そして早速、ロレインは修道女の服に着替えてみる。王宮が用意してくれたロレインの部屋には全身が映る大きな鏡があって、その鏡に映る自分の姿に「まあまあいいんじゃない?」なんて満更でもないように呟いた。
「綺麗なお髪が映えてますわ!」
「女装するために伸ばしてたわけじゃないけどね……」ロレインの髪の毛は色素が薄いホワイトブロンドで、いつもは高い位置でひとまとめにしていた。忙しいから髪の毛を整える暇がないという理由と、リリアがお揃いがいいと言ったので伸ばしていた髪の毛がまさか女装のために役立つとは思っていなかったけれど。
「こんなお姿を見たら、さすがに皇帝陛下でも引き下がると思われます」
「神様に捧げてるって言われたらねぇ……じゃあなんで結婚したんだって言われたら困るけど」 「そこは致し方ありません。政略結婚ですから」 「とりあえず、修道女様のおかげで初夜は回避できそうですね」大の大人が顔を突き合わせて『初夜を回避する方法』を相談しているだなんて、先ほど大聖堂で誓いの口付けをした夫は想像もしていないだろう。
「そういえば、誓いのキスをするときに謝られた気がしたんだよなぁ」
「シルヴァン皇帝陛下からですか?」 「うん。すまないって言われた気が……」 「皇帝陛下にも良心の呵責というものがあるのでしょう」 「皇帝陛下のほうが?」 「まず、人間の国から獣人の国へ嫁入りするのはかなりハードルが高いですから。実際、リリア様の置き手紙にも“耐えられない”とあったように、普通の女性ならば恐怖心を抱くのは一般的かと」 「ああ、まぁ……デカいもんな、色々と」ロレインはレグルス王国ではごく平均的な身長だったけれど、シルヴァンは成人男性のロレインと20センチは身長の差がある。これが普通の女性に置き換えると30センチや40センチ違っても不思議ではない。
アストライア帝国は色んな種族が集まる国だが、そのトップである皇族は代々狼族なのだと言う。シルヴァンが若干20歳にして新皇帝となったのは、前皇帝と皇妃が不慮の事故で亡くなったためだ。彼の兄弟たちも早くに戦死したりしているようで、残った彼が新皇帝に据えられたらしい。
シルヴァンは神童と言われていたらしく、その才能は皇帝になっても発揮されているのだとか。レグルス王国が侵略されそうになっているヴァルモン魔国は魔族が住む国で、シルヴァンの取り計らいのおかげで今は休戦状態になっている。
その代わり、レグルス王国への条件がリリアとシルヴァンの結婚だったのだ。
だから普通は、ジェイクの言うように獣人の国へ嫁入りする人間は多くない。自分と違う種族は怖いと思っている人のほうが多いのだろうが、その感覚はロレインにとってはあまり分からない感覚だった。
生まれた国が違うのだから見た目が自分と違うのも理解できるし、種族が違うからと言って嫌う理由にはならない。ただ、ロレインにとってこの結婚がリリアの身代わりだという特殊な状況なので、逃げ出したいだけなのである。
「……ていうか、この場合って俺があっちの寝室に行かないといけないのかな?」
「考えてもみてください、殿下。そんなことをしたら期待してますと言っているようなものですよ」 「あっぶな!」 「お待ちください。確か、ご夫婦の寝室が別にあると伺いましたわ」 「じゃあその夫婦の寝室に行って、初夜はお断りですって言えってこと?」 「そうなりますね」 「そもそも寝室に行かなければいいんじゃない?」 「そうするとすぐに噂が立ちますわ。ロレイン殿下が悪目立ちして注目されてしまう可能性も……」 「はぁ……行くしかないってわけか」夜を一緒に過ごさなければこんなに悩まなくてもいいかと思ったのだが、レグルス王国からやってきた人間の王女は最初から注目されているし、寝室に行かず初夜を拒否した皇后だと噂が立てば今よりも注目を集めることになる。ただ、夫婦の寝室に行ったとしても初夜は拒否するつもりなので、それをシルヴァンが言いふらさなければ、の話だけれど。
「お忙しいところ失礼致します、皇后陛下」
「へっ!? あ、は、はい!」 「皇帝陛下がお目通り願いたいそうですが、お通してもよろしいでしょうか?」 「………え!?」部屋の外からかけられた言葉に、中にいた三人は顔を見合わせて驚愕する。
夫婦の寝室とは?そこで落ち合う予定ではないのか?
