高校卒業した佐加江は専門学校へ行き、保育士になって二年の月日が過ぎようとしている。 が、二十二歳になった今でも発情の気配はない。 外国から個人輸入で取り寄せている発情抑制薬はお守り代わりに、いつも首から下げているニトロケースに一回分だけ入っている。 「おじさん、仕事行ってくる」 「行ってらっしゃい。無理しないようにな」 「おじさんも、頑張りすぎないでね」 自転車にまたがり、古民家に診療所の看板を掲げた自宅を出る。今か今かと刈り取りを待ちわびる稲が生える田んぼのあぜみちには、今年も曼珠沙華が綺麗に咲いていた。 オメガには発情期があるから定職に就くのは難しいだろう、と言われていた。就職先を選ぶ際、迷っていた佐加江に越乃が勧めてくれたのが、この鬼治村と隣村にまたがって建つ保育園だった。鬼治は越乃の田舎。佐加江も幼い頃から、良く知った場所だった。 「今日も、良い天気だな」 その保育園への就職が決まると、越乃はあっさりと大学病院を辞め、廃墟同然になっていた越乃の実家へ二人で引っ越した。無医村だった鬼治で越乃は、小さな診療所を始めたのだ。ここまでくると越乃の過保護ぶりも溺愛に近いものがあるが、一人暮らしが心配だった佐加江には、心強かった。 最初こそ、山々に囲まれた閉鎖的な村での生活に息苦しさを感じていたが、佐加江は過疎化の進んだ村一番の若手、可愛がられないはずがなかった。 「ひろジイ、おはよう!」 保育園に向かっていると、畑仕事をする老人がいた。 「おはよう、佐加江」 このひろジイ、大学病院で佐加江を診察した藤堂の兄だ。カンファレンスルームでの例の一件もあり、最初は緊張していたが村長である浩志は親切で、何かと佐加江を気にかけてくれていた。今朝も畑仕事をしていた手を休め、日に焼けた顔を皺くちゃにして笑っている。 「今年は、かぼちゃがたくさん採れたんだ。例のあれ、作ってくれないか。あの甘くてとろっとした……」 「かぼちゃプリン?」 「そうそう。あとで診療所に届けておくよ」 「なにそれ、作るの強制じゃん」 「ははは。かぼちゃがあんなに美味いとは知らなかったんだ」 「時間ができたら作るね。診療所に行ったら台所に、このあいだ作った無花果のジャムが瓶詰めしてあるから持って行って。おじさんに聞けばわかるから」
Last Updated : 2025-04-29 Read more