LOGIN夢を諦め、家賃すら払えず深夜の倉庫バイトの極貧生活を送る、新人デザイナー・澪。 ある日、偶然出会ったのは、業界を支配する冷徹CEO・久世怜司だった。 澪の隠れた才能を見抜いた彼は、強引に彼女を自分の元へ引き寄せる。 「お前の才能は、俺が独占する」 華やかなファッション業界の裏で渦巻く嫉妬と策略。傷つきながらも輝きを増す澪に、怜司は狂おしいほどの独占欲と溺愛を募らせていく。 「君は、俺が選んだ唯一の存在だ」 才能と恋が火花を散らす、極上のシンデレラ・ラブストーリー。
View More「……来たな」
社長室の大きな窓から、その少し後。 窓の外は、夜が白み始める直前の、最も深い群青色に包まれていた。 私は誰もいないはずのアトリエの扉を開け、静かに足を踏み入れた。 照明の落ちた空間の中央で、完成したドレスが月光を浴びて青白く浮かび上がっている。 ――その傍らに、人影があった。「……怜司さん?」 思わず足が止まる。 もう、とっくに帰ったものだと思っていた。 彼は振り返らなかった。 しばらく黙ったままドレスを見つめ、それから低く言った。「来ると思っていた」 胸が、どくりと鳴る。 見透かされていたことへの悔しさと、こんな時間までここにいる彼への苛立ちと、説明のつかない熱が、いっぺんに込み上げた。「……確認しに来ただけです」「そうか」 短い返事。 そのくせ怜司さんは、ようやくこちらを振り向いた瞬間、私ではなく、まず私の手を見た。 指先が、ぴくりと強張る。 徹夜続きで針を持ち続けた指は、赤く腫れ、ところどころ薄く皮が剥けていた。 自分ではもう見慣れたはずの傷なのに、その視線に晒された途端、急にむき出しにされたみたいで、息が詰まる。「……っ」 その視線に晒された瞬間、張り詰めていたものが、ふいに音を立てて軋んだ。 徹夜続きの睡眠不足と、明日を前にした極度の緊張で、身体はもうとっくに限界だったのだと思う。 背筋に冷たい電流が走る。 私は眩暈を感じ、思わず作業台に手をついた。視界が激しく揺れ、膝が折れそうになったその時。 怜司さんの腕が、驚くほど穏やかに、私の身体を横から支えた。 この一ヶ月、容赦なく欠点を指摘されることには慣れていたのに、こんなふうに支えられるのは、少しも慣れない。 身体が強張り、肩に触れた熱に、息が止まる。「……怜司さん」 肩に触れる彼の掌の熱量に、息が止まった。 彼は私のボロボロになった指先をそっと取り、赤く腫れた肌を、慈しむような目で見つめた。「……お前は、よく頑張ってる」 その声は、いつもの氷のような響きが嘘のように、低く、熱を持っていた。 彼は私の指先に、祈るような、あるいは誓いのような軽いキスを落とした。 剥き出しの神経に触れられるような感覚に、私の心臓が跳ねる。「……ランウェイで、このドレスが世界に放たれたとき、お前のことをただの幸運な娘だなんて言う奴は、もう誰もいない。お前がその実力で、すべての口
深夜のルクソリア本社。アトリエの中央で、完成したドレスが静かに佇んでいた。 照明はすべて落とされている。けれど、大きな窓から差し込む東京の月光が、純白のシルクに走る「金の糸」を、まるで血管のように浮かび上がらせていた。 佐伯は、その数歩手前で足を止めていた。触れない。 もう、このドレスに自分の経験や技術が入り込む余地などないことを、誰よりも理解していた。 ポケットの中で、スマートフォンの画面が淡く光る。 この一ヶ月、送り迎えを両親に任せ、深夜に帰り早朝に出る生活を続けてきた。寝顔しか見ていない娘からの、一通のメッセージ。 『ママ、あしたパパといくね。きらきらのドレス、楽しみ』 たどたどしいボイスメッセージに、佐伯の目元がわずかに熱くなる。 この子のために、私は何を残せるだろう。 彼女は、憑き物が落ちたような穏やかな指つきで、返信を打った。 『ええ、明日、会場で待っているわ。終わったら、あなたの好きなものを作りましょうね』 送信ボタンを押した瞬間、何十年も自分を縛り付けていた「アウローラ」の呪縛が、音を立てて解けていくのを感じた。 「……見事だ、佐伯」 背後から、怜司の声が響く。佐伯は振り返らずに、ドレスを見つめたまま微笑んだ。 「久世代表。……私は明日、あの子が世界に立つのを見届けたら、デザイナーとしての鋏を置かせていただけませんか?」 怜司の眉が、わずかに動く。 沈黙がアトリエを支配した。彼はドレスを見つめ、それから佐伯の使い古された指先に視線を落とした。 「……降りるというのか。ルクソリアが、再び世界の頂点に返り咲くこの瞬間に」 「ええ。前線で削り合うのは、もう私の役割ではありません。……ようやく、あの子にバトンを渡せた。これからは、あの子のような新しい芽を育てる側に回りたいんです。……家で娘を待たせる時間も、少しだけ増やしてやりたい。身勝手な願いだとは承知していますが」 怜司はふっと視線を逸らし、窓の外の夜景を見つめた。 その背中には、冷徹な経営者としてではなく、長年の戦友に対する不器用な労いが滲んでいた。 「……いいだろう。この一ヶ月、いや、今日までよくやってくれた。お前がいなければ、ルクソリアの伝統は途絶えていたはずだ。デザイナーとしてのお前を失うのは正直惜しいが……その眼と技術は、
