All Chapters of 私が去った後のクズ男の末路: Chapter 811 - Chapter 812

812 Chapters

第811話

慕美は唇を噛んだ。「わたし、仕事があるから」拒絶ではない。ただ――行くとだけ。澪安はその微妙な温度をすぐに聞き分けた。彼は薄く笑った。それ以上、追及はしない。店内のテーブルには四人。語らいながら座っていると、外のガラス越しに雨音が降りてきた。雨粒がゆっくり窓を伝い落ち、まるで恋人の涙のようだった。願乃はまだ年相応の遊び心を残していて、慕美の手を引き、窓辺へ連れていく。外の小さな池では数匹の錦鯉が楽しげに泳いでいた。願乃が囁く。「ね、これすごく高い種類なんだって。一匹二百万円くらいらしいよ。ここのオーナー、思い切りいいよね」「二百万円……」慕美はガラスに頰を寄せ、小さくため息を落とす。その横顔は驚くほど愛らしかった。三十を越えた年齢とは思えない。願乃より六つも七つも年上のはずなのに――華奢な体、黒く大きな瞳、肩に触れる黒髪。どこか幼く見える儚さがあった。離れた席では、彰人が手つかずのデザートを前に座っていた。彼は澪安へ苦笑まじりに視線を向ける。「お兄さんが女の子のために仕事放り出して、こんなに付きっきりなの、初めて見たよ」澪安は隠すこともせず、淡々と言った。「喧嘩中だ。今、追ってる最中」彰人の目がわずかに丸くなる。そして数秒後、静かに笑った。「なら、頑張らないとな」彼は五年以上、ビジネスの世界で澪安を見てきた。遊び人だった時期も知っている。追うなんてことはなかった。むしろ、相手が列を成し、澪安の機嫌を伺うのが常だった。一度別れを告げられたら最後、戻ろうなんて考えるほうが愚か。芸能人ですらそのルールに飲まれた。二流女優が駆け引きしようとして、翌日には元カノの欄に移動した。そのあと誰も澪安に駆け引きを試さなくなった。なぜなら、彼は体だけ求めて、心は決して渡さない男だったから。だが今回だけは違う。あまりにも違う。それはただ遊ばれる女ではなく、大事に抱きしめ、手のひらに乗せ、機嫌を伺い、それでも――振り向いてもらえない相手。彰人はふと気づく。――あぁ。きっと昔の「手の届かなかった女」なんだろう。……慕美はまだ鯉を見つめていた。空気が静かに落ち着く。ふと振り向くと、澪安がすぐそばにしゃがんでいた。
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第812話

慕美は背筋を正したまま座っていた。けれど、意識の全部は澪安が握る自分の手のひらにあった。その温度、その強さ、その意味。ようやく呼吸を思い出したころ、小さく首を振る。「別に、何も考えてない」澪安は横目で彼女を見て、怠惰にも優しい声音で笑う。「俺のこと、考えてたんだろ」「考えてない」慕美は即座に否定した。それ以上、澪安は追及しない。女性の心に踏み込みすぎない――彼なりの礼儀だ。車は静かに夜道を走り、マンションへ向かう。しばらくして、澪安のスマホが震えた。画面に表示された名前――桂木恬奈。慕美も見えた。澪安はすぐには出ない。だが数秒後、再びコール音が鳴り響く。静かな空間ではひどく耳障りだ。今度は澪安が顎で合図した。「出てくれ」慕美は顔をそむける。「あなたの電話。私が取るのは違う」運転から目を離さず、澪安の声だけが低く落ちた。「お前は俺の未来の妻だ。俺宛ての電話なら、何だってお前が出ていい」そう言われても、慕美は頑なに拒む。だが澪安は強引に通話ボタンを押し、そのままスマホを慕美の耳元へ。「何その強引さ……」呆れた視線を向ける間に、電話越しの声が響く。「澪安?宴司が店押さえたって。飲みに行く?」聞こえるようなボリューム。澪安も当然聞いている。信号で車が止まり、澪安の声が落ち着いた調子で返る。「行くって伝えて」慕美は驚き、横を見る。電話の向こうで恬奈が息を呑んだのが分かった。「え、もしかして今の、九条さん?」凍りついた声。すぐに嫉妬と焦りが滲む。「なんで九条さんが澪安の電話に出てるの?復縁したの?なんで――」慕美が返す前に、スマホは澪安に奪われた。次の瞬間、氷のような声が落ちる。「俺が出ろと言った。文句あるか、恬奈」沈黙。それだけで充分だった。やがて無理に作った笑い声が返る。「そうなんだ。澪安さん、早いね。わたし、まだチャンスあると思ってた」言い終える前に、通話は切れた。慕美は息を吐き、静かに言う。「飲みに行くなら、途中で降ろしていいよ。タクシー呼ぶから」澪安は薄く笑った。「気が利くな」どこか刺すような声音だった。そのまま会話は途切れ、車はマンションへ着いた。シートベル
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