All Chapters of 七年の恋の終わりに、冷酷な彼は豹変した: Chapter 381 - Chapter 390

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第381話

源治ほどの逸材なら、引く手あまたなのは当然だ。彼がもし他のパートナーを選んだとしても、それは仕方がないことだと腹を括っていたが……どうやら心配はなさそうだ。源治の態度は明確だった。詩織にとって、これほど心強いことはない。その後、ミキから電話があり、夕食に誘われた。すでに店は予約済みだというので指示された場所へ向かったが、着いてみて驚いた。なんと先客がいたのだ。「やあ、こんばんは」賢が紳士的に立ち上がり、詩織のために椅子を引いてくれる。詩織は怪訝な視線をミキに向けた。当のミキはバツが悪そうに、皿の上の料理を黙々とつついている。見兼ねた賢が助け舟を出した。「近藤さんがね、江ノ本には詳しくないし、君は仕事で忙しいからって、どこかお勧めのレストランはないかって連絡をくれたんだ。ちょうど僕も時間が空いてたから、案内させてもらったよ」詩織は平静を装って席に着くと、ミキを冷たく見下ろして言った。「江ノ本に詳しくない?あんたの大学四年間は無駄だったわけ?」だが、そこは女優・近藤ミキ。親友に嘘を見抜かれても動じない。こういう修羅場の演技はお手の物だ。「だってほら、卒業してからずっと外で仕事してたし?久しぶりに帰ってきたら浦島太郎状態なのよ。それに、賢さんみたいなやり手がいるおかげで、江ノ本は爆速発展中でしょ?街の景色なんて一日で変わっちゃうんだから、詳しくなくて当然じゃない」その口八丁に、詩織は呆れて溜息をつくしかなかった。料理はすでに注文済みだったらしく、詩織が席に着くとすぐに、賢がウェイターに合図を送ってサーブさせた。運ばれてきた料理はどれもあっさりとした味付けで、詩織の好物ばかりだ。ミキはニヤニヤとあからさまな笑みを浮かべた。「注文する時に賢さんが『江崎さんの好きなものは?』って聞くから教えてあげたんだけど、まさか全部あんたの好物で埋め尽くすとはねえ。愛が重いってば。ちなみに私の好みは一度も聞かれなかったけどね」賢は苦笑いしながら慌ててメニューをミキに差し出し、追加注文を促した。「いーのいーの。私、『ご馳走様』な見せつけでお腹いっぱいになるタイプだから。何でも食べるし」詩織はテーブルの下でミキの足を蹴飛ばした。「あ痛っ!」ミキが大袈裟な声を上げる。捻挫した箇所を蹴ってしまったかと詩織は一瞬焦
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第382話

おそらく彼女は、複数の男を天秤にかけていたのだろう。その中から、最も条件の良い相手を選ぼうとしていたに違いない。当時、志帆は賢の地位や肩書きに満足しなかった。だからあの見合いは不成立に終わったのだ。そう考えると、柏木志帆という女性の品性は褒められたものではない。まとまらなくて正解だった。そもそも、最初のお見合いの時点で、賢も彼女には何の魅力も感じなかったのだ。二度目のデートで断りを入れるつもりだったが、向こうから先に断ってきた。賢は女性の顔を立てるつもりで、彼女の言い分をそのまま受け入れた。それ以来、接点はなかった。例の港湾再開発プロジェクトに彼女が入札してくるまでは。今にして思えば、再会後の彼女が妙に愛想良く振る舞ってきたのは、単に自分が昇進したからなのだろう。賢のいる世界では、相手の地位を見て態度を変える人間など掃いて捨てるほどいる。志帆のそんな振る舞いも、今さら驚くようなことではない。評価に値しない、ただそれだけのことだ。ミキは食事中だというのに、ずっとスマホに噛り付いている。詩織が何度注意しても暖簾に腕押しだ。コースの中盤に差し掛かった頃、突然ミキが興奮気味に画面を詩織の目の前に突き出してきた。「ちょっと詩織!見てコレ、超面白い!」詩織は画面に目をやった。つい先ほど配信されたばかりの速報ニュースだ。数人の記者が志帆の病室に突撃し、取材を敢行している映像だった。取材というより、それは糾弾だった。「なぜあのような生態系の残る場所で花火を強行したのか」「認可を得るために裏で手を回したのではないか」記者たちは矢継ぎ早に質問を浴びせかける。現場は混沌としていた。記者たちに囲まれ、逃げ場を失った志帆の姿がそこにあった。かつての傲慢な女王の面影はどこにもない。ただ狼狽し、どうしていいかわからずに立ち尽くす一人の女がいるだけだ。その時、一人の男が割って入り、壁際に追い詰められた志帆を庇うように抱き寄せた。「誰これ?騎士気取り?」ミキが不満げに声を上げる。映像では顔が見えなかったため、詩織は適当に予想した。「いつもの駄犬じゃないの」志帆のためにそこまでするのは、柊也くらいのものだ。ミキが文句を言おうとした瞬間、カメラのアングルが切り替わり、男の顔が一瞬だけ映った。「
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第383話

