All Chapters of 暴走する愛情、彼は必死に離婚を引き止める: Chapter 171 - Chapter 180

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第171話

智昭は答えた。「先週、無事に終わったよ。今はリハビリ中だ。ただ、退屈して『遊び相手がいない』ってぼやいてるけどね」それを聞いて、真琴は笑って言った。「じゃあ、時間がある時にお見舞いに行ってもいいですか?」智昭は言った。「もちろん。君が行ってくれたら、天音も喜ぶよ」話しながら駐車場に車を停め、二人は会社に戻った。智昭は図面の仕上げにかかり、真琴も自分の仕事に取り掛かった。夜七時過ぎ、真琴の仕事が一段落し、智昭に挨拶して退社した。昼も夜も続けて適当に済ませていたので、お腹が空いていた。帰り道、紗友里から電話があり、食事は済んだか、いつ帰るかと聞かれた。「今、帰る途中」と答えると、紗友里は「待ってる」と言い、声を潜めて話題を変えた。「そうだ真琴。由美のやつ、精高テクノロジーと組みたがってるみたい。兄ちゃんも巻き込もうとしてるわ。午後、電話で話してるのを聞いちゃったの。ちょっと気をつけて。できるだけ兄ちゃんを関わらせないようにして。真琴やアークライトにとっても良くないし」ハンドルを握りながら、真琴は眉をひそめた。信行も関わるつもりなのか?少し考えて、真琴は言った。「分かったわ、気をつける」紗友里は念を押した。「会社の中にも、誰か由美と通じてる人がいるみたいだし、とにかく警戒して。あいつ、完全に真琴をターゲットにしてるから」真琴は頷いた。「ええ、肝に銘じるわ……教えてくれてありがとう、紗友里」電話の向こうで、紗友里は明るく言った。「何言ってんの、水くさい。早く帰ってきて。ご飯温めて待ってるから」「うん」電話を切り、真琴は少しアクセルを踏み込んだ。間もなく、車を庭に停め、家に入った。玄関のドアを開けると、紗友里ではなく、信行が二階から降りてくるところだった。「帰ったか」少し緩んでいた表情を引き締め、真琴は普段の冷静さを取り戻して答えた。「ええ」靴を脱ぎながら見回したが、紗友里の姿はない。信行はゆっくりと言った。「探してもいないぞ。紗友里なら爺さんに呼ばれて裏庭へ行った。飯は温めてある」「……そうですか」真琴はそっけなく答え、ダイニングへ向かった。テーブルに着くと、横に開いたままのノートパソコンが置かれていた。信行も来ていた。ノートパソコ
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第172話

信行の考えを変えられるとは思っていない。ただ確認したかっただけだ。それに今後、信行の前ではうかつなことは言えない。専門的な話や報告もしない方がいいだろう。たとえ彼が、プロジェクトの出資者であり、オーナーだとしても。突然仕事の話をされ、信行は真琴を一瞥し、優しく答えた。「まだ決まってない。検討中だ」真琴はまた「そうですか」とだけ返した。信行は、彼女がこの件について議論を持ちかけ、自分がアークライトの出資者であることを盾にして交渉してくるかと思った。しかし、真琴はそれ以上何も言わず、黙々と食事を続けた。しばらく彼女を見つめていたが、携帯が鳴り、信行は我に返って席を外した。小広間で電話を終えて戻ると、テーブルはきれいに片付けられ、真琴はいなくなっていた。ポケットに手を入れ、彼女が座っていた空席を見つめ、信行は自嘲気味に笑った。「本当に……他人行儀だな」……食事を終え、片付けを済ませると、真琴は紗友里を探して裏庭へ向かった。幸子がスマホの使い方を教わるために、紗友里を呼び出したのだ。真琴が姿を見せると、幸子はパッと顔を輝かせた。「真琴ちゃん、お帰りなさい。ご飯は食べた??」真琴は微笑んで答えた。「お婆様、いただきました。紗友里が温めておいてくれたので」真琴が座ると、幸子はスマホを紗友里に押し付け、真琴の手を取って機嫌を取るように尋ねた。「真琴ちゃん、昨日のこと、まだ怒ってる?」真琴は穏やかに答えた。「怒ってませんよ。ただ……合わないだけです」幸子は必死に説得にかかった。「合わないなんてことはないわ。ただ信行が子供っぽいだけよ。でもね真琴ちゃん、私なら絶対に離婚なんてしてやらないわ。そんなことしたら、由美を喜ばせるだけだもの」幸子の言葉に、横でスマホをいじっていた紗友里が気だるげに口を挟んだ。「兄ちゃんなんて大した男じゃないわよ。由美がそんなに欲しがってるなら、熨斗をつけてくれてやればいいのよ」幸子は紗友里の腕をギュッとつねった。「これっ!どうしてそうやって焚き付けるようなことばかり言うの!」そして真琴に向き直った。「真琴ちゃん、紗友里ちゃんの言うことなんて聞かなくていいわ。信行の方はどうせ次の相手がいるんだから、真琴ちゃんだって、次を見つけてから離婚すれば
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第173話

