All Chapters of 名家の恥と捨てられた娘は、契約結婚先で花開く: Chapter 11 - Chapter 20

120 Chapters

11

「どこだ、どこにしまった! 誰か知らんのか!」 父が叫ぶが、誰も答えない。かつては美術品の管理台帳をつける専門の使用人がいた。だが、彼を解雇したのは他ならぬ父自身だ。  義母も麗華も、屋敷に何があるかさえ把握していない。彼女たちにとって、美術品は換金できるかどうかの道具でしかないからだ。 焦燥に駆られた父の視線が、床に膝をつく小夜子を捉えた。「おい、役立たず! お前だろ、お前が隠したんだろう!」 父が大股で近づき、小夜子を見下ろす。理不尽な言いがかりは、いつものことだ。小夜子は雑巾をバケツの縁に置き、顔を上げた。(双龍図……) 脳内の検索にかける。所要時間は0.5秒。  膨大な屋敷の物品リスト、その保管場所、保存状態。藤堂から叩き込まれた管理術によって、小夜子の頭の中には完璧なデータベースが構築されていた。  小夜子は淡々と告げた。「『双龍図』でございましたら、第2蔵の3番棚、上段の桐箱に収めてございます」「……は?」 父が口を開けたまま固まる。小夜子はさらに補足した。「先週の火曜日、湿度が60パーセントを超えましたので、私が移動させました。あの掛け軸に使われている和紙は湿気に弱く、書斎のままではカビが生える恐れがありましたので」 事実だけの報告。恩着せがましさも、非難の色もない。ただの業務連絡だ。父は半信半疑のまま、つっかけを履いて庭へと走っていった。 数分後。戻ってきた父の手には、確かに桐箱が握られていた。中を確認し、安堵の息を吐く。  だが、その安堵はすぐに醜い怒りへと変わった。父は小夜子の元へ戻ると、手に持っていた扇子を振り上げた。 バシッ! 乾いた音が廊下に響く。扇子の親骨が、小夜子の額を打ったのだ。鋭い痛みが走り、視界が一瞬白く弾ける。「勝手なことをするな! カビだの湿度だの、もっともらしい嘘をつきおって。本当はこっそり持ち出して、売り払うつもりだったんだろう! 卑しい奴め」 父の唾が飛ぶ。自分の管理不足を棚に上げ、娘を泥棒扱いすることでプライドを保とうとする、浅ましい姿だった。  義母も勝ち誇ったように鼻で笑う。「本当に可愛げのない子。管理台帳もまともにつけられないくせに、小賢しいのよ。これだから妾の子は。やっぱり血は争えないわね。家政婦がお似合い、いいえ、家政婦の仕事も満足にできないとは」(台帳をつけていな
last updateLast Updated : 2025-12-04
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12:管理台帳

 喉まで出かかった言葉を、小夜子は飲み込んだ。今、口答えをすれば、この場はさらに長引く。 あと1時間もしないうちに黒崎隼人が来てしまう。客人を迎える準備を遅らせるわけにはいかない。 小夜子は額の痛みを無視し、畳に手をついて頭を下げた。「申し訳ありませんでした。以後、気をつけます」「フン。さっさと準備に戻れ」 父たちは桐箱を大事そうに抱え、客間へと消えていった。 一人残された廊下で、小夜子はようやく身を起こした。額に手をやれば、鈍い痛み。少し腫れている。(良かった、血は出ていない。このくらいなら前髪で隠せば目立たない。大丈夫) 客間のほうからは、「これで成金男も腰を抜かすはずだ」「白河家の威光を見せつけてやるのよ」という、浮かれた声が聞こえてくる。 小夜子は冷めた瞳で、その方角を見つめた。(……あの方々は、分かっていない) 黒崎隼人という男の噂は、小夜子も耳にしている。合理的で、無駄を嫌い、冷徹なまでに利益を追求する「再生屋」。 そんな男が、威圧的な『双龍図』を見て、感心するだろうか。(今日はビジネスの会談。相手を威嚇するような図柄よりも、心を落ち着かせる枯淡な『山水図』のほうが、場の空気を整えるには相応しいのに) 相手の心理を読み、その場に最適な空間を演出する。それこそが、老舗旅館が受け継ぐべき「おもてなし」の真髄であり、キュレーターとしての資質だ。 小夜子にはそれが見えている。だが、今の彼女に決定権はない。父たちが選んだミスマッチな掛け軸が、かえって白河家の「腐敗したプライド」を露呈させることになるだろう。(これも、この家の運命ね) 小夜子がバケツを持ち上げようとした時、背後から義母の声がかかった。「おい、小夜子。いつまでサボっているの」 義母は嗜虐(しぎゃく)的な笑みを浮かべ、顎で蔵のほうをしゃくった。「掃除はもういいわ。さっさと着替えてきなさい。例の『アレ』を持ってくるのよ」 その言葉に小夜子の背筋が凍る。『アレ
