All Chapters of そのネクタイ、俺が直してもいいですか?~ズボラな課長のくせに、惚れさせるなんて反則だ。: Chapter 71 - Chapter 80

117 Chapters

4.その人が笑えば、それでいいのに

木製の引き戸が、控えめな鈴の音を鳴らして閉まる。外の冷気が足元を撫でていったのも一瞬で、店内の暖かな空気がすぐにその隙間を埋めた。晴臣は、岡田の後ろをついてカウンター席に腰を下ろす。二人で来るのはもう何度目かになる、小さな居酒屋。駅から少し外れた路地にあり、派手な看板もないのに、いつもそれなりに客が入っている。木の質感が落ち着いた空気をつくっていて、照明も程よく暗い。過剰な演出のない、その居心地の良さが好きだった。岡田も気に入っているらしく、店主と顔馴染みになってからは、よくここで晩飯を食べて帰るようになった。「瓶でええか?」「はい」「唐揚げと…ポテサラと、あとなにか食べます?」「うーん、焼き魚いっとくか。あ、あれ、前のさわらの西京焼き、まだあるやろ?」「あるある。出すわ」カウンターの向こうから店主が返し、ほどなく瓶ビールとグラスが二つ、すべるように置かれる。グラスに注いで渡すと、岡田が微笑んでそれを受け取った。「ほな」「お疲れさまでした」グラスがかちんと静かにぶつかる。泡が立ち上り、岡田は一口飲んでから、ふう、と息をついた。「年末って、なんでこんなにしんどいんやろな」「みんな、年内に終わらせようとするからですよ」「せやな。ほんま、俺らサンタちゃうのにな」岡田が笑うと、晴臣もつられて口元を緩めた。そんな風に冗談を言える余裕がある日と、そうでない日があることも、ここ数ヶ月で分かってきた。岡田は意識的に、穏やかな顔をつくるときがある。それは自分にだけ向けられているのか、それとも誰に対してもそうなのか、まだ断定できない。「…ほんでさ」ビールをもう一口飲んで、岡田が口を開く。「イブって、仕事やろ? 残業確定やし」「そうですね、課内も詰まってますし」「だから、その前の日。空いてるなら…うち来るか?」軽い口調だった。誘うというより、確認するような声音。
last updateLast Updated : 2025-12-22
Read more

5.この夜の理由

窓の外は、風ひとつない夜だった。カーテンの隙間から覗く街の明かりが、淡く部屋に滲んでいる。デスクの上には、銀色の包装紙に包まれた小箱がひとつ。控えめなリボンの結び目は、何度も結び直された跡がある。晴臣はその箱を見つめながら、シャツの袖をまくり上げた。作業の合間に飲みかけたコーヒーは、すっかり冷めている。指先をカップの縁に添えると、ひんやりとした感触が肌を撫でた。デスクライトの光が、箱の角を柔らかく照らしている。その反射が、晴臣の瞳の奥で小さく揺れた。シャワーの湯気がまだ部屋に残っている。バスルームの扉を閉めると、湿った熱気が頬にまとわりついた。タオルで髪を拭きながら、晴臣は鏡越しに自分の表情を見た。整った顔立ちはいつものままだが、その目元には、微かな赤みが差している。「……明日か」ぽつりと漏らした声が、静かな部屋に沈んだ。岡田と過ごす“初めてのクリスマス”。それは、恋人同士になってから初めて迎える特別な日だった。予定を合わせるのに何日もかけ、プレゼントを選ぶのにも迷いに迷った。結局、選んだのはネクタイピン。ペアで揃え、裏側に二人の名前を刻んだ。さりげなく日常に溶け込むものを──そう思ったのは、岡田の言葉が心のどこかに残っていたからだ。「職場でも、ちゃんと身につけられるもんがええな」その声を思い出すたび、胸の奥に温かい痛みが広がる。タオルをソファの背に掛け、晴臣はソファに腰を下ろした。窓際に置かれたツリーの小さなライトが、点滅を繰り返している。それだけが、部屋の中で呼吸しているようだった。包装紙の上に手を伸ばす。指先がかすかに震えた。そっと持ち上げると、リボンの擦れる音が耳の奥で小さく鳴る。軽い箱の重みが掌に伝わり、その中に詰め込んだ思いが、指先から心臓へと逆流していくようだった。「……喜ぶかな」自分の声が、驚くほど小さく響いた。岡田の顔を思い浮かべる。
last updateLast Updated : 2025-12-22
Read more