「それに昨日のあれ、明らかに同情を引くための芝居よ。離婚したくないのよ」真琴は苦笑して言った。「もし本当に離婚したくないなら、それは私が使い勝手のいい嫁だからよ。拓真さんも言ってたわ。『二百年前に生まれてたら表彰もんだ』って」紗友里は真顔で言った。「私はね、兄ちゃんが今あんたを気にかけてるなら、それを利用して条件を出せばいいと思うの。精高と組むのをやめさせるとかね。もっと自分の利益を考えなさいよ。馬鹿正直じゃだめ。じゃないと、全部あの女に持っていかれちゃうわよ」紗友里の入れ知恵に、真琴は笑って答えなかった。間もなく別荘に戻ると、信行はリビングにはいなかった。真琴が部屋に戻ると、信行は部屋にいて、棚のそばで薬を飲んでいた。医師が出した抗生物質と痛み止めのおかげか、昨夜より顔色はだいぶ良さそうだ。真琴を見て、信行は言った。「後で薬を塗ってくれ」「分かりました」信行がまだ仕事を続けているのを見て、真琴は先にシャワーを浴びることにした。バスルームから出てくると、信行は書類を片付けていた。彼女は軟膏を持ってベッドへ近づいた。今、信行はチャコールグレーのパジャマを着ており、真琴も同色のルームウェアを着ている。偶然だが、まるでペアルックのようだ。信行はボタンを外し、ベッドにうつ伏せになった。真琴の手が脇腹から背中にかけての傷に触れると、彼は「んっ」と低く唸った。それは妙に色気のある、艶めかしい声だった。ベッドの端に腰掛け、真琴は彼をたしなめた。「……薬を塗ってる時に、変な声を出さないでください」痛がっているようには見えない。彼のその声に、少し居心地が悪かった。信行は喉の奥で笑い、からかうように言った。「お前よりいい声だろ?」真琴は彼の肩をペシッと叩いた。「……真面目にしてください」真琴の強張った顔を見て、信行は笑って言った。「痛いんだよ」痛いと訴えるので、真琴はそれ以上相手にせず、薬の塗布に集中した。しかし……時折漏れるその低い唸り声に、手元が狂いそうになる。背中の一番深い傷に薬を塗り込む時、信行が鋭く息を吸い込むのを聞いて、真琴は思わず、痛みを和らげるように「フーフー」と息を吹きかけた。その無意識の行動に、信行の心が揺れた。部屋の照明は柔らかく、空
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第174話

