LOGIN夢を諦め、家賃すら払えず深夜の倉庫バイトの極貧生活を送る、新人デザイナー・澪。 ある日、偶然出会ったのは、業界を支配する冷徹CEO・久世怜司だった。 澪の隠れた才能を見抜いた彼は、強引に彼女を自分の元へ引き寄せる。 「お前の才能は、俺が独占する」 華やかなファッション業界の裏で渦巻く嫉妬と策略。傷つきながらも輝きを増す澪に、怜司は狂おしいほどの独占欲と溺愛を募らせていく。 「君は、俺が選んだ唯一の存在だ」 才能と恋が火花を散らす、極上のシンデレラ・ラブストーリー。
View More「……来たな」
社長室の大きな窓から、ダイニングサロンへ入った瞬間、声が少し遠のいた。 着飾った男女の視線が、いっせいにこちらへ向く。私のドレスを確かめて、次に隣のレオーネへ移り、最後に私たちの距離を測る。その順番だけで、ここがどういう場所なのかが分かった。誰と来たか。誰に連れられているか。服より先に、それが値踏みされる。 丸いテーブルには銀の皿と薄いグラスが並び、白い花とキャンドルが低く灯っていた。窓の外では夜の海が黒い布のように広がり、中央の小さな舞台では弦楽四重奏が静かに曲を弾いている。急がない、主張しない。でもそこにあるだけで、空気の値段を上げる音だった。 私はこの場所を知っているふりができない。それでも、小さなバッグの底には怜生がくれた青い布がある。そう思うだけで、完全には飲まれずに済んだ。 レオーネが私を隣の席へ導きながら、客人たちへ言った。「こちらは、ミオ・シラカワ」 その瞬間、いくつかの視線が濃くなる。「ああ、セラフィナのジャケットの」「ルクソリアと組んだ若いデザイナー?」「ガラに出るという噂の」 レオーネの視線が私のドレスへ落ちた。「今夜、彼女が着ているのはMIOではない」 客人たちの目が、私の身体の上で止まる。深い青のドレス。彼が用意した、私のものではない服。「だからこそ分かるはずだ。MIOがまだ持っていないものが」 意地悪な言い方だった。でも、ただ晒されているわけではない。このドレスは私の足りなさを見せるためではなく、足りないものを身体で覚えさせるために用意されていた。 真珠の老婦人が、私を見た。「MIOの服は、面白いわ」 やわらかい声だった。だからこそ、次の言葉が深く入った。「感情がある。欲もある。着る人の背中を少し変える力もある」 そこで彼女は静かに微笑んだ。「でも、この船の客を黙らせるには、まだ少し足りない」 昔の工房で使っていた、安い生地の感触を思い出した。高価な素材なんて使えなかった。薄い布が貧しく見えないように、安い光を少しでも美しく逃がせるように、私はずっと足りないものを工夫で補ってきた。その時間は間違いじゃない。MIOは王族の晩餐だけを相手にするブランドじゃない。朝の駅へ向かう人にも、仕事帰りのバーへ寄る人にも、少しだけ背筋を伸ばしてほしくて作った服だ。 でも、ルミナス・ガラは違う。あの舞台に持っていく一着だけは、足り
レオーネは通話を切らせなかった。 私が何か言うより先に、彼は船の白い階段を上がっていく。 その背中は、こちらがついてくると疑っていない。 『澪、今どこにいる』 怜司の声が、電話の向こうで低く響く。 「……港です」 『港?』 「仕事です。レオーネに、連れてこられて」 言った瞬間、自分でもひどい説明だと思った。 怜司の沈黙が刺さる。 『怜生は』 「一緒にいます」 少しだけ、空気が変わった。 『そこを動くな』 「それは」 答える前に、レオーネが振り返った。 「動くなと言われたなら、なおさら動け。君は誰の荷物でもない」 電話の向こうで、怜司の呼吸が硬くなる。 『その男に代われ』 「代わりません」 自分でも驚くほど、はっきり言っていた。 怜司に会いたい。 今すぐ来てほしい。 でも、ここで言われた通りに止まれば、私はまた誰かに運ばれるだけの女になる。 「後で連絡します」 『澪』 切った。 切ってしまった。 なんてひどいことをしたんだろう。 だけど、切らなければ戻ってしまう気がした。 怜司の声のする場所へ。 守られて、抱きしめられて、何もかも忘れてしまえる場所へ。 それでは、ルミナス・ガラでは勝てない。 レオーネは満足そうに笑った。 「よくできた」 「褒めないでください」 「では、始めよう」 *** 案内された船室は、部屋というより小さなホテルのスイートだった。 壁一面の窓。 海へせり出したバルコニー。 磨かれた木の床。 低いソファ。 銀のトレイに並んだ果物と、子ども用の小さなグラス。 怜生は、青い布見本を抱えたまま固まっている。 「まま、ここ、おうち?」 「違うよ」 違う。 違うはずなのに、船室の奥にはすでに子ども用の椅子と、絵本と、ミニカーまで用意されていた。 背筋が冷える。 「用意がよすぎます」 「王族の子どもも乗る船だ。子どもに退屈させる方が失礼だろう」 レオーネが軽く手を上げると、女性スタッフが二人、静かに入ってきた。 片方は怜生の前に膝をつき、やさしく微笑む。 「Bonsoir, petit prince」 怜生は少し考えてから、首を振った。 「れお、王子じゃない」 女性スタッフが笑う