「モデルのキャスティングを変更しろ。 このドレスの重心を理解していない。0.5秒、歩幅が遅い」 深夜のスタジオ。モニターを見つめる怜司の横顔は、彫刻のように動かない。 演出会議は、もはやビジネスの域を超えた拷問だった。 誰かが資料をめくる音だけで肩が跳ねる。 徹夜続きの頭に、プロジェクターの白い光が針みたいに刺さった。 けれど、怜司は一度も疲れを見せなかった。 その静かな苛烈さが、場の全員の逃げ道を塞いでいた。「……代表。会場を東京国立博物館の石階段にするのは、あまりにリスクが高すぎます」 演出担当が震える声で進言する。「照明の跳ね返りが強すぎる。ドレスの繊細な光沢が飛んでしまう可能性が――」「なら、石の反射率を計算して照明を組み直せ。不可能とは言うな」 怜司は一蹴し、私の方を向いた。 その視線が来るたび、いまだに背筋は冷える。試されているのだと分かるから。 昔の私なら、ここで目を逸らしていた。間違えたくなくて、期待されたくなくて、曖昧に笑って逃げていた。 でも今は、もう逸らさない。 逸らした先にあったのは、いつだって「どうでもいい側の人間」として扱われる未来だったから。「いいか、澪。今回のランウェイは単なるショーじゃない。ルクソリアの『完全復活』を世界に刻み込むための、一回限りの戴冠式だ」 怜司は私のドレスを指し示し、冷徹に言葉を継いだ。「成瀬がブランドの『伝統』を証明し、お前がその『破壊』を提示する。欧州のバイヤーたちに、ルクソリア無しでは今後三年のトレンドは語れないと確信させる。それが俺の戦略だ」 彼は立ち上がり、作業台に広げられた私のドレスに指を這わせた。 布の上を滑る長い指先を見ていると、喉が渇く。美しさを値踏みする手つきなのに、同時に、私の中身まで暴こうとするみたいでもあった。「お前たちが競い合うことで、ドレスはより鋭くなる。……どちらかが欠けても、この伝説は完成しない。お前は俺の隣で、世界を跪かせるための刃になれ」 刃。 そう呼ばれた瞬間、胸の奥の何かが静かに軋んだ。 昔の私は、誰かの役に立てればそれでいいと思っていた。便利で、従順で、使いやすいままでいれば、捨てられないで済むと思っていた。 でも今は違う。 もう、誰かの手の中で都合よく消費されるために、美しくなりたいわけじゃない。 その言葉通り
中間発表からランウェイ当日までの一ヶ月、私の世界からは「昼」と「夜」の概念が消えた。視界にあるのは、網膜に焼き付いた純白のシルクと、指先に刺さる金の糸の残像。そして、耳元で鳴り続ける久世怜司の、低く冷徹な声だけだった。 アトリエの床には、没になった数千枚のデザイン画と、世界中から取り寄せたスワッチが雪のように積み重なっている。踏むたびに紙が乾いた音を立て、足首に絡みついた。コーヒーの冷えた匂いと、アイロンの熱で焦げた布の匂いが、もう肌に染みついて取れない。 私は、デザイナーという名の「軍師」であり、同時に「職人」でなければならなかった。 もちろん、最初からそんなことができたわけじゃない。 モデルの歩幅、照明のルクス、バイヤーへのノベルティ……怜司から求められる無数の決断に、私は最初、ただ立ち尽くすことしかできなかった。何かを答えようと口を開いても、喉の奥がひりつくだけで、言葉にならない。周囲のスタッフの視線が、一斉に私へ集まる。その重さだけで、胃がきりきりと縮んだ。 「……そんな怯えた目で俺を見るな。 判断できないなら、今すぐこのプロジェクトから降りろ」 怜司さんの罵声に近い叱咤を受けた瞬間、胸の奥で、昔の私がびくりと身を竦めた。 馬鹿にされるのが怖くて、否定される前に自分から身を引いて、便利に使われても笑ってやり過ごしてきた、あの頃の私。 あの私は、たぶん今も消えていない。どこかで静かに息をひそめて、傷つかないように膝を抱えている。 でも、もう前みたいに、あの子に全部を明け渡したりはしなかった。 私は泣く暇さえ惜しんで、過去のショーの資料を貪り、専門用語を叩き込んだ。 夜中の三時、充血した目で海外メゾンの映像を止めては巻き戻し、モデルのターンの角度をノートに書き写した。五時にはそのまま床で一時間だけ眠り、頬に紙の跡をつけたまま起き上がる。鏡を見る余裕なんてなかった。指先のささくれは裂け、針を持つたびにじんと熱を持ったけれど、痛みはむしろ遅れてくるほうが都合がよかった。 彼に認められたい一心で、私は一晩で演出プランを三通り書き直し、モデル一人一人の筋肉の動きまで叩き込んだリストを作成した。 一度目は「甘い」と切り捨てられ、二度目は「保身が透けて見える」と紙ごと机に戻された。 保身。 その言葉に、指先が