LOGIN夢を諦め、家賃すら払えず深夜の倉庫バイトの極貧生活を送る、新人デザイナー・澪。 ある日、偶然出会ったのは、業界を支配する冷徹CEO・久世怜司だった。 澪の隠れた才能を見抜いた彼は、強引に彼女を自分の元へ引き寄せる。 「お前の才能は、俺が独占する」 華やかなファッション業界の裏で渦巻く嫉妬と策略。傷つきながらも輝きを増す澪に、怜司は狂おしいほどの独占欲と溺愛を募らせていく。 「君は、俺が選んだ唯一の存在だ」 才能と恋が火花を散らす、極上のシンデレラ・ラブストーリー。
View More「……来たな」
社長室の大きな窓から、一瞬、息の仕方が分からなくなった。 一ノ瀬は笑っている。 でも、その目は笑っていなかった。 「……そういう言い方、しないでください」 ようやく返した声が、少し掠れた。 「澪さん、久世社長に奪われますよ。仕事だけじゃなく」 息が止まる。 テーブルを挟んでいるのに、近い。 さっき手首に残った熱が、まだ皮膚の下でほどけずにいる。 「僕でも少し、欲しくなった」 心臓が跳ねた。 口説き文句に聞こえるのに、たぶんそれだけじゃない。 今の私が女として欲しいのか、デザイナーとして欲しいのか、燃えかけた作品ごと欲しいのか。 境目をわざと曖昧にしてくる。 この人は、いつもそうだ。 救う顔をして、ぎりぎりの場所まで踏み込んでくる。 それなのに最後の一線だけは、私に選ばせる。 私は視線を逸らさなかった。 「一ノ瀬さんには、渡しません」 言った瞬間、彼の目が一瞬だけ鋭く光った。 「には、ね」 軽い声だった。 でも、逃がす気のない目をしていた。 「久世社長には?」 胸が詰まる。 「……それは」 「答えなくていいです。今の顔で十分なので」 悔しそうで、どこか嬉しそうな声だった。 一ノ瀬は身を引き、さっきテーブルへ置いたタブレットを起動する。 画面にいくつかの資料が並んだ。 「話を戻します」 声の温度が、仕事へ戻る。 その切り替えに、私は少しだけ救われた。 「澪さんが今のコラボで勝てば、守れるものが二つある」 「二つ……?」 「一つは、アークでの澪さんの立場です」 一ノ瀬は指先で画面をスクロールした。 「戻ってこいと言う連中も、外せと言う連中も、結果を出したデザイナーは簡単に切れない」 言葉が、まっすぐ入ってくる。 「もう一つは、ルクソリアです」 胸が小さく鳴った。 「コラボが成功すれば、ルクソリアはまだ市場を動かせると示せる。ヴェルネイユに安く買い叩かせない材料になる」 一ノ瀬は私を見た。 「つまり、今やってるコラボに勝てば、アークでの澪さんの席も守れる。ルクソリアも守れる」 すべてを救えるわけじゃない。 でも、今選べる中でいちばん強い道だった。 勝つ。 その言葉が、胸に落ちる。 守られるのではなく、勝つ。 三年前に見た、あの景色
一ノ瀬の指が離れたあとも、手首の内側だけが熱を持っていた。 逃げてもいい。 その言葉は、あまりにも甘かった。 今すぐ頷けば、たぶん一ノ瀬は本当に連れ出してくれる。怜司の怒りも、ヴェルネイユの数字も、アークの再編も、今夜だけは見えない場所へ隠してくれる。 でも、私はもう知っている。 見えない場所へ逃げても、朝になれば針は残る。 切りかけの布も、預けたままの決断も、そのまま残る。 何より、あのドレスが残る。 まだ息をしていないくせに、もう私の喉元へ指をかけているみたいな服。 目を逸らせば、私の中のいちばん醜い感情まで引きずり出す服。 逃げたら、きっとあれに一生呼ばれる。 「……行きません」 声は、思ったより静かに出た。 一ノ瀬は少しも驚かなかった。 ただ、目だけを細くする。 「僕のところへ?」 「はい」 「アークへも?」 息が止まる。 ずるい聞き方だと思った。 けれど、逃げ道を断つなら、そこまで答えなければいけない。 「今すぐには、戻りません」 一ノ瀬の表情が、わずかに変わった。 「それがどういう意味か、分かってます?」 「分かっています」 嘘ではない。 怖い。 アークでの居場所を失い、一ノ瀬が作ってくれた場所を、自分の手で危うくするのかもしれない。 その先を想像した瞬間、背筋が冷えた。 私の肩書きが消える。 積み上げた信用も、次の契約も、怜生を預ける保育料も、少しずつ指の間から零れていく。 失うのは、私の場所だけじゃない。 怜生の朝も、これから選べるはずだった道も、私の選択ひとつで狭くなるかもしれない。 そう思うと、足元が崩れそうになる。 それでも、今ここでドレスから手を離したら、私はたぶん一生、あの布の前に立てなくなる。 「アークが私を育ててくれたことは、分かっています。一ノ瀬さんが、私に世界の見方を教えてくれたことも」 喉の奥が熱くなる。 「でも、今のドレスは途中です」 一ノ瀬は黙っている。 「途中のまま置いて、守られるためだけに戻ったら、私はまた、誰かに決めてもらった人生に戻ります」 その言葉を口にした瞬間、胸の奥で何かが決まった。 そうだ。 私はずっと、それが嫌だった。 奪われること。 黙らされること。
