All Chapters of 今さら私を愛しているなんてもう遅い: Chapter 21 - Chapter 30

30 Chapters

第21話

未央は玄関に立ち、振り向いて部屋に馴染みのある全てに視線を走らせ、心の中で一つ一つに別れを告げた。そして。彼女はまとめておいたスーツケースを引き、タクシーで郊外へ向かった。周りを見渡す限り、建物など何もない荒れ果てた風景が広がり、彼女以外の姿はひとつもなかった。その時、博人から電話がかかってきた。「未央、着いたか」「ええ、ちょうど今着いたところよ」彼女の返事を聞き、博人は一瞬言葉を詰まらせた。何か言おうとしたが、やはりすぐ改めて言った。「こっちでちょっと用事が出来たんだ。もう少し待っててくれ。用事が終わったら理玖とすぐにそっちに向かうから。とても大事な話があるんだ……」「分かったわ」未央は落ち着いた声で返事した。二人が話しているところに、電話の向こうから幼い声が漏れてきた。「雪乃さん、大丈夫だよ。僕とパパがいるから、悪い人は絶対来ないからね」雪乃さん?彼らは今雪乃のところにいるのか。未央はまだ何も言っていないのに、向こうは慌てて電話を切った。深夜零時まであと一時間。未央は少し考えた。やっぱりもう少し待とう。彼女はもうすぐここを去る。これは彼女の夫と息子との最後の別れであり、過去7年間の自分との決別でもあるのだ。夜の風は格別に冷たかった。未央はコートの前をしっかりしめたが、寒気が肌を刺すように体に染みこんできて、体を震わせた。夜11時59分になっても、あの見慣れた二人の姿は現れなかった。未央は博人に電話をかけたが、受話器からただ機械的な音だけが響き、誰も出なかった。最後にもう一度かけてみると、電話がようやくつながったが、聞こえてきたのは雪乃の声だった。「白鳥さん、私と博人は今忙しいの。用事があるなら明日また彼に言ってくださいね」未央は携帯を握りしめ、電話を切った。その次の瞬間。「ドーン!ドーン!ドーン!」突然空に「花」が咲くと同時に、大きな音が夜の静寂を破った。盛大な花火が予定通りに、夜空を照らした。花火は一輪、また一輪夜空を彩り、一瞬にして暗闇を振り払った。未央はその場に立ち、澄んだその瞳はきらめく光景を映し出した。彼女は、あまりの美しさに目が離せなかった。そして。彼女は両手を合わせ、その寒風に揺られる細い体からは強い芯が感じられた
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第22話

「おかけになった電話は、現在お繋ぎできません」冷たい無機質なアナウンスが部屋に無情に響いた。博人は眉をきつくひそめ、心の中でざわついている苛立ちがますます強くなっていった。彼は携帯を隣のソファにたたきつけ、額に青筋を浮かべながら怒鳴った。「未央、これ以上ふざけて出て来ないなら、本当に怒るぞ!」しかし、返事してきたのはただ冷たい反響だけだった。いつも冷静沈着な博人の顔に、ついに狼狽える色が浮かんだ。視線は自然に部屋の中央に置いてあった段ボールにとまり、足が勝手に動き出した。しかし、彼の指が段ボールに触れようとした瞬間。その時だった。「博人、私は白鳥さんが今どこにいるか知ってるわ」優しい女の声が後ろから聞こえてきた。博人はサッと振り向き、入り口に立っている雪乃を見つめた。彼女のその目には異様な光が輝いている。雪乃は下唇を軽く噛みながら言った。「朝ちょっと出かける時、白鳥さんが天野さんと一緒にいるのを見かけたの。それに、彼女の隣には……」「他にも誰かいたのか?」博人は一歩前へ進み、抑えながらも切迫感のある大声で問い詰めた。雪乃は肩を小さく震わせ、博人をチラッと見上げてすぐにまた俯いた。そして、独り言のような小声で言った。「か……彼女の隣にいたのは日森さんだった。あなたが怒ると思って、言い出せなかったの」彼女は言いながら、携帯を取り出し素早く操作し、アルバムを開いて博人に差し出した。「信じられないなら、これを見て、写真も撮ったの」博人は瞳に影を落とし、画面に釘付けになった。写真には、どこかの歩道で男女が肩を並べて立っていて、密着しているように親密に映っていた。その女性は黒と白のラフな格好をしていて、腰まで届く黒髪をなびかせていた。その後ろ姿は未央にそっくりで、その姿はまるで鋭い矢のごとく、まっすぐ博人の瞳に突き刺さってきた。彼の顔は険しい表情になり、周りの空気が凍り付くほど冷え込んでいきた。彼は思わず関節が白を帯びるほど力を込めて、手をきつく握りしめ、携帯が握り潰れそうだった。すると。雪乃は目を赤くさせ、啜り泣くような声でまた言った。「白鳥さんは昨日のことで怒ったんじゃないかしら。そうなら、私が彼女に謝らなければならないわ。だって、あなた達が私を守るために彼女との約束を破ったんでしょ
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第23話

