復讐のために彼をレンタルしたら、まさかのCEOに溺愛契約で雇われました のすべてのチャプター: チャプター 101 - チャプター 110

131 チャプター

第101話 誕生日の憂鬱①

 カレンダーの数字が切り替わるたび、隣で眠る男の吐息が重く、苦しげに沈んでいくのを肌で感じていた。 「……朱里」  深夜、不意に名を呼ばれて重い瞼を持ち上げると、湊はまるで悪夢の淵から這い上がってきた迷子のように、私のパジャマの裾を強く握りしめていた。  闇に目が慣れるにつれ、彼の苦悶が浮き彫りになる。額には玉のような脂汗が滲み、呼吸は浅く、乱れている。 「ここにいるよ。……湊、大丈夫?」  私が強張った背中を優しくさすると、彼は安堵のため息を漏らし、逃げ込むように私の胸に顔を埋めた。  その身体の震えは、エアコンの効いた寝室の冷気のせいではない。目に見えない巨大な怪物に怯える、魂の震えだ。  もうすぐ、彼の誕生日が来る。  世間では祝福されるはずのその日は、彼にとって、最愛の母を死なせてしまったという「罪」を突きつけられる、残酷な審判の日だ。  二十年もの間、彼は毎年この時期になると、こうして一人で震えていたのだろうか。  誰にも弱音を吐けず、凍えるような孤独の中で、ただ嵐が過ぎ去るのを待つように膝を抱えていたのだろうか。 「……離れないでくれ」  うわ言のように繰り返される、切実な響き。  私は彼の汗ばんだ髪を指で梳きながら、胸の奥で静かに、けれど熱い決意の火を灯していた。 (今年は、絶対にそんな日にはさせない)  彼を縛る罪悪感なんて、私が全部塗り替えてやる。  生まれてきてくれてよかったと、あなた自身に思わせてあげる。  そのためには――「鍵」を手に入れなければならない。  彼が自ら封印してしまった、温かく幸せだった頃の記憶。その扉を開けるための、特別な鍵が。  私は、彼の背中越しに、サイドテーブルに伏せて置いたスマートフォンに視線を投げた。  画面は暗いままだが、そこには昨夜、志保さんと交わしたメッセージの履歴が残っているはずだ。 『湊さんのために、何かしてあげたいんです。彼を救う方法はありませんか』  私の唐突な相談に対し、志保さんからの返信は、意外なほど具体的だった。 『……一つだけ、あります。あの子がまだ笑えていた頃、
last update最終更新日 : 2026-02-06
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第102話 誕生日の憂鬱②

 ◇  翌朝。 タワーマンションの最上階は、張り詰めた弦のような緊張感に包まれていた。「……出かける?」 朝食のコーヒーカップを置いた湊の手が、ピタリと止まる。 その視線だけで、室温が数度下がったような錯覚を覚えた。「うん。……サロンで、急なトラブルがあったみたいで」 私は精一杯、困ったような顔を作って見せた。 嘘をつくのは得意じゃない。心臓が早鐘を打っているのが、服の上から透けて見えてしまいそうだ。 でも、ここで引くわけにはいかない。「スタッフの子がミスをして、どうしても私が対応しなきゃいけないの。……ごめんね、せっかくの休みなのに」 湊は無言で私を見つめ続けている。 その瞳は、私の表情筋のわずかな動き、瞬きの回数さえも見逃すまいとするように、鋭く、深く観察している。 疑っている。 当然だ。ここ数日、彼は私の挙動に対して過敏になっている。「甘い監視」は、時に「冷徹な尋問官」の顔を覗かせる。「……何のトラブルだ」 低い、地を這うような声。「ドレスの発注ミスよ。来週のお式の分だから、急いでメーカーと調整しないと」 事前に用意しておいた設定を、淀みなく口にする。 湊はしばらく私の目を見ていたが、やがてふっと視線を逸らし、手元のタブレットに目を落とした。「……そうか」 許された? いや、違う。「僕も行く」 彼は平然と言い放った。「送っていく。……車の中で待っているから、終わったらすぐに戻れ」「えっ!?」 思わず声が裏返る。「だ、だめよ! メーカーの担当者と会うのに、ホテルのCEOが待ってたりしたら、相手が恐縮して話が進まないわ」「関係ない。……お前の姿が見えない時間が長引くのは耐えられない」 湊は椅子を引いて
last update最終更新日 : 2026-02-06
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第103話 誕生日の憂鬱③

