All Chapters of 暴走する愛情、彼は必死に離婚を引き止める: Chapter 141 - Chapter 150

150 Chapters

第141話

「それに、爺さんたちへの根回しも俺がしなきゃならない。そうしないと、また大騒ぎになるからな」真琴の手を無意識に揉みながら、信行は諭すように言った。「今年で二十三だろ。離婚は二人だけの問題じゃないって、分かってるはずだ」信行がここまで譲歩し、しかも穏やかに相談を持ちかけてきている以上、真琴もこれ以上追い詰めるわけにはいかなかった。手を引くこともしない。信行に手を握られ、指を遊ばれていることに気づいてすらいないようだった。信行を見つめ、真琴は静かに答える。「……分かりました」承諾しつつ、やはり聞かずにはいられなかった。「法務部はどれくらいかかるんですか?だいたいの時間は分かっているんでしょう」信行は言った。「月曜以降、法務部に確認してくれ」離婚の話になると、信行は特に頭が痛くなる。その様子を見て、真琴は頷くしかなかった。「分かりました」即答し、ためらいもしない真琴を見て、信行は思わず笑ってしまった。諦めにも似た、無力な笑みだった。真琴の手を放し、信行は彼女の顔を撫でた。この数年、彼も疲れていた。真琴によく考えろと言ったのは、自分自身にも考える時間を与えるためだった。衝動的に決断するのは好きではない。どんなことでもそうだ。頬に添えられた手が離れない。真琴が手首を掴んで外そうとしたその時、信行が身を乗り出し、腰をかがめて彼女の額に口づけを落とした。キスの後、顔に触れていた右手の親指で、そっと彼女の頬を撫でる。「早く休め」真琴は無意識に尋ねた。「こんな時間なのに、お出かけですか?」信行は薄く笑った。「ああ。拓真と飲みに行く」今日の午後、真琴が見せた悲しみと絶望が、棘のように胸に刺さったまま抜けない。さっき話し終えても気は晴れず、澱のように溜まっている。だから行き先を告げ、車のキーと携帯を持って部屋を出た。ベッドの端に座り、信行の去っていく背中を見つめ、真琴は長い間動けなかった。久しぶりに信行の行き先を聞いた気がする。いや……出かける前に行き先を報告されたのなんて、結婚してからの三年間で初めてのことかもしれない。そう思うと、真琴はふっと笑ってしまった。少しやるせない、乾いた笑みだった。結婚して三年。一番まともに会話ができたのが、離婚間際だなんて。自分と
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第142話

今日は内海家の祖父の誕生日であり、夜こそがメインイベントのはずだ。普通なら、信行は今頃内海家にいて、由美と一緒にいるはずだ。だから先ほど彼から呼び出しの電話があった時、拓真と司が目を丸くしたのも無理はない。拓真の皮肉に、信行は無言で灰皿にタバコの灰を落とし、冷ややかに彼を睨んだ。拓真は面白がり、テーブルのタバコとライターを手に取ると、自分も一本くわえて火をつける。一口吸って言った。「へいへい。もう茶化すのはやめるよ」その時、司も顔を上げて信行を見つめ、真剣な表情で切り込んだ。「信行。お前と由美の関係は……確かに真琴ちゃんを傷つけすぎだ」由美の今日のタイムライン、そして内海家が口々に信行を「婿」扱いしていることは、とっくに業界内で噂になっていた。さらにタチが悪いことに、誰かがまたデマを流し、「信行と真琴はすでに離婚協議中だが、真琴が条件をごねて判を押さないのだ」と言いふらしているらしい。拓真と司は午後、その噂を耳にしていた。家の年長者たちまでが、ゴシップの真偽を聞きに来たほどだ。だから今、信行を目の前にして、司も我慢できずに一言言った。タバコを吸いながら、信行は拓真と司を淡々と見やり、静かに告げた。「……法務部に、協議書の作成を指示した」信行の言葉に、拓真と司は彼を見つめ、黙り込んだ。ついに、そこまで行ったか。気だるげにグラスを揺らし、拓真はしばらく信行を観察してから、ニヤリと笑って尋ねた。「どうして急に吹っ切れた?」前の二回は、離婚なんて考えてないと言い張っていたのに。やはり、由美が手放せないのか。結局は由美の方が大事なのか。重く、ゆっくりと煙を吐き出し、信行は独り言のように呟いた。「このままじゃ……俺が狂う前に、あいつが壊れる」今でさえ、真琴の絶望を思い出し、彼女の無言の抵抗を脳裏に描くだけで、心臓に棘が刺さったように痛む。重苦しい沈黙が落ちる。信行が纏う微かな無力感に、拓真と司も言葉を失った。司は普段タバコを吸わないが、今は手を伸ばして箱から一本取り出し、口にくわえて火をつけた。一口吸って、激しくむせる。二回ほど咳き込んでから、彼は赤くなった目で尋ねた。「あの時……お前が爺さんの縁談を受けた時、満更でもなさそうだったろ。本当は真琴ちゃんのこと、好きだっ
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第143話

