まるで優雅なお茶会とは思えないほど殺伐とした重苦しい空気が流れ、ロレイン自身は何も悪くないのに自分が何かしてしまっただろうかという気まずさを感じた。
「え、ええと……」
「これは、皆さんお揃いのようですね」 「こ、皇帝陛下!」重い空気が流れていた会場に突如現れたのはシルヴァンで、ロレインを始めその場にいた全員が立ち上がって頭を下げた。
「陛下、ごきげんよう」
「女性同士の楽しい時間を邪魔したかったわけじゃないんです、楽にどうぞ」今日も今日とて真っ黒な服に身を包んでいるシルヴァンだが、淡い色のドレスを纏う女性たちの中で一際目立っている。ただ、女性の中にいるシルヴァンを見るとやはり絵になるなと、ロレインはどこが他人事のように彼を見つめた。
「皇后は最近体調が優れなかったようなので、皆様と茶会ができるほど回復して嬉しく思います」
「あ、あはは……お気遣いくださりありがとうございます……」そうだ、体調が悪いから部屋で食事をしている『設定』だった。今の言葉がシルヴァンの嫌味なのかどうか彼の真意は測りかねるが、ロレインはまたもや別の意味で気まずさを抱いた。
「リリア……少しお時間をいただけますか」
シルヴァンの言葉に、ロレインは困惑した。お茶会の最中に呼び出されるのは予想外だったからだ。もちろん断りたかったが差し出された皇帝の手を取らないのは失礼だし、このままお茶会の会場に残っていても気まずいだけ。
どちらを選択しても気まずいのであれば、一旦席を外してリセットしてもいいかと思ったロレインはシルヴァンの手を取った。
「大丈夫でしたか?」
「え……?」シルヴァンに手を引かれて移動したのは庭園の中にある噴水の前で、水の影響なのか澄んだ空気がロレインの肺に入って何だか息がしやすくなったように感じた。
周りに誰もいないことを確認したシルヴァンがそっとロレインの目元に触れたので、驚いてびくっと体を震わせると彼は慌てて手を引っ込めた。
「不躾に触れてすみません。少し顔色が悪いように見えたので……何か嫌なことでも言われましたか?」
シルヴァンの心配そうな表情でロレインの顔を覗き込む。具合が悪いわけではなくコルセットの締め付けと重い空気に耐えられなくて顔を青くしていただけだが、あの場で会った一瞬でロレインの変化に気づいて連れ出してくれたのだ。
「いえ、そのようなことは……皆様とても親切で助かっておりますわ」
「それなら良いのですが……そうだ、バーンズ侯爵夫人とクイエット侯爵夫人はあなたの味方でいてくれる存在になると思いますので、顔見知りになっておいて損はないかと」 「わたくしの味方、ですか?」 「はい。バーンズ侯爵夫人は帝国騎士団の第2騎士団長の奥方で、クイエット侯爵夫人は帝国魔導士の若きエースの奥方です。あなたと年齢もそう変わりませんし、何より侯爵たちは俺が幼い頃から慕っている兄のような存在なので……信頼できるかと」 「そうですか……そういう事情は知らなかったので、教えてくださってありがとうございます」 「……ここで生き残るには、味方が必要ですから」 「え?」シルヴァンがぽつりと呟いた言葉を聞き返してみたが「なんでもありません」と言われれば、それ以上追求することはできなかった。
「そうだ、もし体調がよければですが……今夜は一緒に食事でも」
「で、でも陛下はお忙しいのでは……? 最近はあまり食事もとられていないと聞きましたが」 「急ぎの仕事がいくつかあったのでバタバタしていましたが、今日はここに立ち寄るくらいの時間があります。結婚した日以来顔を合わせることもなかったので……一度くらいはと思いまして。周りからもあなたの話を聞かれますが、俺は何も知らないので」 「あ〜…そうですね……」かくいうロレインも、お茶会でシルヴァンとのことを聞かれて言葉を濁したものだ。自分たちが思っている以上に二人の結婚は周りから注目されているし、それを避けて通ることはできない。
性行為はしたくないとシルヴァンに頼んでいる身なので、夕食くらい共にしたほうが不自然にはならないだろう。
色々と頭の中で計算した結果、ロレインは今夜シルヴァンと夕食を共にすることを承諾した。