なぜなら、今まで毎回そうだったのだ。しかし、車に戻ると、博人の瞼がぴくぴく痙攣し、心の奥に巣くう不安な予感はまだ消えていなかった。彼は考えてから、携帯を取り出し、未央にメールを送った。「未央、もう怒らないでくれ。昨日本当に用事があって、行けなくなったんだ。今回の仕事が一段落したら、必ず埋め合わせするから」案の定。メールを送っても、一切返信が帰ってくる予兆はなかった。博人の瞳に暗闇がさらに淀んで、また新しいメールを送った。「前から俺と理玖と三人でA国へ旅行に行きたいって言ってただろう?落ち着いたら、行きたい場所なら、どこでも付き合うよ」しかし、未央はその時すでにそのSIMカードを解約していた。もし、このメッセージが本当に彼女に届いたとしても、それを見た彼女はきっと嘲笑うだろう。ほら見てみろ。実は、彼は何もかも分かっていたくせに、今までただやりたくなかっただけなのだ。……昼ちょうど12時になった頃。飛行機は滑走路をゆっくり走り、やがて立花市の空港に到着した。未央はスーツケースを引きながら、賑やかな人混みに紛れてロビーへと向かった。見慣れない景色を見回し、彼女は目を閉じ、ゆっくりと深呼吸をした。これから、彼女はこの町で新しい人生を始めるのだ。すると、後ろから上品で落ち着いた男の声が聞こえてきた。「白鳥先生ですか」未央ははっとし、顔を上げた。目の前に立っていたのはスラリとした体格の男性だった。彼は雪のように真っ白なスーツを着用しており、それがさらにその優雅な気品を引き立てていた。彼は優しい目をしていて柔らかく微笑んでいた。高い鼻に金縁眼鏡をかけている。薄い唇に程よい笑みが浮かんでいた。「藤崎さんですよね?先生なんて、とんでもないです」未央はすぐ冷静さを取り戻し、礼儀正しく挨拶して頷いた。悠生は視線が彼女の横にあるスーツケースに落ち、自然に手を差し伸べて、代わりに持ってやろうとしたが、彼女にさりげなくかわされてしまった。「大丈夫ですよ、自分で持てますから」未央はスーツケースのハンドルをしっかり握り、優しそうだがしっかりした口調で言った。「藤崎さんの妹さんの状況がよくないとお聞きしましたから、早速会いにうかがってもいいでしょうか」悠生の目には一瞬驚いたような色が浮かんだが、す
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第24話