……翌日の夜。九時過ぎ。シャワーを浴びて、真琴が洗濯物を畳んでいると、寝室のドアが開いた。振り返ると、信行が帰ってきたのが見えた。真琴は少し驚いた。昨日、離婚の話をしたばかりだ。もうこの部屋には帰ってこないものだと思っていた。驚きを隠し、服を手にしたまま、何事もなかったかのように報告する。「お義母様が今日の午後いらして、たくさんの物を置いていかれました」口には出さなかったが、美雲が持ってきたのは滋養強壮の品々で、その多くは信行のためのものだった。彼女はまだ、二人の子作りを応援している。その報告に、信行は「ああ」と短く応えただけだ。真琴はそれ以上何も言わず、視線を戻して服を畳み続けた。静まり返った部屋。間接照明が、空間を温かく切り取っている。信行は真琴の働く姿を見て、昔を思い出した。昔、彼女が自分の部屋に遊びに来て、甲斐甲斐しく片付けや洗濯をしてくれていた頃。全ては……あの頃と何も変わっていないかのようだ。ふと、疲れが押し寄せる。信行は真琴の後ろに歩み寄り、両手を上げて後ろから彼女を抱きしめた。真琴の体が強張り、服を畳む手が止まる。振り返って信行を見上げる。彼が目を閉じ、顎を彼女の肩に乗せていた。真琴は両手で彼の手首を掴み、腰からその手を引き剥がそうとする。その時、信行が突然低い声で呟いた。「真琴……俺もこの数年、疲れたよ」その言葉に、真琴の手が止まった。一瞬、何と言えばいいのか分からなかった。真琴が手を外さなかったので、信行は彼女の頬にキスを落とした。そのまま唇を塞ごうとするが、真琴は顔を背けて避ける。キスは首筋に落ちた。彼は拒絶を怒ることもなく、ただ首筋の柔らかな皮膚を、強く二度噛んだ。真琴は息を呑み、とっさに手で首を押さえる。その後も、信行はずっと抱きしめて離そうとしなかった。最後には真琴が彼を突き放し、シャワーを浴びて早く寝るように促した。信行は素直に従った。まるで別れを告げるかのように、従順だった。……翌日。目覚めて、二人はそれぞれ出勤の支度をする。真琴は相変わらず冷静沈着だ。その首筋に、昨夜信行がつけた赤い痕がいくつか残っているにもかかわらず。信行もまた、普段の冷淡な仮面を被り直していた。まるで、昨夜、弱音を吐いて真琴を抱きし
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第144話

