元夫の初恋の人が帰国した日、私は彼の兄嫁になった のすべてのチャプター: チャプター 1091 - チャプター 1100

1101 チャプター

第1091話

「玄関で一時間も待ってたんだってさ」陽介は必死に目配せをし、小声で言った。「少しは我慢しろよ。二人の間に何があるのか知らないけど、せっかくだし飯でも食いながら話せばいいじゃないか」洵は全く動じることなく言った。「監視カメラの映像は確認したのか?」陽介は首を横に振った。洵はスマートフォンを取り出し、玄関の監視カメラの映像を再生した。映像を見ると、天音は陽介よりほんの五分早く到着しただけだった。陽介は言葉を失った。洵はもう陽介を相手にせず、天音に視線を向けた。彼女はすっかりくつろいでいる様子だが、洵は天音の度重なる執拗な付きまといに、とうてい耐えられなかった。ましてや、自分の家にまで上がり込んでくるなど、もう限界だ。洵は冷ややかな表情のまま歩み寄り、天音の目の前に立った。天音もこれ以上無視を決め込むわけにはいかず、洵を見上げるしかなかった。彼の瞳には、我慢の限界を超えた苛立ちが満ちている。天音は不意に胸がちくりと痛むのを感じたが、それでも笑顔を作って言った。「初めてお宅にお邪魔したっていうのに、もう少し親切な態度は取れないの?何よその顔。あなたが初めて家に来た時なんか、すごく大歓迎してあげたじゃない。あの時もすき焼きを食べたし、これでお互い様ね」天音は口が達者で、その言葉にはいつも人を煽るような響きがある。過去を振り返ってみても、洵が何よりも我慢ならないのは、天音がまるで何事もなかったかのように振る舞うことだった。自分が受けた傷など最初から存在しなかったかのように図々しい態度を貫く彼女の姿は、まるで洵の神経をわざと逆なでしているようだ。ここは自分の家だ。ホテルの時のように受け身になる必要はないし、彼女に合わせて小芝居を打つ義理もない。洵は天音の手首を力任せに掴んだ。その強硬な態度は、相手に一切の猶予を与えず、ただ目の前の人間を極力排除しようとする冷酷さだけを帯びている。「出て行け」陽介は、親友がここまで激しい反応を示すとは思いもよらなかった。慌てて二人の間に割って入り、宥めようとした。「おいおい、落ち着いて話し合おう。そんなにムキになるなよ」天音は、洵のその表情と冷たい言葉に深く傷ついた。G市で見せたあの穏やかな態度は、ただのその場しのぎに過ぎなかっただろうか。その疑念は、天音の心の奥底にあ
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第1092話

陽介は、親友と超一流企業のお嬢様が繰り広げる愛憎劇にすっかり当てられ、胸焼けを起こしそうだ。せめてこのバチバチとした空気を少しでも和ませようかとも思ったが、今の彼にはそんな気力も余裕も一切残っていなかった。今にも激しい衝突が起きかねない二人の様子は、もはや彼が立ち入れる範疇を完全に超えている。友人である以上、陽介がこの一線を越えて首を突っ込むわけにはいかない。なにせ、二人はすでに一線を越えた関係なのだ……他人の恋愛事情には首を突っ込まない。これは男女共通の暗黙のルールである。天音は、洵のその冷ややかな態度が何よりも気に食わなかった。彼女は振り返って陽介を睨みつけた。その迫力は洵をも凌駕している。「ここはあなたの家でしょ?どこにも行かず、そこに立ってなさい!人のゴシップが好きなら、最後までちゃんと味わうことね。あなたの親友が裏で何をしでかしたのかとくとご覧なさい!」階段を半分ほど上りかけた陽介は、全身をビクッと強張らせた。二人を振り返ると、自分の身の安全を最優先することに決めた。「天音さん、さすがにこの状況は俺には手に負えないって! もういい、俺が出ていくから!この家はお二人に明け渡すんで、あとは存分にやり合ってください!」二人の激しい怒りの炎に耐えきれるはずもなく、巻き添えになるのもごめんな陽介は、迷わず逃亡を図った。車のキーとスマホをひっつかむと、風のような速さで二人をすり抜けて玄関へと駆け出し、あっという間に姿を消した。今の世の中、まともな人間はそう多くない。陽介がここに残るわけにはいかない。これ以上そこにいて、自分まで毒されてしまったら元も子もないのだ。陽介が去った後、家には彼ら二人だけが残された。洵はまだ天音の腕を掴んだままだ。天音は立ち上がり、彼を睨みつけている。二人は互いに一歩も引かず、凄まじい剣幕で睨み合っていた。その気迫はどちらも引けを取らず、自ら折れようとする気配など微塵も感じられない。天音は洵の怒りに満ちた顔を見て、ふんと冷笑を漏らした。そして極めて不機嫌そうに嘲笑を浴びせた。「いつまで腕を掴んでるつもり?まさか、このまま手を引いて部屋に連れていく気かしら?いいわよ、行こう。あなたのベッドに連れ込んで、もう一回やってみる?」洵は、天音のあまりにもあけすけな物言いに、幾度となく言葉
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第1093話