last updateLast Updated : 2025-12-05
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13:灰かぶりのメイド服

 黒崎隼人の到着まであと30分。 小夜子は本邸の裏手にある衣装部屋に立たされていた。義母が桐の長持(ながもち)から古びた布切れを引っ張り出して、小夜子に向かって放り投げた。「ほら。今日のあんたの衣装よ」 小夜子は、床に落ちそうになったそれを空中で受け止めた。 それは正規の制服ですらない、時代がかった代物。おそらく数世代前の使用人が着ていたと思われる、黒のワンピースと白いエプロンだった。生地は洗濯を繰り返して薄くなり、色はあせている。経年劣化で白い生地は薄いクリーム色に変化していた。 何ともみすぼらしい古着に、だが、小夜子は何も言わない。「いいこと、小夜子。今日の客人は、由緒ある白河家を金で買い叩こうとする成り上がりのハゲタカよ。そんな相手に、金で買ったばかりの新品を見せつけてどうするの」 義母は歪んだ笑みを浮かべ、勝ち誇った顔で講釈を垂れた。「ああいう奴らは、金さえ出せば何でも手に入ると思っている。だからこそ、あえて『金では買えない時間』を見せつけてやるのよ。何代にも渡って補修し、大切に受け継がれてきたその制服こそが、ポッと出の成金には真似できない白河家の『伝統』と『格式』の証明になるんだから」(……なるほど) 小夜子は手の中の古着を見つめた。つまりは、「新しい制服を買う金がない」という恥ずかしい事実を、「物を大切にする伝統精神」という高尚な理屈にすり替えたわけだ。 貧乏を質素倹約と言い換え、ボロボロであることを歴史の重みだと主張する。没落貴族特有の、あまりに苦しい見栄とこじつけだった。 だが、今の小夜子に拒否権はない。「承知いたしました」 小夜子は服を抱え、部屋の隅へと向かった。 手早く着替える。あてがわれたワンピースは、サイズが合っていなかった。袖は短すぎて手首の骨が露出し、スカートの丈も中途半端だ。 鏡の前に立つ。そこに映っていたのは、時代錯誤でみすぼらしい使用人の姿だった。 けれど不潔さはない。小夜子は襟元を整え、エプロンの紐をきっちりと結んだ。古びた布であっても、着る人間が背筋を伸ば
last updateLast Updated : 2025-12-05
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 感情のスイッチを切る。長い黒髪を無造作にひっつめ、後れ毛をピンで留める。 化粧っ気のない顔は蒼白だが、その瞳だけは冷ややかに澄んでいた。どんなに粗末な古着をまとおうとも、中身まで薄汚れるわけではない。小夜子は深呼吸を一つして、衣装部屋を出た。◇ 廊下に出ると、そこには対照的な色彩が待っていた。 麗華だ。 彼女は、鮮やかなショッキングピンクのツイードワンピースを身に纏っていた。海外のハイブランドの最新作である。 首元には大粒の真珠のネックレス、耳にはダイヤモンドが揺れている。来客対応としては明らかに過剰で派手すぎる装いだが、彼女にとってはこれが「精一杯の威嚇」なのだろう。 小夜子は義姉の服装を見て、何となく間抜け面のフラミンゴを思い出していた。 麗華は小夜子の姿を認めると、勝ち誇ったように甲高い声を上げた。「あはは! 本当に似合うわね、小夜子。まるで時代劇のエキストラみたい」 彼女は小夜子の横に並び、廊下の姿見を指差した。「見てごらんなさいよ、この差。これなら黒崎様も、どちらが白河家の『本物』の令嬢か、一目でわかるわね」 鏡の中には極彩色の花のような麗華と、色褪せた影のような小夜子が並んでいる。小夜子は無言で頭を下げた。(ええ、よくわかります。お義姉様) 麗華の派手な装いは、商談の場には相応しくない。それは「私はビジネスの話などわかりません」と全身で主張しているようなものだ。 対して、小夜子のみすぼらしい姿は、この家の財政難と、なりふり構わぬ現状をこれ以上なく雄弁に物語っている。どちらも、白河家の「終わりの始まり」を象徴する姿だ。 けれど、それを指摘する言葉を小夜子は持たない。「さあ、行きなさいよ。玄関の掃除がまだ残っているでしょう」 義母に追い立てられ、小夜子はバケツと雑巾を持って廊下へ出た。 ボーン、ボーン、ボーン。柱時計が時を打つ。客の到着まで、あと20分。 小夜子は冷たい水に雑巾を浸し、固く絞った。荒れた手とひっつめ髪、古くみすぼらしい黒い服