一明が一行を二階へ案内していく。由美が親しげに信行の隣を歩くのを見て、真琴は淡々と視線を外し、手元の会議資料に意識を戻した。二階の会議室で提携条件と契約内容が確定すると、双方のスタッフは会見場へ移動し、調印式が執り行われた。アークライト側の出席者は少ない。智昭と一明、それに二人の株主が同行しただけだ。この二人の株主は、普段は経営に一切口出ししない謎めいた存在で、会社の意思決定はすべて智昭に一任されている。今回の調印式でも、彼らは顔を出さず、ただアークライト社を代表して上層部への報告を行っただけだった。由美はずっと信行に寄り添い、春風のような笑顔を振りまいている。たまらず、一人の記者が質問を投げかけた。「内海社長。峰亜工業もアークライトの光電プロジェクトに参加していたと伺いましたが、なぜ今回、撤退されたのですか?」「内海社長、私もその件について伺いました。詳しいご説明をいただけますか?」記者の質問に、由美は顔色一つ変えない。こうした質問への対策は完璧のようだ。余裕の笑みを浮かべ、彼女はマイクに向かって淀みなく答えた。「弊社の現在の最優先事項は、『風早製作所』の買収案件にあります。もちろん、自動化技術やスマート技術が今後の産業発展の主流となり、社会を牽引する力であることは論をまちません。ですから峰亜工業も近年、この分野に注力し、投資を行ってきました。私自身も、興衆実業の片桐社長のご指導を仰ぎながら、専門的な知見を深めているところです。峰亜工業も他のいくつかの情報技術プロジェクトに投資参加しており、今回、片桐社長に同行して、アークライトとの調印式に立ち会わせていただいたのも、業界をリードする両社から学ぶためです。峰亜工業も近い将来、アークライト・テクノロジー様と協業できる機会があると信じております」堂々とした、隙のない答弁だ。自社の動向をアピールしつつ、「片桐社長に同行した」、「指導を受けている」という言葉で、信行との密接な関係を公然と世間に知らしめた。パソコンの前で中継を見ながら、真琴は感心した。賢い女だ。権勢を借りるのが実に上手い。この一連の振る舞いで、トレンドにはアークライトと興衆実業だけでなく、彼女の名前も急浮上している。世間は彼女の美貌と気品を称賛し、信行とお似合いのカップルだと持てはや
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第145話

その後数日間、真琴はずっと実験室に缶詰めになり、二晩ほど実験室の宿舎に泊まり込んだ。一方の信行は、アークライトとの契約を済ませるなり出張へ発った。二人はそれぞれの場所で、それぞれの仕事に忙殺されていた。日々はまた、以前のように戻ったかのようだ。ただ一つ違うのは、真琴がもう興衆実業の人間でも、片桐副社長でもないということだ。この日の昼。実験室から戻った真琴と淳史たちを、オフィスの仲間が拍手で迎えた。「森谷さん、辻本さん、松山(まつやま)さん、プロジェクトの突破おめでとうございます!これでチームも次のステージですね。家庭用ロボットの発売、一日も早く実現するのを楽しみにしてますよ」「森谷さん、辻本さん、松山さん、本当におめでとうございます!」「森谷さん、辻本さん、やりましたね!」数日前、真琴がコードの再計算をしていた際、淳史たちのプロジェクトの致命的なバグを発見し、一人残業して修正したのだ。この二日間の実証実験で、プロジェクトは新たなフェーズへと進んだ。順調にいけば、家庭用ロボットの試用版リリースも近い。「ありがとう!」「ありがとう、みんなありがとう!」祝福を受け、淳史は上機嫌だ。気前よく皆にコーヒーとランチをご馳走するだけでなく、週末の祝勝会まで約束している。オフィスは一気にお祭り騒ぎになった。その時、一明が二階から降りてきて、真琴に声をかけた。「辻本さん、ちょっといいかな。社長がお呼びだよ」真琴は自分のコーヒーに加え、智昭の分も持って二階へ上がった。智昭のオフィスのドアをノックして入り、真琴はコーヒーを渡して挨拶した。「社長」そして言った。「森谷主任がコーヒーとランチをご馳走してくれて、週末には食事会も開いてくれるそうです」「ありがとう」真琴からコーヒーを受け取り、智昭は笑って言った。「君をアークライトに呼んで正解だったよ。やはり君は、ここの水が合っている」真琴が持ってきたコーヒーを一口飲み、智昭は単刀直入に本題を切り出した。「辻本さん。君が以前取得した特許だが……まだ有効期限内か?」デスクの向かいで、真琴は頷く。「はい、まだ期限内です」智昭はコーヒーを置き、真琴を見て尋ねた。「その特許、アークライトに譲渡する気はないか?」真琴が口を開く間も
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第146話

