さて。 俺、遠矢真悟は、傍から見れば不幸な人生を送って来たと思う。 小学校の入学式修了後、写真を撮っている時に突っ込んできた車によって目の前で両親を亡くした。 唯一の親族、父方の叔父さんが俺を引き取り、俺は小学生にして家事全般を自己流ながらマスターして、男二人暮らしで、学校から帰ったら買い物、料理、掃除、洗濯、と主婦並みには働いていた。叔父さんは無口な人で、あまり家には会話はなかった。 その叔父さんも俺が高校生の時に病に倒れ、帰らぬ人となり、俺は家に一人取り残され、一人で生きてきた。 ここまで聞くと、大抵の人が苦労したねえ、大変だったろう、と言って同情する。 のだが。 俺は一度たりとも、自分を不幸だと思ったことはない。 死ぬ時は誰でも死ぬ。遅かろうが早かろうが、みんな死ぬ。嘆いていても何にもならない。それが両親の通夜から葬式にかけて考えに考えて、幼心に辿り着いた結論だった。一年生になったばっかのガキが考える事じゃないとは自分でも思うけど、事実そうなんだから悩んでも仕方がない。 両親の死因は九十パー相手が悪い事故だったので、成長するまでの必要経費と学費を払ってもらうことができた。それの預かり役であるおじさんは、それを俺に無断で使うことなく、きっちり貯蓄してくれていた。無口で不愛想だったけど、非常に真面目な人だったので、入院直後に弁護士を呼び、家と、その貯蓄した財産を遺してくれた。 おかげで高校を中退することなく卒業できたのである。 もちろん大学は無理だったけど、家があって、高卒で働ける場所を見つけるまで食いつなげる程度には貯金もある。これの何処が不幸なんだ。 あっ。でも、まあ……。 確かに、十九で鬼籍に入るのは、不幸かもなあ。「遠矢慎吾さん?」 名前を呼ばれ、俺は我に返った。 目の前には、死んだおじさんくらいの年恰好をした男がいた。 その人があんまりにも何処にでもいそうな人だったので、実感がわかず、しかし起きた現実は記憶にきっちり刻まれており、俺は思わず現実逃避をしてたんだ。 何でかというと、ついさっき死んだばかりだから。 ハローワークに行くために自転車に乗って走っていたところ、子供がボールを追っかけて車道に飛び出してきたのだ。 何とか避けたところ、子供はそのまま車道のど真ん中まで行ってしまい、対向車
Last Updated : 2025-12-04 Read more