「では、料理長に腕によりをかけて作るよう頼んでおきます。何か食べたいものはありますか?」
「えーっと……陛下が好きなお料理を食べたいですわ」 「俺の、ですか?」 「はい。まずは殿下のことを知りたいなと思いまして……いけませんか?」 「……いえ、そんなことはありません。料理長に伝えておきます」 「お願いします」正直、ロレインはがっつりとした肉料理が好きだ。分厚い肉のステーキなんて何枚でも食べられるけれど『リリア』はそうではない。彼女はどちらかと言えば魚のほうが好きだし、淡白な味のものを好む。そう伝えてもよかったのだが今のロレインは進んで味の薄い料理を食べたい気分ではなかったので、シルヴァンの好みに任せることにした。そうしたほうが、魚料理が出てきても責任転嫁しやすいからだ。
「では、呼び出してすみませんでした。残りの時間、楽しんでくださいね」
「陛下も、わざわざ声をかけてくださってありがとうございました」 「いえ……今夜、楽しみにしています」そう言って少し照れたように笑ったシルヴァンの姿にどきっと胸が高鳴ったのは、多分気のせいだろう。
朝からシルヴァンと熱い時間を過ごしたロレインは、ランチの時間に合わせてシェリー夫人たちとのお茶会に参加した。「ごきげんよう、皇后陛下」「一気に寒くなってしまいましたわね」「本当に。こんなに雪が積もるのを見たのは初めてです」暖かい時期は王宮の庭園でお茶をしていた三人だが、今日ばかりは無理がある。王宮内のサロンの一室に集まると、シェリーやエレノアも寒さに縮こまっていた。「獣人の私たちでさえ寒いのですから、皇后陛下は凍えてしまうのでは?」「そんなに細いお体で心配ですわ……」「ええと……俺は一応、男なので……」「性別は関係ございません!」「アストライア帝国の寒期を舐めてはいけませんわ!」「そうではなく、元騎士なのに女性から細いと言われるのは恥ずかしいという意味です!」ロレインは人間なので『小さい』『細い』『薄い』と心配されるのは慣れてきたが、女性から言われるとプライドがへし折られる感覚がするのだ。特にロレインは元騎士というのもあり、男としての体裁が保たれなくなっている気がする。そもそも、アストライア帝国の『皇后』と呼ばれているのでプライドも何もあったものではないかもしれない。それでも、やはりどこか恥ずかしさは拭えないのだ。「あら、あらあら! ロレイン様ったらお可愛らしいわ」「独り占めなさってる皇帝陛下が羨ましいですわね」「も、もう、お二人とも……!」恥ずかしがっているロレインを見て小さく笑っている二人。そんな二人にロレインはむうっと唇を尖らせて抗議してみたが「さらにお可愛らしいですわ!」と言われ、逆効果となった。「そういえば、こちらに向かっている最中に皇帝陛下にお会いしたんですの」「そうだったんですか」「ええ。でも今日は何故だか様子がおかしくて」「悪いものでも食べたのかと思いましたわよね」「今朝は特に具合が悪そうな様子はなかったんですが…
「――うわぁ、一晩ですっかり銀世界だ」獣人だからか体温の高いシルヴァンに抱き締められていたのに、肌に触れる冷たい空気を感じてロレインは起き上がった。何も身に纏っていない上半身に厚めのストールを巻きつけて窓際へ移動すると、そこから一望できる景色は全て真っ白に染まっている。昨夜から降り始めた雪でアストライア帝国が覆われているように見えた。「……そんな格好でいると風邪をひいてしまう」「ん、おはようございます」「おはよう、ロレイン」窓の外を眺めていたロレインを後ろからぎゅっと抱き締めたのは言わずもがなシルヴァンで、ストール越しにも感じる彼の体温にロレインは身を預けた。「こんなに雪が積もるのは初めて見ます」「レグルス王国では?」「降る時期もありましたけど、積もることはほとんどなかったですね。大体が一年中穏やかな気候なので」「そうか……それは素晴らしい。アストライアは暑いか寒いか両極端だからな」「育つ作物も制限されるわけですね」今年の寒い季節に間に合わせるのは無理があるが、今後はこの時期でも色々な作物が育つような施設を作るためにロレインは奔走している。武力だけではなく、レグルス王国で学んだ知識がアストライア帝国で役立っていると実感する毎日だ。