玲奈の頬は、拓海の胸に押しつけられていた。耳に響くのは低く唸るような声と、どくどくと力強い鼓動。その言葉はあまりにも情熱的で――既婚者である彼女ですら、一瞬心臓が跳ねた。だが同時に悟っていた。拓海は人の心を操る術に長けた男。女の子が喜ぶ言葉を心得ている。玲奈は身をよじり、逃れようとした。だが振りほどけないと知ると、観念して口を開いた。「救急箱は......テーブルの引き出しに」その瞬間、拓海は彼女を放し、吐き捨てるように言った。「おまえのことなんか、犬でも気にしない」言うなり窓際へ歩み寄る。そこには、先ほどから垂れているロープ。掴めばすぐにでも去れるはずだった。だが、彼は動けなかった。大きな背中が窓ガラスに映り、目を閉じて必死に何かと戦っているように見えた。やがて拓海は舌打ちし、再び振り返る。テーブルへ向かい、救急箱を探り当てると、玲奈に向かって短く命じた。「来い」その声は強く、逆らう余地を与えなかった。玲奈は一瞬ためらったが、結局歩み寄ってソファに腰を下ろした。腕を差し出し、かすかに呟く。「......ありがとう」拓海は黙々と袖をめくり、突然「ワン、ワン......」と口にした。玲奈は目を瞬き、思わず俯いて彼を見つめる。大柄で、整った顔立ちを持つ男が、不器用ながらも細心の注意で包帯を取り替えている。彼の優しさは、逆に心をざわつかせた。この距離は、決して純粋ではないと知っているからだ。処置を終えると、拓海は言葉ひとつ発せず、彼女のスマホをテーブルに置いた。そしてロープを掴み、窓から軽やかに姿を消した。残された静寂の中、救急箱を片付け終えると、再び電話の着信音が鳴り響く。画面に映る名は――智也。「離婚協議の件かもしれない」そう思い、玲奈はためらわずに応答した。「普段、どうやって愛莉のお腹を撫でてやっていた?」電話越しに聞こえた智也の声は、驚くほど淡々としていた。またも失望が胸を過ったが、それも一瞬。息を整え、玲奈は丁寧に説明する。「まず手のひらを温めて。それから掌で痛む場所を優しく押して、円を描くように」「分かった」智也の短い返事。切る直前、玲奈は彼を呼び止めた。「智也」「何だ?」「離婚協議
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