもらえただけで、気持ちが軽くなる。「は、はいっ……」
それでもまだ怯えて返事をする間に、無線が入った。
『OCO。こちらグラウンド』
整備士からだった。
『現在、滑走路の点検中。バードストライクの可能性が高い。前輪機構が損傷している恐れあり』
「前輪が下りない……」
顎を撫でて呟く手塚さんに、私は目を凝らした。
穣は表情を失ったまま整備士に了解を告げ、交信を終えて手塚さんを仰ぎ見る。「フライトマニュアルに沿って、タッチアンドゴーだな。離陸直後で、燃料に不安はない」
簡潔な意見に頷き、
「すぐ、コックピットに連携します」
言うが早いか、カンパニーラジオでコックピットを呼び出した。
タッチアンドゴー……一度着陸して、すぐに離陸するという飛行方法だ。 後輪が着陸した際の衝撃で、前輪を振り下ろすという狙いがある。 前輪が下りなくなった場合、この方法を何度か繰り返すのがセオリーだ。穣は久遠機長にエンジントラブルの原因を伝え、了解の返事を待って、マイクをオフにした。
「俺の方からも、管制塔に連絡する。長時間、滑走路を閉鎖しなきゃいけなくなるだろうから」
事態の収束への方向性を確認して、手塚さんは自席に戻っていった。
穣は、コックピットと管制塔の交信を、モニタリングしている。 私は自席に戻ることもできず、彼の後ろに立ち尽くしたまま。「なにっ……!?」
強張った声に、ビクッと身を竦ませた。
「一発で胴体着陸? なにを考えて……!」
緊迫した声で叫び、再び73便のコックピットに応答を求める。
彼の剣幕に、チームのみんなもざわついた。「キャプテン、無茶です。フライトマニュアルに従ってください」
いつになく声をあげて交信する穣を見つめて、私はゴクリと唾を飲んだ。
無意識に胸元の服を握りしめた手が真っ白になるほど、力を込める。『ロードプランを見直せ。シートは満席。搭乗客の中に妊婦が複数名、子供連れの家族も多い。不安定な飛行を続けて、乗客の不安を増長させるわけにはいかない』
「離陸後、十五分です。積んだ燃料を消費できない。最悪、火災炎上の危険があります」
落ち着き払った久遠さんに、穣が声を荒らげる。
『そうだな。だが、左のエンジンだけでは出力が弱い。万が一左もやられたら、73便は真っ逆さまだ』
「ひっ……」
私は思わず声を漏らし、両手で口を覆った。
その間も、久遠さんの冷静な声が、無線越しに届く。
『館山から進入する。太平洋巡航中に、燃料投棄。残りは、東京上空で旋回して消費する。管制も了承済みだ』
席に戻ったみんなが、再び私たちの方に近付いてきた。
やや遠巻きに、彼を見守っている。『東京OCO。どれだけの時間旋回が必要か、報告を』
「っ……キャプテン!!」
『一度離陸したら、フライトの全権、責任はキャプテンにある。安心しろ、しっかり降りて停めてやる。地上は任せた。万一に備え、消防、救急の手配をよろしく』
彼が腰を浮かせる途中で、コックピットの方から交信を断った。
穣は中途半端な体勢で固まり、「くそっ、あの石頭……!!」
力いっぱい、デスクに腕を打ちつける。
ダンッというすごい音がして、一瞬OCO内がしんと静まった。 先輩ディスパッチャーたちが、即座に我に返り、「消防の手配は任せろ」
穣に声をかけて、席に戻っていく。
私は、彼らと穣の背中を交互に見遣って……。「ひ、氷室君。旋回に必要な時間、私が計算します」
自分を奮い立たせて、デスクに戻った。
小刻みに震える手をキーボードにのせて、73便のフライトプランを確認しながら、社内システムに数値を入力し始める。穣はインカムを毟るように外して、デスクから電話の受話器を持ち上げていた。
私は作業しながら、視界の端で彼を窺う。
「立花さん!」と呼ぶのを聞いて、一瞬ギクッと身を竦めた。 彼が電話をかけたのは、管制塔だとわかる。「なんで73便の胴体着陸を許可した? 危険だ。止めてくれ」