真琴の承諾を確認すると、智昭は尋ねた。「譲渡額だが、希望はあるか?」真琴はこれまで特許を売った経験がない。少し真剣に考えた後、右手の人差し指を一本だけ立てて見せた。口を開くより先に、それを見た智昭が眉をひそめる。「一億か?それは相場より高すぎる。うちの予算じゃ厳しいな」一億円?真琴は思わず吹き出しそうになり、慌てて手を引っ込めた。「……社長から提示してください。納得できたらサインします」今は二人とも、ビジネスライクな顔つきだ。智昭は言った。「三千万だ。これが業界の最高値だし、他の会社でもこれ以上は出せないはずだ」真琴は即答した。「三千万円でお受けします」実は、一千万円と言おうとしていたのだ。二年前に別のテクノロジー会社からオファーがあった時の提示額がそれだったからだ。当時は興衆実業にいたので断ったが。今が三千万円を提示した。しかもプロジェクト責任者のポストと、製品化後の配当まで約束されている。智昭はこれ以上ない好条件を出してくれている。断る理由などない。明日、特許証書などの書類を持参することを約束し、商談は成立した。三千万!三千万!社長室を出てから、真琴の心は踊りっぱなしだった。ここ三年で、一番嬉しい日かもしれない。夕方、退社すると、彼女は祖父の好物の菓子と果物を買い込み、実家へと車を走らせた。家に着くと、孫娘が上機嫌で、ずっとニコニコしているのを見て、哲男が目を細めた。「おや、何かいいことでもあったかい?」祖父の隣に座り、真琴は彼の手を取って弾んだ声で言った。「おじいちゃん、私が高三の時に取った特許のこと、覚えてる?会社がそれを買い取ってくれて、私をプロジェクトの責任者にしてくれたの。製品が売れたら、配当も入るのよ」祖父が口を開く前に、真琴はまたもったいぶって三本の指を立てて見せた。「三千万よ。譲渡金だけで三千万。製品が市場に出たら、もっと入ってくるわ」孫娘の喜びようを見て、哲男も嬉しそうに胸を張る。「やっぱり、わしの孫娘はすごいのう。お前にそれだけの才覚があるなら、わしも一安心じゃ」そう言って真琴の手の甲を軽く叩き、声を潜めて続けた。「地下室の宝物も、ちゃんと見ておくんだぞ。あれは全部、お前の老後のために残しておいたものなんじゃからな」祖父
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第147話

そこまで言って、智昭は口元を緩めた。「ただし……あいつの眼力は、ビジネスに限るようだがな」その皮肉に、真琴は思わず吹き出した。一呼吸置いて立ち上がり、居住まいを正す。「いずれにせよ、社長のご配慮には感謝しています。ご期待に添えるよう、精一杯努めます」智昭は真剣な眼差しで見上げる。「辻本さん。これは始まりに過ぎない。君の最初のプロジェクトだ……大成功を期待しているよ」智昭は真琴を高く評価しており、以前から彼女の特許に目をつけていたが、アークライトの資金繰りは厳格で、一銭たりとも無駄にはできなかった。長年の懸案だった家庭用ロボット開発に、使える資金には限りがあった。今回、信行がスポンサーとして助け舟を出してくれた形だ。真琴は力強く頷いた。「はい。必ず」契約書を持って自分のオフィスに戻り、間もなく真琴は車で実験室へと向かった。……夜九時、芦原ヒルズ。一週間以上の出張から戻った信行を、使用人の舞子は笑顔で出迎えた。「お帰りなさいませ、信行様」上着を預け、信行は家中を見渡して無表情に尋ねた。「……真琴は?」舞子は上着を受け取りながら答えた。「真琴様はこのところお忙しくて……ここ数日は実験室に泊まり込んで、お帰りになっていません。随分とお痩せになりましたよ」舞子の報告に眉をひそめ、信行は無言で二階へ上がった。寝室のドアを開けても中は静まり返っている。信行は窓際へ歩み寄り、ポケットから携帯を取り出して真琴に発信した。まくり上げた白シャツの袖。男の手背に浮き出る血管が、苛立ちを表すように脈打っている。格別にセクシーだ。しばらくして電話が繋がると、信行は感情を押し殺して尋ねた。「……まだ残業か?」電話の向こうで、真琴は仕事を続けながら答えた。「ええ、実験室です。まだやることが残っていますので」「帰らないのか?」真琴はパソコン画面を見つめながら、ゆっくりと言った。「明日は市内で会議がありますから、遅くなりますが帰ります……お待ちにならなくて結構ですので」信行はそれ以上何も言わず、無言で通話を切った。一方、真琴は智昭に言われた「礼なら片桐さんに言うべきだ」という言葉を反芻し、暗くなった画面をしばらく見つめてから、仕事に戻った。夜十一時過ぎ。ようやくデータ
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第148話

