夫も息子もあの女を選ぶんだから、離婚する! のすべてのチャプター: チャプター 1111 - チャプター 1120

1339 チャプター

第1111話

凌駕だけでなく、星も、自分の耳を疑っていた。二人とも、しばらくのあいだ謙信を呆然と見つめる。星は、信じられないという顔のまま問いかけた。「……今、なんて言いました?」謙信は、辛抱強く同じ言葉を繰り返した。「一兆円です」星は、さらに念を押した。「藤原さん、本気で言ってるんですか?冗談じゃなくて?」「信じられないようでしたら、今すぐ契約書にサインしていただいても構いませんよ」謙信は、淡々とそう答えた。星はまだ疑いを捨てきれず、食い下がる。「取り分が一割っていう以外に、そちらの旦那様から何か条件は?」謙信は、やわらかく微笑んで首を振った。「特にはありません」星は少しだけ躊躇し、さらに踏み込む。「……その旦那様って、どういうお名前なんですか?どこのグループの経営者なんでしょう」謙信の視線が、ごく自然を装いながら、すっと仁志のほうへ流れた。そして、ゆっくりと言った。「星野さんには……Rさんとお呼びいただければ」「Rさん?」星が眉をひそめる。謙信は、事情をかいつまんで説明した。「諸々の都合がありまして、今は身元を公にするのが難しいのです。どうかご理解ください」話を聞けば聞くほど、星には荒唐無稽に思えてきた。正体も明かさない人物が、いきなり巨額の投資――しかも一兆円。信じろ、というほうが無理がある。もしかして、怜央か朝陽が送り込んだ妨害要員?そんな疑念すら、頭をかすめる。星の考えを見透かしたように、謙信が続けた。「ご安心ください。この投資に関しては、何の問題もありません。もしご不安なら、まず半分だけデポジットとしてお支払いしても構いません」「……会社の査定はしなくていいんですか?」星は半ば呆れ気味に尋ねた。「星野さんの会社については、すでに調査済みです。うちの旦那様は、あなたの実力を高く評価しておられる。『あなたなら、また新しい奇跡を起こす』と」星は言葉を失った。――正直、自分ですらそこまでの自信はないのに。謙信は、用意してきた書類を差し出した。「今回の投資に関する資料です。ゆっくりお考えください。お返事は、後ほどで結構です」星は軽くうなずき、わざわざエレベーターまで見送った。本当に、じっくり考える必要がある。これが罠でないのなら――今の星に
続きを読む

第1112話

「詐欺師を宝物みたいに扱う人間なんて、初めて見たな。星、もしきれいさっぱり騙されて身ぐるみ剥がされても――俺、兄として忠告はしたからな。恨むなよ?」星は、思わず眉をひそめた。彼女自身、謙信を疑っていないわけではない。だが、何の証拠もないのに、本人の目の前でここまで言い切るのは、さすがに無礼がすぎる。星は慌てて謙信のほうを向き、頭を下げた。「藤原さん、すみません。この人ちょっと……頭が弱い人間なので、どうか気にしないでください」その一言で、忠は一気にブチ切れた。「星、実の兄の頭が悪いって平気で言えるのか?そんなふうに目上を立てられない人間に、詐欺師以外の誰が投資なんかするんだよ。はっ、人間としてもダメなのに、商売がうまくいくわけないだろ?」星の瞳が、すっと冷たくなった。「忠兄さんがそこまで『確信』してるなら、詐欺だって証拠があるんでしょうね?証拠があるなら、今ここで出してみせてよ。みんなの前で。証拠もないのに言うなら、それはただの中傷で、デマよ。人のことどうこう言う前に、自分の頭の心配したら?」忠は言葉に詰まり、口をパクパクさせるだけだった。謙信はそんな彼を、なんとも言えない目つきで見た。まるで――精神科病棟から抜け出してきた人でも見るような視線だ。謙信は長居するつもりもないようで、静かに口を開いた。「星野さん、それでは僕はこれで」「今日はありがとうございました」星は丁寧に見送りの言葉を返した。謙信が去ると、星は忠を見ることもなく、ビルに戻ろうとする。だが、忠が前に出て道をふさいだ。「星、止まれ!」星は表情を変えずに言った。「どいて」忠は、鼻で笑った。「星、自分でももう終わりが見えてるくせに、どこまで強がるつもりだ?分不相応なことをするから、こういうことになるんだよ。大口叩いてたときはいい顔してたけど、結局は誰かに泣きつかなきゃいけなくなってるじゃないか。小林家の株を二十パーセント買う?小林家は雲井家ほどじゃないにしても、M国のそこらの会社とは格が違う。二十パーセント以上の株を買うには、六千億円以上は必要なんだぞ。三日以内に六千億円を用意する?そんなの上位の大財閥だって、簡単じゃないぞ」そこで、彼は顎を少し持ち上げ、誇らしげな表情になった。「お前の周りに群がってる男ども
続きを読む

