All Chapters of 身代わり花嫁の女装王子は狼陛下を遠ざけたい: Chapter 1 - Chapter 10

31 Chapters

プロローグ

【愛するお父様、お兄様たちへ。リリアは愛する人と遠くへ行きます、探さないでください……本当にごめんなさい。でも私は耐えられません。】目に入れても痛くないほど可愛がってきた一歳違いの妹、リリア・ローズマリー・レグルス。学生時代に読んだロマンス小説のヒロインが、こんな手紙を置いて愛する人と駆け落ちするようなものを読んだ時に、ロレイン・エマニュエル・レグルスはこう思った。自分の家族と絶縁してでも愛する人がいるというのはすごいことだし、誰かを本気で愛したことがない自分にとっては羨ましいな、と。でも、自分の妹がそうなったら話は別。しかも、タイミングが最悪すぎるではないかとロレインは額に手を当てて項垂れた。「………弟よ」 「嫌です、兄上」 「兄上はまだ何も言ってないが」 「あなたが言いそうなことは大体予想がついてますよ! 何年兄弟やってると思ってるんですか!」 「お前がもう23だからなぁ……23年の付き合いだ」 「真面目に返さんでいいですッ」リリアの部屋で一緒に置き手紙を眺めているロレインの兄、ヴェストール・アレクサンダー・レグルスは顎に手を当てて難しい顔をしている。ただ、ロレインにはその兄が何を考えているのかが手に取るように分かった。「……今日が何の日か分かってるよな、ロレイン」 「リリアがアストライア帝国に嫁入りをする日、ですが……」 「でも肝心のリリアが手紙を置いていなくなったわけだ」 「見りゃ分かります」 「この感じだと、まぁ、駆け落ちと言っていいだろうな」 「……ですね」 「というわけで、アストライア帝国に嫁入りする嫁がいなくなったわけだが」 「兄上が言いたいことは分かっていますが、無理ですよ」 「うちの弟は、王国一の美人と謳われるリリアに劣らない美形だと兄上は思っているんだよな」 「……だから、さすがに無理ですってば!」ヴェストールが言いたいのは『お前がリリアに変装してアストライア帝国に予定通り嫁いでくれ』ということだ。「俺は騎士ですよ!? 確かに見た目はリリアと似てますし体も細いですけど、体のゴツさでバレますって!」 「お前なら大丈夫だ、ロレイン。騎士だもの」 「兄上ッ!」 「お前が言いたいことは分かるが、考えてみてくれ、ロレイン。アストライア帝国との縁談がなくなれば、レグルス王国はヴァルモン魔国からの侵略待った
last updateLast Updated : 2025-07-02
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第1章:1

「――リリア・ローズマリー・レグルス。貴殿は神の名の下に、アストライア皇帝シルヴァン・ヴォルフ・アストライアと夫婦の契りを交わし、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」厳かな雰囲気の大聖堂に響き渡る神父の声。隣に立つ黒ずくめの大男の雰囲気に圧倒され縮こまっていたリリア――もとい、ロレインはブーケを持つ手をぶるぶると震えさせながら「誓います」と呟いた。遡ること、一日前。レグルス王国の隣に位置しているアストライア帝国に嫁ぐ予定だった、ロレインの妹のリリアが愛する人と駆け落ちした。アストライア帝国の皇帝に嫁入りする日の朝に気がついたものだから、ロレインをはじめとするレグルス一家は大慌てで策を練った結果、ロレインがリリアに扮して嫁ぐことになったのだ。幸いなことに皇帝のシルヴァン・アストライアはリリアと直接会ったことはなく書面でのやり取りのみで成立した縁談だったので、ゴツい体型をカバーすることでしばらくは欺けるだろう。そしてもう一つ幸いだったのは、アストライア帝国が主に獣人しかいない国だということ。ロレインは男なのでリリアより幾分か背が高いのだが、獣人の女性はみんな背が高くて体格がいい人も多く、それに紛れいているロレインは『人間だから細いし小さい』と思われているようだった。そして何より、隣に立っている男の身長はゆうに190センチを超えていて、結婚式だというのに白い衣装ではなく黒い衣装を身に纏っているので「俺の葬式か?」とロレインは心の中で悪態をついていた。「シルヴァン・ヴォン・アストライア。貴殿は神の名の下に、レグルス王国の王女リリア・ローズマリー・レグルスと夫婦の契りを交わし、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」 「――誓います」神父の問いかけに、一拍置いて低い声が大聖堂にこだまする。隣でシルヴァンの声を聞いたロレインは体の中に響くほどの重低音に、ビリッとした衝撃を覚えた。「では、誓いの口付けを」その言葉を合図にシルヴァンがこちらを向き、ロレインの顔を隠しているベールに手をかける。獣人は人間と違って爪が長いんだな、なんて場違いなことを思っていると、レースのせいで靄がかかったように見えていた視界が急にクリアになった。ロレインの肩に熱い手が触れて、もう片方の手が顎をそっと持ち上げる。アストライア帝国に来て初めてまともに顔を見たシルヴァン
last updateLast Updated : 2025-07-02
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第1章:2