last updateLast Updated : 2025-12-06
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15:凍てつく眼光

 午後2時。白河家本邸の玄関ホールは、異様な空気に満たされていた。 手入れの足りない古い木造建築特有のカビ臭さと、湿った土の匂い。 そこに義母と麗華が浴びるようにふりかけた海外製香水の濃厚な甘さが混ざり合って、息をするのもためらわれるほどの不協和音を奏でている。 父と義母、そして麗華は、上がり框(かまち)の上に一列に並んで客人を待ち構えていた。 小夜子だけは、さらに一段低い土間の隅、冷たいたたきの上に膝をついている。みすぼらしい黒いワンピースに、古びたエプロン。その姿はこの家の「清貧」を演出し、かつ「恥」を強調するための小道具として、完璧に配置されていた。(……来る) 砂利を踏みしめるタイヤの音が近づいてくる。重厚なエンジン音が止まり、静寂が訪れた次の瞬間。 カツン、という硬質な革靴の音が響き、玄関の引き戸が開かれた。 その瞬間、小夜子はホールの気温が数度下がったような錯覚を覚えた。 逆光の中に、一人の男が立っている。 黒崎隼人。新興ホテルグループ『アーク・リゾーツ』を率いる、若き社長である。 小夜子は床に伏せた視線をわずかに上げて、その姿を盗み見た。 ――息を呑むほどに美しい男だった。 長身痩躯(そうく)を包むのは、一分の隙もなく仕立てられたダークネイビーのスーツ。白すぎるほどのシャツに、シルバーのネクタイが冷ややかな光を放っている。 だが何よりも目を奪うのは、その顔立ちだ。硝子細工のように繊細で、かつ日本刀のように鋭利な目鼻立ち。色素のやや薄い瞳は、極北の氷河を思わせる冷徹な色をたたえている。 人間的な温かみの一切を削ぎ落として機能美だけを純粋培養したような、凍てつく美貌がそこにあった。 父・源三郎が、揉み手をしながら擦り寄った。「おお、ようこそ! お待ちしておりましたぞ、黒崎社長。遠路はるばる、このようなむさ苦しいところへ――」「時間は限られています」 父の歓迎の口上は、低く美しくも冷ややかな声によって断ち切られた。隼人は父の手を握ることなく、ホールへと踏み入
last updateLast Updated : 2025-12-06
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「初めまして、黒崎様。白河麗華でございます。お会いできて光栄で――」 隼人は視線すら向けなかった。まるでそこに誰もいないかのように、麗華の脇をすり抜ける。空振った麗華の手が、行き場を失って虚しく空を掻いた。 隼人はホールの中心で立ち止まり、ゆっくりと視線を巡らせた。その眼光は、獲物を探す猛禽(もうきん)類のように鋭い。 床の間に飾られた『双龍図』、生けられたばかりの豪華な花、急いで磨き上げられた黒光りする床。 だが、彼の目はそういった表面的な装飾には留まらなかった。 壁紙の端のわずかな浮き。柱に刻まれた古い傷。天井の隅に染みついた雨漏りの跡。そして、屋敷全体に染み付いた「没落」の臭い。 小夜子にはわかる。彼は今、この家の資産価値を査定しているのだ。それも建物の価値ではなく、「どれだけ解体しがいがあるか」というマイナスの査定を。(……噂以上に容赦のない方) 隼人の視線が、不意に下がった。土間の隅、人形のように膝をつく小夜子を捉える。 小夜子の背筋に、氷を差し込まれたような悪寒が走った。 見られている。時代錯誤な古着。化粧気のない顔。使用人以下の扱いを受けている現状。 普通の客であれば、憐れむか、あるいは気まずそうに目を逸らす場面だ。 しかし隼人の瞳に宿っていたのは、絶対零度の無関心とわずかな軽蔑だけだった。それは小夜子個人に向けられたものではない。「このような時代錯誤な演出を平然と行う、白河家の腐敗した精神性」そのものに向けられた、冷たいな侮蔑である。(ああ、なんて冷たく、澄んだ目) 小夜子は顔を上げず、ただその視線を受け止めた。この家の人々のように欲に濁った目ではない。利益と効率のみを信奉する、研ぎ澄まされた刃のような瞳。 この人種とは、言葉が通じるかもしれない――そんな予感が、小夜子の胸を一瞬だけかすめる。 が、隼人はすぐに興味を失ったように視線を外した。「案内しろ」 短く命じ、父たちを顎で促す。そして、ふと思い出したように振り返り、小夜子のほうを見ることなく言い