凄まじい気迫で畳み掛けてくる天音を前にして、洵はまるで逃げ場のない窮地に、追い詰められたかのような感覚に陥っていた。相手が恥を捨ててかかってくるなら、この先一生付きまとわれる羽目になるのだろうか。いっそのこと、姉の月子を頼ることもできる。だが男として、プライベートな問題すら自力で解決できず、姉に泣きつくなどという真似は、洵のプライドがどうしても許さない。天音とのことは、やはり自分自身の手でどうにか決着をつけたい。しかし、天音ほど常軌を逸した人間にあったことなどこれまで一度もなく、彼女のような厄介な性質を前に、洵は完全に打つ手をなくした。限界まで怒りを募らせた洵はただ一言だけを口にした。「天音、頼むからこれ以上、あなたを憎みたくなるような真似はしないでくれ」天音は彼の目をじっと見つめ、思わず拳をきつく握りしめた。胸の奥に走った鋭い痛みが彼女をさらに不機嫌にさせ、その声は凍りつくように冷たくなった。「憎まれたって構わないわ。一番怖いのは、あなたに完全に無関心でいられることよ。憎しみだって立派な感情の一つじゃない。それはあなたが私を気にしている証拠だし、あなたの目に私の存在がはっきりと焼き付いているってこと。無視されるよりよっぽどマシだわ。こうして憎まれるのも悪くないわ!」洵は怒りで顔色をめまぐるしく変えた。思い切り怒鳴りつけてやりたいが、これまで彼が本気で怒りをぶつける相手は、決まって男だった。天音は女だ。女相手に感情を爆発させるような男を、洵自身も底無しに軽蔑している。天音の厚顔無恥ぶりには際限がなく、どんな言葉の刃も彼女には通じないようだ。洵はこれ以上天音の顔を見ていることすら耐えられず、彼女の手首を乱暴に掴むと、無理やり外へと引きずり出した。洵は冷たい声で言い放った。「今すぐ家へ送り返す」彼はもはや手に負えない相手から、逃げ出すしかないところまで追い詰められた。
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第1094話