第1113話

葛西先生はすでに退いており、葛西グループの巨額資金を動かす権限など、とっくに持っていない。星と親しい川澄家も、少し前に大型プロジェクトへ投資したばかりで、会社の帳簿はほぼ空っぽだ。星を助けたくても、そう多くは望めない状況だった。忠の計算では――星がかき集められたとしても、せいぜい二千億円。それが限界だろう、という見立てだった。そうやって辿り着いた結論は、三兄弟の間でいつの間にか共有されていた。最終的には、星は必ず雲井家に頼ってくる。当然、忠の態度はますます横柄になっていく。彼は星を見下ろし、勝ち誇ったような口調で言った。「星、今のうちに頭を下げておいたほうがいいぞ。次に俺のところへ金を借りに来たときには、今日みたいに優しくしてやる気はないからな」星は、ちらりと凌駕のほうを見た。「凌駕、忠さんに脳神経の名医を何人か紹介しておいてあげて。暇を持て余して外に出てきては、恥さらしてるんだから」凌駕は、実に仕事熱心な顔でうなずいた。「承知しました。すぐに手配します」そう言って、本当に少し離れたところへ行き、部下たちに「有名な脳神経外科医」を探すよう指示を出し始める。忠は、冷たい視線で星を睨みつけた。「星、今のうちに好きなだけ強がってろ。すぐに俺の前で土下座することになるんだからな」星は、くすりと笑った。「今夜よく寝れば、夢の中くらいは叶うかもね。夢って、なんでもアリだから」それだけ言うと、もう相手にする価値もないと言わんばかりに、さっさと踵を返した。星たちの姿が見えなくなると、それまで黙っていた明日香が、ぽつりと口を開いた。「……すごく自信ありそうだったけど。もしかして、本当にお金を集める手があるんじゃない?」忠は、鼻で笑った。そこには露骨な軽蔑がにじんでいる。「彼女を本気で助けられる人間なんて、数えるほどしかいないんだよ。その全員が総動員したって、まだ四千億円近く足りない。四千億円だぞ?口で言うほど簡単な額じゃない。しかも、この短期間で。株を売るにしたって、時間が足りない」無理に大量の株を売り出せば、市場が荒れる。まともな経営者なら、誰もそんな愚かな真似はしない。翔も、うなずきながら口を開いた。「三日あるなら、そりゃもがくだろうさ。最後の砦が崩れるまで、諦めないタイプだしな。
続きを読む

