All Chapters of 恋の味ってどんなの?: Chapter 41 - Chapter 50

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第四十一話

 昼過ぎになりピークも終わって昼の部の営業も一旦休み。 弁当屋の奥の居間で従業員全員で昼ごはんを摂る。「いやー、さくらさんもありがとね。いきなり押しつけちゃってぇ。たすかったわ」「いえ……久しぶりにレジやったんですけど今のレジってすごいんですね」「レジもやけどあなたの接客すごかったわー仕事でもテキパキやってらっしゃるでしょー」 さくらは里枝にそう言われると苦笑いした。彼女のことを知ってる藍里と清太郎もなんとも言えなかった。 時雨はにこにこと里枝の夫と話をしてる。本当に明るく、初日から多忙だったのだがなんともなさそうである。「料亭の時もずっと仕込みとか仕出しとか弁当とか料理してたからね。ちょっとずつ感覚取り戻した」 午前中だけで取り戻せるのもすごいようなものだが。「里枝さんや店長さんたちがちゃんと仕切ってくれたし。さくらさんに宮部くん、それに藍里ちゃんがいて心強かったよ。ありがとう」「そうそう、藍里ちゃんもちゃんとできるやんね。いつもよりも捗ったのはせいちゃんがおるからやないの?」 里枝が清太郎を小突く。「なんだよ、俺がいなくても藍里はちゃんとできるんだよっ」 と顔を真っ赤にしてごはんをかきこんだ。藍里も褒められて嬉しかった「ふつつかな娘と……その、彼ですがよろしくお願いします」「何言ってる、全然二人とも助かってるぞ。いい娘さんと彼氏さんじゃないか」 そう里枝の夫に言われ、さくらも頬を真っ赤に染め頭を下げる。「……いろいろ義理姉さんから聞いてる。僕のお姉さんも嫁ぎ先で小間使いのように扱われてな。家族は嫁いでしまってから何にも助けてやれんかった」 と里枝の夫は箸を置いて話し始めた。「とても美しかった姉さんが里に帰ってきた頃にはもうげっそりと見た目が変わってしまってた。何もできなかった……僕は」 他のみんなも箸を止めた。「なんでな、酷いことされた人が逃げなかんのやろうな……さくらさんも藍里ちゃんももう安心して表に立って生活してくれ。藍里ちゃんにも言ったけど何かあったら僕たちが守りますからね」 そう言って席を立ち奥の部屋に行ってしまった。 さくらは大きく頭を下げ、藍里は俯いた。「そうそう、今は味方たくさんいる。今日の接客を見てたけどいつもよりもさくらさん輝いてた。藍里ちゃんも」 時雨がそういうと人目を憚らずさくらは彼に抱き
last updateLast Updated : 2025-08-10
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第四十二話

 さくらは昼ごはんのあとに家に帰り、時雨は残りの休憩時間は寝たいと和室を借りてすぐ寝息を立てた。「なんだかんだで朝からうちの家事をいつものようにやってから来たから疲れたんだろうね」「すぐ寝ちまったな……」 と時雨の寝顔を見て二人は和室の襖を閉じた。「あのさ、俺の部屋行くか?」「えっ……」「べつになにもしないって」 藍里はキョロキョロしてる。里枝夫婦も居間におらず、まだ休憩時間も残っている。「べつに時雨さんみたいに寝ててもいいけど?」「んー、なんか目が冴えてる」「まじか、なら部屋行くか?」「その流れで行くの……変な感じだけど行く」「ついてこい」 藍里は清太郎についていった。彼女は同世代の男の人の部屋には入ったことがない。 階段を登るたびにドキドキする。下には他の大人たちはいるのに二人きりで、と思うと藍里はドキドキした。 時雨といる時は平気だったのに……と思いながらも。 部屋は2階、階段上がってすぐのところにあった。昔はここに里枝の長男、清太郎の従兄弟が使っていたそうだ。彼らはもう結婚して県外から出て行っている。 部屋は至って普通でベッドと学習机はそのまま中身は変えて使わせてもらっているようで従兄弟たちは清太郎よりも十歳上だからか少し年季が入ってた。 ドアを閉め中に入る。机の上にはたくさんの参考書やノートがある。大きな窓はとても景色がよく見える。藍里の部屋は窓が小さい。直ぐ隣に建物があってこんなに綺麗に見えない。「椅子でもいいし、ベッドでも好きな方でどうぞ」「じゃあ、いす。すごい良い椅子だね」「その椅子は昔から使ってて座ってても疲れにくいから持ってきた」 藍里はその椅子が気に入って深くぐいぐい跳ねると椅子が沈むので何度もやってみた。 清太郎はその無邪気な姿、そして時折スカートがフワッとあがる瞬間がありドキッとした。「こら、壊れるわ」「ごめんごめん、たのしくてつい。清太郎も座ってよ。こっちの椅子がよかった? 私ベッド行くから」「いい、いい、ここに座れ。俺は立ったままでいい」 そう、と藍里は机の上に目をやる。東京の大学の過去問の参考書。「すごいね、勉強してる」「当たり前だろ……てかお前は進路決まったのかよ」「大学展今度行ってから」「ある程度目星つけとけよ。無駄なところ回ると大変だから」「大丈夫、時雨くんと行く
last updateLast Updated : 2025-08-11
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第四十三話