last updateLast Updated : 2025-12-06
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17:たった1つの清冽さ

 給湯室で小夜子は茶筒の蓋を開けた。 ふわり。若草のような爽やかな香りが立つ。選んだのは、とある銘柄の最高級の茶葉である。 義母たちは存在すら忘れているだろうが、小夜子が湿気と移り香を避けるため厳重に管理していた逸品だ。(オーダーは『渋い茶』だった) 小夜子は湯温計を見つめる。通常、玉露や上級煎茶は旨みを引き出すために低温で淹れるのが定石だ。 だが、今の黒崎隼人が求めているのは甘ったるい旨みではない。あの悪趣味な客間に充満する腐ったような甘さを断ち切るための、鋭い「刺激」だ。(湯温は、あえて高めの80度) カテキンを抽出させ、渋みと香りを際立たせる。急須に湯を注ぐ。 茶葉が開き、鮮やかな翠(みどり)色が滲み出した。1分、蒸らす。これで完璧のはずだ。 小夜子は呼吸を整えて、盆を持ち上げた。これから向かうのはいわば猛獣の檻だ。 客間の扉が開いた瞬間、小夜子は思わず息を止めた。 そこは視覚と嗅覚の暴力が支配する空間だった。 床の間には父が自慢げに飾った『双龍図』が、部屋の広さに対してあまりに威圧的に鎮座している。 テーブルの上には、これでもかと生けられたカサブランカ。その濃厚な芳香が、義母と麗華が撒き散らす人工的な香水の匂いと混ざり合い、ねっとりとした独自の熱気を生み出していた。「いやあ、我が家の歴史は古く、この掛け軸もそれは素晴らしいもので……」「黒崎様、趣味は何でいらっしゃいますの? わたくし、オペラ鑑賞が……」 父と義姉の麗華が、左右から隼人に話しかけている。「あらあ、黒崎社長ったら、そんなにお若いのに独り身だなんて、世間の女性が見る目がないんじゃありませんこと? でもご安心なさいな。これからは、由緒正しき白河家が後ろ盾になりますもの。麗華のような『本物』のレディを妻に迎えれば、成金……いえ、新興企業というハンデもすぐに帳消しにできますわよ?」 さらに義母が畳み掛けた。 黒崎隼人は革張りのソファに浅く腰
last updateLast Updated : 2025-12-07
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 隼人は本来、信用できない相手が出したものを口にする男ではない。だが、彼は誘われるように白磁の湯呑みに手を伸ばした。 その香りが、この部屋で唯一の「正解」だと本能が告げているかのように。 彼が茶を一口、含む。熱さと、鮮烈な渋みが口内に広がる。それは鋭い刃となって、舌にへばりついていた甘ったるい不快感を削ぎ落とし、喉の奥へと洗い流していった。 後味に残るのは、上質な茶葉特有の、ほのかな甘みと清涼感。「毒消し」の一杯。 隼人の肩から、わずかに力が抜けた。眉間のしわが緩み、小さく息を吐く。(……届いた) 小夜子はその一瞬の変化を見届け、壁際で膝をついた。それきり目を伏せる。視線が合うことはない。言葉も交わさない。けれど茶という媒体を通じて、2人の間に確かな「共有」が生まれた瞬間だった。 隼人は茶を飲み干すと、ことりと湯呑みを置いた。その硬質な音が、父たちの空虚な自慢話を断ち切る合図となった。「悪くない茶だ」 低く、冷ややかな声が響く。隼人は顔を上げ、部屋の隅に控える小夜子を初めて直視した。その瞳は氷河のように冷たい。感謝の色など微塵もない。あるのは有能な道具を見定めたときのような、鋭い「値踏み」の眼差しだった。 小夜子は顔を伏せたまま、その視線を受け止める。 彼は今、小夜子を人間として見ているのではない。この腐った家の中で、唯一利用価値のある「パーツ」として認識したのだ。 隼人は懐から一枚の書類を取り出し、テーブルに放り投げた。「本題に入ろう。――融資の条件だ」 父が書類に飛びつくように手を伸ばす。「こ、これは……当座の運転資金、3億円!これだけあれば不渡りは回避できます!」「金は出す。だが、当然タダではない」 隼人は組んだ足を組み替え、感情のない声で告げた。「担保として貴方がたが持つ『白河のブランド』を頂きたい。……具体的には婚姻だ」「こ、婚姻?」 父と義母が顔を見合わせる。
last updateLast Updated : 2025-12-07