至近距離で信行を見つめ、その目をじっと見据える。真琴は微動だにせず、冷静に告げた。「……どうぞ、組んでください」「……」信行は絶句した。真琴のあまりにあっさりした返答に、信行は怒ることも、笑うこともできなかった。薬を取り上げて脇に放り投げると、彼女の後頭部を押さえて強引に唇を塞いだ。真琴は眉をひそめ、胸を押して突き放そうとしたが、信行は身を翻して彼女を抱え込んだ。乱れた髪が顔にかかり、両手首を押さえつけられ、真琴は目を見開いて抗議した。「こういう話し合い方は、好きじゃありません」身を起こさず、信行は彼女の瞳を覗き込み、低く問い詰めた。「……そんなに俺と別れたいのか?」真琴は顔を背け、答えなかった。その沈黙こそが、何より雄弁な答えだった。真琴が頑なに黙っているので、信行は深いため息をつき、全身の力を抜いて彼女の上に覆いかぶさると、その首筋に顔を埋めた。部屋は静かで、信行の体から漂う強い薬の匂いが、真琴のほのかな香りを覆い隠していた。それ以上のことをしなかったので、真琴は彼を推しのけなかった。ただ静かに、時が過ぎるのを待つだけだ。もう、戻れない。彼への想いは、もう二度と昔には戻れない。……その後、本家で数日過ごし、信行の傷が癒えると、二人は芦原ヒルズに戻った。この数日、世間は「峰亜工業」の話題で持ちきりだった。経済ニュースも、芸能ニュースも、峰亜のことばかりだ。由美は連日トレンド入りし、称賛を浴びていた。高学歴、高IQ、家柄も良く、美しく優しく、性格も良い。まさに「全男性の理想」としての地位を確立していた。最近、ネット上で行われた「国民の初恋」投票で、由美は断トツの一位だった。これにより、峰亜工業は広告費を大幅に節約できたことになる。株価も上がり、精高テクノロジーとの提携もまことしやかに囁かれていた。精高側は彼女を絶賛しており、社長自らがメディアで彼女の美貌と聡明さを褒め称え、提携を心待ちにしていると語ったほどだ。この日の午前。真琴が淳史の代理で帝都大の実験室へ行って戻り、オフィスビルの入り口に着いた時、背後から声をかけられた。「真琴ちゃん」聞き覚えのある声に振り返ると、赤いドレスを着た由美が、満面の笑みで颯爽と近づいてくるところだった。由美は
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第175話

じっと由美を見つめた後、真琴はきっぱりと言った。「由美さん。特許技術はアークライトの研究プロジェクトです。製品化の有無にかかわらず、技術的な詳細をお話しすることはできません。それは会社の利益を損なう背信行為です」由美を直視しながら、真琴は信じられない思いだった。よくもまあ、そんな重大な企業秘密を、お茶飲み話のついでに聞き出そうなどと思えたものだ。真琴の正論にも由美は悪びれず、笑顔のまま言った。「真琴ちゃん、特許料はもう手に入れたんでしょ?そんなに堅いこと言わないでよ。私も勉強したいだけなの。もちろん、タダとは言わない。私からも謝礼は払うわ。友人同士の個人的な情報交換ってことで、どう?」由美の記憶の中では、真琴はずっと大人しく、従順な存在だった。自分に対しても、信行に対しても、言われたことには黙って従っていた。あの日ホテルで、スキャンダルの処理をさせられた時でさえ、文句一つ言わなかった。どうせ辻本家にはお金がないのだから、小銭を渡せば済むと思っていた。由美のあまりの侮辱に、真琴は音もなくコーヒーカップを置き、彼女を見据えて一語一語はっきりと言った。「『さん』付けで呼んでいたのは、あなたが年上だからよ。それに、男一人のために同じ女性同士で泥仕合をしたくなかったから。でも、何度も私の仕事を利用しようとしたり、アークライトの技術を盗もうとしたり……私を何だと思ってるの?私は争うのが嫌なだけで、馬鹿じゃない。だからこれからは、馴れ馴れしくしないで。技術情報を聞き出そうなんて思わないで……もう二度と、私に近づかないで」言い終わると、真琴は携帯とバッグを持って席を立った。向かいで、真琴に呼び捨てにされ、絶縁宣言をされた由美の顔色は青ざめた。これが自分の知っている、あの大人しい真琴なのか?金を払わないとは言っていないのに?それでも由美は体裁を保ち、立ち上がって笑顔で問いかけた。「真琴ちゃん、信行のせい?私が帰ってきて、信行が私を好きだから、嫉妬してそんな態度をとるの?」由美の作ったような猫なで声に、真琴は冷たく吐き捨てた。「ここには観客なんていないわ。そんな大根芝居はしなくていい……彼が好きなら、勝手に連れていけばいいじゃない」そう言って、立ちはだかる由美を押しのけ、振り返りもせずに立ち去った。
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第176話

