All Chapters of 知らないまま、愛してた: Chapter 101 - Chapter 110

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【第三章】1

キッチンスタジオを出たところで、蓮司さんの車に気づいた。蓮司さんも私に気づいたのか、運転席から降りてくる。「それでは、私はここで失礼します」私にはサプライズだけど、長谷川さんにはサプライズではなかったみたい。長谷川さんは私にも「それでは」と辞去の挨拶をしてくれた。   *  走り出した車の中。運転する蓮司さんという見慣れない光景が直視できず、私の目は窓に釘付け。でも、夕方の空がきれいだ。まだ昼の名残を引きずって、オレンジ色と薄紫が混ざり合っている。「寒くないか?」運転席から、蓮司さんが横目でこちらを見た。声が柔らかく、甘く聞こえるのは、車の中で二人きりというのが初めてだからか。「大丈夫です」そう答えながら、膝にかけてもらった薄手のブランケットを指でつまむ。本当に大丈夫だと言わせるために、先回りして渡されたブランケット。寒くない。それどころか、胸の奥がじんわり温かくなる。 誠司を預けて、二人きりで出かける。誠司に申し訳ないなって気持ちもあるけど、いまはこの時間がほしいと思う。夫婦だったけれど、しかも子どももいるのに、最近恋人になったという不思議な私たち。のんびりいきたい。「どうした?」蓮司さんが、声をかけてくる。運転に集中してください、と思うけれど、些細な私の仕草に気づいてくれるところが嬉しい。恋心はあれもほしい、これもほしいで、厄介だ。それにしても、どうした、とは?「楽しそうだから」「あ、の……楽しい、ので」蓮司さんが口元を優しく緩める。「誠司に悪い、とか思ってる?」「……はい」「ちゃんと賄賂を渡してきた。お風呂用の玩具と、新しい絵本」嬉しそうな誠司が頭に浮かぶ。「どうして、今日?」「そうだな……今日、昼間、天気がいいなって思ったんだ。それで、今日は夕焼けが綺麗そうだと想像したら、桔梗と過ごしたくなった」蓮司さんが、ふっと笑う。「何かをいいなと思うと、それを桔梗と共有したいと思う。共有するなにかが、欲しいのだと思う。それで、年をとって振り返ったとき、二人で過ごしていたという思い出が欲しくなった。夫婦でも、家族でもない、恋人時間」恋人、時間。夫婦なのに、今さら……と、思わない。我ながら、おかしい。“夫婦”ではあっても、“恋人”を飛ばしてきたから。いまが幸せだから、それが間違っ
last updateLast Updated : 2026-01-31
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103

「んっ」運転席で、蓮司さんが体を伸ばす。「疲れましたか?」「当然。大事な人を隣に乗せて走るなんて、初めてだからな」「え、武司さんとかは?」蓮司さんの顔が、苦いものを噛んだような顔になる。「……なんでここで武司かは分からないし、聞きたくないけど、アイツと一緒のときに事故ったらなんて思ったことはない。実際に事故っても、”悪い”で終わるだろうな」蓮司さんが、私を見る。「隣に桔梗を乗せていると、絶対に事故れないって思う。小さなたんこぶ一つだって、桔梗に作らせたら、心底落ち込む」蓮司さんはそう言うと、車を降りようとした。どこに、と思ったけれど目の前に自動販売機があるのが見えた。「水で、いいか?」「私も、行きます」「心細い?」暗い周辺を見渡して、蓮司さんが眉を顰める。まるで、私に何かあるんじゃないかって、警戒している気がする。過保護。だけど、嬉しい。「直ぐに戻るし、心細いなら車のルームライトを……」「違うんです」ルームライトのスイッチに延ばした蓮司さんの、袖を引っ張る。蓮司さんがそれを見て、目元を甘く緩めた。「離れがたい、か?」「……はい」「それなら、仕方がない」蓮司さんが私の手をポンポンッと叩いて、優しく袖から離す。運転席から降りて、前をまわって、助手席側に来て扉を開けてくれる。扉が開く。