「は?」 間の抜けた声が出た。 レオーネ・ヴァルカは、約束の時間に迎えへ来ただけみたいな顔で、私のアトリエに立っていた。 高すぎるコート。 磨かれた靴。 金色の髪。 型紙や怜生のクレヨン、ミナの納期表の中で、その男だけが別の階級の空気をまとっている。 「迎えに来たと言った」 「聞こえました。意味が分からなかっただけです」 レオーネは愉快そうに笑う。 「煮詰まっているだろう」 「だからって、急に来ますか」 「急ではない。三ヶ月待った。ガラの衣装が滞っていると、セラフィナから聞いた」 セラフィナ。 あの女なら言う。 私を助けるためではなく、追い詰めるために。 「デザイナーには、インスピレーションの時間が必要だろう」 言い返そうとした時、怜生が青い布見本を抱えたまま、私の脚のそばへ寄ってきた。 レオーネの視線が、怜生へ落ちる。 ほんの少し、目が細くなった。 「目元が怜司にそっくりだ」 胃のあたりを、直接押されたような気がした。 「……そういうことを、ここで言わないでください」 「事実だ」 「事実でも、言っていいことと悪いことがあります」 レオーネは怜生をもう一度見た。 怜生は、知らない金髪の男をじっと見上げている。 泣きも笑いもせず、私の服を見る時と同じように観察している。 「この子も連れていく」 「連れていく?」 「置いていく気か」 言葉に詰まった。 置いていく選択肢はなかった。 今日だけアトリエにいる怜生を、急に誰かへ預ける方が難しい。 けれど、レオーネについていく場所に、怜生を連れていっていいのか。 迷った瞬間、ミナのスマートフォンが鳴った。 続けて、ノアの端末も音を立てる。 「……白川さん」 ミナが画面を見たまま固まっている。 「何ですか」 「主要納品分、先方から一週間の納期延長が入りました」 「え?」 「理由は、展示スケジュールの調整。急ぎ分の輸送費も、先方負担に変更されています」 ノアが、今度は自分の画面を見て声を上げた。 「ミオ、海外問い合わせの一次対応、ヴァルカ財団側のスタッフが一時的に引き取るって。正式な文面で来てます」 「……何をしたんですか」 私がレオーネを見ると、彼は肩をすくめた。 「君を連れ出すのに、
あの三日間のことを、ときどき夢だったのではないかと思う。 コモ湖の光。 ヴィラ・アウレアの階段。 セラフィナの冷たい横顔。 レオーネの値踏みする目。 そして、私の手首に触れた怜司の指。 全部が、現実から少しだけ浮いている。 高価な香水を吸い込みすぎた夜みたいに、思い出すたび輪郭が甘くにじむ。 でも、夢なら目が覚めたあと消えるはずだった。 あの三日間は、消えなかった。 むしろ、私の中で硬く残った。 折れそうになるたび、背中の真ん中に一本、見えない芯が通る。 値段をつけられる側で終わるな。 選ばれるのを待つな。 舞台に飲まれる前に、舞台の方をこちらへ向かせろ。 その声が、今も身体の奥に残っている。 怜司からは、ときどき短いメールが来た。 『寝たか』 『無理をするな』 『会いたい』 『次に会ったら、すぐには帰せない』 甘い言葉は少ない。 けれど、その少なさの奥に、触れられない熱だけが残っている。 会えていない。 仕事の連絡はある。 ルクソリアとの契約も進んでいる。 でも、あの三日間の熱を確かめるように会うことだけは、まだできていなかった。 だから、余計に夢みたいだった。 けれど、夢ではない。 私がいま立っている場所の背骨は、たぶんあの三日間でできている。 三ヶ月後。 MIO SHIRAKAWAは、思っていたより早く名前を持ちはじめていた。 最初に売れたのは、ドレスではない。 黒に近い藍色のジャケットだった。 La Distance Jacket。 セラフィナが一度だけ私服で着てくれた写真が、すべての始まりだった。 湖畔の石段。 サングラス。 乱れた金髪。 肩にかけた、MIOのジャケット。 投稿された写真には、短い一文だけが添えられていた。 『距離を着る女は、逃げているわけじゃない』 その朝から、問い合わせの数が変わった。 海外のセレクトショップ。 モード誌の編集者。 知らない国の言葉で書かれた、MIO SHIRAKAWAの文字。 白川澪ではなく。 怜司の女でもなく。 アーク・ブレイズの元デザイナーでもなく。 私が作ったブランドの名前が、服を通して歩きはじめていた。 けれど、現実は華