そして早速、ロレインは修道女の服に着替えてみる。王宮が用意してくれたロレインの部屋には全身が映る大きな鏡があって、その鏡に映る自分の姿に「まあまあいいんじゃない?」なんて満更でもないように呟いた。「綺麗なお髪が映えてますわ!」「女装するために伸ばしてたわけじゃないけどね……」ロレインの髪の毛は色素が薄いホワイトブロンドで、いつもは高い位置でひとまとめにしていた。忙しいから髪の毛を整える暇がないという理由と、リリアがお揃いがいいと言ったので伸ばしていた髪の毛がまさか女装のために役立つとは思っていなかったけれど。「こんなお姿を見たら、さすがに皇帝陛下でも引き下がると思われます」「神様に捧げてるって言われたらねぇ……じゃあなんで結婚したんだって言われたら困るけど」「そこは致し方ありません。政略結婚ですから」「とりあえず、修道女様のおかげで初夜は回避できそうですね」大の大人が顔を突き合わせて『初夜を回避する方法』を相談しているだなんて、先ほど大聖堂で誓いの口付けをした夫は想像もしていないだろう。「そういえば、誓いのキスをするときに謝られた気がしたんだよなぁ」「シルヴァン皇帝陛下からですか?」「うん。すまないって言われた気が……」「皇帝陛下にも良心の呵責というものがあるのでしょう」「皇帝陛下のほうが?」「まず、人間の国から獣人の国へ嫁入りするのはかなりハードルが高いですから。実際、リリア様の置き手紙にも“耐えられない”とあったように、普通の女性ならば恐怖心を抱くのは一般的かと」「ああ、まぁ……デカいもんな、色々と」ロレインはレグルス王国ではごく平均的な身長だったけれど、シルヴァンは成人男性のロレインと20センチは身長の差がある。これが普通の女性に置き換えると30センチや40センチ違っても不思議ではない。アストライア帝国は色んな種族が集まる国だが、そのトップである皇族は代々狼族なのだと言う。シルヴァンが若干20歳にして新皇帝となったのは、前皇帝と皇妃が不慮の事故で亡くなったためだ。彼の兄弟たちも早くに戦死したりしているようで、残った彼が新皇帝に据えられたらしい。シルヴァンは神童と言われていたらしく、その才能は皇帝になっても発揮されているのだとか。レグルス王国が侵略されそうになっているヴァルモン魔国は魔族が住む国で、シルヴァンの取り計らいのお
last updateLast Updated : 2025-07-02
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第1章:3

 「では、まぁ……お互いに干渉せずに過ごしましょう、ということで……?」 「そうですね。公式な場では妻としての役目をお願いしたいですが」 「それはもちろん……至らない部分があるかもしれませんが、よろしくお願いします」 「はい、こちらこそ。俺は今まで婚約者などがいませんでしたので、女性の扱いに不慣れな部分があります。無神経なことをしたらすみません」そう言いながらシルヴァンはぺこりと頭を下げる。ロレインより3歳年下だと聞いていたけれど、それにしてはしっかりした青年だなと感心した。違う国から嫁いできた妻を気遣う夫としては満点の態度だろう。ただ、大人しく見えても彼は獣人。狼の大きな耳と牙、鋭い爪を持つ種族のトップなのだ。部屋で二人きりになると確かに少し威圧感はあるので、怒らせないようにしなくてはと考えてしまう自分がいる。先ほどのジェイクとの話のように、獣人に嫁ぐのは嫌だと思う人間の感情をロレインはやっと少しだけ理解できた。「わたくしも懇意にしていた男性はいませんでしたので……お互いに無理はせずに夫婦生活を送りましょう」なんて綺麗な言葉は建前で、正直な気持ちはお互い関わらないようにしよう、という話だ。今は修道女の服を着て、大聖堂で夫婦の契りを交わした相手の中身が男だなんて、シルヴァンは想像もしていないだろう。バレるかバレないかギリギリのラインに立っているロレインはできる限り彼を遠ざけなければ、性別を偽って結婚したとバレると今後このアストライアで命があるかどうか分からないのだ。「お伝えしようと思っていたのですが、夫婦の寝室はただの飾りですので」 「飾り、というと……?」 「使うことはないと思います。俺たちはお互いに干渉せず、ですよね」 「陛下がそれでよろしいのであれば、こちらにとってはありがたい申し出です」 「俺たちが不仲だとか、子供ができないとか言われるでしょうが……そもそも獣人と人間の婚姻なので、子供が望めるかも分かりません。あなたは世継ぎのことは気にせず、この国に慣れることを第一に考えていただけたらと思います」シルヴァンはドライというより、リリアと同じでこの政略
last updateLast Updated : 2025-07-04
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第1章:4

