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All Chapters of 血と束縛と: Chapter 471 - Chapter 480

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第13話(5)

 携帯電話は持っていくが、念のため、外出することを長嶺組に報告しておく。組員からは、すぐに護衛の人間を向かわせると言われたが、中嶋が同行することを告げると、渋々引き下がってくれた。 総和会の中で出世した中嶋への信頼感の表れか、何かしらの思惑があるのか――と考えるのは、穿ちすぎかもしれない。 身支度を整えた和彦がエントランスに降りたとき、約束した時間には五分ほど早かったが、マンション前まで出ると、すでにタクシーが一台停まっていた。中から中嶋が手を振っている。「――それで、どこまで行くんだ」 タクシーが走り始めてから、首に巻いたマフラーの端を弄びながら和彦は尋ねる。「知り合いの店です」 漠然と察するものがあり、和彦はじろりと中嶋を見る。一方の中嶋は、ニヤリと笑ってこう言った。「先生、そんな顔したら、せっかくの色男ぶりが台無しですよ」「……なるほど。飲みに行くのは二人だが、他にもう一人、すでに店で待っているんだな」「そういうことです」「いろいろと言いたいことはあるが、まあ、いい。誰がいるかわからない場所に連れて行かれるより、よほど安心かもしれない」 多分、と和彦は心の中でひっそりと付け足す。中嶋は、和彦が怒り出さなかったことに安堵したのか、ほっと息を吐き出してシートにもたれかかった。「正直、どんな顔をして、〈あの人〉と顔を合わせればいいのかわからないんですよ。前のように、気楽につき合いたい気もするが、そうじゃないような気もする――」「それで、ぼくを利用しようと思ったんだな」「そう言わないでください。先生と楽しく飲みたい気持ちもあるんですよ」 本音かどうか怪しいものだが、美味いアルコールを飲ませてくれることだけは、確かなようだった。** グラスに口をつけながら和彦は、横目で隣を見る。中嶋は、普通の青年のような顔をして笑っていた。 正体がわかっていながら、こうして見る姿は、とうていヤクザには見えない。ノーネクタイのため、スーツ姿とはいっても寛いで見えるが、それでも雰囲気は若いビジネスマンのものだ。
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第13話(6)

「客もホストもいないホストクラブで、男三人で飲むというのも、新鮮でしょう?」「イイ男二人に囲まれて、贅沢な気分だ」 わざと素っ気ない口調で応じると、隣で中嶋が派手に噴き出す。急に和彦は心配になり、中嶋のあごを掴み寄せて顔を覗き込む。「もしかして、もう酔っ払ったのか」 和彦の突然の行動に驚いたように中嶋は目を丸くしたあと、やけに嬉しげに笑った。「まだ、大丈夫ですよ。先生の冷めた口調と冗談の加減が、妙にツボで……」「ぼくの冗談で笑うようなら、本当に酔ってるんじゃないか」 中嶋がさらに笑い声を洩らし、和彦は、大丈夫かと秦に視線を向ける。優雅に足を組み替えた秦は、中嶋を指さした。「リラックスしてるときは、こんな感じですよ、こいつは。ホスト時代は、どれだけ客から飲まされようが、顔色一つ変えなかった。だけど、仲間内で飲むと、まっさきに酔っ払って、つまらないことで笑い転げる」「……つまらないこと……、つまり、ぼくの冗談はつまらないということだな」 ぽつりと和彦が洩らすと、失礼なことに、中嶋と秦が同時に噴き出した。「先輩・後輩揃って、失礼な連中だな……」 怒ったふりをして席を立った和彦は、カウンターへと向かう。「先生?」「カウンターの中に、いいウィスキーを隠してあるだろ。さっき見えたんだ」 なんでも自由に飲んでくれと最初に言われたため、遠慮する気はなかった。秦という男は信頼していない和彦だが、秦の店の品揃えについては信頼しているのだ。 素早く立ち上がった秦が、カウンターに入る。「封を開けるので、ちょっと待ってください。ついでに、新しい氷も出しますね」 そこに、中嶋からカクテルの注文が入り、苦笑しながら秦が準備を始める。和彦は、カウンターにもたれかかりながら、改めて店内を見回していた。 このホストクラブを訪れるのは初めてではない。実は前に一度、来ていた。 そのときのことを思い出し、和彦の頬は熱くなってくる。もちろん、酔いのせいではな
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第13話(7)