どうやら、久遠さんからのリクエストを許可したのは、立花さんのようだ。
私は、彼の蒼白な横顔を気にしながら、なんとか指を走らせる。 電話の向こうの彼女が、彼にどう返答しているかはわからない。私の目の前のモニターに、燃料を消費するのに必要な旋回時間の計算結果が出た。
それを、彼のパソコンに転送してから、立ち上がる。穣は返す言葉を失い、絶句している。
そんな彼の傍らに佇み……躊躇ったのは、ほんの一瞬。 思い切って、彼の手から受話器を取り上げた。「っ」
弾かれたように私を仰ぐ、穣の視線を感じながら――。
「立花さん。運航支援者の八巻です」
ドクドクと騒ぐ心臓の音を気にしないように、必死に冷静を努めて呼びかけた。
ほんのわずかに訝し気な気配が、受話器越しでも伝わってくる。 だけど、それも束の間。『氷室さんに、伝えてください。管制塔は、JAK73便の機長の要求を全面支持します』
どこまでも事務的だけど、揺るぎない断言に、私はこくりと喉を鳴らした。
穣は、冷静さを取り戻してくれた。
私が燃料投棄分も組み込んで計算した旋回時間を、自分でも見直し、コックピットに伝えてくれた。 その結果を得て、73便は着陸ルートに進入。 現在、最大着陸重量まで機体重量を抑えるために、東京上空を旋回待機中だ。 管制塔から、滑走路への着陸許可が下りるまでは、膠着状態――。73便以外のフライトを他のディスパッチャーに委ねているから、穣も私もコックピットと管制塔の交信を、息を潜めてモニタリングしている。
時折、彼が現在高度と残燃料を確認するために、73便を呼び出す。 数字を伝え合うだけの淡泊なやり取りを終えて、マイクをオフにした彼に、「あの……氷室、君」
遠慮がちに、だけど意思を持って声をかけた。
穣はムッと唇を結んで、目線だけ私に返してくる。「さっき、立花さんに言われたの。氷室君に伝えてって」
彼と目を合わせて、そう切り出す。
彼の表情は、ほとんど変わらない。 ハッと浅い息を吐いて、「JAK73便の機長の要求を全面支持します……だろ。文句ないよ。従ってるだろ」
シートに大きく背を預け、長い足を組み上げてふん反り返る。
ディスパッチャーの制止を聞かず、胴体着陸を強行する久遠さんにも、それを許可した立花さんにも、ただただ不服なのが、グッと腕組みをする様子からもわかりやすい。「ううん。それだけじゃなくて」
私がたどたどしく続けると、訝し気に眉尻を上げた。
「『肩の力を抜いて、地上からの操縦を楽しみなさい』……って」
電話越しに、私の鼓膜を直接震わせた、彼女の言葉。
今、自分自身の心にも刻みながら、ゆっくり、噛みしめるようにして告げる。「……は?」
穣は一拍分の間を置いて、ますます不審そうに眉間の皺を深くした。
「どういうことだろう、って思ってたんだけど」
私は、ぎこちなく微笑んで見せた。
「完璧すぎる氷室君に最適なアドバイスかな、って」
「え?」
「なんだって一人でできちゃう。だから私は、氷室君みたいなディスパッチャーになりたくて、憧れるんだけど」
穣は不快そうに口を噤む。
黙ったままだけど、耳を傾けてくれている。「久遠さんも言ってた。離陸したら、フライトの全権は機長にある。パイロット、ディスパッチャー、管制官……一番空に精通してるのは、パイロットだもんね」
「なにが言いたい? 八巻さん」
ちょっと苛立ち交じりに、皮肉げに呼ぶ声を挟まれた。
穣の顔が、難しそうに歪む。「飛行機に関わる全ての人が、安心安全なフライトのために働いてる。だから、一人じゃなくてみんなで分担しよう。空で乗客乗員の命と安全を守るのはパイロット。私たちOCOは、地上から、パイロットを含めた飛行機全体を守る」
彼の眉間の皺が和らがないから、私は眉尻を下げて苦笑した。