 アストライア帝国での生活が始まって、ロレインがリリアに変装し続けて一週間が経った。「皇后陛下、今日の午後はお茶会の予定が入りました」 「茶会?」 「はい。侯爵夫人の皆様がお会いしたいとのことでして……リリア様は人間の国からいらしたということで、皆様興味深々でいらっしゃるそうです」 「興味深々って……見世物みたいだな」悪気はないのだろうが、珍しい動物を見るような感覚で見られるのかと思うと、少し憂鬱になる。ただでさえ女装がバレないように気を遣っているのに、大勢の前で振る舞わないといけないのは緊張する。それに、女性だけが参加するお茶会に出席したことなんて、今まで経験がないのだ。レグルス王国にいた時も貴婦人たちとの茶会に参加したことはあったが、それはロレインが男性としてであり、今は女性として参加しなければならない。ロレインとして参加していた頃は令嬢たちのほうから色んな話題を振ってくれて、見定められるだけだったのである意味楽だったのかもしれない、と苦笑した。「女性だけの茶会って、どんな話をすればいいんだ……?」 「お相手は主に獣人のご夫人方ですので、アストライア帝国のことを質問してみるのはいかがでしょう? ご夫人方の流行などを知っておくと、私もリリア様のお召し物などの準備がしやすいですわ」 「なるほどな。……自然な感じで会話をできるか、分からないけど」 「大丈夫ですわ、ロレイン様。この一週間、完璧にリリア様を演じていらっしゃいますから。侍女たちの間は今のところ誰も疑っていません」確かに、王宮での生活は思っていたよりも順調だった。シルヴァンは公務で忙しいらしく、食事を一緒にとることもない。そもそもロレインは結婚した翌日からなるべく誰とも顔を合わせまいと、体調不良を理由に自室で食事をしているのだ。何度かシルヴァンから薬の差し入れがあったが、彼とは結婚初夜にこの部屋で会ったきりである。ロレインが度々修道女の服を着ていることは他の使用人たちにも見られたので、今頃『なぜ二人は新婚なのに床を共にしないのか』という推測で持ちきりだろう。「では、お支度を始めましょう」
last updateLast Updated : 2025-07-05
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第1章:5

 まるで優雅なお茶会とは思えないほど殺伐とした重苦しい空気が流れ、ロレイン自身は何も悪くないのに自分が何かしてしまっただろうかという気まずさを感じた。「え、ええと……」 「これは、皆さんお揃いのようですね」 「こ、皇帝陛下!」重い空気が流れていた会場に突如現れたのはシルヴァンで、ロレインを始めその場にいた全員が立ち上がって頭を下げた。「陛下、ごきげんよう」 「女性同士の楽しい時間を邪魔したかったわけじゃないんです、楽にどうぞ」今日も今日とて真っ黒な服に身を包んでいるシルヴァンだが、淡い色のドレスを纏う女性たちの中で一際目立っている。ただ、女性の中にいるシルヴァンを見るとやはり絵になるなと、ロレインはどこが他人事のように彼を見つめた。「皇后は最近体調が優れなかったようなので、皆様と茶会ができるほど回復して嬉しく思います」 「あ、あはは……お気遣いくださりありがとうございます……」そうだ、体調が悪いから部屋で食事をしている『設定』だった。今の言葉がシルヴァンの嫌味なのかどうか彼の真意は測りかねるが、ロレインはまたもや別の意味で気まずさを抱いた。「リリア……少しお時間をいただけますか」シルヴァンの言葉に、ロレインは困惑した。お茶会の最中に呼び出されるのは予想外だったからだ。もちろん断りたかったが差し出された皇帝の手を取らないのは失礼だし、このままお茶会の会場に残っていても気まずいだけ。どちらを選択しても気まずいのであれば、一旦席を外してリセットしてもいいかと思ったロレインはシルヴァンの手を取った。「大丈夫でしたか?」 「え……?」シルヴァンに手を引かれて移動したのは庭園の中にある噴水の前で、水の影響なのか澄んだ空気がロレインの肺に入って何だか息がしやすくなったように感じた。周りに誰もいないことを確認したシルヴァンがそっとロレインの目元に触れたので、驚いてびくっと体を震わせると彼は慌てて手を引っ込めた。「不躾に触れてすみません。少し顔色が悪いように見えたので……何か嫌なことでも言われました
last updateLast Updated : 2025-07-06
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第1章:6