6.その扉を開けた瞬間

外の風は、刃のように冷たかった。街路樹のイルミネーションが風に揺れ、青と白の光がアスファルトの上で滲んでいる。晴臣はコートの襟を立て、吐いた息の白さを見つめながら立ち止まった。手には、紙袋がひとつ。中には丁寧に包んだネクタイピンの箱と、岡田の好みに合わせて選んだ赤ワインが入っている。指先がかすかに震えた。寒さのせいだけではない。心臓の鼓動が、胸の奥で一定のリズムを刻み続けている。今夜はただの夜ではない。恋人として迎える、初めてのクリスマスイブ。アパートの外階段を上がりながら、晴臣は小さく息を吐いた。何度も来たことのある場所なのに、今日は妙に距離が遠く感じる。三階の奥の部屋、ドアの前に立つと、そこから漏れる灯りが静かに床を照らしていた。ドアの向こうには、岡田がいる。いつもの笑い声も、関西弁の柔らかい響きも、少し前まで職場で聞いていたはずなのに、今はまるで別の世界の音のようだった。チャイムに指を伸ばす。押す瞬間、息を止めた。ピンポーンという電子音が、静かな廊下に短く響いた。その音が途切れると同時に、足音が近づく。鍵が外れる小さな音。ドアがゆっくり開いた。「……よう来たな」岡田の声だった。穏やかで、低くて、少し掠れている。彼はいつも通りの笑みを浮かべていたが、その目の奥に、一瞬だけ迷いのようなものが過ぎる。晴臣は思わず立ち尽くした。岡田の姿が、そこにあった。グレーのニットに、ゆるいチノパン。髪はいつもより無造作で、頬にかかる光がやわらかく彼の輪郭を縁取っていた。「寒かったやろ。はよ入れ」促されて、晴臣は靴を脱いだ。部屋に足を踏み入れると、空気の温度が一気に変わる。スパイスの香りと、ほのかな暖房の風。リビングの奥からは、テレビの音が微かに聞こえてきた。岡田はキッチンの方へ歩きながら、振り返って笑った。「ワイン持ってきてくれたん?気ぃつかわせたなあ」
last updateLast Updated : 2025-12-23
Read more

7.声よりも近く

グラスの底に残った赤い液が、照明の光を受けてゆっくり揺れた。テーブルの上には食べ終えた皿と、まだ手をつけていない小さなケーキの箱。部屋の中は静かで、ワインの香りと、ストーブの低い唸りだけが漂っている。晴臣は手の中のグラスを指で回しながら、向かいに座る岡田の横顔を見ていた。照明が斜めから当たり、頬の線が柔らかく浮かび上がる。口元にはかすかな笑み。けれどその奥に、言葉にできない温度が見え隠れする。「…甘いもん、食べるか?」岡田が、静けさを割るように言った。晴臣は小さく瞬きをして、返事を探した。「はい。いただきます」「ちょっと待ってな」岡田が椅子を引き、立ち上がる。その背中を目で追う。部屋の明かりは落ち着いた琥珀色で、キッチンに立つ岡田の姿がぼんやりと滲む。袖をまくった腕。ゆるいグレーのニット。動くたびに生地が肩に沿って沈み、その度に、晴臣の視線がそこに吸い寄せられた。フォークの音がカチャリと鳴る。岡田がケーキの箱を開け、テーブルに戻ってくる。白いプレートに、苺のショートケーキが二つ。ひとつを晴臣の前に置き、もうひとつを自分の前に。「ここの、前に一緒に食うたやろ」「覚えてます。あの時、岡田さん…苺だけ先に食べましたよね」「そうそう。せっかちやろ」岡田が照れたように笑う。その笑顔に釣られて、晴臣も口角を上げた。ふと、岡田がフォークを差し出した。「はい」受け取ろうとした晴臣の指先に、岡田の指がかすかに触れた。その一瞬、空気が弾けるような感覚が走った。静電気、というにはあまりにやわらかく、けれど確かに体の奥に残る熱。反射的に目を上げた。岡田の指が離れる。その頬が、ほんのりと赤い。照明のせいではない。「悪い、静電気な」岡田が笑ってごまかした。けれど、晴臣は
last updateLast Updated : 2025-12-23
Read more