「そのためのフライトプランはともかく、操縦の判断は、全面的に機長に委ねる。私たちは地上で、着陸準備を万全にして、待ってよう。……ごめん。上手く伝わらないかな」
「……いや」
穣は唇に手の甲を当て、ボソッと呟いてそっぽを向いた。
「わかる。多分俺、一度言われたことがある」
「え?」
「ディスパッチャーになりたての頃。無我夢中で、周りを見る余裕を失くしてて。あの人から、『周りを信用しないと、せっかく楽しい仕事なのに、楽しめないわよ』って」
鋭い瞳が、ほんの一瞬揺れる。
今もまた、彼の頭の中が立花さんで占められている……。 それをはっきり知らしめられた気分で、私の胸がズキッと痛んだ。 だけど私は、今はその痛みにも真っ向から向き合う。「素敵なアドバイスだよね」
「え?」
「ディスパッチャーという楽しい仕事を、もっと楽しめるように。この間の、誰のバディになるかって話も……立花さんが言ってくれたから、今の氷室君が在るんでしょう?」
穣が、やや困惑したような瞳を、私に向けた。
正面から目を合わせて、私はちょっぴりはにかんで見せる。「私は、そんな氷室君のすべてを、ディスパッチャーとして目標にし続ける。もっともっと好きになりたい。憧れって尽きないね。いくらでも限界突破できるくらい」
「っ……」
彼の瞳が、ほんのちょっぴり泳いだ。
「え?」
ややレアな反応にきょとんとして、私は瞬きを返し……。
「あっ! し、仕事だよ? ディスパッチャーって、仕事のこと!!」
『好き』とか『憧れ』とか……穣自身に向けて、熱く語ったようにも聞こえるのを、自覚する。
「……わかってるよ。俺はあんたみたいに、妙な勘違いとかしないから」
穣は、私の古傷を抉る、地味に余計な一言を吐いた。
言うだけ言って、大きな手で顔を隠し、プイと背けてしまう。「なんか……ごめん」
私は変な汗を額に滲ませ、恐縮しきって肩を縮めた。
穣はそんな私を、横目で窺って……。「……ふっ」
目を伏せ、小さな吐息を漏らした。
「っ」
この間、最後に会った時にもチラッと見せてくれた、『笑った』といえる表情。
今また、確かに目にして、私の心はガシッと鷲し掴みにされた。 条件反射で胸が弾んだ、その時。『JAK073,Tokyo tower. Runway C, Cleared to land』
ノイズ交じりの交信が入り、私も穣もハッと身を乗り出した。
到着機との交信を担当するタワーから、滑走路への着陸許可が下りた。『Reduce minimum approach speed, JAK073』
久遠さんが着陸許可に従って、減速進入をコールする。
いよいよ、着陸する――。 穣と私だけでなく、他のみんなも、OCO内にある大型モニターの前に集まった。ターミナルや滑走路に設置されたカメラの映像が、大きく映し出される。
羽田で一番長いC滑走路に向けて、一直線に降下するジャンボ機を目視できた。私は緊張でドクドク跳ねる胸に、固く握った拳を押しつける。
地上に接近しているのに、本当に前輪が下りていない。 後輪しか使えない、胴体着陸……。怖いのに、一瞬でも目を逸らせない。
瞬きすら堪えて、必死に目を凝らす。 隣に立つ穣も、呼吸まで忘れて、モニターを食い入るように見ている。「大丈夫だ。機長は久遠さんだからな」
いつの間にか、穣と逆隣りに手塚さんが立っていて、力強い言葉を口にする。
「はい」
私を挟んで、穣が無意識といった様子で返事をした。
近くのデスクから、航空無線の音声が聞こえてきた。『Minimum』
『Landing』
タワーでは、73便との交信を切らずに、聞いているようだ。
コックピットの久遠さんと副操縦士の、きびきびしたコールアンドレスポンスが聞き拾える。『200、100……』
機体の高度を告げる、機械音声アナウンスが交じり……。
『50』
次の瞬間、大型モニターの中のジャンボ機が、機首を上げ、後輪を着地させた。
