白く結ばれた襖の縁に、朝の光がじんわりと滲んでいた。障子の向こうでは、庭の樹々が静かに揺れている。秋のはじまりを思わせる風が、どこかから吹き抜けた。礼司は畳の上に正座し、前に置いた桐の文箱をゆっくりと開いた。中には父が記した覚え書きや、祖父の古い手帳、墨の滲んだ便箋などが丁寧に重ねられている。いずれもこの家を動かし、守ってきた男たちの手によるものだった。「これは、持っていかれるのですか」声をかけたのは、廊下で控えていた晴臣だった。彼は長身をやや屈め、戸口の影に佇んでいる。礼司は短く首を振った。「いいや。これはこの家のものだ」ゆるやかに手帳を閉じると、それを布に包み直し、再び文箱へ戻した。その所作には、どこか儀式めいた慎重さがあった。四畳半の離れ。かつては客人用に使われていたが、礼司が家を離れるにあたり、数日だけ寝泊まりを許された仮の住まいだ。塗りの箪笥、香炉、床の間の掛け軸――それらすべてが「早川家」の気配を纏っている。それに囲まれながら、彼は今日この場所から旅立とうとしていた。晴臣がふと、障子を開けた。朝の陽が差し込み、畳に柔らかな光の線が生まれる。鳥のさえずりが、どこか遠くで響いた。「兄さん」礼司は顔を上げた。「父は…何か申しておられましたか」「…何も言わなかった。ただ、黙って背を向けていた」晴臣の声は穏やかで、どこかほっとしたようでもあった。「それが、父上の最後の情というやつだろう」礼司は小さく笑い、立ち上がった。晴臣が持っていた風呂敷を受け取り、文箱と数冊の書を中へ収める。衣類や身の回りの品は、昨晩のうちに整えてある。もう、ここに未練は残っていない…そう思いたかった。だが、柱にかけられた一枚の掛け軸に目を留めると、礼司はふと足を止めた。それは祖父が生前に描かせたもので、墨一色の山水図
最終更新日 : 2025-11-11 続きを読む