8.手の中の光

テレビから流れるクリスマスソングが、ほとんど聞き取れないほど小さく流れていた。岡田の部屋の空気は、さっきまでの笑い声とワインの香りの余韻に包まれている。ソファの上には、飲みかけのグラスとケーキの皿が並び、ゆるやかに溶けた生クリームが照明の光を反射していた。晴臣は背もたれに軽く身を預け、息を整えた。心臓の鼓動が、静かな夜の中でやけに鮮明に聞こえる。岡田がテーブルの上を片づけながら、ちらりとこちらを見た。「…ちょっと、待っとけ」声の調子はいつも通り穏やかで、けれどどこか照れが混じっている。晴臣は頷いてグラスを指で回した。ワインの赤が、琥珀色のライトの中でゆらゆらと揺れる。岡田はキッチンの棚から何かを取り出した。掌にすっぽり収まるほどの小さな箱。ラッピングされた銀の紙が、光を反射して微かに瞬いている。晴臣の胸が、わずかに跳ねた。岡田が戻ってきて、ソファの向かいに腰を下ろす。その距離は腕を伸ばせば届くほどで、ふたりの間に流れる沈黙が、やけに鮮明に感じられた。「これ…」岡田が、少しだけ息を呑むように言った。「開けてみ」小箱を差し出す手の動きは、驚くほど慎重だった。晴臣は受け取る瞬間、指先が岡田の指に触れ、微かな熱を感じた。箱を膝の上に置く。包装紙の表面はさらりとしていて、触れるたびに細かな音を立てた。一枚ずつ丁寧に剥がしていくと、深い青色の小箱が現れる。蓋を開けると、そこに淡い光があった。アクアマリン。小さな石が、照明の光を受けて静かに揺れている。「……これ」晴臣の声は自然と掠れた。岡田が少し前かがみになり、笑う。「これやったら、シャツの中に隠れるから仕事中でも着けてられるやろ」その言葉があまりに岡田らしくて、晴臣は思わず笑った。ネクタイ姿の自分を想像し、胸元にこの石があると思うと、不思議な安堵
last updateLast Updated : 2025-12-23
Read more

9.触れる前の夜

部屋の時計が、静かに秒を刻んでいた。ワインの香りがまだ空気の中に漂っている。テーブルの上には、開けかけのボトルと、飲み干されたグラスがふたつ。テレビから流れるクリスマスソングは、音量が絞られ、歌詞が判別できないほどに遠く感じられた。ふたりの間には言葉がなかった。けれど、その沈黙は気まずさではなく、満たされた静けさだった。岡田がソファに深く腰を下ろし、空になったグラスの底をぼんやりと見つめている。手元の指が、ゆっくりと回すように動く。液体はもう残っていないのに、名残を惜しむような仕草だった。「……酔ったかも」低く、掠れた声が落ちる。晴臣は、膝の上で組んでいた手をほどき、少し笑った。「顔、赤いですよ」「そうか?」岡田が手の甲で頬を軽く叩くように触れる。その指先まで、ほんのり赤く染まっていた。晴臣も笑いながら返したものの、自分の頬が同じように熱を帯びていることに気づいていた。ワインのせいだけじゃない。体の芯から、熱が広がっていく感覚。静かな部屋で、その熱だけが確かに生きている。岡田がグラスをテーブルに戻した。わずかな音がして、空気がまたひとつ、落ち着いていく。「……なあ、これ」岡田がポケットに手を入れ、何かを取り出した。さっき晴臣に贈ったアクアマリンのネックレスと対になる、ルビーのものだった。チェーンが指の間で光を受けてきらめく。「お前、つけてへんやろ」「さっき、しまいました」「なんやそれ。せっかくやのに」岡田が笑う。その笑いはいつもの軽さを含みながらも、どこか照れ隠しのようでもあった。晴臣は少し迷ったあと、ポケットから自分のネックレスを取り出した。光を受けた石が、淡い青を返す。岡田の視線がそこに吸い寄せられる。「ほら、つけてみ」
last updateLast Updated : 2025-12-24
Read more

