Alle Kapitel von 極貧デザイナーの私が、冷徹CEOに溺愛されるなんて!?: Kapitel 151 – Kapitel 160

168 Kapitel

第151話 あなたは、消費されることを憎んでいる

「私を、見る側を支配する女にして。……今のあなたならできるでしょう?」  レオーネがMIOの仮オフィスへ来た、その午前。  昨日までなら、私はセラフィナの母を思い出していたかもしれない。  けれど、今の彼女はもう、母の影から出たいだけの女ではなかった。 「脱いでください」  私が言うと、セラフィナは眉を上げた。 「命令?」 「仮縫いです」 「強くなったわね」  彼女は白いコートを脱いだ。  薄い黒のドレスには、飾りがほとんどない。  それでも彼女が立つだけで、視線が集まる。  セラフィナは、自分の身体が値段になることを知っていた。 「あなたの母の話は、もうしません」  私が言うと、セラフィナの目がわずかに動いた。 「いいの?」 「あなたは、もう母の続きじゃない」  セラフィナは答えなかった。  ただ、こちらを見返す目から、刃のような硬さが抜けた。 「今日見るのは、そこじゃありません」 「では、どこ?」 「あなた自身が、自分を神話として差し出してしまうところです」  セラフィナの表情が止まった。  レオーネの笑みも薄くなる。  私は未完成の仮ドレスを手に取った。  白に近い灰色の布は、背中から肩へ流れ、腰で一度受け止めて、腕の外側へ抜ける。  愛されても飲まれない。  守られても消えない。  抱かれても、自分の名を明け渡さない。  昨夜、怜司の腕の中で降りてきた線だった。 「着せます」  セラフィナは何も言わず、腕を上げた。  梢が背中側へ回り、私は前で布を支える。  布が彼女の肌へ落ちた瞬間、美しいと思った。  でも、ただ美しいだけなら負ける。  セラフィナの美しさは、すぐに商品になる。  誰かが言葉をつけ、値段をつけ、伝説という箱に入れてしまう。  それを、服が許してはいけない。 「少し歩いてください」  セラフィナが動くと、布が背中で遅れて揺れた。  見られるための背中ではない。  見た人間の視線を、一度受け止めて、外へ弾く背中だった。  レオーネが黙った。  その沈黙に、セラフィナが反応する。  彼女はレオーネを見た。  短い視線だった。  けれど、その目には慣れた甘さがあった。  見られ、選ばれ、値段をつけられる。  その感覚を、彼女は憎みながら、どこかで気持ち
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-07-01
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第152話 次は、服で証明して

 翌日、レオーネが用意したサロンは、ホテルの最上階にあった。  大きすぎず、派手すぎない。  それでも壁際には、批評家、財団関係者、買い手、モデル事務所の幹部が揃っている。  派手な拍手より、沈黙の方が値段を持つ場所だった。 「久しぶり、澪さん」  声をかけられて振り向くと、一ノ瀬がいた。  グラスを片手に、壁際へ軽く寄りかかっている。  MIOの同行者ではない。  別件で呼ばれ、このサロンに最初からいた人間の顔だった。 「一ノ瀬さん」 「久世社長、MIOに入ってどうですか」 「まだ正式には」 「顔だけなら、もう入社初日ですよ」 「からかわないでください」  一ノ瀬は笑い、サロンの顔ぶれを軽く見渡した。 「アーク・ブレイズも呼ばれたんですよ。外の目が欲しいんでしょう」 「ここにいる人たちは、感動しに来たわけじゃない」 「……ええ」 「本当にわかってます?」  彼は私を見た。 「泣かせる服では、今日は負けます。値段をつけさせる服じゃないと」 「……分かっています」  言い返す声は、自分でも少し弱かった。  エレナは、感情を殺して設計する。  私の服は、感情だ。  奥の控室には、仮ドレスを着たセラフィナがいる。  昨日より線は出ている。けれど、まだ完成ではない。  怜司は少し離れた壁際に立っていた。  私の前には出ない。ただ、見ている。 「抱きしめたい顔をしていますね」  一ノ瀬が小さく言った。 「誰が」 「久世社長が」 「見ないでください」 「外から見るのが仕事なので」  窓際にはレオーネがいた。 「始めよう」  最初に出てきたのは、エレナ・モローの服だった。  細い銀髪のモデルが、淡い青灰色のドレスを纏って歩いてくる。  布の落ち方、肩の位置、歩いた時の揺れ、照明を受ける角度。  すべてが、最初から決められている。  批評家が言葉を探す必要がない。  美しく、知的で、静かで、高い。  何も言わなくても伝わる。  富裕層が財布を開く瞬間まで、計算されている服だった。 「安定していますね」  一ノ瀬が言った。  悔しいほど、その通りだった。  エレナは、場を裏切らない。  どこへ出しても崩れない。  誰が着ても、一定以上の神話になる。  だから強い。  エレナ本人は
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-07-02
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第153話 変動する女