第1114話

「お前の軽率な行動で、兄貴と父さんの計画に支障が出たら……二人とも絶対に許さないわよ」正道と靖の名前を出されて、忠はようやく少しだけトーンを落とした。「分かってるよ。無茶はしない。ただ……さっきの投資家にちょっと接触してみるだけだ。本物か、ただの詐欺師か、確かめてくる。もし星の原株が、あんなやつに騙し取られでもしたら、損をするのはこっちだろ」翔が、冷ややかに釘を刺した。「……加減を間違えるなよ」「心配すんなって。今回ばかりは、絶対に衝動的には動かない」忠は短気だが、決して愚かではない。星が本当に投資を引っ張ってしまう可能性を潰すため、裏で動き出した。水面下でそれとなく噂を流し、星と組もうとしていた相手、投資を検討していた相手を一人ずつ呼び出して、話をしたのだ。もともと星に好意的だった相手も、忠の警告を受けて、一気に腰が引けた。彼らが星に興味を持った理由のひとつは、「雲井家の人間だから」――という肩書きだった。だが、その雲井家の内部から警告が来たとなれば、それはそのまま内紛の匂いを意味する。そんな状態で星と組めば、自分まで雲井家を敵に回すかもしれない。リスクが大きすぎた。あちこちから「今回は見送らせていただきます」という返答が届き、忠は得意満面で、翔と明日香に報告した。「これで、たとえ星の会社が小林グループを買収できたとしても、今後、誰も彼女と組もうとは思わないさ」そこで、ふと思い出したように明日香へ視線を向ける。「星が小林家を買収したら、その実績は今年の彼女の評価に丸ごと乗る。明日香、お前はかなり損な役回りだな」明日香は、どこか吹っ切れたように穏やかに微笑んだ。「原株を取り戻すのは、お父様がずっと願ってきたことだもの。その願いが叶うなら、私が少し損をしても構わないわ」もし星が小林家の株を手に入れたら――業績の面で、明日香が彼女を上回るのは、ほぼ不可能になる。今後、雲井家に入ったとしても、序列は必然的に星のほうが上だ。翔が言った。「明日香、心配するな。父さんも兄貴も、お前にはちゃんと別の形で埋め合わせするさ。星なんて、ちょっとのあいだ威張らせておけばいい」翔と忠は、この一年でどうにかして、明日香の業績を星より上に持っていくつもりだった。……ただ、浩太の女を見る目が腐っていたせい
続きを読む

第1115話

星は、航平に謙信の素性を調べるよう頼んだ。だが、結局のところ決定的な情報は何ひとつ得られなかった。星自身わかっていた。一度に約一兆円もの資金を動かせる人間など、自分の手の届く相手ではない。そもそも、こちら側から調べがつくはずがなかった。その報告を聞いた航平は、会社から慌てて駆けつけ、星を説得する。「星、あいつの話なんて信じるな。詐欺師の可能性だって十分ある。もしくは、わざとお前の資金調達を邪魔して、契約を潰すつもりかもしれない」星も一度はそう考えた。だが、あの男の口ぶりはあまりにも自信に満ちていて、はったりにしては不自然だった。これまで数えきれないほど人と会ってきた星の目から見ても、謙信はいかにも詐欺師というタイプには見えない。航平は、それでも言葉を重ねた。「星、資金のことなら心配するな。私と雅臣がなんとかする。三日以内に、必ず用意する」星は、静かに首を振った。「ふたりがここまで力を貸してくれるのは、本当にありがたい。でも……この額は決して小さくない。もし御社に何かあったら、資金繰りが一気に苦しくなるわ」星は、まっすぐ航平を見上げた。「だから、私も考えたの。その結果――お母さんが残してくれた原株の一パーセントを売って、将来の投資と運転資金にするって決めた。そのたびに誰かから借りるわけにはいかないから」声は、澄んだ水のように静かだった。航平の顔から、さっと血の気が引いた。「な、何だって?原株を売る?」星は小さく頷いた。「母の派閥を支えてくれている株主さんたちに相談したら、引き受けてもいいって言ってくれたの。しかも、いつでも買い戻していいって」その株主たちは、もともと夜に恩を受けて地位を築いた人たちで、忠誠心も厚い。それでも航平の声は、焦りに染まっていた。「原株は、夜さんが残してくれた、お前の拠り所だろ!そんな簡単に手放してどうするんだよ。雲井家の思うつぼじゃないか!」あまりの勢いに、星は驚いたように瞬きをした。そのとき、そばにいた秘書が、おずおずと口を開いた。「鈴木さんは……星さんのために資金を用意しようとして、ご自身の資産を全部売ってしまわれたんです。それに、鈴木家の株まで……でも星さんが必要ないとおっしゃったら、鈴木さんの努力が――」最後まで言う前に、航平が鋭く
続きを読む