10.イブは誰にも渡さない

岡田が晴臣の名を呼ぶ声は、ひどく静かだった。その低い響きが夜の空気にしみこむ。部屋の中のすべてが、まるで遠くに滲んでいく。暖色の照明が壁に長い影を落とし、リビングの小さな灯りだけがふたりを包んでいた。岡田の手が、そっと晴臣の指を取る。その動作に、もう迷いはなかった。手のひらの温度が互いに重なり、世界の輪郭が、急速に曖昧になっていく。目を合わせる。その一瞬の沈黙に、ふたりの鼓動だけが重なる。「……晴臣」岡田の声が、喉の奥から滲む。名前を呼ばれただけで、心臓が跳ねた。晴臣は自分でも驚くほど自然に、岡田の指を強く握り返した。「岡田さん」言葉よりも、互いの目に溶ける熱のほうが早かった。ほんのわずか、どちらともなく顔を近づける。距離が消える。唇が触れる。最初は、ためらうように、浅く柔らかなキスだった。けれど、岡田の息がかすかに震え、晴臣の指先が岡田の頬に触れた瞬間、抑えていたすべてがほどけていくのを感じた。唇が重なる音が、ひどく静かに部屋に響く。岡田はほんの一瞬だけ瞳を伏せ、次の瞬間には晴臣の背中に腕を回していた。ぬくもりが、皮膚を越えて、骨の奥まで伝わる。晴臣は岡田の髪をゆっくりと撫でた。シャンプーの匂いと、わずかな汗と、岡田自身の香りが、互いの鼻先をくすぐる。「……もっと、こっち来い」岡田の小さな声。晴臣は、その言葉に導かれるように、体を岡田の上に重ねた。ソファから立ち上がり、ゆっくりと寝室へ向かう。ふたりの指が、決して離れないように強く絡まる。ベッドに辿り着いたとき、部屋の明かりは淡く灯り、カーテン越しに冬の月が輪郭だけを映していた。岡田がベッドの端に腰を下ろし、晴臣がその正面に立つ。しばらく見つめ合い、晴臣はゆっくりと岡田の頬に触れた。親指で目尻をなぞると、岡田は静かに目を閉じる。その表情に
last updateLast Updated : 2025-12-24
Read more

11.朝を迎える理由

カーテン越しに射す朝の光は、まるで空気に溶けるように淡く、やわらかかった。遮光の効いた生地が朝日を和らげ、部屋の中はまだ夜の続きのように静かだった。晴臣は、仰向けに寝転んだまま、すぐ隣にいる岡田の寝顔を見つめていた。シーツの上で微かに動く肩。落ちた髪の隙間から覗く額。呼吸のたびに上下する胸元。すべてが、信じられないほど静かで、穏やかだった。ほんの数時間前、この手で彼を抱きしめたことが、まるで夢だったかのように感じられる。けれど、晴臣の指先には、いまも確かにその記憶の余熱が残っていた。岡田は、晴臣の腕の中で眠っている。寝息はかすかで、時折、寝返りの気配に布団がわずかに揺れた。互いの指は自然に絡んだままになっていた。その手を、晴臣はそっと握り直す。まるで壊れものに触れるような慎重さで。すると、岡田の指が微かに動いた。寝息はそのまま変わらず続いているのに、眉の端がほんの少しだけ動き、唇が形を成さないまま緩む。その表情に、晴臣の胸が静かに波打つ。これが、岡田の素顔だった。職場で見せる飄々とした態度でもなく、笑ってごまかすような夜の顔でもない。完全に無防備で、でも安心しきっている表情。それをこうして間近で見ている自分が、どれだけ特別な場所に立っているのかを思い知らされる。晴臣は、岡田の手を包むように握ったまま、そっと視線を額に移した。細く寝そべる髪を指でかき上げ、額の端に唇を寄せる。静かにキスを落とす。それは、慰めでも所有でもない。ただ、確かにここにいるという証のような、祈りに近い感情だった。「……これからも、ちゃんと隣にいたい」呟いた声は、風もない部屋の中で、静かに消えていく。その言葉に応えるように、岡田の眉がほんのわずかに動き、眠ったままの唇が緩んだ。絡んでいた指が、きゅっと一瞬だけ強く握り返された。それだけで、十分だった。晴臣は息を吸い、背
last updateLast Updated : 2025-12-24
Read more