 和彦は、この店で秦に安定剤を飲まされ、体をまさぐられたのだ。挙げ句、内奥にはローターを含まされた。長嶺組組長である賢吾と関わりを持ちたかった秦が、賢吾のオンナである和彦に目をつけたうえでの策略だ。 賭けに近い危険極まりない策略だが、秦は生殺与奪の権を賢吾に握られながらも、こうして艶やかな存在感を放ち、元気にしている。そのうえ、賢吾の許可を得て、和彦の〈遊び相手〉という立場に収まっている。 よくこの店に招待できたものだと、見た目に反した秦の神経の図太さに、和彦は感心すらしてしまう。「……中嶋くんに肩入れしたくなる……」 聞こえよがしに和彦が呟くと、慣れた手つきで氷を砕きながら、秦が囁くような声で言った。「わたしなりに、必死に考えたんですよ。中嶋の出世を祝いたい気持ちもあるし、中嶋の思い詰めた顔も見たくないという気持ちもあって」「だからといって、ぼくを巻き込むな。この間、確かそう言ったはずだ」 グラスに氷を入れた秦が、嫌味なほど清々しい微笑みを浮かべた。「それは、無理ですね。わたしも中嶋も、先生が好きですから」 グラスとウィスキーのボトルをカウンターに置かれ、和彦はそれらを持って席に戻る。すると中嶋が、肩に腕を回してきた。「――二人して、内緒話ですか」 いかにも酔っ払いらしい気の抜けた笑みを向けてくる中嶋だが、芝居の可能性が高い。 切れ者のヤクザで、恩人ですら利用できると断言するしたたかさを持つ反面、その恩人が絡むときだけ、妙に〈女〉を感じさせ、健気さすら見せるこの青年を、和彦なりに傷つけたくないと思っている。 周囲にいる男たちからは甘いと笑われるだろうが、中嶋に対して友情めいた感情を抱きつつあるのだ。「出世祝いに、君に何か贈ったほうがいいだろうかと、相談してみたんだ」 和彦のウソに、中嶋は一瞬真顔となってから、次の瞬間には困ったように眉をひそめた。やはり、酔ったふりをしていたのだ。和彦のウソなど、簡単に見抜かれた。「……先生は、甘いですね。男に対して」「この世界で生きていく武器
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第13話(8)

 グラスをゆっくり揺らしてから、ウィスキーを一口飲む。美味しい、と思わず洩らしていた。中嶋の元には、琥珀色が美しいマンハッタンが置かれ、しっかりとチェリーも添えられている。 秦は、中嶋の満足そうな顔を見て小さく微笑むと、自分の分のカクテルを作るため、カウンターに戻る。 もてなされる側の和彦と中嶋は、ゆったりと美味しいアルコールを楽しんでいるが、もてなす側に回っている秦は、テーブルとカウンターを行き来して、なかなか慌ただしい。 もっとも、秦本人は楽しそうにしているので、かつての仕事柄というより、人にサービスすることが好きな性質なのかもしれない。 しかし、いくらこんなことを推測しても、秦の本性に触れた気がしない。相変わらず謎の男のままだ。 機嫌よく飲んでいるうちに、次第に和彦も緊張を解く。いい思い出があるとは言いがたい店であることや、一緒に飲んでいる面子にクセがあるということを差し引いて、それでも気分はよかった。 護衛を待たせているという心苦しさを感じなくていいのが、その気分に拍車をかけている。 カウンターに入ってオレンジを絞っている秦を、ソファの背もたれに腕を預けて和彦は眺める。「――ああいう姿を見ていると、秦静馬というのは何者なんだろうかと思えてきません?」 和彦と同じような姿勢となって、中嶋が話しかけてくる。「何者なのかはともかく、抜け目がないな。物騒なことに巻き込まれたと思ったら、いつの間にか、長嶺組を後ろ盾にしたんだ」 若い頃、警察に目をつけられるようなこともしているらしい秦だが、結局、補導歴も逮捕歴もないのだ。やはり、抜け目がない。「あまり、何者なのか考えないほうがいいのかもしれない。ぼくは今みたいな生活を送っていて、自分の好奇心に折り合いをつけている。知りたいこと、知りたくないこと、知ったところで、つらくなるだけのこと――」「俺も、わかってはいるんですけどね。ただ、秦さんと知り合って十年以上になるのに、ほとんど何も知らないっていうのは、けっこうキツイ」 中嶋は、苦々しげに唇を歪めていた。そんな表情を目にして、和彦のほうが胸苦しくなる。
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第13話(9)