「次は、服で証明して」  ホテル最上階のサロンで、エレナの言葉が空気に残った。  拍手もない。  称賛もない。  値段がついたのは、エレナの服だった。  MIOの仮ドレスは美しかった。  セラフィナも、美しく立っていた。  それでも、場の中心を奪えなかった。 「あなたは変動する」  エレナが言った。 「場によって、光によって、見る距離によって、印象が変わる。安定しない」 「それは弱さですか」 「市場では弱さよ」  エレナは淡々としていた。 「焦点が散っている。背中、首、布の落ち方、セラフィナの顔。見る場所が多すぎる」 「見る場所が……」 「値段をつける側は、迷う服を嫌う。どこに金を払えばいいのか、一瞬で分からないから」  その言葉は、感情の話ではなかった。  骨格。  視線。  照明。  値段がつく瞬間。  工房で叩き込まれてきたはずのものが、ルミナス・ガラの場ではまだ薄い。  私の服には情動がある。  けれど、その情動を場の中心へ押し上げるための土台が、まだ足りない。 「今日は、負けました」  私は言った。  レオーネが笑う。 「負けを認める女は、次に高くなる」  その言い方には少し苛立った。  でも、飲み込んだ。  高くなるためではない。  勝つためだ。 ***  その日の夜、マンションの部屋へ戻ると、怜生がリビングのラグの上で青い布を並べていた。 「ママ、いたいの?」  あまりにまっすぐ聞かれて、私は答えに詰まった。 「……少しだけ」 「ここ?」  怜生が、自分の胸を小さな手で押さえる。  私は笑った。 「うん。そこ」  そのまま怜生を抱き上げる。  小さな体が、私の首にぎゅっとしがみついた。  ミルクと石鹸みたいな匂いがする。  それだけで、張りつめていたものが少しほどけた。  怜司はジャケットを脱いで、黒いニット姿になっていた。  仕事の顔をしている時より、肩の線が近く見える。  こんな姿でソファに座られると、同じ部屋にいるだけで変に落ち着かない。 「痛い日は、勝つ準備をする日だ」  怜司が怜生の頭を撫でた。 「じゅんび」 「そうだ。痛かった場所を、次に勝つ場所に変える」  怜生は分かったような、分からないような顔で、青い布を一枚、私の膝に載せた。
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-07-03
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第154話 無事ではない声