1.年末残業、静かなオフィスで

蛍光灯の光が、紙の白を鋭く照らしていた。年末の夜、オフィスの空気はひんやりとしているのに、機械の熱と人の息がその冷たさをやわらげていた。コピー機が小さな唸りをあげ、印刷された資料が規則正しく排出されていく。紙の端が軽く反って、静電気を帯びて重なった。晴臣はその束を受け取り、手のひらで軽く揃える。指先に紙のざらつきが残る。仕上げのチェックリストを確認しながら、赤ペンで小さな修正を入れた。時刻はすでに二十一時を回っている。蛍光灯の明かりの下に人影は二つしかない。岡田がデスクに肘をつき、画面を見つめている。コートを椅子にかけたまま、ワイシャツの袖を少し捲っていた。背中越しに聞こえるキーボードの打鍵音は一定で、たまに止まり、またすぐに続く。「晴臣」呼ばれて顔を上げると、岡田が椅子を回してこちらを見ていた。「なんか食うたか?」「いえ、まだです」「やろな。そんな顔してる」岡田は立ち上がり、デスクの端に置いてあった紙コップを手に取った。湯気がゆっくりと立ち上がり、光の中で揺れる。「コーヒー、いるやろ」「ありがとうございます」岡田が給湯室へ向かう足音が遠ざかる。静まり返ったフロアに、その音だけが響いた。晴臣は深く息を吸った。年末特有の張りつめた空気。仕事納め前の残務処理で、皆が慌ただしく動いていたのは昼までだ。今はもう、ほとんどのデスクが片付けられ、パソコンの電源も落ちている。蛍光灯の明かりが照らすのは、紙の束と、二人の机だけだった。パソコンのモニターに反射する岡田のシルエット。その存在だけで、広いフロアの空気がやわらぐように感じる。給湯室から戻ってきた岡田が、紙コップを片手に差し出した。「ほい」「ありがとうございます」受け取ると、熱が指先に伝わった。香ばしい匂いがふわりと立ち上る。いつものコンビニの
last updateLast Updated : 2025-12-25
Read more

2.泊まりの夜、カップの音

外は冷たい風が吹いていた。駅前のロータリーには、年末特有の慌ただしさが漂っている。赤いテールランプが途切れることなく続き、人々はそれぞれの帰り道を急いでいた。「運転見合わせ、だと」岡田がスマホの画面を眺めながら呟く。晴臣は隣で同じ通知を確認した。「信号トラブルみたいですね。復旧の見込み、ありませんって」「マジか…」岡田は小さくため息をついて、首を鳴らした。改札前の人混みは膨れ上がり、駅員の声がスピーカー越しに響く。「…もう帰るの面倒やろ。うち来い」岡田が何気なく言った。その声は疲れているのに、どこか柔らかかった。「泊まってけ」晴臣は一瞬、返事を迷った。けれど、外の風が冷たく、家までの距離を考えると素直に頷くしかなかった。「お言葉に甘えます」「よし、決まり。…腹減ったな。弁当でも買うか」二人は駅前のコンビニに入った。明るい店内には、温かい惣菜の匂いと、年末特番のBGMが混ざっていた。岡田がカゴに唐揚げ弁当と缶ビールを放り込み、晴臣はサラダとお茶を入れる。レジを出るとき、岡田が何気なく言った。「こういうときに限って、家近くないのがな」「課長のせいですよ。転勤のとき、駅から遠いマンション選んだんですから」「静かでええやろ」「…ええですけど」晴臣は苦笑しながら、その後ろを歩いた。夜風に吹かれ、吐く息が白く伸びていく。歩道の街灯が二人の影を細長く伸ばしていた。岡田の部屋は、駅から徒歩十五分。古いマンションの三階。玄関を開けると、暖房の入っていない空気が冷たく迎えた。「すぐ温める」岡田がリモコンを押すと、エアコンの音が小さく鳴り始めた。晴臣は買ってきた弁当をテーブルに並べ、コンビニ袋をまとめる。「悪いな。こんな年末に」
last updateLast Updated : 2025-12-26
Read more
PREV
1
...
678910
...
12
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status