だが――水紀の公演は、順調に終わることなどあり得ない。いや。そもそも、始まることすらないのだ。背後からふいに抱きしめられ、馴染みのある香りがふわりと広がる。奈穂の瞳にあった冷たい光は一瞬で消え、代わりに柔らかな色が宿った。彼女は振り向き、そのまま彼を抱き返す。シャワーを浴びたばかりの彼の体からは、いつものボディソープの香りがした。「何見てる?」正修が彼女を抱き寄せながら尋ねる。「水紀のこと」その名前を聞いた瞬間、正修の眉がぎゅっと寄る。目の奥には、はっきりとした不機嫌さが浮かんでいた。奈穂の意思を尊重していなければ、あの女をここまで好きにさせておくつもりはなかった。奈穂はくすっと笑い、指先で彼の眉間をなぞってほぐす。「もういいでしょ」柔らかく言う。「こんなに待ったんだもの。やっと仕返しできるのよ。喜んでくれてもいいんじゃない?」正修は彼女を強く抱きしめ、小さく息を吐いた。――喜べるはずがない。奈穂は本来、そんな苦しみを味わう必要などなかったのだから。「そういえば、月城ルナと佐藤隆治の件……あなたが調べさせたの?」「そうだ」自分の婚約者を守るのに、政野の手など借りる必要はない。しかもあいつのやり方は甘い。やるなら――致命的に。二度と立ち上がれないように、徹底的に叩き潰すべきだ。奈穂はくすりと笑う。「ほんとにもう……」「事実を暴いただけだ」正修は淡々と言った。「悪いのはあいつらだ」「分かってる」彼女は彼を見つめた。「ただね……そういうところ、ちょっと可愛いなって思って」正修の目がすっと細くなる。次の瞬間、腕に力がこもり、彼女の体をさらに引き寄せる。「『可愛い』って言うな」全身に鳥肌が立つような感覚だった。「どうして?」奈穂は首を傾げる。「好きだから可愛いって思うのに。好きになっちゃダメってこと?」「好きになるのは絶対だ」彼は有無を言わせない口調で言う。「でも『可愛い』は禁止だ」その真剣さに、奈穂は思わず笑ってしまう。「それは無理かな。好きになったら可愛く見えるものだし……それに――」彼女は彼の腕から少し抜け出し、スマホを取り出す。アルバムを開き、昔の正修の写真を表示した。「ほら、これ見て。子どもの頃のあなた、すっごく可愛い。見るたびに、
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