足元のアスファルトは、照明に照らされて、少し濡れて見えた。 車を降りると、空気がひんやりしていて、深く息を吸いこんだ。「足元、気をつけて」蓮司さんのエスコートで自動販売機の前に立って、飲み物を選ぶ。「何にする?」「ウーロン茶がいいです」不意に、以前、まだ花嶺家にいた頃、通りかかった公園で、こんな会話をしていた高校生カップルを見たことがある。キラキラしていた。自分には無縁だと思ってあのときは通り過ぎたけれど……。隣に立つ、蓮司さんを見る。あのときの男の子には悪いけれど、蓮司さんのほうが何倍もハンサムだ。そして、真剣にコーヒーの缶を睨んでいる。……缶コーヒーにも、料理下手の呪いは有効なのかしら。どんな、呪い?熱すぎる、とか?「無難に、無糖にしておくか」……甘すぎる、があったわ。甘すぎる缶コーヒーに顔をしかめる蓮司さんを想像して、笑ってしまった。「どうした?」「……なんだか、デートみたいですね」言っ
last updateLast Updated : 2026-01-31
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104

「桔梗」名前を呼ばれて意識が浮上し、目を開けると建物から漏れる柔らかな橙色の光が見えた。「ここ、ですか?」建物まで、まだ少しある。見えるのは、細い道。少しだけ建物が上に見えるから、ここを上っていくのだろうか。 「ここから、少し歩く。舗装されているし、緩い坂道だから大丈夫だと思ったんだが……」窓の外、キレイにライトアップされた庭に蓮司さんは眉間にしわを寄せる。また、私が大丈夫か心配してくれているみたい。「手を、貸してもらえれば、大丈夫です」雰囲気に背を押されて、ちょっと甘えてみることにした。「それなら、大丈夫か。疲れたら、抱いていくから言ってくれ」 車を降りると、空気が違った。街の音が聞こえず、代わりに聞こえるのは、風に揺れる葉の音と、どこかで水が流れる気配。水の音に、妙な懐かしさを感じる。まるで、誰かが静かに「おかえり」と言われているようだった。「……素敵」思わず漏れた声に、蓮司さんが小さく笑った。「気に入ると思った」 蓮司さんの手を借りて、坂を上っていくと木立で見えなかった建物の全容が見えてきた。建物は石と木を基調にした低層。古い洋館のようでもあるけれど、鄙びた感じはない。外壁に絡む蔦は丁寧に手入れされていて、年月を重ねた美しさは目を見張るものがある。玄関前、ランタンの灯りの下に立って、ほっと息を吐く。足元には、自分の影。影は、さっき通った道まで伸びている。まるで、誰かが私を捕まえようとしている気分。さっきだって、まるで妖精でも出てきそうな不思議な雰囲気だから、どこか異世界に連れていかれてしまうのではと思った。「桔梗? 寒いか?」「&he
last updateLast Updated : 2026-02-01
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105

「それでは、ごゆっくりお過ごしください」宿泊カードの記入が終わると、先ほど気さくに話しかけてくれた紳士の店員さんの雰囲気が変わる。まるで、置き物にでもなったみたい。必要以上に詮索しない、踏み込まない。大人による、大人のための場所という感じだ。「大人向け、ですね……」小声で蓮司さんにそう言うと、蓮司さんがにこりと笑う。「だから、選んだ」私の耳元に、蓮司さんが口を寄せる。「高校生みたいに、これからあの二人……みたいに見られたら、桔梗は緊張するだろう?」蓮司さんの例えに、少しだけ胸が跳ねた。足元が、ちょっとだけ乱れた。「気をつけろよ」……誰のせい?「普段カーペットの上を靴で歩くことがないので、躓いてしまいました」動揺を、廊下に敷かれたカーペットのせいにする。 一歩踏み出した足音は、そのカーペットがきれいに吸収してくれた。照明は間接光だけで、柔らかい影が足元に作られている。 部屋の前に立つと、鍵を開ける前に蓮司さんが私を見た。また、少しだけ、今度はさっきよりも大きく胸が跳ねる。