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第1章:1

Author: 社菘
last update Last Updated: 2025-07-02 14:39:56

「――リリア・ローズマリー・レグルス。貴殿は神の名の下に、アストライア皇帝シルヴァン・ヴォルフ・アストライアと夫婦の契りを交わし、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

厳かな雰囲気の大聖堂に響き渡る神父の声。隣に立つ黒ずくめの大男の雰囲気に圧倒され縮こまっていたリリア――もとい、ロレインはブーケを持つ手をぶるぶると震えさせながら「誓います」と呟いた。

遡ること、一日前。レグルス王国の隣に位置しているアストライア帝国に嫁ぐ予定だった、ロレインの妹のリリアが愛する人と駆け落ちした。アストライア帝国の皇帝に嫁入りする日の朝に気がついたものだから、ロレインをはじめとするレグルス一家は大慌てで策を練った結果、ロレインがリリアに扮して嫁ぐことになったのだ。

幸いなことに皇帝のシルヴァン・アストライアはリリアと直接会ったことはなく書面でのやり取りのみで成立した縁談だったので、ゴツい体型をカバーすることでしばらくは欺けるだろう。

そしてもう一つ幸いだったのは、アストライア帝国が主に獣人しかいない国だということ。ロレインは男なのでリリアより幾分か背が高いのだが、獣人の女性はみんな背が高くて体格がいい人も多く、それに紛れいているロレインは『人間だから細いし小さい』と思われているようだった。

そして何より、隣に立っている男の身長はゆうに190センチを超えていて、結婚式だというのに白い衣装ではなく黒い衣装を身に纏っているので「俺の葬式か?」とロレインは心の中で悪態をついていた。

「シルヴァン・ヴォン・アストライア。貴殿は神の名の下に、レグルス王国の王女リリア・ローズマリー・レグルスと夫婦の契りを交わし、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」

「――誓います」

神父の問いかけに、一拍置いて低い声が大聖堂にこだまする。隣でシルヴァンの声を聞いたロレインは体の中に響くほどの重低音に、ビリッとした衝撃を覚えた。

「では、誓いの口付けを」

その言葉を合図にシルヴァンがこちらを向き、ロレインの顔を隠しているベールに手をかける。獣人は人間と違って爪が長いんだな、なんて場違いなことを思っていると、レースのせいで靄がかかったように見えていた視界が急にクリアになった。

ロレインの肩に熱い手が触れて、もう片方の手が顎をそっと持ち上げる。アストライア帝国に来て初めてまともに顔を見たシルヴァンの顔は彫刻のように美しく、緋色に染まる瞳がじっとロレインを見つめていて、頭から生える狼の耳がロレインと目が合うとぴくっと動いていた。

「――すまない」

「え?」

ぽつり、呟かれた言葉を聞き返そうとしたけれど、言葉を発する前にロレインの唇にシルヴァンの唇が重なって遮られた。重ねた唇が少し震えているような気がしたが、もしかしたらロレイン自身の震えかもしれない。

二人の唇が離れると大聖堂は大きな拍手に包まれ、婚姻の儀は滞りなく幕を閉じた。

「お疲れ様でした、ロレイン様……いえ、リリア皇后陛下」

「やめてくれ、フィオナ……内臓が圧迫されて死にそうだ……」

「す、すぐにお召替えを!」

フィオナは元々、レグルス王国にいた時のロレイン専属侍女だった。主に獣人しかいないこの国に嫁ぐ際、レグルス王国側の従者を数名連れてきてもいいと皇帝から許可が出ていたので連れてきた侍女だ。できるだけ帝国側の人間とは関わらないように、他にも信頼できる側近と騎士をそれぞれ連れてきたので、こちらもしばらくはロレインの正体を隠し通せるだろう。

「この、コルセットが本当に息苦しい! 式の最中、何度失神しそうになったことか……っ!」

「ですが、そうは見えないほど堂々としていてお綺麗でしたわ!」

「中身が170センチ越えの騎士とは思えないほど美しい花嫁でしたよ、ロレイン殿下」

「ジェイク、楽しんでるだろ?」

「そんなことはございません」

フィオナ同様、昔からロレインの側近として側にいたジェイク。きつく締めたコルセットのせいで疲弊しているロレインを見る彼の目の奥が笑っているのが分かったけれど、ロレインは怒る気力も湧かない。そんなロレインの横でジェイクは懐から取り出した懐中時計を見て「ふむ」と顎に手を当てた。