誰もが固唾を飲んで見守る中、まるで滑るように滑走路を走り抜けていく。 前輪を下ろせないため、機体バランスを保つのが精一杯で、減速しきれない。『オーバーラン』という怖い言葉が脳裏を掠め、私はとっさに首を縮めた。
だけど。「今だ」
穣が、まるでカンパニーラジオで交信するかのような、鋭い声を挟む。
そして、その声が届いたかと思うほどタイミングぴったりで、ゆっくり機首が下がった。 頭から突っ込むみたいな格好で、機首が滑走路に接触する。 それと同時に、モニターからか無線からか、激しい轟音が響き渡った。接触した機首部分から、バチバチッと、大きな火花が散る。
白い煙と砂埃が立ち込め、モニター全体が濃い靄で覆われた。 離着陸の様子を見慣れているディスパッチャーたちも、視界不良のモニターに目を凝らして機体を探し……。「あ……」
滑走路のかなり先端部分で、ジャンボ機は停止していた。
OCO全体が、水を打ったように静まり返る中。『JAK073, Now, Landing』
何事もなかったかのように、落ち着き払った久遠さんの声が、無線越しに届き――。
手塚さんが、パンパンパンと大きく手を打った。 それに導かれるように、他のみんなも手を叩く。波紋のように広がる拍手の輪。
もちろん私も、力いっぱい手を叩いた。「……さすが、キャプテン」
穣は、脱帽、とでも言うような。
だけど、なんとも言えず満足気に口角を上げて、一人、ジッとモニターを見つめていた。 彼のそんな横顔に、私は胸を熱くした。OCOで初めて過ごした八月は、まるで駆け抜けるように過ぎていった。九月に入り、夏休みも終わって、旅行、航空業界のオンシーズンも一段楽。ピーク時に比べてフライト数も落ち着いて、穣は通常比かなりゆったり……私は相変わらずバタバタと仕事をしている。「八巻さん。小松60便のフライトプラン、フェイストークで受け渡して」「はい」「三十分後、機長とオンラインブリーフィングやるから、準備よろしく」「了解ですっ」気象データを集める間にも、矢継ぎ早に指示が入る。フライト数は減ったのに、私はハイシーズンと変わらない忙しさ……目が回りそうだ。――でも。フライトプランを機長に受け渡すために、社内アプリのフェイストークにフライトプランを移しながら、隣の彼の横顔を窺った。私がこんなにバタバタなのも、それに反して穣がゆったりなのも、私に仕事を任せてくれているからだ。八月最終週の胴体着陸事故前までは、仕事を振ってくれるだけで、『任せてもらえている』という実感には至らなかった。でも今は、左腕くらいには信頼してもらえていると、自負している。彼女だから、じゃない。むしろ穣は意識して、仕事中、努めて事務的に接しようとしている。おかげで、以前以上に塩対応に拍車がかかった……ようにも見えるけれど。私に、異議はない。だって穣は、一歩空港を出るとメガトン級に甘いから。――と言うか、エロい。今はモニターに注がれていて、私を映さない真剣な目も、持て余すようにペンを回す長い指も、燃料重量を自分に刻むみたいに唱える唇も。あと数時間して仕事が終わったら、今夜また私に、あんなこともこんなことも――。「……八巻さん。視線が熱い」「っ」溜め息交じりに言われて、私はハッと我に返った。穣が左手で頬杖をついて、右手の指でペンを回しながら、私を斜めからの角度で見ている。「フライト減って、少しくらい手が空いても、仕事中に妄想する余裕、あんたにはないだろ」「うっ。すみません」私は条件反射で、シャキッと背筋を伸ばした。煩悩を払おうと、両手でパンと頬を打って……。「……なんで、妄想ってバレた……?」思わず首を捻る横で、穣は顔を伏せ、笑いを噛み殺していた。「いや、わかるだろ。そんな食い気味の熱視線。炙られるかと思った」「!」目を細めて揶揄されて、私はカアッと頬を茹らせた。「ご、