それゆえに、彼がこれほどあからさまな口調で忠告をしてくるのは初めてのことだ。悠人は戸惑いを隠せず、本能的に志帆を庇う言葉を口にした。「先輩は本当にいい人なんです。以前、僕が海外にいた頃にも助けてもらって」だが、その言葉が最後まで紡がれることはなかった。賢のスマートフォンが鳴り響いたからだ。賢は即座に応答し、通話が進むにつれてその表情は険しさを増していった。通話を終えた賢は、これから華栄キャピタルに向かうと告げた。それを聞いた悠人は、渡りに船とばかりに身を乗り出す。「ちょうどいい。僕も華栄に行くつもりだったんですよ。一緒に行きます」以前悠人が一人で訪れた際、詩織の秘書は「社長は不在」の一点張りだった。だが今回、賢を伴って現れると、秘書の対応は打って変わったものになった。明らかに相手を見て態度を変えている。なんとも了見の狭い、姑息なやり口だと悠人は心の中で鼻を鳴らした。賢には公的な用件があり、詩織も対応せざるを得ない。その賢に同行してきた以上、悠人だけを門前払いにする理屈も立たず、二人は揃って応接室へと通された。「江崎社長、近々上から各プロジェクトの安全管理に関する査察チームが派遣されることになりました。受け入れの準備を進めておいてください」それは重要な通達だった。詩織は賢がわざわざ足を運んでくれたことに感謝を示した。「ご忠告ありがとうございます、篠宮室長。万全を期しておきます」「もし不明点があれば、いつでも僕に聞いてください」賢は一言、付け加えた。「この手の対応には、少々覚えがありますから」「はい、頼りにしています」二人の会話が一区切りついたところで、ようやく悠人が口を開くチャンスが訪れた。「江崎社長、お時間よろしいですか?少し話をさせてください」詩織は静かに悠人を見据える。「神宮寺社長、もし以前と同じご提案でしたら、これ以上お話しすることはありませんけれど」明確な拒絶だった。悠人の顔色が変わり、顎の筋肉が硬く強張る。「プランは……修正しました。神宮寺グループと華栄キャピタルのみでの、共同開発という形で」つまり、彼はこの計画から志帆を完全に外したのだ。かなりの譲歩と言えるだろう。だが、詩織がそれを受け入れる義理などどこにもない。「神宮寺社長は、考えたことがおありかしら?華栄には
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第384話

