「天音汐(あまね しおり)さん。本当にお父上の遺志を継ぎ、潜入捜査官になることを望みますか?」警察庁の警察章の下で、汐は深く頷いた。「はい。覚悟はできています」潜入捜査官になるために、まずすべきことは、これまでの人生の痕跡をすべて消し去ることだった。「天音汐」という名は、この世界から完全に抹消される。当局の手によって汐の偽装死が仕組まれ、その後、彼女は別人として新たな人生を歩み始めるのだ。警察庁から戻り、寝室の手前まで来たとき、中から女の甘ったるい声が聞こえてきた。開け放たれたドアを、汐は虚ろな瞳で見つめる。諏訪部京弥(すわべ きょうや)が連れ込んできた女は、これでいったい何人目だろう。結婚して三年の間、京弥はほぼ毎日のように、汐に似た女を連れ帰ってきた。わざと扉を開け放ち、隠そうともせず、彼女の目の前で睦み合う。それはすべて、かつて汐に捨てられたことへの復讐だった。けれど今回ばかりは、中の女が声を上げた瞬間、汐は凍りついた。呆然としているうちに、中の二人は行為を終えた。京弥はバスローブを羽織って出てくると、冷淡な視線を汐に向ける。「いいところに帰ってきたな。避妊具が切れた。いくつか買ってこい」そう言い捨てると、京弥は脇の引き出しから分厚い札束を取り出し、汐の顔へと叩きつけた。「残りはチップだ。お前、金が好きだろ」札束が当たった頬がひりひりと痛む。汐は床に散らばった金には目もくれず、充血した瞳で京弥を凝視した。「今まで何人もの女と寝てきた上に……深雪まで巻き込むなんて。どうして、そんなひどいことをするの?」殺すなら、ひと思いに殺せばいいものを。堀江深雪(ほりえ みゆき)が自分の親友だと、京弥は知っているはずだった。京弥の細長い瞳に冷たい光が宿る。彼は冷笑を浮かべた。「あの時、俺を散々弄んだ挙げ句、あっさり捨てたお前が……どの口で言う」汐の心臓に鋭い痛みが走り、当時の記憶が濁流のように押し寄せてきた。汐と京弥は、誰もが羨む若き日の恋人同士だった。一人は大学のマドンナ、一人は大学のプリンス。キャンパス内では知らぬ者のいない、理想のカップルだった。二人は誓い合った。結婚できる年齢になればすぐに結婚しようと。しかし、愛が最も燃え上がっていたその時、汐は突如として別れを告げ、ある御曹司とと
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