彰人は一歩前に出て、結代の後頭部を軽く叩いた。「パパのこと、もう分からなくなったのか?」結代はランドセルを背負ったまま、何も言わない。どこか誇らしげで、生意気な表情を浮かべている。澄佳は彰人を見据え、きっぱりとした口調で言った。「私の両親のところには、あなたのことを隠すつもりはないわ。彰人、あなた自身が一番よく分かっているはず。今日あなたが手にしているものは、半分はあなた自身の才能と努力、そしてもう半分はあなたが願乃の夫だからよ。結婚してから今まで、こんなことが起こるなんて、誰も思っていなかった」結代は小さな顔を仰ぎ、か細い声で呼んだ。「おばさん?」澄佳は彼女の頭を撫で、柔らかく微笑む。「おうちに帰って、ちゃんと寝なさい。大丈夫、おばさんがいるから」結代は「うん……」と小さく答えた。彼女の心の中では、おばさんは何でもできる存在だった。彰人は肋骨を痛めていたが、その痛みをこらえ、結代を連れて帰路についた。車に乗り込むと、胸をそっと押さえてしばらく呼吸を整え、それからシートベルトを締める。後部座席から、結代のくぐもった声が聞こえた。「今日ね、芽衣が言ってたの。男の人が家に帰らないのには二つ理由があるって。一つは女の人に捕まってる時。もう一つはたくさんの女の人に捕まってる時。パパはどっち?」彰人は咳き込み、胸に鋭い痛みが走った。「芽衣はどこでそんな話を聞いたんだ?まだ小さい女の子同士で、そんなことまで話すようになったのか……」しばし沈黙が流れる。結代は澄んだ声で言った。「芽衣はもう十歳だよ」彰人は何も言えなくなり、ただ前を見つめてハンドルを握った。車は夜の闇を走る。後部座席の結代は、次第に口数が減り、信号待ちでルームミラーを覗くと、小さな頭を傾けて眠っていた。伏せられた瞼に、扇のような長い睫毛。ひどく愛らしい。春の夜はまだ少し冷える。彰人は暖房を入れた。後部座席からは甘く安らかな寝息が漂う。心配も不安もない、無垢な眠り。……どうしてだろう。彰人の胸に、ふとした哀しみが広がった。彼の生い立ちはあまりにも惨めだった。やがて、藤宮先生に半ば引き取られた。自分が善人ではないことはよく分かっている。底辺から這い上がる術を嫌というほど知っている。
Read more