詩織はミキに電話をかけ、帰りが遅くなることを伝えた。お腹が空いたら先に何か食べていてほしい、自分を待つ必要はない、と。ミキは電話越しに何気なく尋ねた。「なに、残業?それとも接待?」「どっちでもないわ」詩織は呆れたように息を吐く。「あの恋愛ボケした賀来柊也の様子を見に行ってくるのよ」事の顛末を伝えると、ミキもまた呆れ返ったような声をあげた。「あいつも筋金入りねぇ。こんな状況でまだ柏木との婚約にこだわってるわけ?自分の会社の株価がどれだけ暴落してるか見てないのかしら。少しでも脳みそが残ってるなら、今は大人しくしてるべきでしょ。せめて婚約の日取りを延期するとかさ」詩織にとっては、もはや驚くべきことでもなかった。「彼にしてみれば、最愛の女性を勝ち取ったことを全世界に見せつけたくて仕方がないんでしょうね。会社の損得なんて二の次よ」皮肉なことに、志帆のおかげで詩織は思い知らされたのだ。自分と付き合っていた頃の、あの冷徹で理性的だった柊也とは全く別の顔があるということを。賀来家の本邸に到着すると、リビングでは松本さんが散らかった部屋を片付けているところだった。泣き腫らしたのか、その目は赤く充血している。詩織の姿を認めると、彼女は何か言いたげな表情を浮かべたが、言葉にはしなかった。「おじ様の様子は?」詩織が案じているのは、あくまで海雲のことだ。恋に溺れて自滅しかかっている柊也のことなど、知ったことではない。「部屋に閉じこもったきり、誰とも口を利こうとしないの」松本さんは悲痛な面持ちで訴えた。「詩織さん、お願いだから慰めてあげて。あんな調子じゃ、お体に障るわ」詩織は眉をひそめつつ、海雲の部屋へと足を向けた。その途中、書斎の前を通りかかると、荒れ果てた室内の惨状が目に入った。床には物が散乱し、その真ん中で柊也がしゃがみ込み、黙々と何かを拾い集めている。足音に気づいたのか、柊也がふと視線を上げた。その瞳は氷のように冷たく、何の感情も映していない。彼はこちらを半秒ほど見つめただけで、すぐに興味を失ったように視線を床に戻し、また片付け作業を続けた。詩織は足を止めることなく、そのまま書斎を通り過ぎて海雲の寝室へと向かった。ドアをノックし、中に声をかける。数秒の沈黙の後、扉が開いた。「こんな時間になんのようだ」
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第385話

柊也の視線は、ずっとバックミラーにぶら下がっているお守りに注がれていた。長い沈黙のあと、彼はようやく口を開いた。「それ、本当に効果あるのか」「なに?柏木さんにも一つ欲しいわけ?」柊也は黙り込み、それ以上何も答えなかった。病院の車寄せに車を停めると、詩織はエンジンをかけたまま、志帆に電話をかけるよう促した。本来なら、こういう時こそ婚約者である志帆が世話を焼くべきであり、部外者である詩織が出る幕ではない。ここまで送り届けただけでも、義理は十分に果たしたはずだ。助手席の柊也は、気怠げな瞳を伏せたまま、淡々と言い放った。「あいつに、余計な心配をかけたくない」その言葉に、詩織は一瞬、息を呑んだ。あまりにも聞き覚えのある台詞だったからだ。かつて、詩織自身も同じ言葉を口にしたことがあった。死の淵から生還し、意識を取り戻して最初にミキに頼んだ言葉がそれだった。「柊也には連絡しないで」と。彼を心配させたくなかったから。あの時、ミキはなんと言っていただろう。確か、「愛に突っ走る勇者」と呆れていたはずだ。今日、詩織はようやくその不名誉な称号を返上し、そっくりそのまま柊也に進呈することにした。「精々頑張ってちょうだい、愛に突っ走る勇者様」車を降りかけた柊也が足を止める。「付き添ってくれないのか」何を寝ぼけたことを、という冷ややかな一瞥だけくれて、詩織はアクセルを踏み込んだ。残された柊也は病院には入ろうとせず、じわりと血が滲む手の甲を眺め、声もなく笑った。残された柊也は病院には入ろうとせず、じわりと血が滲む手の甲を眺め、声もなく笑った。結局、彼は近くの花壇の縁に腰を下ろした。襲い来る倦怠感に抗うように眉間を揉みほぐすと、ポケットから煙草の箱を取り出し、一本くわえて火を点ける。元来、喫煙の習慣などなかったはずだ。だが近頃は、行き場のない感情を持て余すことが増え、こうして紫煙に頼ることでしか気を紛らわせなくなっていた。唇から吐き出された煙が、彼の本心を覆い隠すように揺蕩い、その表情を読み取ることは誰にもできない。「あんた、マジであいつを置き去りにしたの?」詩織が帰宅するや否や、ミキが待ちきれない様子で食いついてきた。詩織は事の一部始終を包み隠さず話した。柊也を病院の前に置き去りにしたというくだ
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第386話