数分後。固く閉ざされたドアが外から勢いよく開かれた。部屋の中の空気には僅かな血の匂いが漂っていた。目の前に、痩せた悠奈の震えている姿が見えた。彼女の顔は青白く、目は虚ろで何の感情も読みとれない状態だ。手に鋭いフルーツナイフを握りしめ、ひたすら自分の腕に一つ、また一つと傷を刻んでいた。「悠奈!」悠生は焦りながら大股で悠奈に近づき、その自傷行為を止めようとした。しかし。悠奈はすでに理性を失っていて、怯えるように後ずさりし、瞳は恐怖で満ちていた。そして彼女は歯を食いしばりながら言った。「こ、こないで……」それと同時に。彼女はさらにヒステリーになり、狂ったようにナイフを手に刺した。真っ赤な血がどくどくと吹き出して、誰もが目を背けたくなるほどの惨状だった。その時、突然未央の声が隣から聞こえた。「藤崎さん、私に任せてください」悠生は一瞬躊躇ったが、彼女の言葉に従い、その場に止まり、不用意に近づくのをやめた。未央は悠奈を見つめ、落ち着いた声で話しかけた。その眼差しは優しさと強さに満ちていた。「怖がらないで、あなたは今安全ですよ。私は悠奈さんを助けに来たの」「私は何もできないの。晃一(こういち)が知ったらきっと怒るよ」悠奈はうつむいて、ぼんやりとした目をしていた。ただ自分だけの正解に閉じこもって苦しんでいるのだ。未央は慎重に近づき、できるだけ穏やかな口調でまた彼女に言い聞かせた。「悠奈さん、ちゃんと見てください。晃一さんは今ここにいないですよ。彼は何も知らないんです」「本当?」悠奈はすっと顔を上げ、その目は迷子のようだった。未央はゆっくりと頷き、しっかりと彼女のナイフを握る手を包み込んだ。その動作は優しいが力強かった。彼女は温もりと慰めをこめた手つきで、悠奈の冷たい手の甲を優しく撫でた。「さあ、一緒に深呼吸しましょう」……未央の治療のおかげで、悠奈の緊張した体が次第に緩み、興奮状態もだんだん落ち着いていった。そして、ガチャンと、ナイフは地面に落ちた。それを見た悠生はすぐ携帯を取りだし、訪問医を呼んできて、悠奈の腕の傷を手当してもらった。そして。彼は振り向いて、感謝に満ちた目で未央を見つめた。「河本教授の言った通りですね。白鳥さん、今日は本当にありがとうございます」
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第25話

悠生は無意識に指で眼鏡の縁を上に少し押しあげた。レンズ越しの瞳に一瞬だけ賞賛の色が見えた。この白鳥さんは思ったよりずっと面白い女性だ。すると、弱々しい女性の声が聞こえてきた。「兄さん、ごめんなさい、また迷惑をかけちゃった」医者に傷を手当してもらった悠奈は顔を青くさせ、彼に言った。悠生はすぐ近づき、優しく彼女をなだめた。「馬鹿言うな。君はただ病気なんだ。いいお医者さんを連れて来たんだよ」未央は一歩進み出て、彼女に挨拶した。「藤崎さん、はじめまして」悠奈は微笑んで頷いた。「白鳥先生、私のことは悠奈って呼んでください」彼女は元々根の優しい子なのだ。だからこそ、ひどいクズ男に簡単に精神的に操られてしまった。それでも、発作を起こした時、他人は傷つけず、自分にナイフを向けたのだ。未央はため息をついた。「悠奈さん。これから催眠をかけて治療するつもりです。催眠でその人の影響から少しずつ離れていきましょう」「分かりました。お願いします」と答えた悠奈は非常に協力的だった。悠生はまだそこにいたかったが、仕事の電話で会社に戻らざるを得なかった。それから数日間。未央の治療によって、悠奈の発作頻度はだんだんと減っていき、意識がはっきりする時間がどんどん増えていった。ずっと一緒に過ごすうちに、二人はすぐ親密になった。この日の治療の後。催眠を終えて悠奈は目を開けた。顔色はまだ青白く、震えた声で尋ねた。「未央さん。晃一はどうして私にあんなことをしたの?私はあんなに彼が好きで、彼に尽くしたのに、どうしていつも私を罵って、私の気持ちをゴミのように扱ったの?もし本当に私のことが嫌いだったら、じゃ、どうして付き合ってくれたの?全部私が悪かったの?」未央は長く沈黙した。彼女は悠奈の背中を優しく撫でた。悠奈が泣き疲れた後、彼女はようやく口を開き、擦れた声で答えた。「いいえ、悠奈さんは悪くないわよ。ただ、好きになる人をちょっと間違えちゃっただけね」悠奈が持っているこの疑問を、かつて、未央も同じように何回も自問したことがある。博人はどうして彼女にあんなことをしたのかと。初めて恋に落ちた時から、彼女は彼にべったりだった。彼のために子供まで産んであげて、できることは最善を尽くしてきた。しかし。彼の目には他の女性し
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第26話