「条件?」 「……GPSだ」  彼はポケットからスマートフォンを取り出し、私の目の前で位置情報共有アプリを起動させた。 「お前のスマホにも入れろ。……今どこにいるか、常にわかるようにしておけ」 「……」  束縛。監視。  普通なら怒るところかもしれない。  でも、今の彼の精神状態を考えれば、これが彼なりのギリギリの妥協案なのだとわかる。  姿が見えなくても、私がどこにいるか分かれば、彼の不安は少しだけ和らぐ。 「わかった。……入れるよ」  私は自分のスマホを取り出し、彼の手際よい操作でアプリをインストールされるがままになった。  これで、私の居場所は彼に筒抜けになる。  志保さんと会う場所は、サロンの近くだ。なんとか言い訳は立つだろう。 「……行ってくる」 「ああ。……一秒でも早く帰ってこい」  玄関で彼に見送られ、私は逃げるようにエレベーターに乗り込んだ。  扉が閉まる瞬間まで、湊の視線が私を捕らえて離さなかった。  その眼差しは、愛おしさと同時に、底知れない飢餓感を孕んでいて、背筋がゾクリと震えた。 ◇ 約束の場所は、サロンから二駅離れた場所にある、隠れ家的なカフェの個室だった。  GPSの表示をごまかすため、私は一度サロンに立ち寄り、スマホをロッカーに入れたまま「外回り」に出ることにした。  これなら、湊が位置情報を確認しても「サロンにいる」ことになっているはずだ。  もし連絡が来たら? 「会議中で気づかなかった」と言い訳するしかない。  綱渡りだ。  もしバレれば、今度こそ彼の信頼を完全に失うことになる。 『お前も、あちら側の人間なのか』  昨夜の、あの傷ついた瞳が脳裏をよぎる。裏切り。そう受け取られても仕方のないことだった。  タクシーを飛ばし、指定されたカフェへ向かう。  目立たないように帽子を目深に被り、サングラスをかける。まるで不倫密会に向かうような出で立ちに、自嘲気味な笑いが漏れる。  まさか、婚約者の母親(継母だけど)に会うために、こんなスパイ
last update最終更新日 : 2026-02-06
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第104話 誕生日の憂鬱④

「はい。……GPSをつけられました」「あら。……あの子らしいわね」 志保さんは呆れたように、でもどこか懐かしむように目を細めた。「昔から、独占欲が強かったもの。……大切なおもちゃを隠す場所を、誰にも教えない子だったわ」 おもちゃ。 今の私は、彼にとって唯一無二の「壊したくないおもちゃ」なのだろうか。 それとも、なくてはならない命綱なのだろうか。「それで……レシピは?」 単刀直入に切り出すと、志保さんはバッグから一冊の古いノートを取り出した。 あの日、温室で見たのと同じ、色褪せた園芸日誌……ではない。 もっと薄い、料理用のノートだ。「これよ」 差し出されたノートを受け取る。 表紙には、『Minato's Favorite』と、流れるような筆記体で書かれていた。 由理子お姉様の字だろうか。それとも、志保さんの字だろうか。 ページをめくると、そこには手書きのレシピがびっしりと記されていた。『ハンバーグ(玉ねぎは飴色になるまで)』『コーンスープ(裏ごしを二回)』『プリン(カラメルは苦めに)』 どれも、手間と愛情がたっぷりとかかった料理ばかりだ。 そして、その中にあった。『特製デミグラスオムライス』「……これですね」「ええ。……あの子が、誕生日に必ずリクエストしたメニューよ」 志保さんの声が、少し潤む。「ポイントは、デミグラスソースに隠し味として『八丁味噌』を入れること。……それと、卵には生クリームではなく、マヨネーズを少し混ぜるの。そうすると、冷めてもふわふわになるから」 八丁味噌。マヨネーズ。 意外な組み合わせだ。高級ホテルのシェフが作るような正統派フレンチではない。 これぞまさしく「家庭の味」。九龍家だけの、秘密の
last update最終更新日 : 2026-02-06
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第105話 誕生日の憂鬱⑤