信行の「喧嘩でも売りに来たのか」という言葉に、真琴の張り詰めていた気配が少し緩んだ。彼女は努めて冷静に、淡々と言った。「ご両親も知っていますし、お爺様たちも特に反対されませんでした。ですから、早めに手続きを済ませてください」真琴の声は、たとえ怒っていても不思議と耳に心地よく、決して相手を逆撫ですることがない。その言葉に、信行は髪を拭く手を止めず、鼻で笑った。「俺の両親が?」ひとしきり笑うと、それ以上その話題には触れず、気だるげに尋ねた。「法務部の協議書を待つんじゃなかったのか?」信行が言い終わると、棚の上の携帯が鳴った。振り返って手に取ると、由美からだ。タオルを棚に投げ、信行は窓際で電話に出た。グレーのバスローブの帯を無造作に結び、襟元は大きくはだけている。引き締まった筋肉と、まだ癒えていない傷跡が生々しく覗いていた。タバコとライターを手に取り、一本くわえたが、振り返って真琴を見ると、また棚に放り投げた。そして、感情のこもらない声で出た。「なんだ」信行が電話に出たので、由美の声がすぐに返ってきた。「信行?真琴ちゃんは帰った?」信行は短く答えた。「ああ」その態度は、拓真や祐斗たちに対するものと変わらない素っ気なさだった。信行の反応に、由美は続けた。「実はね、午前中に真琴ちゃんに会いに行ったの。ちょっと専門的なことを聞きたかっただけなんだけど、何か気に障ったみたいで……怒って帰っちゃったから、謝る暇もなくて。だから、もし帰ってたら代わりに謝っておいてくれない?今度ご飯ご馳走するって伝えて」由美が謝罪の仲介を頼んできたことに、信行は露骨に不快感を示した。庭の夜景を冷ややかに見下ろし、月明かりが木の影を落とすのを見つめながら、氷のような声で告げた。「今後、あいつに関わるな。近づくな」信行の警告に、由美は春風のような声で笑った。「安心して、分かってるわ。でも、今日の真琴ちゃんは本当に取り付く島もなくて、私まで一日気分が悪かったのよ」由美は、信行が自分を気遣って「真琴に近づくな」と言ったのだと勝手に解釈し、言葉を継いだ。「でも大丈夫、これくらい平気よ」信行は否定もせず、眉をひそめ、そのまま一方的に電話を切った。その時、真琴はすでに着替えを済ませ、赤いクリップで
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第177話

「あなたたち、私のこと馬鹿だと思ってるんでしょ?親がいないからって、いいように扱えると思ってるんでしょ?」真琴の最後の言葉に、信行は即座に答えた。「違う」信行がいつもの冗談めかした態度を捨て、真剣な眼差しで否定したので、真琴は一瞬言葉に詰まった。由美の度重なる挑発に、今日は確かに腹が立っていた。この機会に信行にぶちまけ、数年分の鬱憤を晴らそうと思っていた。しかし、信行は乗ってこなかった。じっと信行を見つめたまま、真琴はしばらくして顔を背けた。もう、見たくなかった。信行は真琴の横顔を見る。その輪郭も目鼻立ちも立体的で、通った鼻筋、唇、顎、そして目元……すべてが美しかった。真琴は黙り込み、頑なに彼を見ようとしない。さっき「親がいない」と自嘲したことに、信行は心を動かされ、小さく息を吐いた。寝室は静かだ。着替えを抱えたまま、こちらを見ようともせず、口もきかない真琴に、信行は歩み寄り、その腕を取って抱き寄せた。真琴は顔を上げ、両手で彼の胸を押して突き放そうとしたが、信行は彼女の額にキスをし、優しく言った。「違う。お前を馬鹿だなんて思ってないし、いじめるつもりもない」その弁明に、真琴は顔を背けた。信行は再び彼女を引き寄せ、右手で背中をポンポンと軽く叩き、慰めた。信行を見ず、真琴は何も言わなかった。しばらく沈黙が続いた後、真琴は顔を上げて言った。「信行さん……私が陰で何て呼ばれてるか知ってますか?『菩薩様』ですよ」一呼吸置いて、その意味を噛み締めるように続けた。「他人が私をどう扱うかは、あなたが私をどう扱っているかの写し鏡なんですよ。私を庇ってくれとは言いません。でも、もう私を解放して……」言い終わらないうちに、信行は彼女の顎をつまみ、強引に唇を塞いだ。両手を胸に当て、真琴は眉をひそめて押しのけようとしたが、さらに強く抱きしめられ、深く、貪るようにキスされた。信行のキスは激しく、そして絡め取るようだった。目を開けて彼を見つめる真琴の瞳は、潤んで滲んでいた。彼はいつもそうだ。最後まで話を聞かず、こちらの気持ちなどお構いなしだ。キスの後、信行は真琴を抱きしめ、顎を彼女の肩に乗せて、低い声で囁いた。「……これからは改める」真琴は彼を見上げた。その約束は、さっき身の上
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第178話