と、ロレインの頭の中には疑問や焦りによる言葉が羅列されたが、このままずっと黙っているわけにもいかない。フィオナやジェイクが小さく頷いたので「ど、どうぞ!」と声をかけると、中に入ってきたシルヴァンと入れ違いで二人は出て行った。
「突然訪問してしまい申し訳ありません、リリア殿」
「い、いえ……!」 「慣れない国に来たあなたのことが気がかりで、様子を見に……」 「お気遣いありがとうございます、陛下」結婚式で着ていた衣装ではなく、寝巻きのようにラフな格好でロレインの部屋を訪れたシルヴァンは、式の最中に見せていたような圧倒的なオーラは消え失せていた。入浴をしたのか、癖のある少し長い髪の毛は少し水分を含んでいて、シルクのガウンに雫が落ちていく。誓いの口付けの際は真っ直ぐロレインを見つめていた緋色の瞳は伏せられていて、部屋の床をじっと見つめていた。
「その格好は……寝巻きにしては、寝苦しくなりそうに見えますね」
「えっ、えっと……実はわたくし、修道女になるのが幼い頃からの夢だったんです」 「……」 「ですので、大変心苦しいのですが……わたくしの純潔は神様に捧げておりますので、初夜は…ちょっと……」精一杯、しおらしい女性を演じた。自慢ではないが男にしては大きめの目をうるっとさせる努力もしたし、体をくねらせて少し妖艶さも混ぜてみる。ちらりとシルヴァンを見てみると、彼はスンっとした真顔でロレインを見下ろしていた。
「あ、あ、あの……」
「ああ、いえ……きちんと意見を言える方なのだなと。大丈夫です、お好きになさってください」 「え、お好きに?」 「はい。俺に触れられたくないのであれば、それはそれで構いませんから。俺もあなたに触れたいという望みは今のところありませんし」シルヴァンは思っていたよりも話が分かる人というか、何も興味がなさそうで驚いた。結婚したと言っても政略結婚なのは間違いなく、お互いに初対面同士で夫婦になったのだから仕方がない部分もある。
彼がドライでいてくれたほうがロレインとしても都合がいいので、ぜひこのままお互いに干渉せず過ごしていけたらいいなという願望を抱いた。
アストライア帝国での生活が始まって、ロレインがリリアに変装し続けて一週間が経った。「皇后陛下、今日の午後はお茶会の予定が入りました」 「茶会?」 「はい。侯爵夫人の皆様がお会いしたいとのことでして……リリア様は人間の国からいらしたということで、皆様興味深々でいらっしゃるそうです」 「興味深々って……見世物みたいだな」悪気はないのだろうが、珍しい動物を見るような感覚で見られるのかと思うと、少し憂鬱になる。ただでさえ女装がバレないように気を遣っているのに、大勢の前で振る舞わないといけないのは緊張する。それに、女性だけが参加するお茶会に出席したことなんて、今まで経験がないのだ。レグルス王国にいた時も貴婦人たちとの茶会に参加したことはあったが、それはロレインが男性としてであり、今は女性として参加しなければならない。ロレインとして参加していた頃は令嬢たちのほうから色んな話題を振ってくれて、見定められるだけだったのである意味楽だったのかもしれない、と苦笑した。「女性だけの茶会って、どんな話をすればいいんだ……?」 「お相手は主に獣人のご夫人方ですので、アストライア帝国のことを質問してみるのはいかがでしょう? ご夫人方の流行などを知っておくと、私もリリア様のお召し物などの準備がしやすいですわ」 「なるほどな。……自然な感じで会話をできるか、分からないけど」 「大丈夫ですわ、ロレイン様。この一週間、完璧にリリア様を演じていらっしゃいますから。侍女たちの間は今のところ誰も疑っていません」確かに、王宮での生活は思っていたよりも順調だった。シルヴァンは公務で忙しいらしく、食事を一緒にとることもない。そもそもロレインは結婚した翌日からなるべく誰とも顔を合わせまいと、体調不良を理由に自室で食事をしているのだ。何度かシルヴァンから薬の差し入れがあったが、彼とは結婚初夜にこの部屋で会ったきりである。ロレインが度々修道女の服を着ていることは他の使用人たちにも見られたので、今頃『なぜ二人は新婚なのに床を共にしないのか』という推測で持ちきりだろう。「では、お支度を始めましょう」