「でも、寒い日のほうが好きかもしれません」「なぜ?」「……シルヴァン様にくっつく理由があるから、です」ロレインはくるりと後ろを向き、正面からシルヴァンに抱きつく。ロレインと同じように上半身は何も身につけていないシルヴァンと肌が触れ合い、吸い付く感覚にロレインは「えへへ」と破顔した。「あ、なたという人は……」「お嫌ですか?」「嫌ではないから困るんです」シルヴァンから抱き上げられてキスをされると、唇からもじわじわと甘い熱が広がった。次第に舌が絡み合うと体の火照りを感じ、ロレインは熱い吐息をもらした。「&hell
「そういえば、人の姿に戻った時もしっかり服を着ているんですね」「ああ、そういう魔法をかけた指輪をつけているから……もっとも、不意に狼の姿になることはほとんどないけれど」「……俺の前でだけですか?」「あなたの姿を一目見たいと思う時には、あの姿になっていることが多いかもしれないな」そう言って笑いながらシルヴァンはロレインに口付ける。少し長い彼の髪の毛が肌に当たるとくすぐったくて、狼の時のようなふわふわの感触を思い出した。「最初に狼の姿でお会いしたときは、監視されているのかとも思いました」「狼に部屋を見られているなんて、怖かっただろう?」「そういうことではなく……知的なお顔をされていたので、何か言いたいことがあるのかなとは思っていたんです」「確かに、言いたいことはあった。あなたの秘密を知っているから、これでおあいこだと」「ふふ。全くわからなかったですよ、もう」最初に狼の姿をしたシルヴァンを見た時、真紅の瞳が彼と似ているなとロレインは思ったものだ。ただ両の目の色が違ったことと、完全に獣化できることを知らなかったので、まさかシルヴァンだとは思いもしなかった。「狼の姿で会いに行く時、ロレインが少しでも窓の外を見てくれたらいいなと期待しながら行くんだ。でも時間が時間だし、きっと眠っているだろうなとも思いながら。それなのにいつもいつも、君は俺に気がついてくれるから不思議だな」「なぜか、眠れない時には陛下が外で見守ってくれているんです。それに気がつくのは、きっと惹かれあっているから……と思いたいです」「愛しいロレイン……あまり、可愛いことを言わないでくれ」「ん……」大きくて広い腕にぎゅうっと抱きしめられ、熱い口付けを交わす。ぬるりと肉厚な舌が入り込んできて、唾液をたっぷりと流し込まれた。ロレインの小さい舌はそのまま食べられてしまうのではなと思うほど強く吸われ、その感覚にぶるりと体が震えた。
「ロレイン様、王宮に戻られてから随分とご機嫌ですね」熱いお湯に浸かり、フィオナにヘッドマッサージをされながらロレインはそう言われた。城下町のレストランで夕食をシルヴァンと済ませた後、少年からもらったピンク色のバラを花瓶に生けながら鼻歌を歌っていた。あの花を見ると嬉しい気持ちになるし、シルヴァンと城下町に出かけた今日という一日がすごく楽しかったのも要因の一つである。城下町の人々にとって二人は皇帝と皇后だっただろうが、お互いにとってはただのシルヴァンとロレインでいられる時間が多かったように思う。新しいシルヴァンの一面を知れたり、ロレインとして本当の姿を見せられたことで肩の荷が降りた。皇帝や国民を騙していた最低な人間と思われるのが怖かったが、ロレインの予想とは裏腹に温かく迎えてくれた全ての人に感謝したい気持ちだ。「今夜は皇帝陛下の寝所をお訪ねしますか?」「いや、陛下は少し仕事があるようでな。今日は久しぶりに自分の部屋で休もうと思う」「そうですか、承知いたしました」本当は夜も一緒にいたかったけれど、仕事があると言われたら仕方がない。残念に思いながらも、久しぶりに一人の部屋で就寝することにした。「……甘えたになったもんだな、俺も」広いベッドに寝転がっても眠れる気がしない。普段なら大きな腕に抱きしめられ、全身を彼に包まれて眠りにつくのだ。その体温を感じられないだけで眠れなくなるだなんて、他の人に知られたら笑われるどころでは済まないだろう。このままベッドに寝転がっていても眠りにつくまで時間がかかりそうなので、せっかくならとロレインは本を読むことにした。アストライア帝国の歴史書などが部屋の本棚に並んでいる。その中から市場でも聞いたこの国の冬季についての文献を手に取り、月明かりが差し込む窓辺に椅子を移動させてパラパラとページをめくった。「かなりの雪が降るなら、積雪の重さに耐えられる施設が必要か……ガラスでは心許ないから魔法付与をしないと厳しいだろうな」文献を読み漁って