真琴の生活は、まるで独身時代に戻ったかのように静かなものになった。週末には紗友里を連れて内見に出かけた。前回よりも条件の良い物件ばかりで、どこにするか二人は目下検討中だ。……この日の午前、淳史たちとの会議を終えて席に戻ると、ネット上は峰亜工業による風早製作所買収のニュースで持ちきりだった。ニュースの中の由美は、白のブラウスに黒のパンツという、洗練されたビジネススタイルで調印式に臨んでいた。記者会見で見せる春風のような笑顔は、自信と活力に満ち溢れている。黒いスーツの男たちが並ぶ中で、紅一点の彼女はまるで大輪の花が咲いたように一際輝いて見えた。会場にいる男性たちの眼差しは、情熱と称賛、そして隠しきれない好意に満ちていた。これほど優秀で、家柄も良く、美しい女性だ。彼女を妻にできれば、男としての一生は安泰だろう。デスクの前で、真琴は何気なくそのニュース記事をクリックした。しかし……会場の写真に、信行の姿を見つけて手が止まった。出張から戻っていたのか。画面をスクロールし、写真を拡大する。間違いない、信行だ。彼は最前列に座り、壇上の由美をじっと見つめている。しばらくその写真を眺めた後、真琴はそっと携帯を伏せた。出張前、彼はあと二日は戻らないと言っていた。予定を早めて帰国したのは、今日が峰亜の晴れ舞台だったからか。由美の応援に駆けつけたのだ。無言でファイル棚に手を伸ばした時、伏せたばかりの携帯が鳴った。画面の番号を見て、凍りついていた真琴の表情が一気に和らぐ。電話に出て、優しい声で応じた。「もしもし、天音ちゃん?こんにちは」数日前、一明たちと二度ほどお見舞いに行った際、天音は使用人の携帯に真琴の番号を登録していた。電話の向こうで、天音はたどたどしい口調で甘えた。「真琴お姉ちゃん、今お時間ある?会いたいな。遊びに来てくれない?」少女の健気な誘いに、真琴はパソコンの時計を見た。もうすぐ昼休みだ。視線を戻し、笑顔で言った。「いいよ。じゃあ、今から遊びに行くね」約束をして電話を切り、支度をして病院へ向かった。目と鼻の先だ。車なら五分もかからない。果物と昼食を持って病室に入ると、付き添いの使用人が恐縮して出迎えた。「すみません、お昼休みにわざわざ。天音様がこの二日ずっと会いた
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第179話