天音の言葉に、洵は怒りで頭が真っ白になり、もはやまともな思考すらできなくなっていた。「……どけ!」「ずっとこうしてじゃれ合ってるじゃない。今だって私、こうしてあなたの上にいるし。私、この体勢けっこう好きなのよね。ねえ、今度ベッドに入るときも、こういうふうにしない?」極めて艶めかしい台詞を口にしているというのに、その表情も声音も、まるで相手を斬り刻んでしまいそうなほど物騒だった。洵の顔はみるみる真っ赤になった。しかも男である以上、そんなことを言われれば、どうしたって頭の中で勝手に想像が膨らんでしまう。もう限界だ。洵はギリッと歯を食いしばり、強引に身を起こそうとする。彼が抵抗するのを見て、天音も負けじと必死に彼を押さえつけた。女とはいえ長身で、幼い頃から鍛えているため腕力も決して弱くはない。洵も彼女を振り解いて起き上がるために相当な力を込めねばならず、顔だけでなく、耳から首筋に至るまで完全に真っ赤になった。結局、天音は彼に抱え上げられるようにして宙に浮いた。彼女は激しくもがきながら怒鳴りつけた。「洵、何する気よ! たしかにあなたとはヤりたいと思ってるけど、もし無理やり乱暴なことしたら、絶対に許さないからね!」洵は歯軋りをして言い放った。「いいから黙ってろ!」洵は暴れる人形でも抱え込むみたいに天音をきつく押さえつけ、どこにも逃げられないようにしながら、彼女の抵抗をいなしつつ、近くにあるベルトを見つけた。そのまま洵は、天音をソファの上へと放り投げた。天音はすぐに身を翻して起き上がろうとする。だが洵は自分の体重をそのまま預けるようにして彼女を押さえ込み、両手を頭上へまとめて持ち上げると、ベルトで手首を縛り上げた。まさか洵がこんな手に出るとは思っていなかったのだろう。天音は怒りで我を忘れたように足を激しくばたつかせたが、洵に容赦なく押さえ込まれ、さっきまでわずかに残っていた自由すら、今は完全に奪われてしまった。怒り狂った天音は、どうにか言葉の刃で洵を刺激しようと噛み付いた。「へえ、今度は拘束プレイのつもり?見た目は真面目そうなくせに、案外誰よりいやらしいんじゃない?」洵はここへきてようやく、天音がどこまで無茶苦茶を言える人間なのか思い知った。カチャッという無機質な音と共にベルトのバックルが天音の両手
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第1095話

けれど、天音はまるで起き上がる気配を見せない。仕方なく洵は、彼女を横抱きにした。腕に抱き上げられた途端、天音は驚くほどおとなしくなり、そのまま静かに彼の胸に身を預けた。黙り込んだ天音には、どこか人を寄せつけない、壊れそうな脆さがある。それは彼女の整いすぎた顔立ちのせいでもあり、機嫌を損ねたときにふと覗かせる、すべてを厭うような眼差しのせいでもある。さっきまでの挑発的な様子とはあまりにも対照的であった。洵はわずかに眉をひそめ、無意識のうちに彼女の肩を抱く手に力を込めた。そのまま足を止めることなく助手席まで運び、シートベルトを締めてやった。車に乗ってからも、天音はひと言も発しなく、ただ静かに窓の外を見つめている。その姿は、先ほどまでとは別人のようだ。先ほどまでとは打って変わって、その目にあるのは人を寄せつけない冷たさと、すべてを拒むような無関心だけだ。洵は固い表情のままハンドルを握りしめ、天音の家へと車を走らせた。彼女の家には一度だけ行ったことがあり、道は覚えている。地下駐車場に着いても、天音はやはり歩こうとしない。洵は黙ったままシートベルトを外し、慣れた手つきで彼女を抱き上げた。ふと視線がぶつかったが、二人とも反射的に目を逸らした。洵は何も言わず、天音を抱えたままエレベーターに乗り、彼女の部屋まで向かった。顔認証が作動すると、玄関のドアが静かに開いた。洵は勝手知ったる様子で部屋に入り、天音をソファへ下ろした。彼が身体を離した途端、自分を包んでいた体温が一気に失われた。洵もまた身を起こしてまっすぐ立ち、上から彼女を見下ろす。天音はそこでようやく冷えた目を彼に向け、低く問うた。「もう帰るつもり?」洵は答えず、代わりに言った。「もう二度と俺の前に現れるな」天音は怒る気力すら削がれた。「……手、ほどいて」洵は、彼女がどれほど自制の利かない状態か分かっている。「友達に連絡して、助けてもらえ」そのひと言に込められた意味を、天音はすぐに悟った。出て行け、顔も見たくない――そう突き放されるより、この言葉のほうがよほど深く刺さった。手首の拘束を解けば、さっきみたいにまた彼を掴んだり、触れたりするかもしれない。洵は、彼女が自分に一切触れないようにしたい。だからこそ、そう言ったのだ。それは言
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第1096話