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19:3億円の身代金

「担保として、貴殿らが持つ『白河のブランド』を頂きたい。……具体的には、婚姻だ」 隼人の言葉が放たれた瞬間、客間の空気が一変した。凍りついていたのは一瞬だけだ。次に訪れたのは、爆発的な歓喜だった。「まあ! 婚姻ですって……!」 義母が扇子で口元を覆い、隠しきれない笑みを浮かべた。その目は、獲物を見つけた肉食獣のようにぎらついている。 彼女の脳内で、皮算用が弾き出される音が聞こえるようだった。借金のカタに何かを奪われるどころか、まさかの玉の輿(こし)話だ。相手は新興企業の社長。つまり、金は唸るほど持っている。「素晴らしい! 黒崎社長、お目が高い! 我が家の麗華を妻に迎えれば、貴社の格は何倍にも上がりますわ」 義母は身を乗り出して、猫なで声でまくし立てた。 その思考は浅ましいほどに単純だ。娘を成金に嫁がせれば、その財布の紐は自分たちが握れる。湯水のように金を使える生活が戻ってくる。老朽化した屋敷のリフォームも、新しいドレスも、海外旅行も、すべてこの男の財布で叶うのだ。「あなた、聞きました? 3億円ですって! これなら来月の支払いはもちろん、別荘の買い替えだって……」「うむ、うむ! まさに渡りに船だ!」 父と義母は顔を見合わせ、手を取り合わんばかりに喜んでいる。部屋の隅、冷たい床に膝をついたまま、小夜子はその光景をどこか遠い世界の出来事のように眺めていた。(よかった。これで白河家は救われる) そこに自分という存在が介在する余地はない。3億円という巨額の対価に見合うのは、この家で大切に育てられて磨き上げられた宝石――麗華だけだ。ボロボロの服を着た「恥」である自分が、その商談のテーブルに乗ることなどあり得ない。そう信じていた。「ふん。まあ、当然の申し出ね」 傲慢な声が響いた。麗華だ。彼女は自分が売り渡されようとしているのを理解しておらず、顔をしかめるどころかふんぞり返るようにして腕を組んだ。 先ほど挨拶を無視されたことなど無かったかのように、あるいは「私の価値に気
last updateLast Updated : 2025-12-08
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 隼人は無表情のまま、冷ややかに麗華を一瞥した。ゴミを見るような目だ。だが麗華はその視線の意味を理解しない。むしろ自分の美しさに圧倒されて言葉を失っているのだと勘違いして、さらに言葉を重ねた。「いいこと? 結婚してあげてもいいけれど、条件があるわ。まず、その無礼な態度を改めること。私の前ではひざまずいて挨拶なさい。それから、あなたの資産の管理権は全て私とお母様に――」「黙れ」 短く鋭利な一言が、麗華の妄言を断ち切った。隼人は書類をテーブルに叩きつけた。「勘違いするな。私が欲しいのは『白河の戸籍』という看板だけだ。お前個人のわがままに付き合うつもりはない。……商品なら、商品らしく黙っていろ」 その言葉に麗華の顔が屈辱で真っ赤に染まった。 商品。自分を、この世界で最も尊い存在である自分を、モノ扱いした。「な……っ! 無礼なっ!」 麗華はヒステリックに叫んだ。「お母様、お断りよ! こんな生意気な成金のハゲタカ、死んでもお断りだわ! お金は欲しいけれど、こんな男に頭を下げるなんてプライドが許さない! 私の夫になるなら、もっと由緒ある家柄で、私を女神のように崇める人じゃなきゃ嫌!」「麗華、落ち着きなさい。3億円よ!」「嫌なものは嫌! お金だけ置いて、さっさと消えてもらって!」 麗華の拒絶に、義母の顔が引きつった。金は欲しい。喉から手が出るほど欲しい。だが、溺愛する娘がこれほど嫌がっている。(そうね。麗華の言う通りだわ。こんな礼儀知らずの男に、手塩にかけた麗華をやるのは惜しい。この子はもっと上の、旧華族の身分に見合うお方と結ばれるべきだわ) 義母の視線が部屋の中をさまよう。そして――部屋の隅、空気のように気配を消していた小夜子の上で止まった。 その瞬間、義母の瞳に、ぞっとするような暗い光が宿った。 彼女は扇子を閉じてニヤリと口角を上げた。「……そうですわね。麗華はまだ若く、体が弱うございますもの」 義母はわざとらし
last updateLast Updated : 2025-12-08
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