「桔梗が不安になるようなことはしないから」蓮司さんが鍵を開けて、扉を押す。「おいで」気さくなのに、色気のある誘い文句だ。でも、逆らえない。逆らい、たくない。「はい」 部屋に一歩入って、緊張を紛らわせるために部屋を見回して、思わず息をのんだ。大きな窓の向こうには、夜の庭。ライトアップされた木々と、小さな水盤がきらきらと光っている。部屋全体は落ち着いた色調で、木製の家具、上質そうなファブリック。上品で、丁寧で―――大人っぽい。三十歳を目の前にして、大人っぽい雰囲気に燥ぐのは子どものようだけど、いつもは誠司と過ごしていて周りには原色が多いからか、違う雰囲気にとぷりと呑まれてしまう。「落ち着く、いい雰囲気だな」「……落ち着く」蓮司さんを見る。心臓が、跳ねる。「蓮司さんといると……落ち着きません」「それは、お互い様だ」苦笑する蓮司さんの目が、ちらりとある方向に向かう。そこに、何があるのかは分かっている。ワンルーム。ベッドだって、さっき目に入った。家のよりも広く、でも足は短めで、シーツは真っ白……だった。 「シャワー、浴びるか?」「え?」もうって気持ちが大きくて、思わず大きな反応を返してしまった。蓮司さん……笑っ
last updateLast Updated : 2026-02-01
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 バンッ「桔梗っ!」 ……びっくり、した。ううん、まだ、びっくりしてる……。 「……ごめんなさい、寝てました」「気にしないでいい……家に着いたら起こすつもりだったんだ」「家……」ルームミラーの向こうに見えるのは、家のガレージ。シャッターが、開いてる。明けっ放しなんて不用心。強盗でも入られたら……っ!「誠司っ!」もしかして、強盗とか泥棒とかに入られた? 「桔梗っ!」家の中に入るため、車から出ようと扉のノブに手を伸ばそうとしたのに、蓮司さんの腕に力が籠っていて、手を伸ばすことができなかった。それどころか、逆に蓮司さんのほうに引き寄せられてしまう。「蓮司さん、誠司が……」想像するのもつらくて、先の言葉を続けられない。「桔梗、どうした? 誠司って……嫌な夢を見たのか?」「……夢?」蓮司さんの顔と、開いたままのガレージを交互に見る。「でも、ガレージが……開いているから」「ガレージ……ああ……」蓮司さんが首を巡らせて、開いたガレージを見る。「俺が開けたんだ、安心していい」蓮司さんが……開けた……。「……大丈夫か?」「ごめんなさい。ガレージが開いていたから、てっきり強盗とか……想像を、してしまって……」大切な家
last updateLast Updated : 2026-02-02
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もう、終わりにしよう。私があの夜の記憶に苦しむ日は、きっとまだ続く。例え……。 「桔梗、どうした? いや、笑う顔は可愛いから、また見せてくれて構わないのだが、俺、そんなに変なことをしたか?」「違います。蓮司さんはいつも素敵です。華乃にあの夜のことを話したとき、思ったことを思い出したんです」「……思ったこと?」蓮司さんが、身体を固くして、身構える。怒りとか、憎しみとかだと、思ったみたい。 「もし私に、ドラマみたいな出会いがあって、ドロドロに溺愛されて、愛され尽くされても、あの夜のことを私は忘れられないだろうって思ったんです」「……それは」蓮司さんが、言葉に困ったような顔をする。でも、責めたいわけではないの。「後半は、そうなっているんですけれど……」私は、すぐ傍にあった蓮司さんの頬に口づけた。蓮司さんの顔が、驚いたものになる。……可愛い。「前半もそうなったなって。家政婦と御曹司。そして、実は一夜の相手。私は蓮司さんと、まさにドラマみたいな出会いをしたなって思ったんです」蓮司さんが目を瞠る。「私、蓮司さんにドロドロに溺愛されて、愛され尽くされているなって……思っちゃったんです」蓮司さんに、どれだけ愛されても、ふとした瞬間に私はあの夜を思い出して悲鳴をあげる。あのとき、そう思った。でもあのときは、そんな女を愛せるわけがないと思った。例えそのとき「愛している」と言えても、それが何日も、何年も続けば嫌になるに違いないって。でも……。蓮司さんの顔が、真剣なものになる。その獰猛と言ってもいい蓮司さんの目に、ゾクッとする。 