西嶋グループにて。社長室で、博人は疲れた様子で眉間を押さえていた。この頃、入札のことで忙しかったが、ようやく一段落ついたのだ。「コンコン」高橋がノックして入ってきて、整理された入札の書類を机に置いたが、すぐには出て行かず、何か言いたげな表情で博人を見つめた。博人は眉をひそめた。「何かあったのか?」それで高橋はようやく口を開いた。「西嶋社長、ネットでまた社長と綿井さんのスキャンダルが広まっていますので、干渉の必要が……」以前なら、博人はそのようなくだらない噂なとわざわざ否定することはしなかった。ただ今は……未央がまだ返信をくれていないことを考えると、彼女はまだ怒っているのかもしれない。博人は少し考えてから、低い声で言った。「法務部に通告書を出させろ。もう二度と俺に関するスキャンダル記事を見たくない」高橋は少し意外そうだった。博人は眉をあげた。「まだ何か問題が?」高橋は首を横に振ったが、顔に抑えきれないほどの喜びが見えている。「いいえ、ただ、社長がようやく奥様の良さに気づかれたことにとてもうれしく思っているんです」博人に聞かれる前に、高橋は感慨深く話し続けた。「ここ数年、社長の胃の調子がずっとよくなくて、食堂の食事にも食べ慣れないので、奥様は自ら手料理を作って、届けてくださったんです。風の日も雨の日も、一日も欠かさずに」博人のペンを握った手がぴたりと止まり、少し紙にインクが滲んだ。なるほど、どうりであの料理の味は外のレストランで一度も食べたことがないと思ったわけだ。「今までなぜ教えてくれなかったんだ?」博人の目には複雑な色が浮かんで、声もかすれていた。高橋はため息ついた。「奥様が社長に黙っているように頼んでこられて。奥様は……もし社長があの料理は彼女の手料理だとわかったら、きっと食欲がなくなると」その言葉が口を出ると、社長室は何の生き物もいないような静寂に包まれた。博人は口を開け、何か言いたげな様子でいたが、喉が何かに詰まったように、一言も出てこなかった。ここ数年、未央に冷たく接してきたから、彼女がそう考えるのも無理はない。博人は深く息をし、胸の中に渦巻く複雑な感情を無理やりに押し殺し、無意志にサインのスピードを上げた。気づけば、すっかり夜だった。ようやく最後のファイルに
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第27話

博人は頭が一瞬真っ白になり、どこへ彼女を探しに行けばいいのか全く分からなくなった。すると、ある名前が頭をよぎった。瑠莉は未央の一番の親友だから、きっと彼女の行方を知っているはずだ。博人はすぐ立ち上がり、うっかり煙草の灰がシャツに落ちたことも気にせず、部屋を飛び出した。彼はハンドルを握りしめ、アクセルを踏み込み、うっすらした記憶を頼りに瑠莉の家へ向かった。30分後。「ピンポーン!」チャイムが鳴った。瑠莉は頼んだデリバリーかと思い、ドアを開けると、目の前に現れた人物に一瞬ポカンとした。彼女はこのような博人を今まで見たことはなかったのだ。乱れた髪、真っ赤な目、シャツの裾についた煙草の灰、非常にみすぼらしく見えるのだ。博人は彼女を押しのけ、すたすたと部屋に入り、擦れた声で呼んだ。「未央!ここにいるのは知ってるんだ。猫が好きなんだろう?家で飼ってもいいぞ。雪乃のことが嫌いなら二度と彼女と会わないから。俺と一緒に帰ってくれたら、何でも約束してあげるよ。だから、出てきてくれ、ちゃんと話そう?」……しかし、彼はリビングからキッチン、客間まで探し回ったが、未央の姿を見つけることができなかった。「もう気が済んだ?」瑠莉の氷のような冷たい声が後ろから聞こえた。博人はビクッとして、ゆっくり振り返り、低くした声が震えた。「未央はどこにいる?教えてくれ」瑠莉は嘲笑うように言った。「彼女は何日も前にもう離れたってのに、今更気づいたの?」「そんなはずがない!」博人は即座に否定する言葉を口にして、全く信じなかった。彼は自分が多くの過ちを犯して、未央を傷つけたことを認めた。しかし、彼らには子供がいるのだ。博人はぶつくさと言った。「理玖はまだ小さいのに、あの子を置いて離れるなんてありえないぞ」瑠莉は博人にだけでなく、理玖にも全く好感を持っていない。その言葉を聞くと、白目をむいた。「ちょうどいいんじゃない?彼は綿井雪乃っていう女を母親にしたがってたでしょう?願いが現実になったんだから」博人は眉をきつくひそめた。「子供の戯言を真に受けるってのか?そんな馬鹿な!」瑠莉は冷たく笑った。「子供はまだまだ甘くて無知だって言うのね?じゃあんたも?無知な子供なわけ?未央が39度の熱で苦しんでいた時、あ
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第28話