 突然のことに藍里は離れた。「バカ」「……ごめん、つい」「ついじゃないでしょ」 二人は再び距離を縮める。手を握る。「今日はここまでだよ」「すまなかった。でも手はいいんだな」 藍里は頷いた。清太郎はぎゅっと握った。「あのさ、おじさんが……あの話したのは初めてだけどな。おじさんのお姉さんは自殺したって言ってた。げっそり痩せて帰ってきたってのは死に顔がそうだったらしい」「……帰ってきた時はもう亡くなってたの?」「だってよ。俺が生まれる前のことだから母さんも見たことあったらしいけど……こき使われて耐えきれずに自殺、荼毘にされずに田舎に遺体をじいちゃんたちが持って帰ってきたらしい」「……そんなひどい」「だから俺は母ちゃんに昔から俺に好きな女を泣かすな、酷いことするな、優しくしろ、守れってどれだけ言われたことか」 だからか、清太郎の優しさは、と藍里は思った。「さくらさんには時雨さんがいるし、お前には俺がいる。だからもう怖くない。逃げなくていい。辛い思いした人が逃げなくてもいい」 そう清太郎が言うと藍里は抱きしめた。「手、繋ぐだけじゃなかったのか?」「なんとなくね。てか、清太郎もお母さんたちが嫌で逃げてきたくせに。子供の頃からお母さんやお姉さんたちに女は大事しろ、とかってさ……そう押さえつけられてて嫌だったんでしょ、辛かったんでしょ……」「……」 清太郎は図星で声が出なかった。ぎゅっと藍里は抱きしめると清太郎も抱きしめた。 そしてベッドにそのまま倒れ込み、二人は見つめあった。藍里は時雨との抱擁とは違ったものを感じた。匂いも感触も違う。 清太郎の目は涙で潤んでいた。藍里も涙がでる。 そしてキスを再び……。「おーい、藍里ちゃん。清太郎くんー」 階下から時雨の声がした。二人はハッとした。「時雨くん、若い子たちが二人でおるのに邪魔したらいけないよ」 と一緒に里枝の声もした。かなりでかい声。時雨が何か言ってはいるが聞こえない。 藍里と清太郎は笑った。そして、改めてキスをした。 休憩時間いっぱいまで二人で抱き合って何度もキスして見つめあった。「子供の頃さ、一緒に寝たの覚えてるか」「うん、てかよくある幼馴染エピソード」「かなぁ。藍里といるときが一番落ち着いた」「わたしも、清太郎といる時が一番落ち着いた……」「てかなんか……これ
last updateLast Updated : 2025-08-12
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第四十四話

