All Chapters of 捨てられ妻となったので『偽装結婚』始めましたが、なぜか契約夫に溺愛されています!: Chapter 61 - Chapter 70

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61

 給湯室のライトが彼のスーツの肩で冷たく光る。「本部長、僕は――」「勤務中に私的な詮索はやめろ、坂下。ここは会社だ。業務に関係のない“質問”は不要だ」 ぐっと一歩、近い。私と坂下くんの間に割って入るみたいに立って、真正面から射抜く。「それに――」視線が一瞬だけ私に落ちて、すぐ戻る。「彼女は俺の妻だ。話があるなら、上司であり配偶者である俺を通して欲しい。この件に関して文句や異議申し立てがあるなら、俺がすべて受けると皆には伝えてある」 はっきり言った。給湯室の奥にいた総務の先輩が、そっとカップを持って退散していく音まで聞こえる。やめて…。この場に走る緊張感がすごい。「……失礼しました。本部長。中原さん――じゃなかった、御門先輩に、ご結婚の件を確認しただけで」「確認は済んだ。以上だ」 言い切ってから、私の背に軽く手を添えた。その触れ方が独占っぽくて、心臓が跳ねる。やば、ここ会社だって。「あの、本部長…」「……悪い。語気が強かったな」 すぐ、坂下くんへ向き直る。「誤解させるつもりはない。彼女はチームの一員で、そして俺の妻だ。その事実は変わりない」「承知しました。個人的に引き留めて申しわけございません」 彼は深く頭を下げて、出ていった。残った熱だけが、給湯室に漂う。私は小さく息を吐いて、蓮司の袖口をちょん、とつまんだ。「あんなに言わなくてもいいじゃないですか」「……いや、ひかりが責められているのかと思ったら、つい」 間髪入れず。目を逸らさないの、ずるい。「業務上、不適切だ。分かっている。だが、男として、配偶者に向けられたあいつの好意的な目線は無視できなかった」 直球がきた。「お気持ちは嬉しいです。ありがとうございます」「わかってくれたらいい」 即答して、低い声をほんの少し落とす。「社外でこんなことがあったら、今みたいに遠慮はしないからな」「っ……承知しました」 顔、近い。熱い。やめて、ここは会社。「戻るか」「はい」 ふたりで部に戻ると、なんか慌ただしくなっていた。「本部長! 大変です!」 若手社員のひとりが蓮司に駆け寄った。「ニシトモさんの関西支店でトラブルが発生したようです。責任者をすぐ連れて来いと相手様がお怒りで…」 ニシトモというのは大きなスーパーで、最近うちの会社のシステムをレジ回りに導入してくださった企業に
last updateLast Updated : 2025-09-30
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  散歩は川沿いの遊歩道まで。朝の冷気はきりっとしていて、シリウスの足取りも軽い。信号で止まると、私の顔を見上げて尾をふわり。はいはい、わかってる。今日は蓮司が帰ってくるからね。いい日になるよ。 最後は軽くランニングして戻った。シリウスにご飯をあげて、お水を替えて、ペットシーツも取り替えた。 私は簡単にトーストを焼いてかじる。あと、今日は考えていることがあるから、夜ご飯を仕込んだ。 帰ったらさっと炒めるだけ。野菜を切って、ご飯をセットする。後は簡単な野菜スープ。それからお手製のソース(簡易版)。「よしっ」 手際よくやればすぐできる。主婦やってたから、ご飯造りはお手のもの。 今はそれしか取り柄が無い。もっと蓮司と肩を並べても見劣りしないようなレディになりたいけど…もとが庶民だからムリかなぁ。 頑張る前から諦めるのはどうかと思うけれど…。「シリウス、行ってくるね」「ワンっ」 シリウスにバイバイして会社に向かった。出社してからは、いつも通り。ただ、蓮司がいないというだけ。午前はメールの返しと段取り確認、午後は見積の詰め。余計な噂話はまだ漂っていたけれど、亜由美がうまく壁になってくれているのが分かる。昼休み、スマホが震えた。《15時半 新大阪発。戻りは18時》《了解です》 今日はぜったい迎えに行きたい。 仕事は根性で終わらせる!! だって私が会いたいんだもん!! サンドイッチをかきこみ、昼休み返上。午後は時計とにらめっこしながらフルスロットル。タスクを一つずつ潰して、やれるだけのことはやる。亜由美に「定時ダッシュする!」と宣言。すぐ親指スタンプが返ってくる。蓮司と結婚したからには、ちゃんと夫婦になっていきたいから、まずは
last updateLast Updated : 2025-10-05
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 東京駅は人の流れそのものが大きな生き物みたいにうねっていた。入場切符を購入し、新幹線のりばへ。蓮司に会えると思うと、胸の高鳴りが止まらない。 自動改札を抜けると、ホームへ吹き上げる冷たい風が頬を撫でた。掲示板には「のぞみ98号 東京」の文字、その右に17:57:の時刻。私はホームの表示を頼りに、8号車から10号車のグリーン車のあたりまで歩く。床の足元に描かれた号車番号、柱の青いプレート、緑のクローバーマーク。9号車の少し手前で立ち止まり、マフラーの端を指で整えた。手袋を外し、リップを軽く塗り直す。息が白い。 新幹線到着のチャイムが鳴り、続いてアナウンスが流れる。 ホームの床が、ごくごく小さく震え出す。先に風が来て、遅れて光が来る。ヘッドライトが線路の銀を走り、白い車体が音を纏って滑り込んでくる。髪がふわりと持ち上がり、瞼が一度だけ瞬いた。 ブレーキの擦れる音、足元に伝わるわずかな揺れ。目の前でドアが開く。溢れ出す人波はみんな忙しそうで、それでもそれぞれに「おかえり」と「ただいま」を胸に抱えているのが分かる。私はその波の端に立って、背伸びをせず、ただ目を澄ませた。 ――いた。 降りた瞬間、肩に乗っていた緊張がすっと抜け落ちて、目尻の線がやわらぐ。私と視線が合う。彼の歩幅が、少し速くなる。私の足も、自然に前へ出た。「――来てくれたのか」「はい。お迎えに参りました」 言い終えるより早く、世界が近づいた。胸の前に、ひとつ分あたたかい壁。コート越しに伝わる彼の温もりと、その奥にある確かな熱。  ハグしようと思っていたら、向こうからハグが来た!!  しまった。この時のシミュレーションは計算外だった!!  どうしたらいい? 驚いて息が止まる。「……悪い。つい」 耳元で、低く落ちる声。ホームのざわめきが遠のいて、心臓の音だけがやけに正確に刻まれる。私は両手をそっと上げて、彼の背中に触れた。固かった息が、ふっとほどける。「いえ。嬉しいです。夫婦ですから、なにも謝ることはありません」 少しだけ腕の力がゆるんで、彼が私を離す。ちゃんと顔を見せてくれる。目の奥の疲れは残っているのに、その周りはあたたかい。  夫婦を盾にすればいいことを思いついた私。賢い! これからいろいろな場面で使える。  契約とはいえ夫婦になっていてよかった。様々な免罪符になりえるの
last updateLast Updated : 2025-10-06
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 八重洲口の裏の小さな出口から出た。少し離れた所に見慣れた黒い車が寄せてある。こちらに気づいた運転手さんが出てきてくれて、会釈してドアを開けてくれる。背もたれに深く沈むと、張り詰めていた糸が一本ずつほどけていくみたい。窓の外、丸の内の灯が車体にやわらかく映った。「風呂はアプリで湯張り済みだ。到着時刻に合わせておいた」「さすがです。帰ったらすぐお風呂に入ってください」「ああ。ひかりが先に入っていいぞ」「ありがとうございます。でも、今日は蓮司が疲れて帰ってきたのに、お風呂は先にあなたが入ってください。私は夕飯の用意がありますから」 短いやり取りなのに、隣に座る人の帰ってきた手応えがちゃんとある。ふと視線が合って、さっきのホームの熱が胸に戻った。彼はこほん、と小さく咳払いをして、窓の方に目をやる。  その窓に、彼の表情が映っている。――照れてる。かわいい顔だった。その顔を見て私もきゅんとしてしまった。蓮司でも照れることがあるのね。 当たり前の光景になったマンション。最初は心臓バクバクしていたけれど、もうだいぶ慣れた。  部屋に着くと、シリウスが全力で駆け寄ってきた。前足を揃えてお座り、「よし」でくるっと一回転。いい子。蓮司が頭をなでる声が、玄関に低く落ちる。「ただいま、シリウス」 コートを受け取り、彼のネクタイを軽く整えてから
last updateLast Updated : 2025-10-07
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70