「では、まぁ……お互いに干渉せずに過ごしましょう、ということで……?」 「そうですね。公式な場では妻としての役目をお願いしたいですが」 「それはもちろん……至らない部分があるかもしれませんが、よろしくお願いします」 「はい、こちらこそ。俺は今まで婚約者などがいませんでしたので、女性の扱いに不慣れな部分があります。無神経なことをしたらすみません」そう言いながらシルヴァンはぺこりと頭を下げる。ロレインより3歳年下だと聞いていたけれど、それにしてはしっかりした青年だなと感心した。違う国から嫁いできた妻を気遣う夫としては満点の態度だろう。ただ、大人しく見えても彼は獣人。狼の大きな耳と牙、鋭い爪を持つ種族のトップなのだ。部屋で二人きりになると確かに少し威圧感はあるので、怒らせないようにしなくてはと考えてしまう自分がいる。先ほどのジェイクとの話のように、獣人に嫁ぐのは嫌だと思う人間の感情をロレインはやっと少しだけ理解できた。「わたくしも懇意にしていた男性はいませんでしたので……お互いに無理はせずに夫婦生活を送りましょう」なんて綺麗な言葉は建前で、正直な気持ちはお互い関わらないようにしよう、という話だ。今は修道女の服を着て、大聖堂で夫婦の契りを交わした相手の中身が男だなんて、シルヴァンは想像もしていないだろう。バレるかバレないかギリギリのラインに立っているロレインはできる限り彼を遠ざけなければ、性別を偽って結婚したとバレると今後このアストライアで命があるかどうか分からないのだ。「お伝えしようと思っていたのですが、夫婦の寝室はただの飾りですので」 「飾り、というと……?」 「使うことはないと思います。俺たちはお互いに干渉せず、ですよね」 「陛下がそれでよろしいのであれば、こちらにとってはありがたい申し出です」 「俺たちが不仲だとか、子供ができないとか言われるでしょうが……そもそも獣人と人間の婚姻なので、子供が望めるかも分かりません。あなたは世継ぎのことは気にせず、この国に慣れることを第一に考えていただけたらと思います」シルヴァンはドライというより、リリアと同じでこの政略
そして早速、ロレインは修道女の服に着替えてみる。王宮が用意してくれたロレインの部屋には全身が映る大きな鏡があって、その鏡に映る自分の姿に「まあまあいいんじゃない?」なんて満更でもないように呟いた。「綺麗なお髪が映えてますわ!」「女装するために伸ばしてたわけじゃないけどね……」ロレインの髪の毛は色素が薄いホワイトブロンドで、いつもは高い位置でひとまとめにしていた。忙しいから髪の毛を整える暇がないという理由と、リリアがお揃いがいいと言ったので伸ばしていた髪の毛がまさか女装のために役立つとは思っていなかったけれど。「こんなお姿を見たら、さすがに皇帝陛下でも引き下がると思われます」「神様に捧げてるって言われたらねぇ……じゃあなんで結婚したんだって言われたら困るけど」「そこは致し方ありません。政略結婚ですから」「とりあえず、修道女様のおかげで初夜は回避できそうですね」大の大人が顔を突き合わせて『初夜を回避する方法』を相談しているだなんて、先ほど大聖堂で誓いの口付けをした夫は想像もしていないだろう。「そういえば、誓いのキスをするときに謝られた気がしたんだよなぁ」「シルヴァン皇帝陛下からですか?」「うん。すまないって言われた気が……」「皇帝陛下にも良心の呵責というものがあるのでしょう」「皇帝陛下のほうが?」「まず、人間の国から獣人の国へ嫁入りするのはかなりハードルが高いですから。実際、リリア様の置き手紙にも“耐えられない”とあったように、普通の女性ならば恐怖心を抱くのは一般的かと」「ああ、まぁ……デカいもんな、色々と」ロレインはレグルス王国ではごく平均的な身長だったけれど、シルヴァンは成人男性のロレインと20センチは身長の差がある。これが普通の女性に置き換えると30センチや40センチ違っても不思議ではない。アストライア帝国は色んな種族が集まる国だが、そのトップである皇族は代々狼族なのだと言う。シルヴァンが若干20歳にして新皇帝となったのは、前皇帝と皇妃が不慮の事故で亡くなったためだ。彼の兄弟たちも早くに戦死したりしているようで、残った彼が新皇帝に据えられたらしい。シルヴァンは神童と言われていたらしく、その才能は皇帝になっても発揮されているのだとか。レグルス王国が侵略されそうになっているヴァルモン魔国は魔族が住む国で、シルヴァンの取り計らいのお