 その言葉の重みに、私は深く頷いた。 このノートは、単なるレシピ帳ではない。 二人の母親の、湊への愛のバトンだ。 私が受け取った以上、絶対に失敗は許されない。「そろそろ行きます。……長居すると、怪しまれるので」「ええ。気をつけて」 私は席を立ち、ドアノブに手をかけた。 その時。 ポケットの中で、マナーモードにしていたはずのスマホが(GPS用のスマホではなく、もう一台持っていた私用のスマホだ)、ブブブブッ、と長く震えた。 嫌な予感がした。 画面を見ると、そこには『九龍湊』の文字。 なぜ? GPSを入れたスマホはサロンに置いてあるはずなのに。 こちらの番号にかけてくるということは、サロンに連絡がつかなかったからか? 恐る恐る通話ボタンを押す。「……もしもし?」『……どこにいる』 スピーカーから聞こえてきたのは、氷点下まで冷え切った、感情のない声だった。「えっと……サロンの、バックヤードだけど……」『嘘をつくな』 心臓が止まるかと思った。『今、サロンの前にいる。……お前はいない』『……どこにいると、聞いている』 湊の声は、怒りというよりも、底知れない絶望の響きを含んでいた。 まるで、信じていた足場が崩れ落ちる瞬間のような、脆く危うい声。「あ、あのね、湊……。実は……」 喉が張り付いて、言葉が出てこない。 バックヤードにいる、なんて嘘はもう通用しない。彼は今、まさにその場所にいるのだから。 どうする?「お義母さんに会っていた」とは絶対に言えない。 かといって、この状況で下手な嘘をつけば、彼の疑念は確信に変わり、二人の関係は修復不可能になるかもしれない。『&
last update最終更新日 : 2026-02-07
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第106話 誕生日の憂鬱⑥

『……誕生日?』「そうよ。……サプライズにしたかったの。だから、あなたに場所を知られたくなくて……ごめんなさい」 苦しい言い訳だ。 でも、これしかない。 志保さんから受け取ったノートの存在を隠し通すには、この嘘を真実にするしかないのだ。「今すぐ戻るわ。……お願い、信じて」 電話の向こうで、長い沈黙があった。 私の心臓が、痛いくらいに脈打つ音だけが聞こえる。『……待っている』 短く告げられ、通話が切れた。 プツン、という電子音が、断頭台の刃が落ちる音のように響いた。「……急がなきゃ」 私は震える手でスマホをバッグに押し込み、通りへ飛び出してタクシーを拾った。 バッグの底には、志保さんから託されたノートが入っている。 これだけは、絶対に見つかってはいけない。 これは単なるレシピ帳じゃない。湊とお母さんを繋ぐ、最後の希望なのだから。 車窓を流れる景色を見つめながら、私は祈るような気持ちで胸を押さえた。(お願い、湊。……私を信じて) サロンの前に到着すると、そこには異様な空気が漂っていた。 黒塗りの高級車が、威圧するように路肩に停まっている。 その横に、彫像のように動かずに立っている湊の姿があった。 道行く人々が、その尋常ではない美貌と、彼が放つ凍てつくようなオーラに気圧され、遠巻きにして通り過ぎていく。「……湊」 タクシーを降りて駆け寄ると、彼がゆっくりと顔を上げた。 その瞳を見た瞬間、足がすくみそうになった。 暗い。 光の一切ない、深淵のような瞳。 怒りよりも深い、悲しみと諦めが入り混じった色。「……戻ったか」 彼は低い声で言い、私の手首を掴んだ。 痛いほど強い力
last update最終更新日 : 2026-02-07
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第107話 誕生日の憂鬱⑦