 翌朝、MIOの仮アトリエには、引き直したデザイン画が残っていた。  怜生が選んだ青い布。  怜司が削った首元の線。  私が残した背中。  三つが重なっただけで、服は昨夜までとは別の顔をしていた。 「これなら、いける」  ミナが言った。  声に疲れはある。  でも、目は死んでいない。 「ただし、時間はありません」 「分かっています」  私は針山に手を伸ばした。  今日は最終調整。  明日には、ルミナス・ガラ前夜の最終確認が始まる。  セラフィナは仮縫いのドレスを纏い、鏡の前に立っていた。  首元を削った分、背中の線が強くなっている。  腰の切り替えは、彼女の身体を細くするためではなく、彼女を高く見せるために残した。  綺麗。  でも、それだけではもう足りない。  値段をつけさせる。  目を逸らせなくする。  場の中心を奪う。 「怜司さんは?」  セラフィナが鏡越しに聞いた。 「朝、出ました。会場側とスポンサーの確認に」 「社長を辞める男が、よく働くわね」  皮肉のようで、少し笑っていた。  私は針を持ったまま、口元だけで笑う。 「試用期間なので」  セラフィナが短く笑った。  その時、ミナのスマートフォンが鳴った。  最初は誰も気にしなかった。  納期前の電話は、いつだって鳴る。  布が遅れる。  車が詰まる。  追加の確認が入る。  でも、ミナは画面を見た瞬間、表情を失った。 「白川さん」  声が硬い。  私は針を止めた。 「久世さんが」  空気が、そこで裂けた。 「事故に遭ったそうです」  針が指先から落ちた。  音は、小さかった。  なのに、部屋中に響いた気がした。  次の瞬間、自分の身体の輪郭が分からなくなった。  床はそこにあるのに、足の裏だけが遠い。耳の奥で、ミシンの音も布を捌く音も、水の中へ沈んだように鈍くなる。手のひらにはさっきまで針を持っていた感覚だけが残っていて、何も掴んでいないのに、皮膚の内側がじんじんと痛んだ。  事故。  その二文字が、怜司の身体にぶつかったものの重さを連れてくる。  硬い車体。  割れるガラス。  白いシャツに滲む赤。  見てもいない光景が、勝手に頭の中で形を持った。 「どこ」 「病院に搬送中です。詳しい容体はま
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-07-04
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第155話 試された愛(L'Amour à l'épreuve)

「怜司さん……」 『澪』  MIOの仮アトリエで、怜司の声がした。  掠れている。  遠い。  それでも、生きている声だった。  膝から力が抜けそうになる。  ただ、生きているだけの声ではなかった。  近くにいたい。  今すぐ、その痛みの場所を見つけたい。  見つけたところで何もできなくても、知らないままでいることのほうが耐えがたかった。 「今行きます」 『来るな』  短い言葉だった。  痛みを押し殺したような声で、怜司が続ける。 『大したことはない』 「嘘です」 『嘘でもいい。今は、信じろ』  そこで、言葉が切れた。  短く空気を探す音が混じる。  いつもなら一息で命じる男が、わずかな沈黙を挟まなければ次の言葉へ行けない。その沈黙のたびに、見えない傷口を押さえている手があるようで、私はスマートフォンを耳に押しつけた。  唇を噛んだ。  血の味がした。 『勝て』  その一言で、涙が落ちそうになった。 『俺のところへ来るな。俺を理由に、服を止めるな』 「でも」 『俺を失う服にするな』  胸を殴られたみたいだった。  ひどい人だと思った。  行きたいと泣くことさえ、許してくれない。そばにいて、手を握って、名前を呼んで、あなたがまだここにいると確かめたいだけなのに、その一番弱い願いを、彼はまっすぐ服の前へ押し戻してくる。  でも、それが怜司だった。  私を守るために閉じ込める男ではなく、私の名前が立つ場所へ、自分の痛みごと送り出す男になろうとしている。  だからこそ、ここで私が崩れたら、彼が捨てようとしている王国も、綾乃が引き受けたものも、ミナたちが縫い続けてきた時間も、全部ただの犠牲になってしまう。  失われた愛。  今まで、それはテーマだった。  遠い言葉だった。  誰かの物語だった。  でも今、私の目の前に来ている。  まだ失っていない。  でも、失うかもしれない。  その場所に立って、私は初めて分かった。  失われた愛を美しく飾る服では、勝てない。  失わせないと決めた女の服でなければ、あの場は奪えない。 「……分かりました」  声は、自分でも驚くほど低かった。 「行きません」  電話の向こうで、怜司の呼吸が乱れた。 「でも、失わせません」  返事はなかった。  
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-07-05
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第156話 勝て