「何ぼけっとしてるんだ?ほら、さっさと江崎社長の椅子を引いて、お茶をお注ぎしろ」京介が太一に命じる。珍しく太一は反論もせず、殊勝な態度で立ち上がると、詩織のために恭しく椅子を引いた。「どーもありがと」その席に遠慮なく座ったのは、詩織ではなくミキだった。冗談じゃない。あの衆厳の御曹司、宇田川太一様が直々に引いた椅子だ。座らない手はないだろう。他の椅子と座り心地がどう違うのか、確かめてやろうじゃないの。太一の顔が一瞬にして曇り、怒号が飛び出そうになる。だが彼は寸前でそれを飲み込んだ。ようやく京介を通じて詩織に会うチャンスを得たのだ。ここで詩織の親友であるミキの機嫌を損ねれば、それはすなわち詩織を敵に回すことと同義だ。彼は奥歯を噛み締め、屈辱に耐えながら、改めて詩織のために椅子を引き直した。「ありがとうございます」詩織は何食わぬ顔で堂々と腰を下ろす。太一は休む間もなく、急須で茶を淹れ、湯呑みに注いで回る。その一杯を詩織に差し出そうとした瞬間、横からミキの手が伸びてきた。太一はこめかみに青筋を浮かべながらも、ここは我慢だと自分に言い聞かせる。ミキは一口すすると、しみじみと頷いた。「うん、いいお茶ねぇ!」本当に茶の味を褒めているのか、それとも何か別の意味を含んだ皮肉なのか。たとえ自分への当てつけだとしても、今の太一には気づかないフリをする以外の選択肢はない。彼は黙々と次の茶を注ぎ、今度こそ詩織の前に置いた。詩織はすぐには茶に口をつけず、そのままテーブルに置いたままにした。その沈黙を合図にするかのように、京介が太一に目配せをする。太一は意を決したように、衆厳メディカルが華栄キャピタルとの提携を希望していることを切り出した。しかし、詩織はそれを聞いても何の反応も示さない。焦りを募らせた太一は、すがるような視線を何度も京介へ送る。京介が助け舟を出した。「衆厳の内情については、君も耳にしているだろう。ここ数年、事業拡大に行き詰まっていてね。決して楽観できる状況ではないんだ」「そこまでおっしゃるなら、太一さんに単刀直入にお伺いしますけれど」詩織はゆったりとした口調で太一に問いかけた。「そのような状況にある衆厳と、華栄が手を組むメリットがどこにあるとお考えですか?」太一の顔色が変わる。まさか詩織がこれ
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第387話

太一が淹れた茶には、ついに一度も口をつけなかった。「あいつの性格は知っての通りさ。現実を受け入れるには、少し時間が必要なんだろう」京介は自ら新しい茶を淹れ直し、詩織の前に差し出しながら、不憫な従弟をフォローした。詩織は気にした風もなく、淡々と事実を指摘する。「衆厳の経営体質には致命的な欠陥があります。たとえ資金を注入したところで、今のままでは再生など不可能です」京介とて、その問題点は痛いほど理解していた。だが彼自身も自分の職務に追われており、実家の分家にあたる衆厳の再建にまで手を貸す余裕はないのが実情だった。その夜、太一は入院中の父・厳を見舞い、今日詩織と会った際の話をした。ベッドに横たわり、生気なくやつれていた厳だったが、話を聞くや否やガバリと起き上がった。「なんだと?江崎さんが衆厳への出資に同意したというのか!」「ああ。でも、とんでもない悪条件だ。株だけじゃなく、経営権まで寄越せと言ってきた」「ならくれてやればいいだろう!何を迷う必要がある!」厳は興奮のあまりベッドの縁をバンバンと叩き、その拍子に激しく咳き込んだ。太一が慌てて水を飲ませ背中をさすると、ようやく発作は治まった。落ち着きを取り戻した厳は、太一の手をガシッと掴んだ。「行くぞ」「どこへだよ、こんな夜更けに」「決まっているだろう、江崎さんのところだ!彼女の気が変わらないうちに、今すぐ会いに行く!私も連れていけ!」太一は窓の外の暗闇に視線をやった。「もう遅いよ。向こうだって寝てるかもしれないだろ」「なら明日だ!明日の朝一番で会いに行くぞ!お前、彼女の住所は知っているのか?」太一は首を横に振る。「知るわけないだろ」「ならさっさと調べてこい!」矢継ぎ早に急かされ、太一は仕方なく詩織の住所を調べる羽目になった。頭の中で人脈を検索し、詩織の自宅を知っていそうな人物を洗い出す。――思い当たるのは、柊也ただ一人だった。電話をかけて間もなく、柊也が出た。「二人でいるところ、邪魔しちまったか?」太一は声を潜めて気遣った。「いや。どうした、何かあったか」「あのさ……今、話しても大丈夫か?」詩織絡みの話題だ。もし志帆がそばにいて聞かれでもしたら機嫌を損ねかねない。二人の関係に波風を立てないよう、太一なりに気を遣ったのだ。「問題ない」
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第388話

