車内がしばらく静まり返ったあと、由衣はもう我慢できないとでもいうように、そっと身体を動かした。 先ほど慎一に突き放されたにもかかわらず、懲りる様子もなく、柔らかな身体を再び彼のほうへ寄せる。 もっとも、今度は完全にもたれかかることはせず、ほんのわずかに距離を残したまま。「社長〜、このあとどこに行くんですか?」 甘えた声音でそう尋ねながら、由衣は慎一の顔色を窺うように見上げる。その視線の合間にも、少しずつ、少しずつ彼との距離を詰めていく。 そんな小さな仕草など、慎一が見逃すはずもなかった。 彼は咎めることなく、ただ鼻で笑う。「久我に先に事務所まで送らせる」 午後には由衣のオーディションが控えている。 そのあとには雑誌のインタビューも入っていることを、所属事務所の代表である慎一は当然把握していた。 自分と長く一緒にいるつもりがないと知った瞬間、由衣はあからさまに不満そうな顔を見せた。 そっと指先を伸ばし、慎一のスーツの袖口をつまむ。「社長〜……インタビューまで、まだ一時間以上ありますよ? 本当に送って終わりなんですか?」 上目遣いで見上げるその姿は、いかにも庇護欲を誘う愛らしさに満ちている。 慎一は視線だけを落とし、淡々と返した。「何だ。今日、あれだけ与えてやったのに、まだ足りないのか?」 今日だけで、オーディション用の新しい服もアクセサリーも買い与えた。 由衣が欲しいと口にした八十万円の懐中時計も、慎一は一瞬たりとも迷わず支払っている。 今日はもう、十分に面白い見世物を見せてもらった。 あれを褒美とするなら、由衣には十分すぎるほどだ。 それに、車内で紗月を降ろしたいという由衣の思惑も、彼はそのまま叶えてやった。 これ以上を求めるのは、さすがに図々しい。 もっとも、慎一がそれらを惜しみなく与えたのは、紗月の目の前で見せつけるためにすぎない。 彼にとっては、その程度の額など端金にすぎなかった。 由衣の将来的な商業価値を考えれば、いずれいくらでも回収できる投資だ。 だから痛くも痒くもない。 そんな思惑など知らない由衣は、目をくるりと動かした。細い小指が、慎一の手の甲をそっとなぞる。 探るような仕草。 慎一が何の反応も示さないのを見て、彼女は怯むどころか、さらに身体を前へ傾けた。 少しでも彼の視線を自分に留めたい。
Terakhir Diperbarui : 2026-04-11 Baca selengkapnya