意外だった。まさか、信行が迎えに来てくれるなんて。指折り数えてみれば、十日ほど会っていなかったことになる。今回の別れは、まるで何年も会っていないかのように長く感じられた。一日が千年のように重い。黒いマイバッハの傍らで、真琴の声を聞き、信行が振り返った。姿を認めるなり、彼は吸いかけのタバコを携帯灰皿に押し込み、慌てて煙を払う。月明かりが、二人の影を長く伸ばしていた。両手をポケットに戻し、信行は優しく声をかけた。「終わったか?」バッグのストラップを握りしめ、真琴は歩み寄りながら頷く。「ええ、終わりました」距離が縮まり、二人の影が重なる。信行は彼女を見下ろし、その頬が以前よりこけていることに気づいた。真琴が何か言う前に、信行は自然な動作で助手席のドアを開けた。「帰ろう」十日ぶりに会う信行もまた、少し痩せたように見えた。その瞳には疲労の色が滲んでいる。わざわざこんな遠くまで迎えに来てくれたこと、出張から戻ったばかりであろうことを思い、真琴は素直に「はい」と答え、車に乗り込んだ。車が実験区を出る。波が岩を打つ音が遠くに聞こえた。月明かりと街灯がアスファルトを照らし、郊外の夜景を幻想的に彩っている。ハンドルを握りながら、信行は横目で真琴を一瞥した。彼女がじっと前を見つめているのを見て、気だるげに毒づく。「高瀬の野郎、随分と人使いが荒いな」信行が話しかけてきたので、真琴は少し表情を緩めて答えた。「社長はいい方ですよ。ただ、ご自分のプロジェクトに責任を持っているだけです」その笑顔はどこか他人行儀で、言葉の端々に見えない壁がある。一呼吸置き、彼女は信行の方を向いて言った。「そうです、高瀬社長が私の特許を買い取ってくれました。『礼なら片桐さんに言うべきだ』と仰っていましたけれど」信行は鼻で笑った。「礼には及ばない……きっちり元を取らせてくれれば、それでいい」あくまでビジネスだと言う彼に、真琴は小さく笑って前を向いた。車内は静まり返り、風を切る音だけが響く。一日中張り詰めて仕事をしていた反動か、助手席の心地よい揺れに身を任せていると、いつの間にか強烈な睡魔が襲ってきた。頭がこっくりこっくりと揺れ、やがてシートにもたれて深い眠りに落ちていく。傍らで、信行は寝息を立て始めた
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第149話