 数日後、清太郎と共に担任へ弁当屋でバイトをしていることを報告する藍里。 担任は清太郎の働いている弁当屋で、仕事もうまくいっているというと、そうか、それなら大丈夫かと言うだけであった。 藍里と清太郎が教室に戻った。するとクラスメイト三人衆が2人に駆け寄る。「何か酷いことされた? 言われた?」「大丈夫。バイト頑張れってくらい」「そうかー。でも宮部くんと同じところで働けるならいいよねぇ」 3人は藍里を椅子に座らせる。「こないだよー、藍里が病み上がりっつーのに。俺がいなかったらどうなってたんだろうか」「そうよね。無理しないでね、藍里ちゃん。あの担任のことはもう無視の無視!」 優香は声がデカく清太郎から声小さくしろ、と怒られてテヘヘと笑った。 するとなつみは雑誌を持ってきた。「2人きりだったら何しれてたかわからないよ。藍里ちゃん可愛いから。さぁ、気持ち切り替えてー。藍里ちゃんは何が好きなのある? 芸能人とか歌手とかキャラとか」「……えっと」 表紙が綾人だった。隣にはダブル主演の尊タケルもいるが藍里はまじまじと綾人を見てしまう。清太郎はすぐ取り上げた。「ちょ、宮部くんなにするのよー。あ、さっきさぁ綾人見てたよね? まさか好きだったりする?」 なつみは清太郎から雑誌を返してもらおうと必死だ。藍里は立ち上がって代わりに雑誌を手に取った。そしてそれを見る。 自分の父親である綾人、そして数ページめくるとインタビュー記事と映画の娘役オーディションのことも書いてある。「やっぱり好きなの、綾人のこと……」 藍里は反応しない。その姿を清太郎は見る。オーディションは岐阜、愛知、三重それぞれで行われる、選ばれれば綾人演じる主人公の娘役として映画に出演できて芸能活動とすることができる。 選ばれなくても各事務所からのスカウトで芸能活動ができると書いてあった。そこには昔藍里が所属していた事務所の名前もあった。「……藍里?」 清太郎は自分の腕に藍里がぎゅっと右手で掴んでいた。「な、なんでもない。どっちかと言えばこの隣の尊タケルのほうが私は好き」 藍里は嘘をついた。「へー、結構おじさんとか好きなんだ。意外な藍里」「まぁね……」「てか絶対オーディションとか受けたら一発合格だよ、藍里」「無理無理、オーディションだなんて。特技とかないし」 清太郎はそうい
last updateLast Updated : 2025-08-13
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第四十五話

 そのころ時雨は家で焼きそばを食べていた。藍里の弁当の中にも入れ、昼に自分でも食べてまた夜に藍里と自分、そしてさくらも食べる。「たくさん作っちゃったなぁー」 と食べ終わった後、食器を運びふとコンロに目をやる。……タバコをまたふと吸いたくなる。 さくらには交際当初に吸うのは辞めてくれと言われ、高校生の藍里がいるのもあってやめたのだが、藍里がタバコの吸い終わった後の手の匂いを喜んでいたのを思い出す。 しばらくは二人きりになっても抱きつくこともしなくなった。 藍里は清太郎と付き合い始めたからだ。 と時雨はしまっておいたこっそり買ったタバコの箱を取り出して吸っていた頃のように手慣れた感じでタバコをひょいと出してコンロの日にタバコを近づけて口にした。 そして吸った煙をふぅーっとコンロの換気扇に当てる。流石に板前の頃は店ではすることはなかったが、さくらの前に付き合っていた女性の家に泊まった頃に一緒にタバコを吸ってこのようにしていたこともあったという余計な過去と思い出してしまった。 彼はそう恋愛経験はないし、恋人も指で数えても片手で済む、過去の恋もそんな修羅場とかすごく悲しい思い出もなかった。 ここ数年はさくらのことが一番だったはずなのに、その娘の藍里、しかも自分よりも一回り以上下の高校生にかき回されるだなんて思いもしなかったようだ。 一度自分がさくらのことをどうもできず泣きついてしまった時はつい、であったが藍里から抱きつかれた時には流石に不意打ちで、自分の体が反応してしまった時に咄嗟にタオルケットで藍里を巻いてから抱きついたもののやはりダメだった。 あの時さくらが帰って来なかったらその自分の性の捌け口の行方は……。 久しぶりに最後までさくらと愛を交わせた、と。あの時コンビニで避妊具を買って台所にそのまま袋に入れて置いてあったのを思い出して使った。 隣のリビングのソファで藍里が寝ているのにも関わらずそういう行為をしてしまったのは反省したいところだが自分の欲を発散させるためにはしょうがなかった。 さくらもいつも以上に興奮しており声も大きかった。満足させてあげられて時雨は嬉しかった。 でもその避妊具は藍里との間に何かしらの気持ちが起きてしまってその時に使おうとは思ってはいた。だがそんな良からぬことで使うこともなく。 自分は高校生の藍里と、ましてや恋人
last updateLast Updated : 2025-08-14
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第四十六話

