七緒は長いこと灼也に仕えているが、あくまで彼の「プライベートシェフ」という肩書きで、その素性は謎に包まれている。当然、臣たちは彼の顔を知らなかった。見知らぬ男が、さも親しげに水琴と鹿耶に声をかけ、自分たちを完全に無視した挙句、こう言い放つのをただ見ているしかない。「夜風で冷えるっスよ。よろしければ、オレがお二人をお送りするっス!」その申し出に、鹿耶はぱあっと顔を輝かせた。敵の敵は味方、とはよく言ったものだ。臣と紗夜、あの気に食わない二人の鼻を明かせるなら何でもいい。彼女はたちまち目を輝かせ、甘えた声を出した。「ほんと?じゃあ、七緒さんにお願いしちゃおうかな」その様子に、水琴は思わず苦笑する。だが、彼女には分かっていた。これほど気が回る男ではない七緒を寄越したのは、おそらく灼也本人だろう。水琴は鹿耶に続いて車に乗り込みながら、夜の闇に沈むロッジを見上げた。先ほどの、あの男からの依頼が脳裏に蘇り、彼女の眼差しがふと遠くを見つめるものになる。「静沢さん。蓮見教授から伺っている。君は心理学の分野で、類稀なる才能をお持ちだと。ある患者を診てほしい。君の力を貸してもらえないだろうか」あの時、水琴はその申し出を、即座に断った。もしあの日、臣と結婚していなければ、自分は本当に優秀な心理カウンセラーになっていたのかもしれない。だが、今さら自分が患者を治療する側に回ることには、拭い難い躊躇いがあった。「申し訳ありません。そのお役には立てそうもありませんわ。他を当たってくださいますように」夕日がロッジの窓から差し込み、男の姿を柔らかな光の輪郭で縁取っていた。その光の中で、灼也はより一層、物腰穏やかに、そして余裕に満ちて見えた。彼は口元にゆったりとした笑みを浮かべている。水琴の拒絶に、少しも気を悪くした様子はない。「静沢さん」彼が言うのが聞こえた。「ゆっくり考えるといい」水琴が七緒の車で去った後、臣の表情はさらに険しく、硬質なものへと変わっていた。すぐ目の前で起きた出来事がもたらした巨大な落差に、彼はどう対処していいのか分からずにいる。黒いオーラをまとったまま車に乗り込むと、車内の空気はずしりと重くなった。やがて、隣から紗夜がそっと寄り添ってくる。彼女から漂う柔らかな芳香が、臣の強張った心をわずかに解きほぐした。「臣さん、明日、父と母が私たち
Read more