空が薄暗くなり始め、管理人が見回りに来る時間になって、真琴はようやくその場を後にした。帰路につくと、突然の夕立に見舞われた。ハンドルを握りながら、過去のことや仕事のことに思いを馳せていると、助手席に置いていた携帯が鳴った。拓真からだ。通話ボタンを押し、明るい声で出る。「もしもし、拓真さん」電話の向こうで、拓真は言った。「真琴ちゃん、聞いたぞ。特許が売れてプロジェクト責任者になったんだって?おめでとう」ハンドルを握りながら、真琴は笑って言った。「ええ、昨日高瀬社長と契約しました。ありがとうございます、拓真さん」「仕事が順調なのは何よりだけど、根詰め過ぎるなよ。たまにはみんなで集まろうぜ」真琴は答えた。「ええ、ぜひ」拓真と少し話して電話を切ると、すぐに司からもお祝いの着信があった。その後も、共通の友人たちから次々とお祝いの電話がかかってきた。皆からの祝福に、真琴の心はさっきよりもずっと晴れやかになった。ふと気づくと、雨が上がっている。フロントガラス越しに見上げれば、そこには大きな虹がかかっていた。その光景に、真琴は心から微笑んだ。人生には、まだ美しい瞬間がある。そう思い、先ほどの祝福の余韻に浸りながら、真琴は拓真たちにかけ直して夜の予定を尋ねた。最初の成功を祝って、夕食をご馳走したいと申し出た。拓真と司は二つ返事で快諾した。電話を切った後、二人は元々の予定をキャンセルしてくれたようだ。店を予約した後、真琴はやはり礼儀として信行にもメッセージを送った。【今夜、みんなにご馳走するんだけど、時間はありますか?】信行からはすぐに返信があった。【ある】真琴は店の場所を送り、彼を誘った。信行と拓真たちの関係は深いし、プロジェクトに出資してくれたのも彼だ。彼を仲間外れにするわけにはいかない。午後六時。真琴が個室に着くと、拓真と司がちょうど到着したところだった。他の数人も集まっている。紗友里は先に来ていて、皆の相手をしてくれていた。真琴の姿を見つけるなり、紗友里は駆け寄って抱きついた。「真琴、すごいじゃない!高校時代の特許が今でもそんなに価値があるなんて」紗友里を抱きしめ返し、真琴は笑顔で言った。「ありがとう紗友里。みんなの相手をしてくれて助かったわ」
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第150話

そう言って、真琴は慌てて道を空け、隣の椅子を引いた。「座って」信行に対するその態度は、拓真たちへのそれよりもずっと他人行儀で、明らかな距離感があった。拓真たちはそれを見て、少し同情的な目で信行を見た。何しろ、彼は夫なのだから。信行はただ冷ややかに拓真を睨みつけただけだった。さっき真琴をハグしようとしたのを、まだ根に持っているようだ。間もなく料理が運ばれ、皆が口々に真琴へのお祝いを述べた。真琴は笑顔で、その一人一人に応えた。今夜、彼女は結構な量を飲んでいた。お開きになる頃には足元がおぼつかなくなり、まともに歩けなくなっていた。必死にこらえてはいたが、体質的に限界だった。彼女は酒に弱い。ホテルのエントランスで、真琴が目を回さないよう必死になりながら、よろめいて歩いていると、紗友里が彼女を信行の懐に押し付け、無理やりその腰に腕を回させた。「こういう時こそ兄ちゃんの出番でしょ。どうせもう長くはないんだから、抱っこさせてあげなさいよ」そして信行を見上げて釘を刺した。「真琴は今日お墓参りに行ったのよ。兄ちゃん、今夜は少しは大目に見てあげてね。嫌な顔しないでよ」確かに、午後のお墓参りのせいで感傷的になり、真琴はいつもより酒が進んでしまった。紗友里の忠告に、信行は淡々と彼女を一瞥し、真琴の顔にかかる髪を払ってやった。彼に寄りかかり、真琴は両手で信行の首に抱きつくと、うわ言のように呟いた。「紗友里……今夜は、紗友里のとこに泊まるわ……」「……」真琴を見下ろし、左手で彼女の腰を支えながら、信行はポケットから車のキーを取り出し、拓真に渡して言った。「運転手に俺の車を回させてくれ」拓真は言った。「そのまま運転手に送らせればいいだろ」信行は答えた。「回すだけでいい。送らなくていい」拓真は頷いた。「分かった」拓真がキーを受け取ると、信行は真琴が自分を紗友里だと思い込み、首にすがりついて胸に顔を埋めているのを見て、顔にかかった髪を整え……その頬にキスをした。傍らで見ていた紗友里は呆気にとられ、酔いも一気に覚めた。しばらく信行を凝視した後、酒臭い息を吐きながら、訝しげに尋ねた。「兄ちゃん、変な酒でも飲んだ?」信行は右手を振り、紗友里の顔を鷲掴みにして押しやった。紗友里
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