 ルミナス・ガラ前夜、会場奥のフィッティングルームで完成版の確認が終わった直後、スマートフォンが震えた。  画面には綾乃の名前が出ている。  私は部屋の端へ移動して、通話を押した。 「怜司さんは」 『病院には着いた。今、手術中よ』 「手術……」  それ以上の言葉が、すぐには続かなかった。  心臓を、冷たい手で掴まれたようだった。 「容体は」 『言えない。私にも、まだ確かなことは分からない』 「何があったんですか」 『会場へ向かう途中で、追跡されていたらしいわ』  追跡。  その言葉だけで、指先から血の気が引いた。 『MIOとルクソリア再編の噂で、周辺が騒がしくなっていた。パパラッチか、便乗したブローカー筋か、まだ分からない。怜司の車を追った車が接触して、避けようとしたところで事故になった』 「会えますか」 『会えるかもしれない。でも、あなたが今行けば戻れない』  綾乃の声は、私を崩さないための温度だった。 『これ以上聞けば、あなたは行きたくなる。だから容体は言わない』 「……冷たいですね」 『ええ。でも、怜司がそうしろと言った』  私は唇を噛んだ。 『それから、ルクソリア側の発表は整えたわ。怜司の退任とMIO参加は、スキャンダルではなく経営再編として出せる』 「綾乃」 『感謝はいらない』  先に遮られた。 『欲しかったのは、それじゃないから』  言葉が出なかった。 『勝ちなさい。ここまでやって負けたら、腹立たしいわ』  通話が切れた。  怜司がどうなっているのか、分からない。  それでも、ここにはいない。  会いに行きたい。  顔を見たい。  声を聞きたい。  それでも、今の私に許されているのは、服の前に立つことだけだった。 「白川」  レオーネが呼んだ。 「君は明日、何を出す」 「セラフィナの服を」 「それだけか」  静かな問いだった。  私は答えられなかった。  レオーネは見抜いている。  セラフィナは完成した。  でも、MIOはまだ完成していない。  事故の知らせを聞いた瞬間。  針が床に落ちた、あの小さな音のあと。  怜司の声で「俺を失う服にするな」と言われた時、一本の線が落ちた。  セラフィナのためではない。  私のための線だった。  愛を失った女ではな
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-07-06
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第157話 まだ名前のないその服

 ルミナス・ガラ前夜の深夜。  ヴァルカの工房は、眠ることを許されていなかった。  広い作業台の上には、黒に近い深い青の布、仮衣装から外した黒いベース、私の描いたデザイン画が置かれている。  私は作業台の前に立ち、ミナは裁断台の向こうで定規を握っていた。  ヴァルカの縫製チームは三人。壁際のミシンとアイロン台に分かれている。  レオーネとセラフィナは、工房の外廊下で誰かと話していた。  ミナが裁断の線を引き、ヴァルカの縫製チームが無言で動く。  これは、私が事故の知らせを聞いた瞬間に掴んだ線だった。  怜司はまだ手術中だった。  綾乃からの続報はない。  佐々木からもない。  スマートフォンを見るたび、胃のあたりが冷たくなる。  今すぐ病院へ行って、怜司の手に触れたい。  でも、私がここで手を止めたら、この服は生まれない。  愛を失いかけた女が、場を降りる服になってしまう。 「白川さん、仮で当てます」  ミナが布を私の身体に合わせる。  黒いベースが胸元を閉じ、深い青の布が腰から斜めに走る。  鏡に映った私は、モデルではなかった。  歩き方も知らない。  見せ方も知らない。  でも、逃げてはいなかった。  その時、半開きの扉の向こう、工房の外廊下から声が聞こえた。  レオーネとセラフィナだった。 「あなたは、いつもそうね」  セラフィナの声は低い。 「失う寸前の女を見ると、急に優しくなる」 「優しくしているつもりはない」 「なら、何?」 「高くなる瞬間を見ている」  ひどい言い方だった。  でも、セラフィナは怒らなかった。 「私も?」 「君は、ずっと高かった」 「値段の話?」 「違う」  短い沈黙が落ちた。  布を切る音が、やけにはっきり聞こえる。 「君は、自分が失われる前に、自分の形へ戻った」  レオーネの声が、少しだけ近くなる。 「だから、L'Amour à l'épreuveだ。試された愛。失われた愛ではない」 「私を愛の話にするの?」 「君が始めた」  セラフィナは、小さく笑った。  恋人の笑い方に近い。  でも、完全に甘くはない。  互いに欲しがりながら、互いを商品にしそうな危うさがある。 「あの子の二着目は?」 「まだ名前はつけない」 「どうして」 「名
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-07-07
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第158話 美しき敗者、白川亜希子