 帰り道。 清太郎と歩く。「今度時雨さん料理教えてもらうんだ」「見てるだけだとわかんないって言ってたよね」「時雨さんに俺らの弁当作ってもらってさぁ……あんな美味しそうなもの俺も作りたい」「弁当屋のおじさんたちにおしえてもらわなかったの?」「あの人らは匙加減うまく教えてくれないんよ」「あ、習おうとはしたんだ……」「したけどちっとも覚えられん。あっちも忙しそうだし」「そこまでしてなんで習いたいの?」 清太郎は立ち止まった。「お前に食べさせてやりたい」「えっ」「藍里もこれから進学して仕事するだろ、で結婚して子供もできたら大変になる。少しでも補えるように俺も料理ある程度できるようにしないとなって」「……まぁ、だいぶ後の話ね。まぁまだ清太郎はお母さんやお姉さんの言いつけを守ろうとしてる、女を大事にしろっていう。大丈夫よ。私がこれから料理や家事できるように頑張るから」 清太郎はフゥン、と言った。 「てかさ、時雨さんとずっと2人きりで一緒にいたら……ずっと彼のご飯食べてたら時雨さんに気持ちがいってたんだろ。いくら母親の恋人だからといっても……」 図星であった。清太郎に見抜かれていたのだ。「ほんとごめんな、変なこと言って。結婚とか子供とか。あと時雨さんのことやきもちではない」「ううん、大丈夫。そういうことを話したり考えたりするのも楽しいよね。でも清太郎も料理とか家事のことを考えてくれてるんだって思うと進学もだけど仕事のことも考えられそう……」 二人はしばらくの間無言だった。弁当屋の前を通る。清掃の業者が入っている。今日はメンテナンス日で休みである。 だから二人はバイトは休み。時雨も休みで家にいる。 弁当屋を横目に二人で藍里のマンションに向かう。「あのさ、綾人のオーディション……受けないのか」「えっ」「……いや、どうかなって。お前昔、子役やっててさ、その……学校で演劇やった時にすごくイキイキしていた」「まぁ、あの頃は楽しかったけどね。……結局大きな役やお仕事はできなかったけどお芝居をするのはよかったかも」 レッスンの日々、端役だが多くの人たちと創り上げていく舞台。「今はもう無理。かなりブランク空いたし、事務所はもうとうに辞めたし、それにお父さんのオーディション……久しぶりに会ってどんな顔して会えばいいのよ。それにママが……ママ
last updateLast Updated : 2025-08-15
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第四十七話