 お茶会から戻ったロレインは、一人になるとどっと疲れが出た。「あ〜〜〜…疲れたぁ……」 「お疲れ様でした、ロレイン様。ただ、入浴を済ませて次は夕食の支度をいたしましょう」 「一緒に食事するとか言わなきゃよかった〜〜…」ぼふりとベッドにダイブしたロレインだが、フィオナに腕を引かれて起き上がる。ぐったりしているロレインのドレスをてきぱきと脱がせていくフィオナに連れられ、すでに用意されていた泡風呂に身を沈めた。「お夕食の時は締め付けのない服にしましょうか」 「そうしてくれ……コルセットは騎士の鎧よりキツイ……」 「ふふ、そうですか。ロレイン様でもそう思うことがあるのですね」 「俺はペンより重いものが持てなくてなぁ」 「では今日のお茶会ではよく我慢されてカップをお持ちでしたね」くすくすと笑う声が浴室に響く。ぐったりしているロレインの長い髪の毛にお湯をかけながら洗ってくれるフィオナは、疲れ切っているロレインの肩や腕を優しくマッサージしてくれた。「リリア様、夕食の準備が整ったようです」 「ありがとう、ジェイク。すぐに行くと伝えてくれ」フィオナが提案してくれたように、コルセットを使わないゆったりとしたドレスに着替えたロレインはダイニングルームへ向かった。そこには既にシルヴァンが席についていて、ロレインが入ってくると立ち上がって椅子を引いてくれた。「ありがとうございます、陛下」 「いえ。……茶会の時より顔色はよさそうですね」 「そうでしょうか? 入浴してマッサージをしてもらったからかもしれません」 「いい時間を過ごせたようでよかったです。あの後も何事もなく終わりましたか?」 「はい。色々とお話を聞かせていただいて……今度、バーンズ侯爵夫人とクイエット侯爵夫人と三人でお茶会をすることになりました」 「そうですか。では夫人方のお好きな茶葉とお菓子を用意させましょう」そんな話をしていると、次々と食事が運ばれてくる。テーブルの上にはあっという間に料理の皿でいっぱいになり、肉料理を中心とした豪華な料理が並んでいた。分
last updateLast Updated : 2025-07-07
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第1章:7

 食事を終え、シルヴァンが部屋まで送ってくれると言ったので無下にもできず、ロレインはシルヴァンの一歩後ろから部屋までの道のりを歩んでいた。少しぼーっとしながら歩いていたので前にいたシルヴァンが立ち止まっているとは知らず、思いっきり彼の背中に鼻をぶつけた。「わっ!?」 「あ、ああっ、すみません! 庭園の花が見えて立ち止まっていました……」 「花ですか?」 「もし時間が許すなら、少し寄って行きますか? 今日は満月なので珍しい花が見れるんですよ」 「珍しい花……では、ご一緒させてください」「今夜は月が綺麗ですね。良かったら、少し庭園を散歩しませんか?」シルヴァンの提案で、少し庭園に寄ることにした。昼間はここでお茶会をしたばかりなのに、夜の庭園は昼間とは違った美しさがあり、月明かりに照らされた花々が幻想的に見える。「あ、この花です」シルヴァンが立ち止まったのは青い小さな花が群生している花壇だった。ただ、その花の輝きは普通のものではなく、内側から発光しているような輝きを放っていて、澄んだ青色をしていた。「綺麗……!」 「ルナ・ブルーです。月の光の下でだけ花を開く、不思議な花なんです」 「へぇ! 月の光でだけ咲くなんて、とてもロマンチックですわ」 「獣人の国には、人間の国にはない植物がたくさんあります。昼と夜では全然違った花が楽しめますよ」月の光で咲いている不思議な花、ルナ・ブルーを物珍しげに観察しているロレインの横で、シルヴァンが小さく笑うのが分かった。チラリと彼を見てみると、今は屈んでいるからかいつもより近くに顔があってドキリと心臓が跳ねる。シルヴァンの黒髪も月に照らされて透明感があり、緋色の瞳がなんとなく金色に見えたのは気のせいだろうか。「そろそろ戻りましょうか。夜風が冷たくなってきました」 「……はい」シルヴァンの横顔に見惚れていたので、ロレインはパッと視線を逸らした。なんだか顔も耳も熱くなっている気がするけれど、辺りは暗いのできっとバレていないはず。シルヴァンが立ち上がって手を差し出してくれたのでその手を取り、部屋の
last updateLast Updated : 2025-07-08
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第2章:1