華栄キャピタルが衆厳メディカルを傘下に収める――その一報を志帆が耳にしたのは、ちょうど婚約パーティーの真っ最中のことだった。いつもならお調子者の太一が、今日は一転して借りてきた猫のように大人しく、会場の隅で黙々と酒をあおっている。志帆には、なぜ厳がそこまで詩織を信用するのか理解できなかった。しかも太一の様子を見る限り、彼もまたその決定をすでに受け入れているようだ。「あんた、江崎さんのこと嫌いじゃなかった?彼女が経営に入り込んできたら、これから顔を合わせる機会も増えるのよ。嫌じゃないの?それに話を聞く限り、重要な決定権は全部彼女に握られて、あんたは実権のないお飾り同然じゃない」志帆は眉を寄せ、太一の身を案じるように言った。太一は何か言いかけて、口をつぐんだ。実のところ、自分の立場など些末なことだ。彼の胸の内には、もっと重大な秘密が渦巻いている。だが、それを口にする勇気はなく、ただ沈黙を守るしかなかった。彼は宴の最中、何度も柊也の方を盗み見た。何か秘密の手がかりが掴めないかと探るように。残念ながら、柊也からは何も読み取れなかった。それどころか、柊也は極めて公平な口調でこう評したのだ。「江崎には実力がある。厳おじさんはそれを見込んで衆厳を託したんだ。これからは彼女に従っておけ。お前にとっても悪い話じゃないはずだ」その称賛の言葉に、志帆の胸中で不快な澱が沈んだ。彼女は反射的に柊也を見つめる。他の女、それもよりによって江崎詩織を褒めるなんて。柊也はフルーツの盛り合わせから蜜柑を手に取り、無造作に皮を剥いている。その表情はリラックスしており、何の変化も見られない。まるで本当に何の含みもなく、ただの部外者として客観的な事実を述べただけのように見えた。彼は綺麗に剥いた蜜柑を志帆に差し出した。「ほら、甘くて美味いぞ。食べてみろ」その自然な振る舞いに、志帆の不安はすっと消え失せた。ジューシーな果肉を口に含むと、蜜のような甘さが心まで満たしていく。そう、彼を疑うなんてお門違いだ。4兆円規模の上場企業を無償で自分に譲渡できる男だ。自分のために、株主たちからのあらゆる圧力を一人で受け止めてくれる男だ。父親の海雲と衝突してまで、自分との婚約を貫こうとする男だ。そのすべてが、彼の中で自分がどれほど重い
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第389話