「ただいまー……あれ」 藍里は玄関にさくらの靴があるのに気づいた。 いつも履いているスニーカー。脱いだままであって藍里はクルッと向きを変えた。「どした」「ママ、帰ってるみたい」「そか、なら今度の話言えるな」「……だね」「お邪魔します」 2人がリビングに行くと案の定さくらがいた。びっくりした顔をしてきたが目元が赤いことに藍里は気づいた。机の上にはティッシュもある。「……おかえり。宮部くんも」「おじゃまします」 仕事帰りだったようだがメイクも落としてラフな格好であることは違いないが何かまた不安定になったのではと藍里は不安になる。いつもはこの時間は料理をしている音が聞こえ、おかえり! と元気よく出迎えてくれる。清太郎がいるなら尚更。「……時雨くんは?」 あっち、と指を指す。台所である。なぜか声を出さずに指を指す。藍里たちは台所に行くと時雨が椅子に座って餃子を包んでいた。黙々と。「ただいま、清太郎……宮部くんも来たよ」「おじゃまします」 その声に気づいて2人を見る時雨の目も赤くなっていた。が、メガネをとり目元を右手で拭って立ち上がって笑顔を作る。「お、おっおかえり!! バイトやすみでも会うとは思わなかったよ。よかった、たくさん餃子たくさん作っちゃった。皮も一からつくってさ! すごいでしょ。よかったよかった! ホットプレートで焼いたらみんなで食べられる……」 粉のついた手で手元を拭いたのか顔に粉がついている。 明らかに無理して笑っている時雨に藍里はさくらに聞こえないように奥に追い詰める。「藍里、藍里……」 清太郎はその行動にびっくりする。かなり奥の方でかなりの距離だ。2人には平気な距離だが清太郎からしたら近すぎる。「……またママなにかあった?」 流石に近く、後ろに清太郎がいるので時雨が少し藍里との距離を置かせた。そして口篭らせている。
last updateLast Updated : 2025-08-16
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第四十八話

 ようやく藍里はさくらの口から聞けた。清太郎はその言葉を事実を知っていても聞くと恥ずかしいようだ。聞いてもいいのだろうか、という気持ちのような顔をしている。 時雨は言っちゃった……とうなだれてしまっている。「と言っても非接触型の風俗。ネットで画面越しで接客して……対応するやつ」 そう言われても藍里はさっぱりである。「身体、見せてるの?」「……見せてるわ」「……」「安心して、顔は口から下だけだし胸は見せてるけど局部はうつしちゃダメだからモザイク越し」 あああああっ、と時雨がしゃがみ込んだと思ったら立ち上がった。「いくらね、顔を隠しても声とか……特徴でわかっちゃうんだよ! もしスクショとか録画されてたら!!」 さくらにそう言うが彼女はどうとも思ってない。「さっきも言ったけどうちの会社はそういうところ厳しいから大丈夫って言ったじゃん」「だけどさ、だけど……いやそう言う仕事は悪いとは言ってはないよ? でも、でも……いくら仕事とはいえさくらさんの身体どころか非接触でも心も負担になる!」 こんなに声を荒げる時雨はなかなかない。「しょうがないじゃない!」「しょうがなくない……僕は悔しい、他の男の人の前で……さくらさんの身体が……身体が……」「……そんな生半可な気持ちでやってんじゃないよ、わたしゃ。てかそんなざめざめなく泣き虫!」「うああっ!!!!」 時雨は再び泣き崩れ清太郎に宥められる。藍里は去るさくらを追いかける。「……こんな形で伝えることになってごめん。でもわたしはあんたを社会にしっかり出すまでこの仕事頑張る。あと六年、46かぁ。結構熟女って需要あるのよ」 と笑うさくら。しかし目は涙が溜まっていた。「……いつも私のためにありがとう。でも心配だよ、私も」 と藍里が言う。「それに時雨は最後までできないくせに一丁前に俺のさくらとか言う
last updateLast Updated : 2025-08-17
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第四十九話