 思わず立ち上がると、中嶋が驚いたように見上げてきた。「先生?」「ちょっと酔ったみたいだから、顔を洗いに行ってくる」 そう告げて、パウダールームに向かう。 店内以上に、和彦にとってこのパウダールームは、恥辱の記憶に満ちていた。ここの洗面台に押さえつけられ、秦に――。 これ以上思い出すと、秦だけでなく、中嶋の顔までまともに見られなくなりそうだった。和彦は唇を噛むと、鏡に映る自分の顔から視線を逸らす。 水で濡らした手を頬に当て、熱を冷ます。秦が作ってくれたミモザを飲んだら、あとはソフトドリンクをもらって今夜の締めにしようと思った。深酔いして、明日に響くのは避けたい。 パウダールームを出た和彦が店内に戻ったとき、思いがけない光景が繰り広げられていた。「なっ――……」 秦と中嶋がキスしていた。正確には、カウンター内にいる秦のシャツの襟元を掴み寄せ、身を乗り出すようにして中嶋が強引にキスしているのだ。 キスしているほうの中嶋はこちらに背を向けているため、どんな顔をしているかは見えない。ただ、必死さは伝わってくる。一方の秦は、落ち着いていた。和彦と目が合うと、まるで子供の駄々を許す大人のような、ひどく優しい眼差しをしているとわかった。 どういう状況なのだと、和彦は軽く混乱する。混乱しながらも、自分はここにいてはいけないと――中嶋の邪魔をしてはいけないと思い、慌てて自分が座っていた席へと戻る。 あたふたしながらダッフルコートとマフラーを取り上げたところで、やっと中嶋が振り返った。 店内には、なんとも気まずい沈黙が流れる。そんな中で、秦だけは艶やかな笑みを浮かべていた。 優しいのか冷たいのかよくわからない笑みだなと思った途端、和彦はむしょうに秦に対して腹が立った。**「――恥ずかしいところをお見せしました」 コンクリートの冷たい階段に腰掛けると、中嶋は自嘲気味に言った。缶入りの熱いお茶を啜りながら和彦は、つい眉をひそめる。「ぼくに対して、謝らなくていい。……酔っていたんだから仕方ない、
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第13話(10)

「そんなことだろうと思った」「迷惑かけついでに、すみませんが、俺を慰めてくれませんか」 本気で言っているのだろうかと、和彦は隣に座った中嶋の顔をまじまじと見つめる。中嶋は、ヤクザらしくふてぶてしい笑みを浮かべていた。もしかしてからかわれているのだろうかと思ったぐらいだが、気弱な表情を見せられるよりはいいかもしれない。 和彦はもう一口お茶を飲んでから、ふっと息を吐き出す。「――彼なりに、君を気づかっているんじゃないか。自分は集団で襲われて、そのトラブル処理のために、長嶺組に後ろ盾になってもらった。多分、長嶺組長に何か弱みを握られたんだろ。一方で、君は総和会の中で確かな地位を築き始めた。……自分の事情に巻き込んで、元後輩の足を引っ張りたくないのかもしれない、と甘いぼくは考えてしまう」「本当に先生は甘いですよ。ヤクザの世界なんて、そう甘くもないし、綺麗事は大抵通じない」「ぼくだって、無理してこの理屈を捻り出してやったんだ。黙って頷いておいてくれ」 ヤクザの体面を取り繕ってやるのも大変だと、和彦はお茶を飲みながら思う。 本当は中嶋も、和彦が今言ったようなことを薄々感じているはずだ。それを素直に認められないのは中嶋が、甘くなく、綺麗事も通じないと言い張るヤクザだからだ。秦は秦で、正体の掴めない男であるが故に、容易に本心など晒したりはしないだろう。「……秦さんは、一体何者なんですか」「さあな。長嶺組長は知っているようだが、ぼくは知りたいとは思わないし、聞いたところで話さないだろうな。一応、ヤクザの世界に限りなく近い場所にはいても、彼は普通の実業家だ。胡散臭くても」 和彦の表現に、中嶋は苦しげに笑い声を洩らす。その姿を横目で見ながら和彦は、こう思わずにはいられなかった。 やはり中嶋は、秦に関することだけは、〈女〉を感じさせる。猜疑心が強くて、粘着質で、嫉妬深くて――健気だ。「罪な男だな。秦静馬って男は」 和彦の言葉に、ニヤリと笑って中嶋が乗った。「秦さん以上に罪な男の先生が、何言ってるんですか」「そういうことを言うと、今後君を慰め
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第13話(11)