結局、竜紀が来るより前に、天音はとっくにそこを後にしていた。ベルト一本で、彼女を縛っておけるはずもない。洵に連れ出されたときには、すでに彼女のボディガードが後をつけていた。天音が何の反応も見せなかったため、彼らもあえて前に出ようとはしなかった。洵に縛られたあとは、天音にももう彼と騒ぐだけの気力は残っていなかった。一つは、単純に暴れて疲れたから。もう一つは、気分が最悪だったからだ。洵の拒絶はあまりにも分かりやすく、さすがの天音も自分をごまかせなかった。G市から戻ってきて、彼女は一日置いてから洵に会いに行った。いつもの彼女なら、飛行機を降りたその足で真っ先に彼のもとへ向かっていただろう。自分の望みはすぐにでも叶えたい。ずっとそうして生きてきた。だが今回は違う。心の奥に巣食う恐れが彼女をためらわせた。行ったところで、また何も得られずに終わるのではないか――そんな不安が拭えなかったのだ。彼女は一日耐え、一日中ひとりで思い悩んだ。こんなふうに気持ちをすり減らすのがこれほど苦しいものだなんて天音は初めて知った。頭の中はずっと一人の男でいっぱいで、こうしても駄目、ああしても駄目と考えてばかりで、何ひとつ糸口が見つからない。苛立ちで、ろくに眠れもしなかった。それでも救いだったのは、彼女に立ち止まったまま諦める弱さがなかったことだ。会いたければ、会いに行く。それだけだ。実際に洵の顔を見た瞬間、天音は思い知った。思い悩んでいたあいだも、結局ずっと彼のことを考えていた。自分の気持ちをはっきり自覚するたび、天音は人間という生き物がひどく気味悪く思える。まだ進化しきれていない半端な生き物。自分の意志でどうにもならず、本能に振り回されて誰かを好きになってしまう。そんなことで自分らしさを失い、感情まで他人ひとりにかき乱されるなんて、あまりにも危うい。どうして自分が、こんな大きな損をしなければならないのか。部屋を出るころには、天音の気分はどん底まで落ちていた。腹立ちまぎれに家中のガラス製品をいくつも叩き割り、室内は無残に散らかった。洵が買ってくれた薬も、容赦なくゴミ箱へ放り込んだ。それから乱暴にドアを閉めて、そのまま出て行った。運転手に郊外の別荘まで送らせると、今度は自分でスポーツカーを出し、私設のサーキットを深夜まで何周も、何周も走り続けた。
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第1097話

洵の会社では、社長がどこかの裕福な令嬢にしつこく付きまとわれている、という話が半ば本気で囁かれている。毎日のように大量の差し入れが届き、それが社員全員に配られるうえ、洵の分だけはひと目で特別だと分かるものだからだ。天音は洵の前にあからさまには姿を見せなかった。ただ、人の少ないときを見計らって、ふいに彼の視界に入るだけだ。けれど洵は、いつも見えていないかのように彼女を無視した。そんなふうにして、一週間が過ぎた。ある日、洵は広告撮影の進み具合を確認するため、スタジオへ顔を出した。天音もあとをつけたが、中へ入るつもりはない。入ろうと思えば、誰にも止められない。けれど、そこまで事を荒立てる気はないのだ。彼女は車の中でコーヒーを飲みながら、肘を窓枠に預け、気ままに外を眺めていた。洵がいつ堪えきれなくなって、もう一度自分と真正面からぶつかってくるのか――天音はそれを少し楽しみにしている。誰だって、つきまとわれればうんざりするはずだ。そして天音には、今日こそがその日だという強い直感がある。洵は現場を訪れ、広告に出演している千遥と悠真にそれぞれ花束を持ってきた。千遥に渡したそれは、彼女の好みに合わせたピンクのバラを白いリボンで飾り、メッセージカードまで添えた、いかにも特別扱いと分かるものだ。その花束を、洵は自分の手で千遥に差し出した。天音はふいに口元を歪めた。さっきまで飲めているはずのコーヒーが、急にどうしようもなく苦く感じられる。本当は、こんなふうに取り乱すつもりはなかった。けれど、彼女の支配欲はあまりにも強すぎる。洵のそばに誰かがいることが許せない。相手が男でも女でも、天音には耐えられない。それなのに、千遥にバラまで贈るなんて。最悪だ。洵は一度だって、自分にバラを贈ったことなどない。メッセージカードを書いてくれたことだってない。天音はルームミラーに映る自分の顔を見た。不思議なことに、その表情は驚くほど落ち着いている。狂気が深くなるほど、かえって人は冷静に見えるものなのだろうか。そんな自分を、天音は嫌いではない。むしろ、ますます異常になっていく自分を少し気に入っている。桜に調べさせたところによれば、千遥は今日、K市へ出張に来ており、撮影が終わったあと、ホテルに戻って着替え、食事会に出る予定だという。―
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第1098話