 ルミナス・ガラ本番の夜。 会場は、湖畔の古い館、ヴィラ・アウレアだった。 淡い金色の石壁と高い窓を持つその館は、昼間に見た時よりもずっと冷たく、ずっと華やかに見えた。外には黒い湖が広がり、内側には世界中の買い手、批評家、メゾンの幹部たちが集まっている。 美しいだけの館ではない。 才能に値段をつける場所。 その大ホールは、金色の光、宝石、華やかなドレス、黒い礼服で満ちていた。 笑い声はある。 拍手もある。 けれど、温度はなかった。 誰もが美しいものを待っている顔をしながら、その奥で、誰が次に買われ、誰が次に消えるのかを見ている。ドレスを見る夜ではない。人の傷が、どれだけ高く売れるかを測る夜だった。「白川澪。ご存じ、白川亜希子の娘だ」 レオーネの声が、金色の大ホールに落ちた。「恋人はルクソリアのCEO、久世怜司。愛のためにその座を捨て、今は事故で生死の境をさまよっている。母は美しき敗者、白川亜希子。失われた愛に、これほどふさわしいモデルはいないじゃないか」 客席が、低く沸いた。 笑いではなかった。 感動でもなかった。 もっと質の悪い、値の上がる瞬間を見つけた者たちの熱だった。 それが母を悼んでいるのか、怜司を惜しんでいるのか、私を買おうとしているのか、分からない。 肺のあたりが、冷たい手で握られたみたいに縮んだ。 背中のファスナーの固さまで、急に皮膚の下へ食い込んでくる。 けれど、声は出せない。 ここで声を荒げれば、その怒りまで拍手される。 ただ一つだけ分かった。 ここでは、私が拳を握ることさえ、彼らのための見世物になる。 私は舞台脇の小さな控えスペースで、深い青のドレスに最後のピンを打たれていた。 隣にはミナ。 少し離れてセラフィナ。 会場側にはレオーネ。 そして正面のランウェイには、すでにエレナの服が出ていた。 完璧だった。 ガラ本番で最初に場を取ったのは、エレナの服だった。 彼女のモデルは、白に近い銀のドレスを纏っていた。 モデルが歩き出すと、客席の空気が一斉に静まった。 感動ではない。 祈りでもない。 値段がつく前の沈黙だった。 エレナの服は、揺れない。 どの角度から見ても破綻しない。 照明が変わっても、布の表情が乱れない。 批評家たちは、すぐに言葉を持った。 端正。 完成度。
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-07-08
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第159話 男が膝を折る代わりの口づけだった