第1116話

航平は、思わず声を上げた。「……どうして、彼がお前のオフィスにいるんだ?」仁志は、少し面倒くさそうに片眉を上げた。「僕は星野さんのボディーガードです。星野さんのオフィスにいることの、どこが不自然なんですか?それより航平さん、そんなに星野さんのプライベートや、誰と一緒にいるかを気にされてどうなさるのですか。知らない方が見たら――「浮気現場でも押さえに来たのではないか」と思われるのではないでしょうか?」航平の荒れていた感情は、少しずつ静まっていった。その瞳は、深く暗く沈んでいて、底が見えない。「仁志。お前は星のボディーガードとはいえ、異性なんだぞ。分別はつけるべきだ。外でどんな噂が立っているか……お前は知らないだろう?ここはZ国じゃない。星の評判を守ってくれる『後ろ盾』なんていないんだ。お前がそんな行動を続ければ、傷つくのは星なんだぞ」仁志は、どこか意味ありげな笑みを浮かべた。「それよりも航平さん、僕より先に星野さんを困らせているのは誰でしょうか。航平さん自身ではないでしょうか。この前もですよ――もし航平さんが翔太さんを連れて、わざわざ僕を足止めさせなければ、星野さんは浩太さんに狙われることもなかったのではないでしょうか?」その言葉に、星は慌てて割って入る。「仁志、それは航平のせいじゃないの。あとで翔太が話してくれたけど、『どうしても私ところへ連れて行け』って駄々をこねたらしくて……航平も断りきれなかったのよ。それに、あのとき航平がちょうど駆けつけてくれたから、私は安全な場所に移動できた。あのまま廊下で倒れてたら、もっと危なかったわ」仁志の黒い瞳が、わずかに沈む。それ以上は、何も言わなかった。――彼は、航平が裏で何をしているか、ある程度知っている。ただ、まだ決定的な証拠はない。航平は、そのあたりの線引きが非常に慎重な男だった。まして星は、仁志よりもずっと前から航平を知っている。彼女の中での信頼は、もしかすると仁志より航平のほうが上かもしれない。仁志は、いつだって結果も後先も考えない。思ったまま動くタイプだ。だからこそ――目の前の『手を出せない存在』が、心底気に入らなかった。星が自分の肩を持ってくれたことで、航平の表情に、ようやく柔らかな笑みが戻る。暴れていた感情も、少し落ち着きを取り戻し
続きを読む

第1117話

航平は、いつもの落ち着いた顔のまま、ふっと笑った。「星がもう資金はいらないって言うからさ。ちょうど近くにいたし、様子を聞きに寄っただけだよ」雅臣は、それ以上は追及せず、視線を星へ移した。星の考えをひと通り聞き終えると、数秒だけ黙り――やがて静かにうなずいた。「原株を売るのも悪くないと思う。ただ、もう一つだけ備えを用意しておくことを勧めるよ」その一言に、航平は思わず目を向けた。まさか雅臣が、星の決断に賛成するとは思っていなかった。てっきり、自分と同じように全力で止める――そのほうが星に恩を売れて、距離を縮めるチャンスにもなるはずだと考えていたからだ。航平の思考を、星の声が遮る。「『もう一つの備え』って?」雅臣は穏やかに続けた。「資金は、こっちでも準備しておくべきだ。もし最終日に原株を売ろうとして、そこで何かトラブルが起きたら……その時点でもう、資金調達はほぼ不可能になる。それに、お前の原株を雲井家に売るならまだしも、関係のない第三者に売ろうとした場合……喉元まで運んだ食い物を、わざわざ他人の皿に盛り移すなんて、あいつらがすることか?」短く息をつき、言葉を継いた。「急ぎで資金が必要な状況なら、相手は数日引き延ばすだけでいい。それだけで、お前の計画は簡単に崩れる。だから――もう一つ、後ろ盾を持っておいたほうがいい」星は、すぐに雅臣の意図を理解した。五年の夫婦生活で身についた『言わなくても伝わる呼吸』が、まだどこかに残っている。彼女は小さくうなずいた。「言われてみれば、そうね……そこまで考えてなかった。私の考えが甘かったわ」雅臣は、柔らかな眼差しを向ける。「商売の世界に入ったばかりで、ここまで考えられるだけでも十分だよ。もう用件も済んだし、これ以上仕事の邪魔をしても悪い。そろそろ失礼するよ」星は席を立った。「エレベーターまで送るわ」雅臣は断らなかった。ただ、仁志の前を通り過ぎるとき、一瞬だけ視線を横切らせ――何も言わずに歩き去った。航平も口を開いた。「私も雅臣と一緒に戻るよ」星は二人をエレベーター前まで見送り、あらためて深く頭を下げた。――自分が学ぶべきことは、まだ山ほどある。その立場になって初めて、なぜ雅臣が毎日あれほど忙しかったのか、骨身にしみて分かる。普通の仕事に加
続きを読む