 庭園で狼と過ごした夜から一週間が経った。ロレインは毎晩あの狼のことを思い出しては、また会えるだろうかと窓から庭園を見下ろしているけれど、不思議な雰囲気を身に纏った狼がロレインの部屋を見上げていることはなかった。「ロレイン様、お疲れのご様子ですね」「あぁ、フィオナ……大丈夫だよ。少し寝不足なだけ」「大丈夫ですか? お食事か何かお体に合わないなどはありませんか……?」「今のところは大丈夫。食事はすごく美味しいから食べ過ぎるくらい……ドレスが入らなくなるから気をつけないとね」実際のところ、ロレインは疲れていた。アストライア帝国での生活に慣れてきたとはいえ、常に女性として振る舞い続けることの精神的な負担は想像以上だ。それに加えて、シルヴァンとの関係も微妙な距離感を保ち続けなければならず、気を抜ける時間がないのも悩みの種である。「今日は午後から侯爵夫人方との茶会でございますね」「そうだったな。シェリー夫人とエレノア夫人と……三人だけの茶会だっけ?」「はい。侍女仲間から聞いたのですが、お二人とも皇帝陛下の幼馴染のご令嬢だったみたいです」「へぇ……なのに陛下はこの歳まで結婚しなかったんだな」一般的に王族や貴族の子供は幼い頃に婚約者が決まったり、早くに結婚することのほうが多い。シルヴァンにそういう相手が今までいなかったのは不思議だなと、ふと考えた。もしかしたら彼もロレインと同じで『今』が忙しいからそういうのは考えられない、と断ってきたタイプかもしれない。「皇帝陛下は政務でお忙しそうなので、これまでもそうだったのかもしれませんね。昨夜も遅くまで執務室にいらしたとか……」「そうなのか?」「私はロレイン様の専属侍女なので詳しくは分かりませんが……。最近ヴァルモン魔国との国境で小競り合いが頻発しているそうで、頭を悩ませているようです。陛下は平和的解決を模索されているようですが、軍部からは強行
last updateLast Updated : 2025-07-09
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第2章:2

 「こんな時間にすみません、リリア殿」 「いえ、そんな……お気になさらないでください、陛下」フィオナの呼びかけ通り、開いたドアの向こうから現れたのはシルヴァンだった。何となく草臥れて見える彼は目の下にクマを作っていて、ひどく疲れた様子だ。ヴァルモン魔国との問題で連日執務室に閉じこもっていると聞いていたけれど、想像以上に疲れているのかもしれない。「どうなさいました? 最近はとてもお忙しいと聞いていましたが……大丈夫ですか?」 「ああ、ええ、はい……ただ少し、あなたの顔を一目見ようと思いまして……」 「え?」 「最近あまりお会いできていなかったので……報告は聞いていたのですが、直接顔を見たかったんです」 「そ、そうです、か……!」疲れた表情のままシルヴァンがロレインをじっと見下ろしていて、彼の視線に居心地が悪くなったロレインは思わず俯いた。だけれど、シルヴァンの視線はロレインのつむじに降り注いだ。「……ヴァルモン魔国との件でお忙しいと聞きました。大丈夫ですか……?」 「あなたは何も心配しなくて大丈夫です。レグルス王国のことも、きちんと守りますから」 「そうではなく、陛下のお体のことを心配しています」パッと顔を上げると緋色の瞳と目が合って、ロレインの言葉にシルヴァンは驚いたように呆けていた。なぜそんなに不思議な顔を?と思ったけれど、自分が何を言ったのか理解したロレインはぶわりと顔を赤くして「あの、その、えっと!」と焦っていると、シルヴァンはきゅっと手を握り締めた。「……少し、話を聞いてもらっても?」シルヴァンが切実そうに訴えるので、ロレインは彼の提案を受け入れることにした。ロレインの部屋に設置されているソファに腰掛けると、シルヴァンは額に手を当てて深くため息をつきながら項垂れた。「あなたの言うようにヴァルモン魔国との件で連日頭を悩ませていて……実は、国境での小競り合いが激化しているんです。軍部の一部からは先制攻撃すべきという意見も出ています。しかし、俺は……戦争だけは避けたいのです」 「戦争を……」 「ええ。戦争になれば、多く
last updateLast Updated : 2025-07-10
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