 画面上の「私の居場所」はずっとここを示していた。 彼が何度確認しても、私はここにいるはずだった。 なのに、現実の私はここにいなかった。「僕が見ていたのは、幻影だったわけだ」 彼はスマホを強く握りしめた。ミシ、と画面がきしむ音がする。「……違います」 私は彼の手を両手で包み込んだ。「私はここにいるわ。あなたの目の前に」「……何を買っていた」 彼は私の目を射抜くように見つめた。「誕生日の買い物だと言ったな。……何を買っていたんだ。見せてみろ」 詰問。 当然の流れだ。 私は心臓が凍りつくのを感じながら、バッグを引き寄せた。 中には、志保さんのノートが入っている。 これを見られたら終わりだ。「……物は、ないわ」 私は精一杯、平然を装った。「予約をしてきたの。……あなたへのプレゼントの」「予約?」「ええ。……オーダーメイドだから、まだ手元にはないの。受け取りは誕生日当日よ」 嘘に嘘を重ねる。 泥沼にはまっていく感覚。 でも、もう引き返せない。「……どこの店だ」「それは言えないわ。……サプライズだもの」 私は彼の胸に顔を埋め、上目遣いで彼を見た。「お願い、湊。……楽しみにしていてほしいの。あなたを喜ばせたくて、一生懸命考えたのよ」 湊は、探るように私の瞳を覗き込んだ。 嘘を見抜こうとする冷徹な眼差し。 私は瞬きもせず、それを受け止める。(愛しているからこその嘘よ。……どうか、届いて) 数秒、あるいは数分にも感じられる時間の後。 湊はふっと息を吐き、私の手首を掴んでいた力を緩めた。「&hellip
last update最終更新日 : 2026-02-07
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第108話 最高の嘘①

「……誕生日まで、お前を一歩も外に出さない」 それは冷たい通告だった。「仕事も、サロンとの連絡も禁止だ。……僕が許可するまで、外部との接触は一切断て」「湊、それは……!」「お前がそうさせたんだ。……僕を欺き、GPSを外して消えた。その代償だと思え」 タワーマンションの最上階。 そこは、甘く、そして逃げ場のない檻となった。 私は、彼の視界の範囲内だけで生きることを許された囚人だ。 でも、私には目的があった。 バッグの底に隠した、志保さんのノート。 これを、絶対に彼に見つかってはいけない。 静まり返った深夜二時。 隣で眠る湊の寝息が深く、一定のリズムになったのを確認して、私はそっとベッドを抜け出した。 彼の腕を解くのは、爆弾処理のような慎重さが必要だった。少しでも動けば、彼は反射的に抱きついてくる。 枕の代わりに抱き枕をあてがい、音を立てずに寝室を出る。 広いリビングは闇に沈んでいる。 私は足音を忍ばせてキッチンへ向かった。 手には、志保さんから託されたノートのコピー(原本はバッグの奥底に隠してある)と、今日のうちにネットスーパーで手配し、宅配ボックスからこっそり回収しておいた食材。「……よし」 換気扇を「強」にして、手元灯だけの薄暗がりの中で調理を開始する。 デミグラスソース作り。これが最大の難関だ。 市販の缶詰を使うのではない。玉ねぎを飴色になるまで炒め、牛すじと香味野菜を煮込み、赤ワインで伸ばす。 そして、最後に「八丁味噌」を加える。(……匂いが、問題だわ) バターと野菜を炒める甘い香り。肉を焼く香ばしい匂い。 換気扇を回していても、どうしても漏れてしまう。 もし湊が起きてきたら、「小腹が空いたから夜食を作ってたの」と言い訳するつもりだけど、誕生日の数日前にデミグラスソースを作るなんて不
last update最終更新日 : 2026-02-07
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第109話 最高の嘘②