第1118話

「成功にしても失敗にしても、自分のお金なら、星は自由に選べる。彼女の判断で動いて、彼女の気持ちに従って決められる。失敗しても、誰にも負い目を感じずに、彼女自身で責任を負えばいい」雅臣は、わずかに目を細めた。「けど、借りたお金となれば、そうはいかない。失敗して返せなかったらどうしようって不安を抱えるだろ。そうなったら、何をするにも周りを気にして、踏み出せなくなる」短く息を吐いた。「でもな……迷いやためらいは、商売の世界じゃ致命的なんだ。そんな枷をはめて、彼女の可能性を潰したくない」少し間を置いて、静かに結んだ。「星が原株を売るって決めたのは、目の前の買収のためだけじゃない。ちゃんと、将来を見据えての判断だよ」航平は、そこでようやく息を呑んだ。――雅臣が、ここまで考えたうえで止めない選択をしたとは思わなかった。胸の中には色々な言葉が渦巻いたが、彼の口から出てきたのは、ごく短い一言だけだった。「……雅臣。お前の言うとおりだ」雅臣は、それ以上何も言わない。ただ、瞳の奥で小さな光が、静かにきらめいて消えた。……雲井家――忠の書斎。忠は、苛立たしげに眉根を寄せた。「もう二日目だろ。星はまだ、兄さんや父さんのところに『原株を売りたい』って相談に来てないのか?」翔が答える。「来てない。まあ、明日になれば、さすがに諦めて頼みに来るんじゃないか」忠は、鼻で笑った。「つまり俺たちはゴミ箱ってわけだ。他の連中がいらないゴミだけ、最後にこっちへ投げてくるって?」明日香は、何か言いたげな様子だったが――結局、黙り込んだ。翔はそれに気づき、視線を向けた。「明日香。言いたいことがあるなら言えよ」雲井家の中で、ほとんど星を悪く言わないのは、この妹だけだ。明日香は少し躊躇しながらも、口を開いた。「昨日、葛西さんのところに行ったの。その時、葛西さんが……星は本当に原株を売るつもりらしいって。でも、売ろうとしてる相手は――どうも別の人みたい」翔と忠が、同時に彼女を見た。「……別の人?誰にだ」明日香は、小さくうなずいた。「もう夜派の株主たちに連絡して、話をつけてるみたい。その株主たちも、今必死で資金をかき集めてるって」数秒間、あたりが静まり返った。次の瞬間、忠の顔にみるみる怒り
続きを読む

