宴会の件は、結局そのまま立ち消えになった。澪安は相変わらず多忙で、慕美も仕事が軌道に乗り始め、ようやく社会人らしい毎日が回っていくようになった。彼女はまるで乾いた海綿のように、知識をぐんぐん吸収した。栄光グループにいた頃とは違い、こぢんまりした会社の空気が意外と肌に合う。同僚も気さくで、特に詩は本当に優しい。定時で帰れる日は、二人でタピオカミルクティーを飲みに行った。四月。日差しは柔らかく、空気は澄んでいて、春そのものの匂いがした。慕美の心も、ふんわり晴れやかだった。同僚へのお礼の食事のことは、特に澪安には言っていなかった。だが、彼女がレストランを予約しているのを聞いた澪安は、軽く訊ねただけで事情を悟り、珍しく時間ができたのか、ソファで新聞をめくりながら穏やかに言った。「時間が決まったら教えて。都合つけられるかもしれない」慕美は、その言葉が素直に嬉しかった。彼が、彼女の生活に参加しようとしてくれていることが。けれど、つい意地を張って聞いてしまう。「ほんとに、大丈夫なの?」澪安は彼女の後ろ髪をそっとつかみ、ぐいと引き寄せ、鼻先に軽く噛みついた。「多分、大丈夫だよ」慕美はすぐに予約を確定した。「じゃあ、火曜の18時半。三福レストランね」その名を聞いた瞬間、澪安にはどうせ有名店じゃないのだろうと察しがついたのか、わざとスマホでナビを開きながら言う。「どこのミシュランだろう。シェフ、俺の知り合いかな?九条さんになら割引してくれるかも」慕美は背中にしがみつき、彼の耳を引っ張った。澪安は声をあげて笑った。その笑い声は階下のリビングまで響き、家事をしていた使用人たちは澪安様と慕美様、本当に仲睦まじいわね……と微笑み合った。……火曜日。出社した慕美に、詩がすぐ駆け寄ってきて、小声で囁いた。「本当は例の魔女が残業って言いだしたんだけどさ、全員で全力拒否したよ。うちは『脱・無駄な頑張り』が社是だからね、最下位を守り抜くの!」慕美は思わず笑い、小声で聞き返した。「その最下位って、誰のこと?」「慕美に決まってるじゃん!今やうちの期待の星だよ!!」「えっ……」慕美は気まずそうに席についた。詩はまたひょいと近づいてきて、にっこり笑う。「最下位はね、年末にみんなからご馳
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