JAK73便の乗客乗員四百十一名に怪我はなく、全員無事だった。胴体着陸なんて大事故が、目と鼻の先で起きたのに、夏休みシーズンで普段より混雑していた空港ターミナルでも、目立った混乱は見られなかったそうだ。タッチアンドゴーを繰り返さず、一発で着陸を成功させたおかげで、ターミナル内にいた旅客の多くが、そんな事態に陥っていたことに気付かなかったためだ。結果として、久遠さんの判断がすべてにおいて功を奏し、巡航中の機内だけでなく、空港全体の秩序を守った。英雄と崇められてもいい。とは言え、胴体着陸ともなると、航空事故に分類され、重大インシデントに認定される。着陸前から、社内で事故調査委員会が発足していた。明日には、国土交通省による、事故調査チームが調査に入る。それに先立って、社内での聴取が行われることになった。着陸を終えて間もない久遠さんと副操縦士を、社内の調査委員がターミナルで出迎えた。73便の機体整備を担当した航空整備士、胴体着陸を許可した管制官の立花さんとその上司、そして、担当ディスパッチャーの穣と運航支援者の私も招集された。委員も含めて十五人ほどでの聴取は、本社の役員会議室で行われた。私はこの時初めて、ディスパッチャーにも恐れられる、『鬼機長』の久遠さんと対面した。フライトプランの件で、穣と一触即発のやり取りをした記憶も新しい。四本ラインの制服姿が凛々しい、美しい鬼……いや、エリート機長は、ちょっと怖そうだけど、真面目で真摯な印象を受けた。ほんのちょっと……穣に通じるところがある。重苦しい空気の中行われた聴取では、離陸前の機体整備状況に問題はなく、事故の原因も、バードストライクによるエンジントラブルと結論付けられた。その後争点になったのは、穣も反対した、フライトマニュアルに反した一発での胴体着陸という、機長の判断だった。久遠さんは、カンパニーラジオ越しに穣にしたのと同じ説明を繰り返し、立花さんも『久遠機長の操縦技術は確かですから、その判断を信頼し、全面的に支持しました』と答えた。調査委員から意見を問われた穣は、燃料に十分な余裕があったことから、フライトマニュアルに沿って、タッチアンドゴーを試みるのが第一選択だったはず、と答えた。だけど……。「以上が、一ディスパッチャーとしての意見です。私個人的な意見を申し上げますと……今後、自分が
お昼過ぎに瞳からLINEをもらい、あの後の大まかなアウトラインは報告した。でも、散々迷惑をかけてしまったし、ちゃんと謝罪とお礼をしておかなければ……。『今度、時間合わせて会えないかな』それには、『OK!』と、指サインのスタンプが返ってきた。お互いシフト勤務の上、瞳は毎日東京に帰ってくるわけではない。彼女とは、それから一週間後の八月下旬に、空港の職員食堂で会う約束をした。公休明け、私は新任運航支援者フォローアップ研修のために、五日間本社勤務で、氷室君……穣と勤務は別々だった。間に公休を挟んで迎えた、瞳との約束当日。一週間ぶりにOCOに出勤すると、穣の方が公休で不在だった。結局、瞳との約束までに、彼と話すことはおろか、顔を見ることもできなかった――。LINEで伝えた以上のことは、なにも報告できない。お盆のハイシーズンが過ぎ、私たちの業務もだいぶ落ち着いていた。でも、世間はまだまだ夏休みで、業界的にはオンシーズン。お昼のピークを過ぎても、食堂に出入りする職員は多い。私はミートソーススパゲティをのせたトレーを持って、キョロキョロと辺りを見回しながら、奥まで進み……。「藍里、こっち!」大きな柱の影になるテーブルに、CAの制服をビシッとカッコよく着こなした瞳がいた。座ったまま身を捩って振り返り、手を上げて合図してくれる。彼女はフライト合間のブレイク中で、三十分だけ時間を取ってくれていた。「あ」私はやや急ぎ足で、彼女の方に急いだ。