 スープを飲み終えたころ、蓮司が立ち上がった。「そうだ。頼まれていたおみやげ、あるんだ」「え、覚えててくださったんですか?」「ああ。玄関に置きっぱなしだった」 戻ってきた彼の手には、上品な紙袋。ソファに腰をおろすと、まず薄緑の包みを私の前へ。結び目をほどくと、現れたのは淡い抹茶色の箱。蓋を開けると、個包装のラングドシャがずらりと並んでいた。濃い抹茶のクッキーで白いショコラを挟んだやつ――常温で日持ちするから、まさに“二人でつまむ用”。「新大阪駅で見つけた。濃いめのやつらしい。コーヒーでも、お茶でも、どっちでも合うと思う」「おいしそう……今、コーヒー淹れますね」 早速コーヒーメーカーをセットし、ラングドシャを並べた。コーヒーが落ちたら、さっそく1枚。サクッ。最初に抹茶のほろ苦さ、すぐ追いかけてホワイトショコラのまろやかさが溶ける。「ん~、これは罪深い味です」「罪は俺が背負う。もう1枚どうぞ」「じゃあ、遠慮なく」 笑い合って、2枚目。テーブルにご飯やおみやげやら、いろいろものが出て、ピクニック気分になる。「あと、もうひとつ。こっちはひかりに」 彼が取り出した小さな箱は、深い藍色のリボンがかかっていた。胸の奥が跳ねる。 「私にですか?」 「ああ」  指先でリボンをほどいて、蓋を上げる。 ――細い、金色の光。 華奢なチェーンのブレスレット。留め具のそばに小さな鍵のチャームがひとつ。シンプルでも上品。そして愛らしい。「かわいいです。すごく、好きです、こういうの」「よかった。シンプルなものなら、仕事でも邪魔にならないと思って。それに、ひかりが気に入るんじゃないかって思ってさ」「つけてみてもいいですか?」「ああ。俺がつけてやる」「あ、ありがとうございます…」 ひゃ~、緊張する!  おずおずと左手首を差し出すと、彼の指先がそっと触れる。カチ、と小さな音。距離が近い。息が、ほんの少しだけ止まった。「サイズ、きつくないか」「ちょうどいいです。――鍵、なんですね」「……これでほかの男がこじ開けることもないだろ」 その一言が、やさしく指先より先に触れてきたみたいで、胸のあたりがふわっと温かくなる。私は手首を返して、光る小さな鍵を眺めた。「ありがとうございます。大事にします」「よかった」 甘いお菓子の香りとコーヒーの湯気、テーブ
last updateLast Updated : 2025-10-09
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