 ルミナス・ガラ本番の夜。  ヴィラ・アウレアのランウェイで、私は深い青のドレスを着て歩き出した。  一歩目で、照明が肌に触れた。  二歩目で、深い青が胸元から腰へ落ちる。  三歩目で、会場の視線が私を値踏みし始めた。  床はまっすぐ伸びているのに、幅はひどく細く感じた。  ヒールの音が、金色の天井へ吸い上げられる。  布の重さ。  肩に当たるライトの熱。  客席から向けられる無数の目。  その全部が、私の歩き方を少しずつ変えようとしてくる。  いい。  見ればいい。  私は選ばれるために出てきたのではない。  愛を失いかけている。  本当に失うかもしれない。  それでも、場を降りなかった。  自分の名を、誰にも渡さなかった。  その全部を着て、ここに立っている。  前方の席で、エレナが私を見ていた。  冷たい目ではない。  計算している目だった。  完成度。  危うさ。  市場の反応。  観客の沈黙。  その全部を測っている。  私は中央で止まった。  胸元を閉じた深い青は、守りではない。  正面から視線を受け止めるための布だ。  腰から斜めに走る線は、傷ではない。  倒れずに立ち上がるための線だ。  会場はまだ、拍手をしない。  意味を探している。  その時、後方の扉が開いた。  会場がざわめく。 「ルクソリアの久世怜司だ」  誰かが低く言った。 「事故に遭ったのでは」 「なぜ、ここに」  囁きが、客席の奥から波のように広がっていく。  私は振り向かなかった。  でも、分かった。  怜司だ。  車椅子に乗った怜司が、会場の後方にいた。  見つけた瞬間、身体の内側が大きく傾いた。  ランウェイの中心も、照明の位置も、客席の視線も、全部が一瞬で遠のく。  行きたい。  今すぐ、あの人のところへ走りたい。  佐々木が後ろに立ち、綾乃が周囲を制し、一ノ瀬が少し離れてこちらを見ていた。  医師らしき男が、その背後で腕時計を見ている。  舞台を壊さない位置。  それでも、怜司は来た。  私を選びに来たのではない。  私が立つ場所を、見届けに来たのだ。  会場のすべての視線が、私と怜司の間に張られた。  手術中のはずの男が、そこにいた。  私が失わせないと決めた
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-07-09
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第160話 失われてこそ君臨する愛(L'Amour ne règne que perdu)

 私の中で、何かが静かに決まった。  私は値段をつけられに来たのではない。  支配しに来たのだ。  値段がつく、その瞬間を。  静まり返った会場の中で、まだ手の甲に怜司の唇の温度が残っている。  耳元のアレクサンドライトのピアスが、冷たく揺れた。  怜司から受け取り、置いて逃げて、それでも戻ってきたピアス。  最初は、イミテーションだった。  けれど、次に耳元へ戻った時、それは本物になっていた。  セラフィナに、本物だと認められたピアス。  あの時、怜司は言った。  君が本物を作ったとき、そのとき初めて、これは君のものになる。  今だ。  今なら、私はその言葉にふさわしいと自分で思える。  借り物だったはずの光が、今は私の身体の一部みたいに熱を持っている。  怜司の手を離し、私はもう一度ランウェイの中央へ戻った。  その時、客席の中ほどで、一人の老婦人が立ち上がった。  真珠のネックレス。  豪華客船で私の服を見た、あの老婦人だった。  彼女は何も言わず、ゆっくりと手を叩いた。  拍手はすぐには広がらなかった。  けれど、その音に押されるように、別の誰かが立った。  また一人。  さらに一人。  やがて、会場のドレスと宝石と黒い礼服が、波のように立ち上がっていく。  スタンディングオベーションだった。  値段をつける人間たちが、意味を理解した顔をしている。  完成度ではない。  安定でもない。  いま目の前で価値が跳ね上がる瞬間を、彼らは見てしまった。  レオーネも立っていた。  セラフィナの時とは違う。  今度は、主催者としてではなく、敗北を面白がる男の顔だった。 「買えなくはない。だが、檻に入れた瞬間、君のデザインは死ぬ」  それから、レオーネは私の服を見た。  深い青。  閉じた胸元。  腰から斜めに立ち上がる線。  そして、車椅子の怜司へ視線を移す。 「L'Amour ne règne que perdu」  レオーネが、会場全体へ聞かせるように発音した。 「失われてこそ君臨する愛」  その言葉が、金色の天井にぶつかり、シャンデリアの光の下で広がった。 「それが、この服の名だ」  ざわめきが起きる。  批評家がペンを止め、買い手たちが顔を上げた。  けれど、レオーネ
last updateZuletzt aktualisiert : 2026-07-10
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