「――リリア・ローズマリー・レグルス。貴殿は神の名の下に、アストライア皇帝シルヴァン・ヴォルフ・アストライアと夫婦の契りを交わし、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」厳かな雰囲気の大聖堂に響き渡る神父の声。隣に立つ黒ずくめの大男の雰囲気に圧倒され縮こまっていたリリア――もとい、ロレインはブーケを持つ手をぶるぶると震えさせながら「誓います」と呟いた。遡ること、一日前。レグルス王国の隣に位置しているアストライア帝国に嫁ぐ予定だった、ロレインの妹のリリアが愛する人と駆け落ちした。アストライア帝国の皇帝に嫁入りする日の朝に気がついたものだから、ロレインをはじめとするレグルス一家は大慌てで策を練った結果、ロレインがリリアに扮して嫁ぐことになったのだ。幸いなことに皇帝のシルヴァン・アストライアはリリアと直接会ったことはなく書面でのやり取りのみで成立した縁談だったので、ゴツい体型をカバーすることでしばらくは欺けるだろう。そしてもう一つ幸いだったのは、アストライア帝国が主に獣人しかいない国だということ。ロレインは男なのでリリアより幾分か背が高いのだが、獣人の女性はみんな背が高くて体格がいい人も多く、それに紛れいているロレインは『人間だから細いし小さい』と思われているようだった。そして何より、隣に立っている男の身長はゆうに190センチを超えていて、結婚式だというのに白い衣装ではなく黒い衣装を身に纏っているので「俺の葬式か?」とロレインは心の中で悪態をついていた。「シルヴァン・ヴォン・アストライア。貴殿は神の名の下に、レグルス王国の王女リリア・ローズマリー・レグルスと夫婦の契りを交わし、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」 「――誓います」神父の問いかけに、一拍置いて低い声が大聖堂にこだまする。隣でシルヴァンの声を聞いたロレインは体の中に響くほどの重低音に、ビリッとした衝撃を覚えた。「では、誓いの口付けを」その言葉を合図にシルヴァンがこちらを向き、ロレインの顔を隠しているベールに手をかける。獣人は人間と違って爪が長いんだな、なんて場違いなことを思っていると、レースのせいで靄がかかったように見えていた視界が急にクリアになった。ロレインの肩に熱い手が触れて、もう片方の手が顎をそっと持ち上げる。アストライア帝国に来て初めてまともに顔を見たシルヴァン
【愛するお父様、お兄様たちへ。リリアは愛する人と遠くへ行きます、探さないでください……本当にごめんなさい。でも私は耐えられません。】目に入れても痛くないほど可愛がってきた一歳違いの妹、リリア・ローズマリー・レグルス。学生時代に読んだロマンス小説のヒロインが、こんな手紙を置いて愛する人と駆け落ちするようなものを読んだ時に、ロレイン・エマニュエル・レグルスはこう思った。自分の家族と絶縁してでも愛する人がいるというのはすごいことだし、誰かを本気で愛したことがない自分にとっては羨ましいな、と。でも、自分の妹がそうなったら話は別。しかも、タイミングが最悪すぎるではないかとロレインは額に手を当てて項垂れた。「………弟よ」 「嫌です、兄上」 「兄上はまだ何も言ってないが」 「あなたが言いそうなことは大体予想がついてますよ! 何年兄弟やってると思ってるんですか!」 「お前がもう23だからなぁ……23年の付き合いだ」 「真面目に返さんでいいですッ」リリアの部屋で一緒に置き手紙を眺めているロレインの兄、ヴェストール・アレクサンダー・レグルスは顎に手を当てて難しい顔をしている。ただ、ロレインにはその兄が何を考えているのかが手に取るように分かった。「……今日が何の日か分かってるよな、ロレイン」 「リリアがアストライア帝国に嫁入りをする日、ですが……」 「でも肝心のリリアが手紙を置いていなくなったわけだ」 「見りゃ分かります」 「この感じだと、まぁ、駆け落ちと言っていいだろうな」 「……ですね」 「というわけで、アストライア帝国に嫁入りする嫁がいなくなったわけだが」 「兄上が言いたいことは分かっていますが、無理ですよ」 「うちの弟は、王国一の美人と謳われるリリアに劣らない美形だと兄上は思っているんだよな」 「……だから、さすがに無理ですってば!」ヴェストールが言いたいのは『お前がリリアに変装してアストライア帝国に予定通り嫁いでくれ』ということだ。「俺は騎士ですよ!? 確かに見た目はリリアと似てますし体も細いですけど、体のゴツさでバレますって!」 「お前なら大丈夫だ、ロレイン。騎士だもの」 「兄上ッ!」 「お前が言いたいことは分かるが、考えてみてくれ、ロレイン。アストライア帝国との縁談がなくなれば、レグルス王国はヴァルモン魔国からの侵略待った