その向かいの席に、作業服姿の短髪の男性がいるのを見留めて、少し手前で足を止める。「お疲れ様、八巻さん」私に向けてくれる、素朴で屈託のない笑顔。同期の航空整備士、佐伯君。瞳の彼だ。「えっと……お疲れ様」私はテーブルの側まで歩いて行って、同じ労いを彼に返した。佐伯君も昼食休憩のようだけど、食事は終わっているようだ。彼の前のトレーには、綺麗に空になったプレートがのっている。「ごめんね。充とは、偶然会っちゃって」瞳が、私に向かって両手を合わせる。「ううん。ええと……私、今日は遠慮しようか?」佐伯君は私もよく知る同期だけど、せっかく恋人同士で休憩中なのに、割って入るのは気が引けた。若干腰を引かせて気遣うと、瞳が「なに言ってんの」と頬を膨らませる。「変な気遣わなくていいから、座って」
――ふわふわする。頭も、身体も。微かな振動を受け、ゆらゆら揺れる。「う、ん……」私は、夢と現の狭間で、呻いた。「……むろ、く」ぼんやりと口にした名前。それが、夢の中だったか、現実で口を突いて出た寝言かも判断できない。自分の身体の感覚も思考も、酷くぼんやりして、曖昧で心許ない。だけど、ただ一つ。胸に当たる硬い感触が、とても温かく心地よかったから、今自分がどんな状況にあったとしても、不安はなかった。「くん、の、バカ……」重い意識の中、なにも恐れることなく、心のままに唇が動く。「意地悪。鬼。冷酷非道。人でなし……」ポッと浮かび上がる罵詈雑言を、意味を考えることもせず、つらつらと口にする。「思わせぶりな、スケコマシ。遊び人。女の敵。……さいてー」最後はむにゃむにゃと言って、口を噤み……。……そんな男でも、私は――。「……好き……」――だから、私も。あの人みたいに、『穣」って呼びた……。……――。「寝言のわりに、随分とこき下ろしてくれるな。今度はどんな夢見てるんだ?」突然、刺々しい低い声に、ふわふわした意識を切り裂かれた。鼻をギュッと摘ままれる感触。――息苦しい。一拍分の間の後、鼻呼吸ができないのを自覚して、「ん、むっ!?」私は、ぷはっと口を開けた。浜辺に打ち上げられた魚みたいに、口をパクパクさせて酸素を取り込む。目蓋の裏が白く明るいのに気付き、バチッと目を開けた。途端に降り注ぐ、黄金色の明かり。私は「うっ」と呻いて、目を眩ませた。何度か瞬きをして明かりに慣れると、真上から降ってくる影にも意識が向いた。うっすら白い膜がかかった視界で、必死に焦点を合わせ――。「……。……氷室、君っ!?」不機嫌そうに眉を寄せる、作り物みたいに整った顔を認識して、私は弾かれたように飛び起きた。途端に襲ってくる頭痛と眩暈に、「う」と額に手を当てる。「やっと気がついたか」溜め息が聞こえる方向に、ぐるんと顔を向けた。氷室君はノーネクタイで、白いシャツの第二ボタンまで開き、シャープな鎖骨ラインをチラチラさせている。眼鏡をかけていなかったから、頬骨あたりの泣き黒子が目に入り、条件反射でドキッとして……。「えっ!? こ、ここここ、ここどこ!?」私は、ひっくり返った声をあげ、忙しなく辺りを見回した。私の部屋ではない。ホテ
休憩を終えてデスクに戻ると、午後十時の終業時間までノンストップで仕事だ。このハイシーズンは、とにかくフライト数が多い。午後七時になっても、フライトスケジュールはびっしり。滑走路からは、他社便も含めて、ほぼ分刻みで離陸していく。「八巻さん。午後九時台の関空、伊丹全便、ロードプラン急がせて」カンパニーラジオのインカムを装着した氷室君が、マイクをオフにしながら私に指図した。「すぐ、コントローラーに連絡します」「それから、さっき離陸した広島12便。ランディングで強風の影響受けるかもしれない。気象データ確認して」私が最初の命令を実行しようと、電話の受話器を持ち上げる間にも、間髪入れずに次の指示が入る。「はい。広島、広島……」短縮番号をプッシュして、左の肩と耳で受話器を挟み、右手でマウスを動かす。