女の勘はよく当たるものだ。天音がここへ来たのは、きっと洵絡みだ――千遥はそう直感している。正直に言えば、千遥は洵にかなりの好感を抱いている。芸能界で知り合う男たちとは、彼はまるで違う。何よりも貴重なのは、その落ち着きと誠実さだ。年齢以上に大人びていて、接していると、この人は本当にいい人なんだと素直に思える。今どき、「いい人」であること自体がどれほど貴重なことか。芸能界で出会う男たちは、誰も彼も見た目はいいし、こちらを見る目も信じられないほど甘い。まるで本気でじ分に好意を寄せているように見える。けれど、実際は誰にでも同じなのだ。そこにあるのは作り物の愛想と仮面ばかりで、千遥は心から信じられる相手にほとんど出会ったことがない。その点、洵は何をしていても態度に偽りがない。取り繕っているのではなく、本心からそうしているのだと伝わってくる。それだけでも十分すぎるほど惹かれる理由になった。しかも、才能も容姿も、芸能界の男たちと比べても頭ひとつ抜けている。今では成功した起業家でもある。千遥が洵に好感を抱くのも無理はない。一緒にいるのも楽しく、もっと親しくなってみたいと思っている。千遥はそれとなく探りも入れていた。洵は独身で、これまで誰かと付き合ったこともないらしい。恋愛経験はまっさら――それもまた彼の魅力をさらに引き立てている。だからこそ、もう少し踏み込んで関わってみたいと思っているし、もしかしたら、自分たちのあいだに何かしらの進展があるかもしれない――そんな期待もある。千遥は洵の前ではやや積極的であるが、媚びを感じさせるような振る舞いはしなかった。あくまで自然に、相手に気を遣わせない距離感を守っていたつもりだ。それなのに今、自分はこうして部屋まで押しかけられている。しかも莉央が招き入れたのではなく、相手は勝手に踏み込んできたのだ。背後に控えた屈強なボディガードの圧も相当なものだ。千遥は胸の奥で警戒感を強めながらも、余計なことは言わず、天音の出方をうかがった。天音は昔から、人を痛めつけるときに男女の区別をしない。気に障れば、相手が誰であろうと容赦しない。もっとも、男に対してのほうがさらに手厳しいのだが。天音は千遥を頭の先からつま先まで眺めた。女優としてやっていけるような女はたいていそれなりに整った容姿をしている。男という生き
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第1099話