「ロレイン殿下、これから最大の危機が待っております」

「大勢が見てる前での結婚式以上の危機ってある?」

「初夜でございます、殿下」

「しょ……しょや……?」

「初夜とは新婚夫婦が結婚後に初めて迎える夜のこと、または、その夜に行われる性行為のことでございます」

「言葉の解説はわざわざいらないッ!」

「ジェイク様の言うとおり、最大の危機ですわ……っ」

ジェイクの『初夜』という言葉にロレインは顔面蒼白になって固まった。一般的に初夜といえば性行為という意味も含まれることが多いだろうが、そんなことをしようものなら一発でロレインが男だとバレてしまう。

リリアに扮して結婚してほしいとはヴェストールから懇願されたけれど、初夜をどう乗り切ればいいのかまでは聞いていなかった。

「ど、ど、どうしよう!? あの皇帝、怒ったら絶対怖いじゃん! いくら騎士の俺でも狼のデカ獣人には勝てないって!」

「こういうこともあろうかと、このジェイクが初夜回避アイテムをご用意しておきました」

「初夜回避アイテム!?」

「さすがジェイク様!」

「こちらでございます」

ロレインとフィオナが期待に満ちた顔でジェイクを見ると、彼はレグルス王国から持ってきた嫁入り道具の中からあるドレスを取り出した。

「……修道女の服?」

ジェイクが持っているのは白を基調にした金色の刺繍や装飾がある修道女の服。おまけに金色のロザリオもオプションアクセサリーとして付属しているようだ。

「まさしく、修道女の服でございます」

「いや、それがなに……どういうこと?」

「今日あなた様は夫婦の契りを交わしたわけですが……本当は修道女になるのが夢だったのだと、純潔は神様に捧げているのだと押し通すのはいかがかなと思った次第です」

「な、なるほど……!」

「修道女を目指していたのであれば、そう簡単に殿方に体を許さないという口実になりますわ!」

「その設定使わせてもらうよ、ジェイク!」

「お役に立てて幸いです」

一人より、二人。三人以上集えばそれだけ知識や案が増えるのは嘘ではなかったのだなと、初めて手にした修道服を崇めるようにロレインは天に掲げた。

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    【愛するお父様、お兄様たちへ。リリアは愛する人と遠くへ行きます、探さないでください……本当にごめんなさい。でも私は耐えられません。】目に入れても痛くないほど可愛がってきた一歳違いの妹、リリア・ローズマリー・レグルス。学生時代に読んだロマンス小説のヒロインが、こんな手紙を置いて愛する人と駆け落ちするようなものを読んだ時に、ロレイン・エマニュエル・レグルスはこう思った。自分の家族と絶縁してでも愛する人がいるというのはすごいことだし、誰かを本気で愛したことがない自分にとっては羨ましいな、と。でも、自分の妹がそうなったら話は別。しかも、タイミングが最悪すぎるではないかとロレインは額に手を当てて項垂れた。「………弟よ」 「嫌です、兄上」 「兄上はまだ何も言ってないが」 「あなたが言いそうなことは大体予想がついてますよ! 何年兄弟やってると思ってるんですか!」 「お前がもう23だからなぁ……23年の付き合いだ」 「真面目に返さんでいいですッ」リリアの部屋で一緒に置き手紙を眺めているロレインの兄、ヴェストール・アレクサンダー・レグルスは顎に手を当てて難しい顔をしている。ただ、ロレインにはその兄が何を考えているのかが手に取るように分かった。「……今日が何の日か分かってるよな、ロレイン」 「リリアがアストライア帝国に嫁入りをする日、ですが……」 「でも肝心のリリアが手紙を置いていなくなったわけだ」 「見りゃ分かります」 「この感じだと、まぁ、駆け落ちと言っていいだろうな」 「……ですね」 「というわけで、アストライア帝国に嫁入りする嫁がいなくなったわけだが」 「兄上が言いたいことは分かっていますが、無理ですよ」 「うちの弟は、王国一の美人と謳われるリリアに劣らない美形だと兄上は思っているんだよな」 「……だから、さすがに無理ですってば!」ヴェストールが言いたいのは『お前がリリアに変装してアストライア帝国に予定通り嫁いでくれ』ということだ。「俺は騎士ですよ!? 確かに見た目はリリアと似てますし体も細いですけど、体のゴツさでバレますって!」 「お前なら大丈夫だ、ロレイン。騎士だもの」 「兄上ッ!」 「お前が言いたいことは分かるが、考えてみてくれ、ロレイン。アストライア帝国との縁談がなくなれば、レグルス王国はヴァルモン魔国からの侵略待った

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