 美味しい。  濃厚で、奥深いコクがあるのに、後味が驚くほど優しい。  八丁味噌の渋みが、デミグラスの脂っこさを消し、どこか懐かしい和の風味を添えている。  これが、九龍家の「母の味」。  高級ホテルの洗練された味とは違う、温かくて、少しだけ切ない味。 (……これなら、いける)  確信した瞬間だった。 「……朱里?」  背後から、寝ぼけた声がした。  心臓が飛び跳ねる。  振り返ると、リビングの入り口に湊が立っていた。  髪は乱れ、パジャマのまま、目をこすっている。 「……何してるんだ」 「! あ、あのね、ちょっと喉が渇いて……ついでに、明日の朝ごはんの仕込みを……」  私は背中で鍋を隠し、必死に笑顔を作った。  湊は鼻をひくつかせた。 「……いい匂いがする」  やばい。バレる。 「……ビーフシチューよ! どうしても食べたくなっちゃって!」 「シチュー? ……こんな時間に?」  湊は怪訝そうに近づいてくる。  もうだめだ。鍋の中を見られたら、ただのシチューじゃないとバレる。  私は咄嗟に駆け寄り、彼の胸に飛び込んだ。 「湊! 寂しかったの!」 「……は?」 「目が覚めたら、あなたがぐっすり寝てて……なんか、急に一人になりたくなっちゃって……でも、やっぱり寂しくて……」  支離滅裂だ。  でも、今の彼には「寂しい」というキーワードが一番効くはずだ。 「……馬鹿だな」  案の定、湊はふっと力を抜き、私を抱きしめ返した。 「一人になんてさせるか。……ほら、もう寝るぞ」 「うん……」  彼は私の腰を抱き、寝室へと連れ戻そうとする。 「あの、火を消してくるから!」 「早くしろ」  私は慌ててコンロの火を止め、鍋に蓋をした。  冷めるまで置いておきたかったけれど、仕方がない。明日の朝、彼がシャワーを浴びている隙に冷蔵庫へ隠すしかない。  寝室に戻ると、湊は私をベッドに引きずり込み、これでもかというほど強く抱き
last update最終更新日 : 2026-02-08
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第110話 最高の嘘③

 ◇ そして、運命の土曜日がやってきた。  朝から、空はどんよりと曇っていた。  湊の機嫌は、天気以上に最悪だった。  朝食もろくに喉を通らず、コーヒーだけを啜って、リビングのソファで死んだように一点を見つめている。 「……今日が終われば、また一年生き延びられる」  彼は独り言のように呟いた。  誕生日を祝う日ではなく、罪を償う日。  彼の認識は、まだそこにある。  午後五時。  インターホンが鳴った。  無機質な電子音が、処刑の合図のように響く。 「……来たか」  湊は重い腰を上げ、玄関へと向かった。  私も急いでエプロンを外し、整えて後に続く。  ドアが開くと、そこには喪服のような黒い着物に身を包んだ華枝様と、淡いグレーのスーツを着た志保さんが立っていた。  お祝いの花束も、プレゼントもない。  ただ、静謐で重苦しい空気を纏っている。 「……おめでとう、とは言わぬよ」  華枝様が、開口一番そう言った。 「ただ、今年も無事にこの日を迎えたこと……それだけを確認しに来た」 「……ありがとうございます、祖母上」  湊は無表情に頭を下げる。  志保さんは、湊の顔を見ようともせず、ただ淡々と頭を下げた。 「お元気そうで何よりです」 「……どうぞ、中へ」  まるで通夜の席のような雰囲気のまま、二人をリビングへ通す。  広いテーブルにつき、重苦しい沈黙が流れる。  私はキッチンへ逃げ込んだ。  ここからが、私の戦いだ。  冷蔵庫から、昨日仕込んだデミグラスソースを取り出す。  一晩寝かせて、味はさらに馴染んでいるはずだ。  炊きたてのバターライス。  そして、新鮮な卵とマヨネーズ。  フライパンを火にかける。  バターが溶ける音と香りが、キッチンに広がる。  リビングの静寂を、料理の音が侵食していく。  華枝様たちが気づいた気配がする。 「……何か、作っているのかい?」  華枝様の
last update最終更新日 : 2026-02-08
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