それからロレインたちはある小さなレストランへ移動し、店の奥の席に通された。シルヴァンから連れてきてもらった店なので皇室御用達のような畏まった店なのかと思ったのだが、普通に街の人々が訪れるような大衆食堂的なレストランだった。「意外です」「ん?」「陛下がこういう店を知っているなんて」「ああ……実は、昔お世話になってたんですよ」「え? お世話になってたって?」「住んでいたとかそういうことではなく、王宮から逃げ出した時に匿ってくれていたというか……ボロボロの俺に食事を出してくれたんだ。狼の姿の時でも」シルヴァンは母親からの改造計画が身体的にも精神的にも辛く、時々王宮から脱走して城下町に隠れることがあったそうだ。軟禁されていたようなので皇子とは思えないほどボロボロの姿のシルヴァンを気の毒に思い、このレストランの店主が優しくしてくれたのだと言う。完全に狼の姿になってから訪れても驚くことなく食事を与えてくれたのだと、シルヴァンは懐かしそうな表情を浮かべてロレインに話した。「はい、おまちどうさま!」「ありがとう、フローラ」「いやぁ、まさかあんたが奥さん連れて来るなんてねぇ! 長生きしてみるもんだよ!」「ここのシェフの奥さんのフローラです。もしあなたも王宮から逃げたいことがあればここに。すぐ迎えにいけるから」「遠慮せずおいで! あんたの奥さんなら大歓迎だよ!」「あ、ありがとうございます……!」快活な女性がテーブルに次々と美味しそうな料理を置いていき、その大半は肉料理だった。王宮ではすでにロレインとして好物の肉料理をよく食べているが、こういった場で食事をするのは初めてである。少し緊張しながらも、いい匂いを漂わせている料理たちの誘惑に勝てず、じゅるりと涎を啜った。「おや、あんたイケる口かい?」「イケる口?」「獣人の料理が口に合うってことさ! 見た目がほっそりしてるから、食も細いのかと」
口付けられた頭を押さえ、ロレインは肌を真っ赤に染めてシルヴァンを見やった。「なっ、ななななにを……! こ、こんなところで!」「あなたのことを愛おしいなと思ったからしたんだが……ダメなのか?」「ダメっていうか、恥ずかしいですから……っ」市場にいる人たちの視線がロレインとシルヴァンに注がれていて、ロレインは何とも居た堪れない気持ちになった。シルヴァンの話や国民のことを信じていないわけではないが、男が男に愛情表現をすることを周りの人がどう思っているのかまだ分からないから不安なのだ。自分が傷つくのはいいけれど、シルヴァンが傷つくのはロレインの本望ではない。でも、周りの反応はロレインが思っていたものとは違った。「皇帝陛下は本当に、皇后陛下を愛しておられますねぇ」「前にお二人で城下町に来た時もそうだった。とてもお優しい顔をして皇后陛下を見つめてるもんだから、こっちが照れてしまいますよ」「ご夫夫仲がよくて羨ましい限りです! うちの夫も皇帝陛下を見習ってほしいもんだよ」「うちのカミさんが皇后陛下のようなら毎日口喧嘩なんてしないんだがなぁ」と、市場の人たちはロレインとシルヴァンを見つめながら和やかに会話をしている。シルヴァンは特に何も気にしていないようだったが、ロレインは人々の言葉を聞いて目頭が熱くなった。じわりと視界が滲んで、それを悟られないように俯いて涙を隠した。「……我が皇后は、民が受け入れてくれるかどうか大層不安がっていたんだ」「ちょ、シルヴァン様……!」「ええっ、皇后陛下が悩まれていたんですか!?」「私たちは性別よりも当人同士の愛を尊重します」「皇帝陛下を見れば皇后陛下を大切にされているのは一目瞭然なので、こちらが反対するわけありませんよ」温かい言葉をたくさんかけてもらったロレインはシルヴァンからそっと肩を抱かれ「心配しなくても大丈夫だっただろう?」と囁かれた。