ドアが閉まる音は静かだった。 でも、さっきよりずっと重かった。 残された私は、しばらくその場で動けない。 一ノ瀬はそんな私を急かさず、ようやくテーブルへタブレットを置いた。「ヴェルネイユの投資ファンド、方針が変わったのは知ってるでしょう」 私は小さく頷いた。 もともとヴェルネイユの後ろにいたのは、欧州系の、比較的長い目でブランドを見る資本だった。 でも今は違う。 入ってきたのは、短期間で利益を回収したいアメリカ系ファンド。 つまり、神話や伝統より、今いくら稼げるかを優先するということだ。「……はい。前よりずっと、利益しか見なくなったって」「ええ。神話や歴史に金を払うんじゃない。数字になるものだけ拾う」 淡々とした声だった。 けれど、その冷たさが逆に現実味を帯びさせる。「それが今、アークにもルクソリアにも影響を与えてる」 胸の奥が、わずかに強張った。「……どういうことですか」 一ノ瀬は少しだけ間を置いてから、静かに続けた。「アークでは、編成を見直す動きが出てる。ヴェルネイユ傘下の他ブランドとも親和性の高いデザイナーを前に出したいって声が強くなってるんです」 一瞬、意味が分からなかった。 でも次の瞬間、血の気が引く。「……それって」「澪さんを外して、新しいデザイナーを入れたい連中がいる、ということです」 息が止まる。「守るためには、すぐ戻るのがいちばんいい」 意味を飲み込むまで、一瞬かかった。「……今のコラボを捨てて、ってことですか」「そうです」 一ノ瀬の返事は静かだった。「守ろうにも、いないんじゃお話にならない」 ショーはまだ終わっていない。 ドレスだって、終わっていない。 デザインは、ほとんどできている。 形も、線も、もう逃げないところまで来ていた。 でも本当に大事なのは、ここからだった。 ランウェイに魂を入れる。 服を、ただの完成品じゃなく、生きた一着に変える最後の作業。 いつだって、いちばん過酷で、いちばん削られるのはそこからなのに。「もっと遊ばせてあげたかったんですけどね」 その一言に、胸の奥がかすかに痛んだ。 遊ばせる。 試させる。 尖らせる。 一ノ瀬はずっと、そういうふうに私を扱ってくれていた。 壊れないぎりぎりのところで、自由を許してくれていた。 でも、それがも
「……出ます」 怜司の脇をすり抜け、玄関へ向かう。 モニターに映っていたのは、一ノ瀬だった。 ドアを開けると、彼はいつもの余裕を崩さないまま、細く息をつく。 「遅くにごめん。大事な話だから、直接話したかった」 そう言いながら、室内の気配を読んだらしい目が、わずかに奥へ向く。 「……取り込み中だった?」 「いえ」 即答した声が、思ったより硬かった。 一ノ瀬は私ではなく、背後の怜司を見る。 ほんの数秒。 それだけで、二人の間に見えない火花が走った気がした。 「久世社長、こんな時間まで熱心ですね」 軽い声。 けれど少しもやわらかくない。 怜司も一歩も引かない。 「お前こそ、他人の部屋にずいぶん気安い」 「澪さんはうちの人間ですから」 空気がまた張りつめる。 私の肩が無意識に強ばった。 怜司の目が細くなる。 「今はルクソリアの案件を任せている」 「任せている、ね」 一ノ瀬は笑う。 でも、目だけが笑っていない。 「まるで、自分のもののような言い方だ」 「必要なら、取り返す」 低い一言。 あまりに怜司らしくて、胸の奥が痛む。 その言葉に、今うれしいと思ってしまう自分もいるから、なおさらだ。 「久世社長」 一ノ瀬の声が、今度は少しだけ冷える。 「今夜来たのは、澪さんを守るためです」 息が止まった。 怜司の視線が私へ一瞬だけ落ちる。 「どういう意味だ」 「ヴェルネイユの件」 その一言で、空気が変わる。 怜司の目が、わずかに細くなった。 欧州の巨大ラグジュアリーグループだ。 老舗メゾンを次々と傘下に収め、伝統と職人技を守る顔をしながら、数字に合わないブランドは容赦なく切り分ける。 しかも、ヴェルネイユはアーク・ブレイズの株式を九・八パーセント押さえていた。 筆頭ではない。けれど、無視できる数字でもなかった。 「もちろん、久世社長が知らないわけないですよね」 静かな声なのに、挑発にしか聞こえない。 私は息を呑む。 怜司は数秒黙ったまま、一ノ瀬を見返した。 「知っている」 短い返答。 でも、その短さがかえって重かった。 「ど