ハンバーガーショップに着くと、窓際の席を選んだ。真琴と天音がソファ席に並んで座り、智昭が向かいに座った。久しぶりの外出に天音は大喜びで、ハンバーガーとポテトを満面の笑みで頬張り、時折、小さな手でポテトを掴んで真琴や智昭の口に運んでくれた。真琴も甲斐甲斐しく世話を焼き、ナプキンを襟元に挟んでやり、口や手が汚れるとすぐに拭いてやった。天音の世話をしながら、真琴はふと、亡き母のことを思い出していた。記憶の中にある、あの僅かばかりの母の愛を。母がもっと長くそばにいてくれたら、子供時代はもっと幸せだっただろうか。もし、信行との結婚生活がまともなものだったら……今頃、自分も母親になっていただろうか。昼食後、二人で天音を病院に送り届け、昼寝をするのを見届けてから、智昭は真琴を乗せて会社に戻った。ハンドルを握りながら、智昭は真琴を見て言った。「辻本さん、天音に付き合ってくれてありがとう」真琴は微笑んで答えた。「いいえ。子供は素直で可愛いですから。私にとっても良いリフレッシュになります」真琴が言うと、智昭は後部座席から赤い招待状を二通取り出して渡した。「来週の土曜日は、五十嵐先生の誕生日なんだ。君の分も預かってきた。どっちが君のか見てみてくれ」「はい」招待状を受け取り、最初の一通を開けると、それが真琴のものだった。日時と場所が達筆な文字で記され、宛名にはこう書かれていた。【辻本真琴様を謹んでご招待申し上げます……五十嵐貴博】この招待状は貴博が書いたものだ。「五十嵐貴博」という署名を見て、真琴はあの日、五十嵐家の屋敷を出る時にすれ違った車の光景を思い出した。彼の放っていたオーラは、凄まじかった。それに、この招待状は「ご本人様」への招待であり、「ご家族様」を含んでいない。自分の分を取り出し、真琴は智昭の分をダッシュボードに入れた。智昭は言った。「五十嵐先生は普段、誕生日を祝わないんだが、今年は珍しく賑やかにやりたいらしい。行けば色々な人と知り合えるし、君にとっても勉強になることが多いはずだ」真琴は頷いた。「はい、しっかり勉強させていただきます」……その頃、南江ホテル。峰亜工業による風早製作所の買収契約が無事終了し、由美の父、内海長盛(うつみ ながもり)が盛大な祝賀会を催して
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第180話

十数枚の写真が送られてきていた。どれも、真琴が智昭父娘と一緒に、フライドチキンやハンバーガーを食べている場面だ。写真の中の真琴は、春風のように穏やかに微笑み、甲斐甲斐しく天音の世話を焼いている。天音もまた、時折ポテトを真琴や智昭の口に運んで食べさせていた。智昭も、そんな彼女を気遣うような眼差しで見ている。事情を知らない者が見れば、仲睦まじい親子三人そのものだと思うだろう。写真をめくるたび、真琴が楽しそうに笑っていればいるほど、信行の顔色はみるみる曇っていった。傍らで、信行の不機嫌な様子に気づいた由美は、箸を置き、彼を覗き込んで優しく尋ねた。「信行、どうしたの?」LINEの画面を閉じ、信行は携帯を無造作にテーブルに戻すと、無表情で言った。「何でもない」由美は慌てて笑顔を作り、彼の皿に料理を取り分けた。「さっきからあまり食べてないじゃない。もっと食べて」由美の献身をよそに、信行の頭の中は、真琴と智昭たちの食事風景で埋め尽くされていた。どうしようもない嫉妬が、腹の底で渦巻いていた。それでも、宴会が終わった後、信行はこの件で真琴を問い詰めたりはしなかった。連絡もせず、何も聞かなかった。ただ、見た。それだけだ。まるで……何もなかったかのように。夕方、退社時間。真琴がバッグを肩にかけ、車のキーを手に、ハイヒールでオフィスビルの前にある青空駐車場へ向かって歩いていると、横に停まっていた黒塗りのセダンが、短くクラクションを鳴らした。振り返ると、見覚えのあるナンバープレートだった。足が遅くなり、やがて立ち止まる。信行だ。どうしてここに?真琴が驚いて足を止めるのを見て、信行はゆっくりと窓を開け、片手をハンドルに置いたまま、気だるげに彼女を見つめて言った。「何突っ立ってるんだ?帰らないのか?」信行の声を聞き、真琴はまた歩き出した。彼の方へ。信行は気だるげに言った。「乗れ」信行の何気ない態度に、真琴は彼を訝しげに見つめたが、結局ドアを開けて乗り込んだ。直感的に、彼に何か用事があるのだと思ったからだ。真琴が乗ると、信行は何も言わずにアクセルを踏み、あるレストランへ車を走らせた。結婚して以来、二人きりで外食するのは初めてのことだった。一階ホールのボックス席。二人は並んで座
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