****「――俺との約束を忘れたのかと思ったぞ」 春巻を一口食べて、味に納得したように頷いてから、唐突に澤村が切り出す。和彦は苦笑を洩らしながら、酢豚を堪能する。値段が手頃なランチメニューなのだが、値段以上の価値がある味だ。 先日、中嶋に連れてきてもらってディナーを食べた中華料理店に、ぜひもう一度訪れたいと思っていたところだったので、澤村とランチを一緒に、という約束を果たすには、うってつけの店だろう。 店はホテル内にあるため、常にさまざまな人が行き交っている。そのため、護衛をホテルの駐車場に待機させておいても目立たない。和彦の予定としては、食事後、澤村と別れてからは、ホテル内で買い物をするつもりだった。「仕事で忙しかったんだ。それに、友人の相談に乗ったりしていた」「ほお、友人……。新しい職場でできたのか」「……まあな」 テーブルを挟んで、和彦と澤村の間に微妙な空気が流れる。情報を隠そうとする者と、なんとか探ろうとする者との、軽いジャブの応酬といったところだろう。 和彦のガードが堅いと悟ったのか、澤村は肩を竦めて春巻の残りを食べる。「いいさ。相変わらず元気そうだし、何より、いい物を着ている。少なくとも、荒んだ生活を送っているようには見えない」「荒んだ、か。澤村先生がどんなことを想像していたのか、聞くのが怖いな」「俺にこんな心配をさせたくなかったら、来月もランチにつき合えよ」「そうだな。年明けから、ぼくも忙しくなりそうだから、友人とゆっくりバカ話できるうちに、楽しんでおこう」「知的な会話と言えよ」 かつてのように澤村と、他愛ない会話を交わしながら、笑い合う。 澤村と会うまでは、今の生活を気取られるのではないかと身構え、緊張もするのだが、こうして会って話してしまえば、ほっとするし、楽しい。自分は何を心配していたのかとすら思えてくる。 だが、かつては毎日味わっていた気楽な時間も、そろそろ終わりに近づいてきた。 食器が下げられ、代わって、デザートの杏仁
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第13話(12)

「どうかしたのか、佐伯」 澤村に声をかけられ、和彦は正面に向き直る。「いや……、なんか、変な気配を感じたというか……」「気配?」「気のせいかな。誰かに見られていたような感じがしたんだ」 そう答えながら、もう一度周囲に視線を向ける。「お前、疲れてるんじゃないか。意外に神経質なところがあるからな。それで神経が過敏になってるってことはないか?」「……ああ、そうかもしれない」 表の世界から、裏の世界へと引きずり込まれたときから、和彦は庇護される存在となった。守られることが、当たり前の生活となったのだ。その生活に慣れてしまうと、組の人間から離れて行動することに多少の不安感を覚える。 友人と楽しい時間を過ごしていながら、その不安感は消えなかったらしい。「あまり気にするなよ。少なくともお前以外は気づいてないみたいだし」「そう、だな……」 そう答えはしたものの、実は釈然としなかった。もしかすると和彦が気づかない間にも、〈誰か〉の視線は、自分にまとわりついていたのかもしれないのだ。そう思うと、少し不気味だった。 和彦の一言が水を差した形となり、なんだかぎこちない空気となる。デザートを黙々と食べるだけで、会話が弾まない。 結局そんな空気を引きずったまま、約束通り今回は、和彦が二人分の支払いを済ませて店を出る。すると、和彦ではなく澤村が、ほっとしたように大きく息を吐き出した。目が合うと、店内でのことなど忘れたように笑いかけてきた。「来月は、俺が知っている美味い店に連れて行ってやる。ただし、クリスマス時期は外すからな。俺とクリスマスを過ごしたがる女の子たちを、寂しがらせるわけにはいかない」 甘い笑みが似合う整った顔立ちで、女の扱いも上手く、サービス精神も旺盛な澤村が言うと、冗談には聞こえない。もしかすると本当に、澤村のクリスマスのスケジュールは時間単位で埋まるかもしれない。「……はいはい。澤村先生が大変おモテになることは、存じております」
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第13話(13)