「あの子、あんたに何か残していくって言ってたんだから、自分で見てきなさいよ。もう私のところへ来ないで」人はいつもそうだ。持っているときは大切にせず、失ってはじめて後悔し始めるものだ。「バタンッ」と、ドアが閉ざされた。夜が深くなっていった。冷たい風に容赦なく吹かれて、震えるほど寒いのに、彼は全く微動だにせず、呆然と玄関の前に立ち尽くしていた。未央が彼のために何か残したって?部屋の中に置いてあった段ボールのことを思い出して、博人は我に返り、急いで家に帰って、また二階の部屋に飛び込んだ。本来なら、数日前に開けて確認すべきものだが、いろいろなことで今まで手つかずだったのだ。段ボールを開けると、最初に目に入ってきたのは一枚の紙だった。タイトルの文字がまるで鋭いナイフのように彼の心をブスっと刺した。離婚協議書。博人は目を見開き、不安定な視線でそれを見つめ、どうしても信じられなかった。彼女は彼と離婚するつもりなのか?彼は未央がただ一時的に拗ねていて、わがままで暫く彼と理玖の傍から離れたと思い込んでいた。自分がちゃんと謝って、今後あんなことをしないなら、きっと彼女を連れて帰ることができると思っていた。今まで……彼女と別れるなんて考えたことはなかった。博人は完全に動揺し、目には苦しささえ見えていた。彼は急いでその離婚協議書に手を伸ばした。「ビリッ」という音がした。その紙が破れる音が部屋に鋭く響いた。それと同時に、箱の中の他の物も視野に入ってきた。博人はじっと二つの御守りを見つめると、昔の記憶が一気に押し寄せてきた。その日。未央は小走りに駆け寄ってきた。どこで怪我したのか分からないが、その膝にある掠り傷から血が滲んできていた。しかし、彼女はそれを全く気にせず、期待に輝く瞳で彼を見つめて、綺麗な笑顔を見せてくれた。「博人、これは清瑞神社からあなたと理玖のためにやっと手に入れてきたものなの。どんなことがあってもちゃんと二人を守ってくれるって、離さずに持っていてくれる?」そして、当時の彼は何と答えた?「そんなのただの迷信だろう。こんなくだらないものを信じるなんて、お前ぐらいだ」と言って、嫌そうな顔をして、ポイっと御守りをソファの端っこに放り投げたのだ。未央の笑顔が凍り付き、目に輝いてい
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第29話