耳に、『はい、ステーションコントロール部です』と、受話器越しの応答が届いた。「お疲れ様です。運航管理部、八巻です。すみません、午後九時台の広島全便のロードプラン、急いで……」パソコンモニターに展開した、広島の天気図に目を凝らしながら、ほとんど無意識に口を動かすと。「違う。関空、伊丹」隣からビシッと声を挟まれ、マウスを動かす私の手は、条件反射で止まった。「……え?」受話器を右手で支えて、隣のデスクに顔を向ける。「広島は気象データ。ロードプランは大阪」氷室君はこちらをちらりとも見ず、フライトプランを作成しながら、やや棘のこもった声で、一語ずつ区切って繰り返した。私は、言われたことを頭の中で噛み砕いてから、ハッと我に返る。「す、すみませんっ! 急いでほしいのは、九時台の大阪……関空、伊丹便です」冷や汗を掻きながら、電話の向こうのロードコントローラーに訂正した。一年のうちで、一二を争うハイシーズン――。OCOで初めて迎えるお盆シーズンは、目が回るほどの忙しさ……もとい、私は本当に目を回していた。氷室君のフォローで、なんとか無事、関空、伊丹便のロードプランを急かして電話を切ると、半分デスクに突っ伏しながら「ふーっ」と息を吐いた。「氷室君。ロードプラン、あと十分って……」報告しながら、顔だけ彼の方に向ける。だけど、返事はなく。「こちら東京OCO。JAK60便コックピット、応答願います」氷室君は表情一つ変えずに、巡航中のコックピットと交信
泣いた。辺りを気にすることなく、まるで子供の頃のように、わんわん声をあげて。顔を突っ伏した枕がグショグショになるほど、涙を流して。喉が嗄れて、泣き声も出なくなるほど。涙が枯渇して、全身の水分が失われ、干上がるかと思うほど。思いっきり泣いて、力尽きて泣きやんだ。ゴロンと寝返りを打って、ベッドに仰向けになる。天井を仰ぎ、お腹の底からはーっと息を吐いた。最後の嗚咽の余韻のように、ひくっと喉が鳴る。もう、しゃくり上げる力も残っていなかった。目の上に両腕を翳し、閉じた目蓋に力を込める。「言うな、ってなんなの。真剣なのに、言わせてもくれないなんて、酷い男……」実際に声になっていたか、それともそういう形に唇が動いただけかはわからない。だけど、意識してはっきりと彼を詰れたおかげで、少しだけ気分が晴れる。そうよ。あんな酷い男、仕事以外で尊敬する部分なんて、なに一つない。いくらずっと憧れていたディスパッチャーだからって、一度寝ただけで変な情が湧いて好きになるなんて、いい年してどうかしてた。いや、それだって錯覚だったかも。氷室君と、二度目の夜。あの時の私は、身体は疲れてるのに、頭は冴えて気持ちが高揚していた。心と身体、脳みそがバランスを欠いて、明らかに尋常じゃなかった。私は、彼の意味深な言い回しを、誘われたと勘違いして期待した……なんて方向に、意地悪に誘導されただけだ。いっそ、心を巧妙に操作された、と言い切ってもいい。今日だって、頭の中で脳神経が一本切れたような、興奮状態だった。氷室君は、恋愛に本気になるのは嫌だと言った。私は適当な遊び相手でしかなかっただろうし、『好き』なんて口走らなくてよかった。――止めてもらえて、よかった。「っ……」冷静になって導き出した結論は、絶対正しいと思うのに、彼を詰る私の心は張り裂けそうだった。彼を悪者にして、自分を肯定しようとすればするほど胸が痛み、なんの慰めにもならない。だって今なら、私もよくわかる。私が運航管理部に異動したのは、すでに立花さんが、氷室君に復縁を求めていた頃だろう。自分の都合で氷室君を振っておいて、今もまた、自己中心的に彼を欲しがって。氷室君は、気持ちでは強く突っ撥ねていても、あまりに彼女を理解し難いせいで、思考回路を占領される。そんな自分は、彼女に囚われているかのようで