 もともとイベント事に疎く、興味もないため、誰かと集まって騒ぐこともなかったのだが、今年は特別だ。特殊な環境で日々を過ごし、普通の人間であればありえないような出来事を体験してきた。世間と切り離されたような世界にいても、人並みに何かのイベントに立ち合えるかもしれない。 ここでふと、ヤクザにもクリスマスなど関係あるのだろうかと考えた途端、和彦は顔を伏せて笑ってしまう。あまりに似合わなくて、おかしかったのだ。「どうした、佐伯?」「今年はいろいろあったから、クリスマスぐらい能天気に楽しめるかなと思ったんだ」「いい傾向じゃないか。お友達と集まって、クリスマスパーティーでもしたらどうだ」 明らかにからかわれているとわかり、笑いながら和彦は、澤村の脇腹を肘で小突く。 エレベーターで一階に降り、当然のように澤村はロビーに向かおうとしたが、和彦は立ち止まって声をかける。「澤村、ぼくはここで」 振り返った澤村が、不思議そうに首を傾げる。「車で来たんじゃないのか? 駐車場はこっちからのほうが近いだろ。タクシーに乗るにしても――」「ホテルのショッピングアーケードで、ちょっと買いたいものがあるんだ」「買いたいもの?」「手袋。それに、マフラーも変わった色合いのものがあれば欲しいなと」 和彦は、首に巻いたマフラーの端を弄ぶ。実は昨日、千尋と会ったとき、もう少し華やかな柄や色のマフラーを巻いてはどうかと言われたのだ。渋い色のマフラーばかりなのもどうかと思っていた和彦としては、当然、買い物好きの血が騒ぐ。「残念。俺も時間があればつき合いたいところだが、これから用があるんだ」「せっかくクリニックが休みだっていうのに、忙しいみたいだな」「俺の体は一つしかないっていうのに、女の子たちが独占したがってな」 適当な返事をした和彦はヒラヒラと手を振り、澤村は笑いながらロビーへと向かう。その後ろ姿を見送ってから、さっそく和彦も場所を移動する。 紳士用品を扱っているショップに入り、手袋が置いてあるスペースにまっすぐ向かおうとして、その途中で目についたワイシャツについ気を取られる。
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第13話(14)

 今の生活で和彦は、スーツを着る機会はそう多くない。今日は澤村と会うため、無難にスーツを選びはしたが、普段はラフな服装で過ごしている。対照的に、スーツばかり身につけているのは、和彦の〈オトコ〉のほうだ。 地味な色のスーツに合わせて、ワイシャツの色もごくありふれたものばかりを身につけている三田村に、注文をつける気はない。地味ではあっても、いい品を選んでいることを和彦は知っている。 二人が逢瀬に使っている部屋にワイシャツの買い置きがある。その中に、新しく買ったものを紛れ込ませておこうかと思いながら、陳列されているさまざまな色のワイシャツを眺める。「――ワイシャツをお探しですか、お客様」 目移りしている和彦に、そう話しかけてきた人物がいた。その声と口調には覚えがあり、同時に懐かしい。 思わず笑みをこぼした和彦が隣を見ると、スーツ姿の千尋が立っていた。意外な場所での、意外な出会いだ。「その口調を聞くと、お前と初めてカフェで会ったときを思い出すな」「なかなかの好青年っぷりだったろ。今はさらに磨きがかかって――」「スーツ姿も板についてきたな」 和彦がこう言うと、千尋は嬉しそうに目を輝かせる。和彦は周囲を見回してから、そんな千尋の頬を軽く抓り上げた。「……ところで、なんでお前がここにいる。仕事じゃないのか」「仕事とはいっても、ちょっとした雑用で、もう終わったよ。だから、先生が今日、澤村先生とここでメシを食うって聞いてたから、寄ってみたんだ。でも、メシ食ってるとこに顔出すわけにはいかないじゃん?」「そうだな」「先生のことだから、昨日、俺が言ったことを気にかけて、さっそく新しいマフラーを探してるんじゃないかと思ってさ。ここに来ると踏んでたわけ」 得意げに話す千尋だが、和彦が立ち寄らなければどうするつもりだったのだろうと、思わなくもない。せめてメールでも送ってくれたら、澤村と別れたあと簡単に待ち合わせもできたのだ。それをしなかったということは――。 和彦は千尋の腕を引っ張り、マフラーを置いてあるスペースへと移動する。「気をつかってくれたんだな、千尋。ぼくの邪魔をし
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