博人は暫くそれを見つめて、息苦しさを覚え、ようやくリビングに戻り、がっくりとソファに座り込んだ。広い家は異様に静まり返っていた。今までなんとも思わない静けさだったが、今はもう耐えられないほどそれが辛かった。今までの数えきれないほどの日々、未央はこうやって一人、部屋で彼と理玖の帰りを待っていたのだ。気づけば、夜が明けて、東の空がだんだん明るくなり、朝日が部屋に差し込んできた。博人は真っ赤な目をして、ぼうっと一晩中ずっとここに座り、煙草を吸っていたのだ。灰皿には吸い殻がいっぱいになっていた。突然、玄関から物音がして、その重苦しい空気を破った。「博人、どうしたの?」雪乃はドアを開け、憔悴しきった男の姿を見て、驚きその場に立ち竦んだ。彼女はさりげなく部屋を見回し、部屋ががらんとしていて、未央の姿も見えないのを見て、すぐに状況を理解した。ついにこの日がやって来た!雪乃は口角をわずかに上げた。7年間苦心した甲斐があった。ようやくあのクソ女を追い出すことができたのだ。すると。雪乃は瞬時に心配そうな顔に変え、自分の太ももをつねって目を赤くし、急いで博人の前にやってきた。「博人、さっき電話して出てくれなかったから、何かあったんじゃないかって心配して来たのよ」そう言いながら、彼女は手を伸ばし、博人の肩に触れようとしたが、博人にかわされたのだ。その手は気まずそうに空中で泳いだ。「一人にしてくれ」と博人はかすれた声で言った。雪乃は動かなかった。今は絶好のチャンスなのだ。何もせずに離れるわけにはいかない。その時、玄関から幼い声が聞こえてきた。「パパ、早めに帰ってきたよ」理玖は機嫌よさそうにステップしながら入ってきて、手作りのクマの形をしたクッキーを入れた容器を持っていた。彼は家の異様さに気づかず、雪乃を見て、嬉しそうに挨拶した。「雪乃さん、来てたんだね」そして。理玖はクッキーを博人に渡しながら笑った。「僕の手作りだよ、パパ、食べてみて!」そう言うと、彼は目をくるくるとさせながら、部屋で何かを探すように、わざと声を上げた。「ママ、早く出てこないと、クッキー全部食べちゃうよ」しかし、誰も彼に返事しなかった。理玖は眉をひそめ、父親の何か言いたげな顔を見て、ようやくまずいことになったと
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第30話

理玖は彼女の手を払い、目にこらえていた涙がついに溢れ出した。そして、しゃくりあげながら言った。 「パパ、ママは理玖のことがもう要らないと思ったの?」あの床に捨てられたキャンディーのように。博人は呼吸が一瞬止まって、理玖の泣き声を聞くと胸が締め付けられるようだった。「そんなことはない、ないから。もう高橋おじさんにママを捜してもらってる。見つかったら、一緒にママに謝って、三人で一緒に家に帰ろう、な?」彼は理玖を抱きながら、できるだけ落ち着いた声で言った。それはまるで自分自身に言い聞かせるようなものだった。部屋は重苦しい空気に満ちていた。理玖はずっと泣いていて、疲れて眠ってしまった。博人は彼をベッドに寝かせて、階段をおりた。雪乃は二人から連続で拒まれたが、簡単に諦めたくなくて、わざと赤く腫れた手の甲を見せつけるように涙ぐんで言った。「博人、ここが痛いの」博人は眉をひそめ、何かを言おうとした。その時。高橋が「西嶋社長、新しい情報が入りました」と言いながら慌ただしく入ってきた。博人はすぐ雪乃から目を離し、焦ったように彼に問い詰めた。「未央はどこにいる?早く教えてくれ!」高橋は首を振った。「奥様の行方は情報専門家によって消されたようです。暫く場所が特定できませんが……」彼は一瞬躊躇って、チラッと雪乃を盗み見た。「情報によると、奥様は5日前にここを離れたようです。朝8時か9時頃、国際空港で奥様を目撃した人がいるそうです」5日前はちょうど未央の誕生日の日だ。博人は雪乃のアンチファンに襲われて意識を失い、零時に未央と一緒に花火を見るという約束を破ったのだ。ふっと何かを思い出し、博人は振り向いて鋭い視線で雪乃を見つめ、疑うように問い詰めた。「その日、未央が日森と一緒にいるのを見かけたって言わなかったか?」しかし、その時、未央はすでに空港にいたので、雪乃が彼女を見かけるわけがない。「わ……わたしは……」雪乃は二歩後ずさりし、目を泳がせながら、もごもごと説明した。「私もはっきり分からないわ。たぶん見間違えたかもしれない。それに、その写真を見た時、博人だってその人が白鳥さんだって言ったじゃないの?」博人は口を開いたが、何も言い出せなかった。心に残るのは後悔と自責だけだった。もし、彼がち
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