紗夜は、臣の表情がみるみるうちに険しくなっていくのを悟り、心の中で警鐘を鳴らす。だが、顔には安堵したような笑みを浮かべてみせた。「静沢さんが高遠さんと知り合いだったなんて、驚いたわ。離婚して一人になったらどうするんだろうって心配してたけど……高遠さんがついていてくださるなら、これからの南鳥市での生活も安心ね」その言葉に、臣は目の前にいる優しく善良な紗夜へと視線を戻し、纏っていた冷気を少しずつ和らげていく。そうだ、俺の紗夜はいつもこうして、誰に対しても心優しく、寛大だった。この先、共に人生を歩むにふさわしいのは、彼女しかいない。先ほどの苛立ちは、ほんの一時的なものだ。今まで自分にだけ従順だった水琴が、他の男と親しげにしているのを見て、慣れない光景に戸惑ったにすぎない。あれは、かつて自分のものだった女に対する、男としての独占欲がむずがゆく疼いただけだ。臣は紗夜の額にそっと唇を落とし、その手を強く握った。「心配するな。この先、俺の隣にいるのはずっと君だ」……一方、水琴たちは個室に通され、席に着いたばかりだった。そこへ、黒いコックコートに身を包み、胸元に数々の勲章を飾り、金色のトック・ブランシュを小脇に抱えた男が入ってくる。「おっ、灼也様!いらしてたッスか!最近、新しい料理を山ほど開発したんスよ!今日は絶対にオレに……」そこまで一気に言って、不意に言葉が途切れる。そして、驚きに満ちた喜色の声を上げた。「あれ!?静沢さんもいるじゃないッスか!」トレジャーホテルの格式と、料理人たちの厳格な階級については、水琴も聞き及んでいた。ここで働く最低ランクの料理人でさえ、国際的な五つ星の資格を持つ実力者。それでも、この場所では一歩ずつ地道に実績を積み上げていくしかないのだという。そして、この黒いコックコートと金色の帽子は、トレジャーホテルにおける最高位の料理人の証。誰もが簡単に会える存在ではない。彼が作る一皿は最低でも六桁の値がつくというのに、それでもなお、予約は常に数か月先まで埋まっているほどの人気ぶりだ。水琴は、まさかここで坂本七緒に会うとは思いもよらなかった。いや、よく考えれば当然か。凡庸な料理人が、高遠灼也の傍にいる資格などないのだろう。水琴は小さく頷き、挨拶を返した。「七緒さん、またお会いしましたわね」
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