十中八九、詩織に洗脳されているに違いない。だからこうして自分と距離を置こうとしているのだ。江崎詩織という女は、自分の周りの人間を奪うことに執着しているようだ。あることないこと吹き込んで自分を悪者に仕立て上げ、友人たちを引き剥がそうとする。柊也だけはどうしても奪えないから、腹いせに周りの人間を奪いにかかっているのだろうか?その執念深さには、呆れるのを通り越して感心すらしてしまう。「来ないなら来ないでいいわよ、私たちだけで楽しめばいいんだから」志帆は努めて平気なフリをして見せた。その時、悠人からメッセージが届いた。たった今江ノ本に到着したんだが、もし時間があるならメシでもどうだ、と。志帆は即座に位置情報を送信し、返信を打った。【すごいタイミングね。今ちょうど婚約パーティーの最中なの。人が少なくて寂しいから、悠人くんも盛り上げに来てよ】「来てほしい」と頼まれ、悠人は反射的に駆けつけそうになった。だが、そんなパーティーには間違いなく柊也がいるはずだ。その光景を見せつけられるのは、あまりに残酷すぎる。考えた末に、彼は丁重に断りを入れた。ついでに楽しんでくれと、心にもない祝いの言葉を添えて。志帆からはそっけないスタンプが一つ返ってきただけで、会話は終わってしまった。悠人の胸に、やりきれない虚しさが広がる。今回江ノ本に来たのは、仕事のためではない。ただ彼女に会いたかったからだ。もうすぐ手の届かない場所へ行ってしまう彼女を、一目だけでも見ておきたかった。そんな未練がましい行動に意味などないと分かっていても、彼はここに来ずにはいられなかったのだ。しばらくして、悠人は賢に電話をかけた。「賢さん、今いいですか?一杯どうです」賢は快諾した。ほどなくして悠人から店の詳細が送られてくる。そのクラブの名前を目にした瞬間、賢の脳裏にあのある夜の記憶がフラッシュバックした。彼は無意識にネクタイに手をかけ、沸き立つ熱を持て余すように少し緩める。「……なんでまた、この店を選んだんだ?」「たまたま目についたんで。なんかマズかったですか?」「いや、なんでもない。すぐに行く」もちろん「たまたま」などではない。悠人は意図的にこの高級クラブを選んだのだ。なぜなら、志帆がこの店でパーティーを開いているから。会場に入っ
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第390話

その答えに、悠人は心底面食らった。篠宮賢といえば、理性の塊のような男だ。だからこそ、篠宮家は彼に官僚の道を歩ませたのではなかったか。そんな男に「一目惚れ」などという情緒的な現象が起こるなんて、悠人の常識では考えられないことだった。それに篠宮家は、将来の嫁候補に対するハードルが異常に高い。賢自身の理想も相当なものだ。悠人は思わず尋ねた。「賢さんを一目惚れさせるなんて、よっぽど優秀な女性なんでしょうね」「ああ、そうだ」賢は迷いなく断言した。「彼女は、とても優秀だよ」悠人の好奇心はいよいよ爆発寸前だ。「だから誰なんですか、教えてくださいよ」しかし賢は、「まだ時期じゃない」と頑として口を割らなかった。正直なところ、自分が詩織を射止められるかどうかは未知数だ。そんな段階で一方的な好意を公言すれば、彼女に不要な迷惑をかけてしまうかもしれない。だから今は、胸の内に秘めておくことを選んだ。もし、いつか本当に彼女の心を掴むことができたなら――その時は全世界に向けて、彼女こそが自分のパートナーだと高らかに宣言するつもりだ。悠人はいくら粘っても賢の口を割らせられず、詮索を諦めた。手持ち無沙汰になった彼は、手元のグラスを写真に撮り、【君への祝杯だ】とメッセージを添えて志帆に送信した。しばらくして、志帆から返信が届いた。【もしかして、クラブ「シュプレーム」にいるの?】悠人はぎくりとした。なぜ分かったのだろう。志帆は、写真の隅に写り込んでいた店のロゴを丸で囲って送り返してきた。なるほど、これでは言い逃れできない。迂闊だったと悠人は舌を打つ。【せっかく近くにいるなら、顔を出してくれない?】志帆からの誘いだった。悠人は【ツレがいるから、ちょっと無理かな】とやんわり断った。すると彼女は、【じゃあ部屋番号を教えて。私の方から挨拶に行くわ】と返してきた。その提案に、悠人は一瞬の躊躇もなく部屋番号を送信した。志帆はすぐにやってきた。入室するなり浮かべた完璧な営業用スマイルが、ソファに座る賢の姿を認めた途端、一瞬だけ止まった。だが彼女はすかさず余裕の笑みを取り戻し、自分から賢に声をかけた。「あら、篠宮室長。お久しぶりです」悠人は目を丸くした。「なんだ、知り合いだったんすか?」「ええ、何度かお会いしたことがあるわ」志帆は優
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