【1993年~2000年】養父母の影は、私の人生の始まりからずっと付きまとっている。6歳より前のことは何も覚えていない。物心ついたのがいつだったかさえ、ぼんやりしている。目が覚めたら、6歳の道仲遥花としてそこにいた、という感覚だ。白い壁の部屋、知らない大人たちの声。そして偽りの家族。すでに言葉も話せるし、自分が「遥花」という名前なのも理解している。ただ「道仲」という苗字がどうも馴染めなかった。他所の家から間違えてそこに連れてこられたような感覚は、その頃からあった。家族との記憶の最初は、養母の膝の上に座らされ、冷たい紅茶を飲まされる場面。砂糖も入れてもらえず、苦みだけが口に広がって、思わず吐いてしまった。「ちょっと、なんてこと! カーペットが汚れたじゃない!」養母はそんな私の頬を反射的に叩いた。躾ではなく、単純な怒りで叩いたという感じだった。重厚な本棚が並ぶ養父の書斎はビジネス系の書籍で埋め尽くされ、革の椅子には煙草の匂いが染みついている。当時ルミナスコーポレーションは、まだ小さな会社だった。養父は夜遅くまで机に向かい、数字を睨み、電話で怒鳴っていた。「この契約が取れれば、俺たちは大物だ。ステアリンググループとの提携だって夢じゃない」そんな養父が私を見る目は、いつも計算高かった。「遥花、お前は親戚から預けられた仮の存在だ。本当のお父さんとお母さんは、事故で死んだ。もう会えない。だから、俺たちを大事にしろよ」6歳の私にそんな残酷な言葉を突きつけるなんて。夜はいつも、布団の中で泣きじゃくった。両親が死んだのは何の事故? 顔も、声も、何ひとつ思い出せない。ただ、胸にぽっかり空いた穴が痛かった。養母は慰めもせず、ため息を吐いてはいつもこう言い聞かせた。「泣くんじゃないよ。女の子は強くないと。ルミナスの娘として、恥をかかせてもらっちゃ困るの」“娘”? そんなときばかり“娘”なんて言葉を使う。大人は卑怯だ。いつもは“仮の存在”だ、“駒”だと言うくせに。会社が成長途中の頃、養父はよく豪語した。「遥花、やがてお前は大企業の経営者の元へ、妻として嫁ぐことになる。お前は会社と会社をつなぐ大事な駒だ。そのために、あらゆるマナーや作法を叩きこむ。それらを身に付けて、“上流階級の娘”として恥じない振る舞いをしろ」毎日のレッスンは地獄だった。朝からドレスを着せら
Last Updated : 2025-10-05 Read more