莉央は千遥の顔をうかがい、今にも泣き出しそうになりながら、ますますおずおずと答えた。「ホテルに備え付けのものです……」「ホテルの備品なんて、何人使ったか分からないでしょう。汚そうだし。今すぐ隅から隅まで洗うか、新しいコーヒーメーカーを買ってくるか、どっちかにして。でないと、飲む気になれないわ」千遥はさすがに顔をこわばらせた。天音は相変わらず、まるでここが自分の部屋であるかのように気ままで、むしろ自分こそがこの場の主人だと言わんばかりの様子だ。一方、ここに泊まっているはずの千遥のほうが、ひどく居心地悪そうに身を縮こまらせ、天音の顔色をうかがっている。だが、そんな息の詰まるような空気は長くは続かなかった。千遥のスマホが鳴ったからだ。天音が目で合図すると、ボディガードがすぐに近づき、千遥のスマホを取り上げた。天音が聞いた。「誰から?」ボディガードが画面を見て答えた。「洵様です」その瞬間、天音はふっと冷たく笑った。「千遥、電話に出て。私がここにいるって、そのまま洵に伝えなさい」千遥は瞬時に見極めた。天音が洵を目当てにここへ来たことはもう間違いない。二人のあいだに何らかの因縁があるのだろう。余計なことさえしなければ、巻き込まれずに済む可能性は高い。たしかに千遥は洵に好意を抱いている。けれど、それ以上に大事なのは自分の仕事と立場だ。敵に回してはいけない相手を怒らせるなど、絶対に避けたい。千遥はすぐ天音の言うとおりにした。電話に出ると、洵はあとどれくらいかかるのかと尋ねてきた。千遥はそれに、「まだホテルにいます。天音さんが会いに来てくれて、少しお話ししているところなんです」と答えた。そのあと洵が何か言い、千遥は短く、「分かりました」と返して電話を切った。天音はわずかに首を傾げ、どこか気の抜けたような口ぶりで尋ねた。「洵、なんて言ってたの?」「こっちに来るそうです」その瞬間、天音の手が無意識にきゅっと強く握られた。洵は本当に千遥を気にかけているのだ。だからこんなにも早く、真っ先に駆けつけようとしているのか。天音はそれ以上何も言わなかった。ただ洵が来るのを待つだけだった。けれど、彼女の纏う雰囲気はみるみるうちに暗く沈んでいった。千遥も隣の莉央も、その変化をはっきり感じ取った。二人と
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第1100話

天音はぎゅっと拳を握りしめた。「まさか、千遥のことを本気で好きなんじゃないでしょうね?」洵は奥歯を噛みしめた。「俺が誰を好きだろうと嫌おうと、あなたには関係ない。これ以上、俺の仕事にも私生活にもいちいち口を出すな……まだわからないのか、あなたのこと、本当に嫌いなんだ」その言葉は、天音の胸を真っ向からえぐった。傷つけられた分だけ、相手も同じように傷つけてやりたい――そんな思いしか湧いてこない。「洵、前にも言ったでしょう。これからもずっと、あなたをうんざりさせ続けるって。あなたのそばに取り憑いて、あなたの苦しみは全部私のせいであってほしいって。今はただ自分で口にしたことを実行してるだけ。そんなに大げさに騒ぐことはないでしょ」「あなた……」天音はもう完全に我を失っている。「脅したって無駄よ。千遥にバラを送ったところ、この目でちゃんと見たんだから。言っとくけど、これから先、千遥にはあまり近づかないことね。あの子の人生を壊すくらい平気でできる。千遥の仕事が駄目になったら、それは全部あなたのせいよ。もちろん、あなたのことだって許さない。もし千遥のことが好きにでもなったら、絶対に許さない。あなたは私のもの。誰かのことが好きになるなんて、絶対許せない」洵は怒りに言葉を失った。天音が何をしようと、自分に向けられるだけならまだ耐えられる。これまでもそうしてきた。だが、自分のせいで他人まで巻き込まれるとなれば、それだけは絶対に耐えられない。しかも天音は、そういう理不尽を本当にやりかねない女だ。あのバラの花束は、千遥の友人が届けに来たもので、洵はただ渡してほしいと頼まれただけだ。花束そのものに、彼自身は何の関係もない。だが洵は、そのことを天音に説明する気にはなれない。説明したところで、天音に歩み寄るみたいで癪だからだ。天音が強引に迫ってくれば来るほど、威圧的に押してくれば来るほど、洵はますます応じる気をなくしていく。結局その日も、二人はまた最悪の形で言い争いを終えた。顔を合わせれば喧嘩になる。どんな関係であれ、顔を合わせるたびにぶつかってばかりでは、心まで離れていくのも無理はない。そのことを、天音は誰よりも痛いほど思い知らされている。ホテルを出て車に乗り込んだときには、彼女は怒りで体が震えている。圧
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