音は、目の縁を赤くしたまま、かすかに笑った。さっきまで考えていたのだ。真っ昼間で、しかも雨の中、どうしてあんなに都合よく酔っ払いがいるのかと。――やはり、宗也の手配だったのだ。ここまで追い込まなければ、手放すつもりはないということか。彼女は、予約していた医師のところへは行かなかった。最近、耳の調子は良くなったり悪くなったりを繰り返している。もう慣れていた。どうせ診ても、たいした変化はない。秘書の目を盗み、音は病院の裏口から静かに姿を消した。その頃、宗也は廊下で雅代と電話をしていた。昼に口にした食事が悪かったのか、悠人が帰宅してほどなく腹痛を訴え始めたという。宗也は腕時計を一瞥し、淡々と言った。「まずは家庭医に診せろ。薬で様子を見て、だめなら病院だ」「何を言ってるの。藤堂家の跡取りはこの子一人よ。父親なら、自分で病院に連れて行くべきでしょう」「今、手が離せない」「悠人が、泣きながらあなたのことを呼んでるのよ。誰があやしても駄目なの」「駄目なら、青葉に戻して音にあやさせろ」宗也の声に、苛立ちが滲む。「……何ですって?」雅代は一瞬言葉を失い、すぐに不機嫌そうに言い返した。「宗也、正気なの?あの難聴の女、せっかく出て行ったのにまた引き戻す気?どれだけ嫌ってたか、どれだけ離婚したがってたか、忘れたわけじゃないでしょう。それに、私や美咲でも駄目なのに、あの子にできるわけないじゃない」宗也が口を開こうとした、そのとき。高橋秘書が、青ざめた顔で駆け寄ってきた。「藤堂社長、奥様が……いらっしゃいません」宗也は、耳から携帯を離し、眉をひそめた。「いらっしゃいません、とはどういう意味だ」「奥様からメッセージが届きました。診察は必要ない、と……」高橋秘書はスマートフォンの画面を差し出した。そこには、たった今届いた音からのメッセージが表示されている。宗也の顔色が、一瞬で沈んだ。秘書には連絡して、自分にはしない?彼は苛立ちを抑えながら、音の番号に発信する。だが、電話は繋がらない。電源が切られていた。また、逃げた。ここまで追い詰められても、なお逃げるのか。そこまでしても、帰りたくないのか。彼の予想は、正しかった。音は、死んでもあの家へ
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