last updateLast Updated : 2026-02-02
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「蓮司さん」桔梗の声のしたほうを見て、桔梗の姿に息を飲む。どこぞの国の姫と言われても不思議ではない。エンパイアラインのワンピースは品よく、穏やかな雰囲気の桔梗によく似あっている。胸下で切り替えられたデザインは、古典的な優雅さを湛えながらもどこか儚げであり、まだ膨らんでいないがあの体に新たな命を抱いている事実が母親の強さを感じさせる。生成りの薄布で仕立てられ上半身は、柔らかな光を受けてほのかに透けて、宗教に全く熱心でない俺ですら”聖母”として遇したくなるほど。 袖は短め、この服を選んだとき「家事をしやすそう」だと言った桔梗を思い出す。次の瞬間、そんな基準で服を選んだことを桔梗は恥ずかしそうだったが、俺はそれこそ服だと思う。機能面も含めて、自分に合う服を選ぶのは当然だ。襟元には小さな貝ボタンが一つだけ、控えめに輝いている。桔梗がサンプルを見ながら悩みに悩んでいたもの。桔梗は、お洒落が好きだと思う。何を着ても似合うのだが、自分に何が似合うか真剣に悩む桔梗はいつも楽しそうだ。 「桔梗、とても綺麗だ。よく似あっているな。この服も、深い紫色が綺麗で、桔梗の芯のある美しさを引き立ている」褒めると、桔梗は照れ臭そうに、嬉しそうに笑ってくれる。桔梗の照れ臭がる顔は可愛いが、嬉しそうな笑顔は好きだが、かつての桔梗が褒められる境遇でなかったことを思うと胸が痛む。それも、これも……。 「お待たせしました」 部屋の中、”お”の形の口をして、間抜けな顔を晒しているこの男のせいだ。この”お”のあとは、「遅い」と続く予定だったのだろう。でも、桔梗のあとに俺が入ってきたからやめた。矮小の見本のような仕草だ。胸の奥で、なにかが確実に冷えた。花嶺辰治。桔梗の父
last updateLast Updated : 2026-02-03
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桔梗の母親である花嶺明美が亡くなったあと、花嶺貿易の事業は右肩下がり。ただ、貿易には他国の地政学的なものも絡み、花嶺辰治自身が時代の寵児のような扱いを受けていたこともあって、誰も彼も「花嶺辰治にもそういう不運がある」ですませた。花嶺辰治が、本人も気づかぬ間に被っていた”できる男”のヴェール。恐らく、それに花嶺辰治はまだ気づいていない。―― うちの仕事を手伝ってくれないか?だから、”手伝い”と言った。 「失礼。桔梗に手伝いというのは、会社に行って仕事をしろということですか?」俺の問い掛けに、花嶺辰治は首を横に振った。”会社で”は否定したが、”なぜ桔梗が必要か”にいま気づいたようだ。花嶺辰治は、隣にいる玲子夫人を見た。やはり、玲子夫人の入れ知恵か。玲子夫人は目を泳がせて、花嶺辰治の問いかける目を直視することを避けている。「玲子夫人?」逃がさない。俺は、玲子夫人に問い掛ける。「……桔梗に手伝ってもらいたいのは、花嶺家の、家のほうの仕事です」「まさか、花嶺家の家事をやれと? 俺の妻に、そんな家政婦のような真似事をさせるつもりですか?」「まさかっ!」早い否定。それも、玲子夫人の中で入っていたのだろう。俺は、桔梗の向こうにいる花岡乃蒼を見た。俺の視線に気づいた花岡乃蒼は、にこりと笑って、手で首を水平に切る真似をした。 
last updateLast Updated : 2026-02-03
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