第1119話

星は、さきほど株主たちから受け取った電話の内容を、かいつまんで仁志に説明した。話し終えるころには、もう原因はほぼ見えていた。「……やっぱり、あの三人のお兄さんたちの仕業ね」正道が、自分の手を汚して証拠を残すような真似はしない。だが同時に、止めるつもりもないだろう――星にはそう読めた。彼女は机の上に積まれた買収関連の書類を見つめ、ぽつりと漏らした。「……雅臣は、本当に先が見えてたんだわ」仁志が言った。「いっそ、先に謙信さんと話をつけに行ってはいかがでしょうか?謙信さんが本当に出資するお心持ちであれば、資金の心配は一切不要になります。余った分は、そのまま投資に回せばよいです」星はうなずいた。「元々、一番の候補は謙信だったのよ。ただ……保険は何枚か持っておきたかった。もし本当に詐欺師だったら、丸腰すぎるでしょ?」だが今、原株の売却は完全にストップしている。残された道は二つしかない。一つは謙信。もう一つは、あちこちから借金をかき集めるルートだ。雅臣も、航平も、その仲間たちも――星を騙すような真似は決してしない。最後の砦としては、これ以上ない相手だ。ただ、その分だけ大きな恩を背負うことになる。だが契約期限は迫っていて、もう迷っている時間はなかった。星は少し考え、謙信に自分から電話をかけた。まるで彼女の電話を待っていたかのように、すぐにつながる。用件を伝えると、話は一気に進み、その場で時間と場所が決まった。雲井家の誰かに見られて邪魔されないよう、打ち合わせの場所は、外部と完全に遮断された会員制クラブを選んだ。星は約束の時間より三十分早く到着した。だが、個室の扉を開けると――謙信はすでに席に着いていた。今日も彼は一人で、連れは誰もいない。星が入ってくると、謙信は穏やかな笑みを浮かべて立ち上がった。短い挨拶を交わすと、彼はすぐに契約書を差し出す。今日、星が連れてきたのは仁志ひとりだった。凌駕を信用していないわけではないが、この件を知らせるほどの信頼関係はまだ築けていない。何より凌駕自身、今回の投資話が本当に成立するとは思っていなかった。心のどこかで、謙信を「詐欺師かもしれない」と疑っている。一兆円――約一兆円にもなる金額だ。そんな話が転がってきたら、疑うほうが普通だった。仁志は、
続きを読む

第1120話

謙信は、静かに答えた。「今のところは、まだ気づかれていません」その一言に、仁志の薄い唇がわずかに吊り上がる。満足げな色が、その整った横顔にほんの少しだけ浮かんだ。彼は続けて尋ねた。「――優芽利と清子のほうは?」謙信は落ち着いた声で報告を続けた。「ご指示どおり、写真を流したのは清子という情報は、すでに優芽利に伝えてあります。ただ……優芽利のほうですが――」一拍置いてから、言葉を選んだ。「表向きは脅されて司馬家の機密を渡したように見えますが、実際は……怜央に対して、もともとかなりの恨みを抱いていたようです。脅してきた相手が誰なのか、調べることすらしていませんでした。それに、怜央も簡単な男ではありません。優芽利が司馬家の機密をこっそり持ち出していることには、すでに気づいている様子です。何人か部下をつけて、優芽利の行動を監視させていますね」仁志の瞳が、すっと細くなった。「――優芽利をさらったほうは、まだ掴めてないのか」謙信は小さく首を振った。「相手のやり口が巧妙で、痕跡がほとんど残っていません。今のところ、決定的な証拠になるものは……」ここはM国だ。いくら仁志でも、好き勝手に暴れられる場所ではない。まして――清子のリークについて動き始めたのは、明日香の宴会が終わってからだ。そこから辿って清子に行き着いただけで、誘拐の実行犯までは、まだ霧の中である。仁志は、低く言った。「優芽利をさらえる人間なんて、限られてる。雅臣と影斗は、ああいう真似はしない。となると――一番怪しいのは、航平だな」その視線は、氷のように冷たく澄んでいた。「怜央を甘く見てる。あの男に手を出したら……航平は、ただでは済まない」謙信は、横顔をじっと見つめながらふと気づく。――仁志の凶暴さが、前より薄れている。少なくとも、以前のような不穏な気まぐれさは影をひそめていた。一兆円でこの安定が買えるなら、安いものだ……内心でそう苦笑する。ふと、扉のほうにちらりと目をやり、声を落とした。「しかし……星野さんは、思った以上にあっさり投資を受け入れましたね。もう少し疑ってかかるかと思っていましたが」仁志は、淡々と答えた。「疑ってないわけがないさ。けど――大きく動くときには、多少のリスクは当たり前だ。それでも一歩を
続きを読む
前へ
1
...
110111112113114
...
134
コードをスキャンしてアプリで読む
DMCA.com Protection Status