リビングのソファーに座る時雨の肩は小刻みに揺れていた。両手で顔を覆いながら、シクシクと押し殺した声が漏れている。 「ごめんね……変なところ、見せちゃって……」 涙に濡れた声は、かえって彼の弱さをさらけ出しているようで、胸が痛くなった。 「僕も……なんとなく気持ちわかります。いや、わかるなんて軽々しく言うのは違うんですけど……はい、ティッシュ」 清太郎はそっと箱を差し出した。受け取った時雨は「ありがとね」と小さく笑い、鼻をチーンとすする。 「ほんと僕は……泣き虫でさ」 その姿に、藍里は言葉を飲み込む。普段は場を和ませる明るい人間なのに、こんなにも脆くなる瞬間があるなんて――。 「……藍里ちゃんたちも知ってたの?」 「私は……ほんの少し前に。先生や清太郎から教えてもらったの」 「先生にも……もうバレてるのか」 項垂れる時雨の横顔は影を帯びて、今にも崩れ落ちそうだった。 重い沈黙を破ったのは清太郎だった。 「てかさっき……時雨さん、藍里に抱きついてましたよね」 ストレートな言葉に、時雨は一瞬きょとんとし、代わりに藍里が慌てて声をあげる。 「あ、その……」 ふたりの視線が交錯した。時雨も顔を上げ、ばつが悪そうに笑う。 「ごめん、いつも藍里ちゃんに話とか聞いてもらってて……つい」 「いや、それにしたって抱きつくとかさ。それに藍里も……抱きしめ返してなかった?」 「っ……」 藍里は思わず目線を逸らした。胸の奥がざわめく。 「誰だって、泣いてる人がいたら……助けてあげたいって思うでしょ」 「まぁ、それはそうだけど」 清太郎の声はどこか拗ねている。 「ごめんね。藍里ちゃんの彼氏の前で……でも、本当に優しいんだよ、藍里ちゃんは」 「……」 藍里は居心地が悪くて、唇を噛む。 「清太郎、誤解しないで。別にそんな関係じゃないの。ただ……優しくしてもらったの。夏休みの間、外に出られない私を気にかけてくれて、ご飯も一緒に食べて、勉強も見てくれて……」 必死に説明しても、清太郎の顔から影は消えない。 しばらく考え込んでから、清太郎はぽつりと口を開いた。 「……まぁ、藍里やさくらさんがこうして平和に過ごせてるのも、時雨さんのおかげか」 その言葉に時雨は目を伏せ、苦笑する。 「
last updateLast Updated : 2025-08-18
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第五十話

 ジュウゥゥ……とホットプレートの上で餃子が焼ける音が部屋に響き渡る。油が弾け、こんがりとした匂いが部屋中を満たしていた。 テーブルの上には、大きなガラスボウルに盛られたサラダと、きちんと人数分並べられた食器が四人分。「藍里ちゃん、これね。サラダは清太郎くんが切って、盛り付けもしてくれたんだよ」 時雨が笑いながら言う。 藍里は目を落とす。少し荒っぽく乱れたレタスの並び方。けれど、よく見ればどこか自分が普段盛り付けるのと似ている。――ああ、さっそく教えてもらったんだな、と胸がじんわり温かくなる。「見た目はちょっとアレだけどね」「何言ってんだよ、食べれば同じだろ」「そっすかねぇ。弁当屋で働いてるくせに」「いやいや、手を抜くとこは抜かないと続かないって」 ふたりは軽口を叩き合い、自然と笑い声を交わす。その様子を見て藍里は少し安心する。なんだかんだで、この二人は仲良くやっていけるのかもしれない――そんな予感が胸に芽生えた。 その時、部屋に閉じこもっていたさくらが姿を現した。淡い部屋着の袖を揺らしながらゆっくりと歩いてくる。「お邪魔してもいいかしら?」 その言葉に、時雨はすぐに立ち上がり、さくらの椅子を引いた。「どうぞ」「ありがとう」 柔らかく微笑むさくら。その表情は、さっきまでの沈んだものではなく、少し晴れやかだった。「さーてさてさて、四人いるからね。ここからは弱肉強食だよ」 さくらはニヤリと笑い、箸を構える。 その言葉に藍里の脳裏に、子供の頃の記憶がフラッシュバックする。家族で料理やお菓子を分けるとき、必ず「きっちり人数分」と強く言っていた父の綾人の声。『きっちり分けろ。さくら、おまえは一人っ子だから分からないだろ。藍里、お前もわがままな娘だと思われたらどうする!』 厳しい声に押され、本当はもっと食べたい気持ちをぐっと抑えた。――おやつをこっそりさくらと二人で食べた日もあった。だが包装紙を見つけた綾人はすぐに問い詰めた。『お父さんの分は? お父さんが汗水垂らしてるときに、呑気に菓子食べるのか。ずるいなぁ藍里。もっと考える子になれよ。そうじゃないと、お母さんみたいに空気読めない女って言われて結婚できないぞ』 その言葉に胸をえぐられ、それからは何かもらうと必ず綾人の分を残すようになった。渡せば「えらいぞ」と褒めてくれる。けれど、そ
last updateLast Updated : 2025-08-19
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